『メカゴジラの逆襲』「レディ・プレイヤーズ1」繋がりで!
※もう公開からだいぶ経つので、ネタバレを書いてしまうと、、、
スピルバーグの新作『レディ・プレイヤー1』には、メカゴジラが
出現し、なんとガンダムと戦闘するシーンがあるのだっ!それを
記念して(?)今回は、マニア受けすると噂の『メカゴジの逆襲』を
鑑賞してみまんた!!
eiga.com 作品情報 『メカゴジラの逆襲』
父親の業の犠牲になる娘というテーマが特異なゴジラシリーズだった。
■解説:“メカゴジラ”シリーズ二作目。第一作で破壊されたメカゴジラが地球征服を企む宇宙人に復元修理され、ゴジラと対決する。脚本は高山由紀子、監督は「決戦!南海の大怪獣」の本多猪四郎、特撮監督は「エスパイ」の中野昭慶、撮影は富岡素敬がそれぞれ担当。
■ストーリー:海に沈んだメカゴジラの残骸を捜索中の潜水艇・あかつき号が行方不明になった。調査に乗り出した海洋研究所の一之瀬は、10年前に「恐竜は実在する」と発表して世間を追われた真船博士が事件に関係があるとにらんだ。一方、その真船博士は、人知れぬ地下の実験室で一人娘・桂を助手にして、世間へ復讐するために研究に没頭していた。真船博士の復讐心は地球征服を企む宇宙人に利用された。怪獣チタノザウルスを使ってあかつき号を破壊したのは、大宇宙ブラックホール第三惑星の隊長ムガールで、彼は博士の手を借り、メカゴジラを復元修理しようとする計画だった。一之瀬は海底調査をするに当って桂に協力を求めたが、断わられた。桂はムガールの手下・津田によってサイボーグに改造されていたのだ。あかつき2号に突然、チタノザウルスが襲いかかった。だが、あかつき2号の発信する超音波によって苦しみ悶えだした。チタノザウルスは超音波に弱いのだ。逃げたチタノザウルスは二日後、横須賀港に出現した。その時、突如、海中からゴジラが現われた。壮絶な戦いは勝負がつかないまま、引き分けに終った。ムガールは桂の頭にメカゴジラの作動装置を結びつけ、東京大破壊が開始された。その頃、真船家を探っていた一之瀬がムガールに掴まった。ムガールは、一之瀬を救出しようと飛び込んで来た国際警察の村越をしりめに、最後のスイッチを押した。メカゴジラとチタノザウルスは狂ったように街を破壊していった。だが、再び出現したゴジラによって、宇宙人の野望もくずれさるのだった。...
■スタッフ:/監督 本多猪四郎 /特技監督 中野昭慶 /脚本 高山由紀子 /製作 田中友幸 /撮影・特殊撮影 富岡素敬 /美術 本多好文 /音楽 伊福部昭 /録音 矢野口文雄 /音響効果 三縄一郎 /照明 高島利雄 /編集 黒岩義民 /製作担当者 篠田啓助 /助監督 山下賢章 /スチル 田中一清 /操演 松本光司 /特殊効果 渡辺忠昭 /合成 三瓶一信 /光学撮影 真野田嘉一 /特技美術 青木利郎 小村完 光学作画 石井義雄 /特技助監督 田渕吉男 /造形 安丸信行 小林知己 村瀬継蔵 /協力 製作所健二 /宣伝担当 中村修
■キャスト:平田昭彦(真船博士) 藍とも子(真船桂) 内田勝正(村越二郎) 佐々木勝彦(一之瀬明) 麻里とも恵(山本ユリ) 睦五郎(ムガール隊長) 伊吹徹(津田) 六本木真(若山勇一) 中丸忠雄(田川) 冨田浩太郎(太田) 大門正明(草刈) 鈴木和夫(宇宙人) 桐島好夫(宇宙人) 沢村いき雄(真船家の老人) 佐原健二(防衛隊指令)
■作品データ:/製作年 1975年 /製作国 日本 /配給 東宝 /上映時間 83分 /提供 株式会社キネマ旬報社
※富岡素敬さんのコメンタリー・ヴァージョンで鑑賞せり。■ストーリー:海に沈んだメカゴジラの残骸を捜索中の潜水艇・あかつき号が行方不明になった。調査に乗り出した海洋研究所の一之瀬は、10年前に「恐竜は実在する」と発表して世間を追われた真船博士が事件に関係があるとにらんだ。一方、その真船博士は、人知れぬ地下の実験室で一人娘・桂を助手にして、世間へ復讐するために研究に没頭していた。真船博士の復讐心は地球征服を企む宇宙人に利用された。怪獣チタノザウルスを使ってあかつき号を破壊したのは、大宇宙ブラックホール第三惑星の隊長ムガールで、彼は博士の手を借り、メカゴジラを復元修理しようとする計画だった。一之瀬は海底調査をするに当って桂に協力を求めたが、断わられた。桂はムガールの手下・津田によってサイボーグに改造されていたのだ。あかつき2号に突然、チタノザウルスが襲いかかった。だが、あかつき2号の発信する超音波によって苦しみ悶えだした。チタノザウルスは超音波に弱いのだ。逃げたチタノザウルスは二日後、横須賀港に出現した。その時、突如、海中からゴジラが現われた。壮絶な戦いは勝負がつかないまま、引き分けに終った。ムガールは桂の頭にメカゴジラの作動装置を結びつけ、東京大破壊が開始された。その頃、真船家を探っていた一之瀬がムガールに掴まった。ムガールは、一之瀬を救出しようと飛び込んで来た国際警察の村越をしりめに、最後のスイッチを押した。メカゴジラとチタノザウルスは狂ったように街を破壊していった。だが、再び出現したゴジラによって、宇宙人の野望もくずれさるのだった。...
■スタッフ:/監督 本多猪四郎 /特技監督 中野昭慶 /脚本 高山由紀子 /製作 田中友幸 /撮影・特殊撮影 富岡素敬 /美術 本多好文 /音楽 伊福部昭 /録音 矢野口文雄 /音響効果 三縄一郎 /照明 高島利雄 /編集 黒岩義民 /製作担当者 篠田啓助 /助監督 山下賢章 /スチル 田中一清 /操演 松本光司 /特殊効果 渡辺忠昭 /合成 三瓶一信 /光学撮影 真野田嘉一 /特技美術 青木利郎 小村完 光学作画 石井義雄 /特技助監督 田渕吉男 /造形 安丸信行 小林知己 村瀬継蔵 /協力 製作所健二 /宣伝担当 中村修
■キャスト:平田昭彦(真船博士) 藍とも子(真船桂) 内田勝正(村越二郎) 佐々木勝彦(一之瀬明) 麻里とも恵(山本ユリ) 睦五郎(ムガール隊長) 伊吹徹(津田) 六本木真(若山勇一) 中丸忠雄(田川) 冨田浩太郎(太田) 大門正明(草刈) 鈴木和夫(宇宙人) 桐島好夫(宇宙人) 沢村いき雄(真船家の老人) 佐原健二(防衛隊指令)
■作品データ:/製作年 1975年 /製作国 日本 /配給 東宝 /上映時間 83分 /提供 株式会社キネマ旬報社
父親の業の犠牲になる娘というテーマが特異なゴジラシリーズだった。
●予告
※一種独特な、文芸的な香りを放っている・・・。
※主役(一番目立ってたの)はチタノザウルスくんだった!
因みに、首を長く、体色を極彩色に巣した理由は、
「映画のスクリーンは横に長いため、 それに逆らったキャラ
クターを出したかったから。/黒緑系で地味なゴジラや、銀
ピかのメカゴジラとの対比を狙ったから」だって。(2ちゃん情報)
※一種独特な、文芸的な香りを放っている・・・。
公開当時、子供達にはきっとウケなかったんだろうなぁーー。
※主役(一番目立ってたの)はチタノザウルスくんだった!
因みに、首を長く、体色を極彩色に巣した理由は、
「映画のスクリーンは横に長いため、 それに逆らったキャラ
クターを出したかったから。/黒緑系で地味なゴジラや、銀
ピかのメカゴジラとの対比を狙ったから」だって。(2ちゃん情報)
なべやかんオフィシャルしゅみブログ チタノザウルス
→ 『昨日は「メカゴジラの逆襲」を観た。本当にメカゴジラってかっこいいよな。メカゴジラの存在が無かったら、怪獣マニア&コレクターになってなかったかもしれない。メカゴジラの存在が大きすぎて、影が薄くなりがちなチタノザウルスだが、俺はチタノザウルスが大好きだ。
チタノザウルスは、ウルトラマンAの超獣やドルゲ魔人、北京原人などを作った村瀬さんの作品だ。表面の艶、素材の感じが実に見事なヌイグルミだった。写真は、M1号から発売されたソフビだ。ヌイグルミが見事だったから、ソフビも見事なできばえ!赤い怪獣だけど、他の色も似合っちゃうのが、またいいねー。
「メカゴジラの逆襲」を観てるといつも思うのだが、チタノザウルスと呼ぶ前の“恐竜”の発音が気になるな!』
※確かに、キョー(↑)リュー(↓)のイントネーションは引っ掛かるところダロネ。
→ 『昨日は「メカゴジラの逆襲」を観た。本当にメカゴジラってかっこいいよな。メカゴジラの存在が無かったら、怪獣マニア&コレクターになってなかったかもしれない。メカゴジラの存在が大きすぎて、影が薄くなりがちなチタノザウルスだが、俺はチタノザウルスが大好きだ。
チタノザウルスは、ウルトラマンAの超獣やドルゲ魔人、北京原人などを作った村瀬さんの作品だ。表面の艶、素材の感じが実に見事なヌイグルミだった。写真は、M1号から発売されたソフビだ。ヌイグルミが見事だったから、ソフビも見事なできばえ!赤い怪獣だけど、他の色も似合っちゃうのが、またいいねー。
「メカゴジラの逆襲」を観てるといつも思うのだが、チタノザウルスと呼ぶ前の“恐竜”の発音が気になるな!』
※確かに、キョー(↑)リュー(↓)のイントネーションは引っ掛かるところダロネ。
※プロレスで言うところの「最強悪役コンビ」っぽいメカゴジラ&チタノw
☆2ちゃん情報
脚本の高山由紀子さんが、湯布院映画祭のゲストに来られたときの会話。
彼女が通っていたシナリオ学校に、東宝からメカゴジラの続編のプロッ
ト募集のお知らせが来た。 女性にしては珍しく小さい頃からSF映画や怪
獣映画が好きだった彼女は、ゴジラシリーズはほとんど見ていたとのこと。
第1作の芹沢博士を念頭に置いた真船博士の物語を作って提出して選ばれた。
本多監督がプロットを喜んでくれ、一緒に決定稿まで二人で練った。
シリーズでた一人の女性の脚本家であることを誇りに思うとも話していた。
脚本の高山由紀子さんが、湯布院映画祭のゲストに来られたときの会話。
彼女が通っていたシナリオ学校に、東宝からメカゴジラの続編のプロッ
ト募集のお知らせが来た。 女性にしては珍しく小さい頃からSF映画や怪
獣映画が好きだった彼女は、ゴジラシリーズはほとんど見ていたとのこと。
第1作の芹沢博士を念頭に置いた真船博士の物語を作って提出して選ばれた。
本多監督がプロットを喜んでくれ、一緒に決定稿まで二人で練った。
シリーズでた一人の女性の脚本家であることを誇りに思うとも話していた。
☆ヒロイン藍とも子さんの壮絶人生
テレビのまとめ 藍とも子 娘を捨て逃亡…28年後の奇跡|爆報!THEフライデー
→ 『TBSテレビの「爆報!THEフライデー(ばくほうザフライデー)」で藍とも子さんについて放送されました。/俳優・峰岸徹(みねぎしとおる)さんは2008年に肺がんのため亡くなった昭和の名優です。そんな峰岸徹さんの元妻は女優の藍とも子(あいともこ)さん。藍とも子さんは1975年、ゴジラ第15弾「メカゴジラの逆襲」でサイボーグ少女・真船桂を熱演。大ブレイクを果たしました。そして1976年に峰岸徹さんと結婚し、翌年には女の子を出産。誰もがうらやむ美男美女夫婦でした。しかし、結婚から6年で離婚。藍とも子さんはマスコミに何も語ることなく芸能界から姿を消しました。
藍とも子さんと峰岸徹さんは1975年の「プレイガールQ」で共演し出会いました。盛り上がった二人はお互いをよく知らないまま交際半年でスピード結婚。翌年には女の子を出産しました。このとき峰岸徹さんはデビューして13年、映画やドラマなど40本を経験済みのベテラン俳優。一方、藍とも子さんは期待の新人女優でした。この2人の関係が結婚生活にも大きな影響を及ぼすことに。結婚後も女優業を続けるつもりだった藍とも子さんにドラマの仕事が舞い込んできました。ところが峰岸徹は「俳優は自分を安売りしてはいけない」と脇役で出演することに反対してきました。また藍とも子さんにCM出演依頼がきましたが、「そんなのは女優の仕事じゃない」と反対されてしまいました。以来、夫婦の会話も少なくなったと言います。
そして結婚6年目、藍とも子さんは現金数万円だけを持って家を出ました。2人は一切会うことなく書面のやり取りだけで離婚が成立。4歳だった娘は峰岸徹さんが引き取ることになりました。家を飛び出した後すぐに女優業を再開した藍とも子さんでしたが、すでに旬を過ぎていた彼女に来た仕事はセクシー映画。それでも仕事とわりきり引き受けた結果、その後のオファーは裸の仕事ばかりに。そして、わずか数年で仕事はゼロになってしまいました。一人になった藍とも子さんに残ったのは娘を捨てたという罪悪感だけでした。/2010年9月、藍とも子さんを娘が訪ねてきました。娘は32歳になり、赤ちゃんを抱いた母になっていました。実はこの2年前の2008年10月、峰岸徹さんは肺がんのため亡くなっていました。彼は病床で娘に「会いたかったら会っても良いぞ」と遺言を残していたのです。』
テレビのまとめ 藍とも子 娘を捨て逃亡…28年後の奇跡|爆報!THEフライデー
→ 『TBSテレビの「爆報!THEフライデー(ばくほうザフライデー)」で藍とも子さんについて放送されました。/俳優・峰岸徹(みねぎしとおる)さんは2008年に肺がんのため亡くなった昭和の名優です。そんな峰岸徹さんの元妻は女優の藍とも子(あいともこ)さん。藍とも子さんは1975年、ゴジラ第15弾「メカゴジラの逆襲」でサイボーグ少女・真船桂を熱演。大ブレイクを果たしました。そして1976年に峰岸徹さんと結婚し、翌年には女の子を出産。誰もがうらやむ美男美女夫婦でした。しかし、結婚から6年で離婚。藍とも子さんはマスコミに何も語ることなく芸能界から姿を消しました。
藍とも子さんと峰岸徹さんは1975年の「プレイガールQ」で共演し出会いました。盛り上がった二人はお互いをよく知らないまま交際半年でスピード結婚。翌年には女の子を出産しました。このとき峰岸徹さんはデビューして13年、映画やドラマなど40本を経験済みのベテラン俳優。一方、藍とも子さんは期待の新人女優でした。この2人の関係が結婚生活にも大きな影響を及ぼすことに。結婚後も女優業を続けるつもりだった藍とも子さんにドラマの仕事が舞い込んできました。ところが峰岸徹は「俳優は自分を安売りしてはいけない」と脇役で出演することに反対してきました。また藍とも子さんにCM出演依頼がきましたが、「そんなのは女優の仕事じゃない」と反対されてしまいました。以来、夫婦の会話も少なくなったと言います。
そして結婚6年目、藍とも子さんは現金数万円だけを持って家を出ました。2人は一切会うことなく書面のやり取りだけで離婚が成立。4歳だった娘は峰岸徹さんが引き取ることになりました。家を飛び出した後すぐに女優業を再開した藍とも子さんでしたが、すでに旬を過ぎていた彼女に来た仕事はセクシー映画。それでも仕事とわりきり引き受けた結果、その後のオファーは裸の仕事ばかりに。そして、わずか数年で仕事はゼロになってしまいました。一人になった藍とも子さんに残ったのは娘を捨てたという罪悪感だけでした。/2010年9月、藍とも子さんを娘が訪ねてきました。娘は32歳になり、赤ちゃんを抱いた母になっていました。実はこの2年前の2008年10月、峰岸徹さんは肺がんのため亡くなっていました。彼は病床で娘に「会いたかったら会っても良いぞ」と遺言を残していたのです。』
・なんか漫画拾った♪
※哀愁のラストシーン。これで完結しておけばよかったのかも・・・。
『風が立ち、浪が騒ぎ、無限の前に腕を振る。』 |
出展:「盲目の秋」 |
発言者:中原中也 (詩人 1907年4月29日~1937年10月22日) |
◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・
Amazon.co.jp 汚れつちまつた悲しみに…―中原中也詩集 (集英社文庫) 中原中也(著)
→ 『■内容紹介:吐く息のひとつひとつが詩になる!鋭すぎる感覚と簡潔な表現で、優れた作品を発表しながら、30歳の若さで世を去った中原中也。その永遠の名詩を紹介する。(解説・新保祐司/鑑賞・秋元 康) /■登録情報:/文庫 253ページ /出版社 集英社 /言語 日本語 /ISBN-10: 4087520064 ISBN-13: 978-4087520064 /発売日 1991/1/20 /梱包サイズ 15 x 10.6 x 1.2 cm /おすすめ度 5つ星のうち 3.7 /■カスタマーレビュー:Waffen-SS 5つ星のうち5.0 「ヤマトの影響」2013年7月21日・・・宇宙戦艦 ヤマト 2199の中で、真田副長の愛読書として登場しました。なので、普段は詩集だなんて読まない自分なんですが、ちょっと読んでみようということで。ブックカバーもbookGoodsという会社から文庫本サイズのが通販にて売られていたので早速、取り寄せて装着を。確かに自分で折り込んだりしなければなりませんが、装着後は何処と無くオリジナル風の文庫本カバーに。お勧めです。』
→ 『■内容紹介:吐く息のひとつひとつが詩になる!鋭すぎる感覚と簡潔な表現で、優れた作品を発表しながら、30歳の若さで世を去った中原中也。その永遠の名詩を紹介する。(解説・新保祐司/鑑賞・秋元 康) /■登録情報:/文庫 253ページ /出版社 集英社 /言語 日本語 /ISBN-10: 4087520064 ISBN-13: 978-4087520064 /発売日 1991/1/20 /梱包サイズ 15 x 10.6 x 1.2 cm /おすすめ度 5つ星のうち 3.7 /■カスタマーレビュー:Waffen-SS 5つ星のうち5.0 「ヤマトの影響」2013年7月21日・・・宇宙戦艦 ヤマト 2199の中で、真田副長の愛読書として登場しました。なので、普段は詩集だなんて読まない自分なんですが、ちょっと読んでみようということで。ブックカバーもbookGoodsという会社から文庫本サイズのが通販にて売られていたので早速、取り寄せて装着を。確かに自分で折り込んだりしなければなりませんが、装着後は何処と無くオリジナル風の文庫本カバーに。お勧めです。』
♪~やあ!詩人 最近なんだかマトモだなぁ?
やあ!詩人 なんか反省しちゃったかい?
やあ!詩人 宙也のパクリはやめたのかい?
やあ!詩人 今度の芸風 ああ、ボランティアかい?~♪
※かつて大槻ケンヂは、いでたちまで宙也をパクっていた時期がある。
今から111年前の今日、すなわち明治38年(1905)4月29日、東京・千駄木の漱石邸、通称「猫の家」に人々が集っていた。38歳の漱石を囲む顔ぶれは、俳人の高浜虚子、漱石の弟子・野村伝四をはじめ5~6人。夕方5時から始まった会合は、深夜11時頃まで続いた。この会合は、「文章会」と名づけられていた。
俳人で随筆家の正岡子規の提唱により、明治33年(1900)9月から始められたのを引き継ぐもので、「文章には山がなければならない」という考えのもと、自作の写生文や小説作品を持ち寄って発表(朗読)し批評し合うことから、別名「山会」とも呼ばれていた。ここでいう「山」とは”主題”のことであり、同時に表現上の盛り上がりのようなものも示唆していた。/子規の没後も「山会」の熱は衰えず、月1回のペースで開催されており、漱石の処女作『吾輩は猫である』第1回の原稿も、そもそもは明治37年(1904)12月の「山会」で発表(朗読)されたものだった。この原稿の作成に当たっては、編集者としての虚子が漱石の書いた草稿を読んでいろいろとアドバイスし、推敲や削除がなされたと伝えられる。タイトルについても、漱石自身は『猫伝』か『吾輩は猫である』か、どちらがいいか迷っていたが、虚子との相談を経て、後者に決定したという。
漱石邸を「山会」の会場としたのは、この日が初めてのことだった。席上、漱石は自作の短篇『琴のそら音』を自ら朗読した。肺炎で死去した若い細君が手鏡の中に姿を現して戦地の夫に逢いにいくという、ある種の怪談じみた話を盛ったこの作品は、日露戦争のまっただ中にあった当時の時代状況と密接に結びついていた。/司馬遼太郎の長編歴史小説『坂の上の雲』にも描かれたように、子規の幼な友達で、漱石も一高で同級生だった秋山真之(あきやま・さねゆき)は海軍軍人となり、日本の連合艦隊の作戦参謀を務めていた。その連合艦隊が、《天気晴朗ナレドモ波高シ》の打電をして、ロシアのバルチック艦隊と日本海で激突するのは、このひと月後のことである。
●名前が無いんじゃなくて、タイトルが無い猫動画
※ズリズリズリ・・・
※あまり興行成績が芳しくなかった頃のドラ映画かなー?