漫画タイトル「旅は続くよ」

毎日新聞 りえさん手帖
毎日新聞 2018年6月10日 東京朝刊』

イメージ 1

ダンベルでシャベリ掘り?初めて聞くフレーズだ。フィットネスクラブの
世界も奥深いようだぁーなぁ~~~~~。

Medicommi 西原理恵子の患者通信 〜誰にも言えない病気 ワキガ編〜
イメージ 2

『周囲は知っているものの自分だけが知らないワキガについて、誰にでもできるチェック方法を今回も西原理恵子先生が分かりやすくお届けします。』

イメージ 3


イメージ 4

※「タガメ」の匂いw 歯に衣着せぬ言い方って・・・残酷。

●おかん飯:西原理恵子枝元なほみ「明太とろろご飯」


イメージ 5

※エダモンキャラが良いなぁー。もっと漫画に登場させて欲しい。

telling, ミレニアル女子へサイバラの喝。「くねくねしてんじゃねーよ!」
『――男を見る目について、何かアドバイスはありますか。/西原:そこはね、私は男選びで3回以上、外してるから。スカウターが壊れていると自覚しています。よく、クソみたいな男と付き合う友だちっているでしょ? でも、言っても聞かないよね。だから友だちとしては、船が港を出たら待つことしかできない。で、戻ってきたらいつも「あんな男だと思わなかった!」って言う子を、「いや、そういう男だったよ」って女ともだち全員でつっこむんですけどね。とはいえ、そのくらいじゃないとなかなか着床もしないからね。のぼせて、わけがわからなくなってる時は避妊もしないから。そんなこんなもあるから、人生、面白い方に転がるんじゃないかな。面白いから止めないけど、男選びを2回以上失敗した人は自分を信用しないで。友だちにステキな夫婦がいたら、「私に合いそうな人はいませんか?」って紹介してもらっては。正しいスカウターを持っている人を頼りにすることです。――この年になると、独身・既婚・ママ・バリキャリ……とまわりの女子たちの属性もバラバラで、雑談に困るんです。何げなく言ったひと言が、知らない間に相手の地雷を踏んでいたりしないかな、何を話すのが正解かなって。/西原:あのねえ、あの子に何か悪いこと言っちゃったかしらって? 15歳から何も変わってないんですか。それで怒るような相手なら、もう会わなきゃいいじゃん。 そういうことを言うイタい子って、ずっと変わらないんだよね。主婦になってもバリキャリになっても、イタい。「私が、私が」ってね。相手に悪かったかもなんて言って、実は自分のことしか頭にない。――悪く思われたくないんですよね。要はみんな「いい子」であろうとして苦しくなっている気がします。/西原:そんなにいい子ちゃんになりたい? そんなんで結婚したら、実家の親の面倒は見られなくても、義父のおむつを替えなきゃいけなくなりますよ。ひきこもりにうんこを投げられる生活。それでよければいいよ、あなたの人生なんで。
イメージ 7

今はもう、私たちの親の世代は「自分が散々苦労したから、あんたはそんな思いしなくていいよ。嫁におむつを替えられるなんて冗談じゃない」って言うでしょう? 天敵の姑(しゅうとめ)でさえね。自分のことは自分でやりますっていう時代になったのに、人によく思われたいって人目を気にしてるヒマがあったら、資格のひとつも取れや。まったく、くねくねしてんじゃねーよ。――くねくね……。西原さんは、まわりの目が気になる時はなかったんですか。/西原:私は高校を退学になった時に、まわりもナニもなくなりました。父親が自殺して、だらだら生きるお金はない。お母さんが父親に殴られるのも見ていたから、ここにいたら自分も夫に殴られて、子どもを殴る母親になってしまう、地元の高知を出て、大好きな絵で生きていきたいって思ったの。20、30代になってもまわりの目を気にしてるなんて、小中学生の時に、好きでもない友だちと一緒にお弁当を食べて、親友づらされて、悩みを聞かなきゃいけない、あのウザさから変わってないよね。そんな友だちは、あなたを助けてくれないよ。本当に困った時に助けてくれる人ってめったにいないんだよ。だから自分の時間を大切にしないと。いい加減、個人主義で行こうよ。幸せになるために、己の幼さは便所に流してください。
イメージ 8

――うーん。でも……/西原:でも、はナシ! このままだと、腐れババアになりますよ。その初期症状は、「誰かのせい、何かのせいにしている」。将来のための貯金は? 離婚することになったら? 考えることはたくさんあるでしょう。もし、男がこんな話をしていたらどう思う? 友だちとつまんない話をして、アイツを怒らせたかもしれない、属性の違う人とうまく話せない……って、どれだけダメか、わかりますよね。――西原さんの友人はどういう人で、どんな話をするんですか。/西原:そもそも、大人になると友だちってそんなにいらないから。(小説家の岩井)志麻子ちゃんと、(編集者の中瀬)ゆかりちゃんくらいかな。会うと、収穫期のち●ぽの話をしているよ。――た、確かに、ち●ぽの話なら属性関係ない、のか……? 勉強になります。/西原 私は水商売のバイトをしていたので、人の悪口を言う人をたくさん相手してきました。まったく悪くないお店の女の子に罵声を浴びせるような人もいた。でも、これは高い時給をもらっているから聞いていられるの。タダで人をつかまえて、タダで愚痴や文句を言うのは、ものすごくずうずうしい人だよ。そんな雑談に付き合う時間があったら、ヨガに行くなり、ジョギングするなり、自分の時間をつくっていきましょうよ。そっちには素晴らしい友だちが待っていますよ。』

◎西原ファミリーのこの人の記事!!
スポーツ報知 岩井志麻子さん29歳女性看護師連れ去り男2人に激怒「だからおめえらだめなんだよ」
『作家・岩井志麻子さん(53)が14日放送のTOKYO MX「5時に夢中!」(月~金曜・後5時)に生出演し、9日に静岡県で29歳の看護師・内山茉由子さんの遺体が見つかった事件について怒りをあらわにした。5月26日、スポーツジム駐車場の防犯カメラに、自分の車に乗り込もうとしていた内山さんを、男2人がはさみ込むように無理やり車へ押し込んで連れ去る様子が映っていた。遺体には外傷がなく死因が特定できていないという
イメージ 6
  岩井さんは「人生詰んでいるこいつらも、このままではいかんという気持ちがあったんでしょうよ。何かデカいことをやろうと、どうしてそれが犯罪に行くのか」といい、「追い詰められて追い込まれてるこいつらが現状を打破する時に、弱い女性とか罪なき子供とかに行く。もっと強いものと戦ってとか、そういうことをせずに弱い方弱い方に行くのが許せない」とまくし立てた。さらに「結果取り返しのつかないところに行ってしまう。巻き込まれる方はたまったもんじゃないですよ」と続け、「関係ない弱い人を巻き込んだ重大なことになる。どうして人生詰んだ奴らってそういうところに行くのかな。だからおめえらだめなんだよ」と吐き捨てた。』

◎今回はかっちゃん動画はこれだけで~~~。
●『炎上上等』高須克弥院長、生い立ちを語る(爆笑)




☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日6月12日(火)の、「元気が出る言葉」は~?

『薬を10錠飲むよりも、心から笑った方がずっと効果があるはず。/太陽の光と雲ひとつない青空があって、それを眺めていられるかぎり、どうして悲しくなれるというの?』
出展:いずれも、「アンネの日記」(文藝春秋
発言者:アンネ・フランクユダヤ系ドイツ人 1929年6月12日~1945年3月上旬)
『解説:アウシュヴィッツの出来事に関して映画「シンドラーのリスト」やフランクルの「夜と霧」など多くの作品でその悲惨な実態を知ることができるが、もっとも有名な作品が「アンネの日記」であることは間違いない。その「アンネの日記」は「人間の本性はやっぱり善なのだ」と記されているように、随所に人間肯定と生への希求が語り綴られている。アンネは隠れ部屋の小さな窓から外の世界を想像した。どんな逆境にあっても、生を肯定する。心が弱ったとき、心静かに「アンネの日記」を黙読しよう。』

イメージ 9


◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

Amazon.co.jp 増補新訂版 アンネの日記 (文春文庫) アンネ・フランク (著), 深町眞理子(翻訳)
『■内容紹介:1926年、ドイツで裕福なドイツ系ユダヤ人家庭の二女として生まれたアンネはナチスの迫害を逃れ、一家でオランダのアムステルダムに移住。1944年、姉マルゴーの召喚を機に一家で隠れ家生活に入る。ついに1944年、ナチにより連行され、最後はベルゲン=ベルゼン強制収容所チフスのため15歳で亡くなった。ナチスに捕らわれる前まで書き続けていた日記には、自分用に書いた日記と、公表を期して清書した日記の2種類がある。本書はその二つを編集した「完全版」に、さらに新たに発見された日記を加えた「増補新訂版」。ナチ占領下の異常な環境の中で、13歳から15歳という多感な思春期を過ごした少女の夢と悩みが瑞々しく甦る。ユネスコ世界記憶遺産。
イメージ 11
/■登録情報:/文庫 597ページ /出版社 文藝春秋; 増補新訂版 /言語 日本語 /ISBN-10: 4167651335 ISBN-13: 978-4167651336 /発売日 2003/4/1 /梱包サイズ 15.2 x 10.8 x 2.6 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.2 /■カスタマーレビュー:吉田 堅一 5つ星のうち3.0 「隠れ家における一少女が感じ取った事が日記で綴られています。」2016年11月23日・・・戦争中、将来はジャーナリストを夢見て、隠れ家で起こった様々なことを15歳の少女の視点から克明に記されています。隠れ家での生活なので、不安、恐怖に脅かされていた描写が多いのかなぁと思いきや、普通の一般人が生活して受けるであろう思いの方が多く見受けられます。思春期における親への葛藤、他人への愚痴や、隠れ家の限られた空間で繰り広げられる人間模様観察、そして彼女はちゃんと恋もしていました。/これだけの文才がありながらユダヤ人虐殺の犠牲者になったのは非常に残念で、かわいそうに思えます。あと少し生きながらえていたら、戦争が終わって夢が叶っていたんでしょうね !!彼女の日記にはこう記されてあります。「 私の望みは、死んでからもなお生き続けること ! 」皮肉にも”アンネの日記”としてこの思いは叶えられ、70年以上が過ぎた今でも世界中の人々に読まれています。(もちろん、彼女には知る由もありませんが…) 戦争とは、この様な何の罪も無い人たちの命を平気で奪う残虐な行為。今も世界のどこかでこの行為が行われています。』

●映画「アンネの追憶」予告編


イメージ 10

※皆が知っている隠れ家での生活部分は極力ハショって、強制収容所
での出来事メインとなっているので、「日記」の要素は少な目になっ
ているようです。。。

☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“金はある部分から見ると、労力の記号だろう。ところが、器械的の労力が金に変形するや否や、急に大自在の神通力を得て、勝手次第に精神界が攪乱されてしまう。不道徳極まる魔物じゃないか(『永日小品』より)”

【1909年6月12日の漱石朝日新聞に連載小説『それから』の予告文を書いて送る

今から107年前の今日、すなわち明治42年(1909)6月12日の朝、漱石は、東京朝日新聞社会部の山本笑月(しょうげつ/本名・松之助)へ、次回連載の小説の題名を手紙で連絡した。《小生の小説の名は「それから」と申候(もうしそうろう)。今月二十日前後に二、三十回まとめてご送付致すべく候》

笑月から、スケジュールの連絡とともに題名の問い合わせがあったのに応じた返信だった。漱石は5月31日にこの小説の稿を起こしていたが、すでにその時点で題名を決めていたのだった。/漱石は同じ手紙の中で、予告文が必要ならそれも用意する、と伝えた。笑月からはすぐに折り返しの連絡で、予告文もほしいとの要望が出された。こうした手紙のやりとりは、当時きわめて迅速で、その日のうちになされている。郵便の集配も頻繁だし、使いの者に直接配達を頼むやり方もあった。

漱石が夕食を終えた頃、第一高等学校の校長をつとめる畔柳芥舟(くろやなぎ・かいしゅう)が、例年の通り、サクランボの手土産を持って漱石山房早稲田南町漱石の自宅)を訪れた。畔柳芥舟は、本名・畔柳都太郎(くろやなぎ・くにたろう)。サクランボの名産地・山形の出身で、漱石がロンドンから帰国後に一高の教師となったとき、教員室で向かい側に座っていた元同僚だった。漱石が『吾輩は猫である』を書き始めた折には、話のネタとなる多少の材料も提供したという。もともとは漱石が大学院生のとき1年に入学した東大英文科の後輩で、漱石の下宿に本を借りにいったこともあった。/芥舟本人の言葉を借りれば、「弟子を超越し、さればとて友人には達せず、まず私からいえば親しい先輩、夏目さんからいえば親しい後輩」という一種特別な関係。そんなことで、余計な気遣いをすることなく、けれど礼を失しない態度を保ちつつ、互いに率直な意見交換ができた。

たとえば、いつぞやは講演の謝礼について、ちょっとした議論をした。漱石はその講演を好意で引き受け出かけていったのに、あとで謝礼が届けられた。その謝礼によって、自分の気持ちが中途半端なものにされた気がしたとして、漱石はこう訴えた。「私は労力を売りに行ったのではない。好意づくで依頼に応じたのだから、向こうでも好意だけで私に報いたらよかろうと思う。もし報酬問題とする気なら、最初から御礼はいくらするが、来てくれるかどうかと相談すべきはずでしょう」

芥舟は、こう答えた。「しかし、どうでしょう。それは労力を買ったという意味でなくって、夏目さんに対する感謝の意を表するひとつの手段と見たら。そう見るわけには行かないのですか」「品物ならはっきりそう解釈もできるのですが、不幸にも御礼が普通営業的の売買に使用する金なのですから、どっちとも取れるのです」「どっちとも取れるなら、この際、善意の方に解釈した方がよくはないでしょうか」

芥舟の言っているのは、ごく常識的なとらえ方だろう。芥舟ならずとも、漱石先生、何もそこまでこだわらなくても、と言いたくなる。だが、漱石は、なおもこう付言した。「私は富裕とはいえませんが、原稿料で衣食して、どうかこうか過ごしています。自分の職業以外のことにかけては、なるべく好意的に人のために働いてやりたいという考えを持っています。そうしてその好意が先方に通じるのが、私にとっては何よりも尊い報酬なのです。だから金など受けると、私が人のために働いてやるという余地、その貴重な余地を腐蝕させられたような心持ちになるのです」/おそらく、漱石の思いの根っこはもう一段深いところにあって、近代の資本主義経済というものが、知らぬ間に人間の精神性をもおかしかねないことを憂いていた。

さて、この日、あれこれの世間話をして、畔柳芥舟が山房を引き上げたのが午後10時。漱石は、その後、予告文の作成にとりかかった。《色々な意味に於て「それから」である。「三四郎」には大学生の事を描(かい)たが、この小説にはそれから先の事を書いたから「それから」である。「三四郎」の主人公はあの通り単純であるが、この主人公はそれから後の男であるからこの点に於ても、「それから」である。この主人公は最後に、妙な運命に陥る。それからさき何(ど)うなるかは書いてない。この意味に於ても亦(また)「それから」である》(『それから』予告)/これから発表する小説『それから』は、先に新聞連載した『三四郎』の内容を、底流として引き継ぐものであり、さらにそれが次作(『門』)へと続くことを、漱石は早くも匂わせている。漱石先生が添え文をつけてこの予告文を投函したのは、日付が替わる深夜12時の少し前だった。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「それから」「予告」で動画検索してみました!!)

●「それから」予告編


イメージ 12

※おお、『お嬢さん』の女優が出ているのかー。ちょっと興味出たぞ♪

●映画『それから』 予告編


イメージ 13

藤谷美和子、プッツン前の輝き?

ジョニーAのつぶやき:「三四郎」「それから」「門」の3部作、今年中に読み切れるだろうか・・・(自信無し)