『愛のむき出し』の、サクラ&茉優 ー定点観測ー

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映画ランド 西島隆弘×満島ひかり『愛のむきだし』幻の6時間版がソフト化
『2017年7月18日「新宿スワン」「冷たい熱帯魚」「ヒミズ」の監督・園子温の代表作にして、日本映画史に残る問題作『愛のむきだし』を6時間版に再構築した、「愛のむきだし【最長版 ザ・テレビショー】」のBlu-rayが9月27(水)に発売されることがわかった。/本作は、カリスマ盗撮変態男の予測不能の純愛の行方を描いた物語。敬虔なクリスチャン一家に育ったユウ(西島隆弘)は、ある出来事を境に神父の父(渡部篤郎)に懺悔を強要され始める。ユウは懺悔のために毎日“罪作り”に励み、気がつけば盗撮魔となっていた。そんなある日、運命の女・ヨーコ(満島ひかり)と出会い、ユウは生まれて初めて恋に落ちるが…。
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主人公・ユウをAAA(トリプル・エー)の西島隆弘が演じ、ユウが恋に落ちるも、義理の兄妹となってしまうヨーコに満島ひかりが扮する。また、安藤サクラ綾野剛松岡茉優らが瑞々しい個性をぶつけ合い、渡部篤郎渡辺真起子板尾創路らベテラン俳優たちが脇を固める。2010年に解散したロックバンド「ゆらゆら帝国」の主題歌も、最初で最後の映画コラボレーションとして今となっては伝説となっている。/『愛のむきだし』は上映時間が237分(3時間57分)と長く、劇場ではインターミッション(途中休憩)を挟んで上映されたところもあったほど邦画では珍しい長編作品だ(DVDは二部構成で発売されている)。編集初期段階の本編尺は約6時間。その失われた幻のバージョンを元に再構成、未使用シーンを1時間以上復元、全音楽・音響を再構築した。ソフトでは各話30分のTV仕様(全10話)で収録されている。さらに当時の撮影監督・谷川創平が立会い、全編4Kデジタルリマスター化を実施。園自身も満足のいく出来となった。
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【CREDIT】/原案・脚本・監督:園子温 /出演:西島隆弘 満島ひかり 安藤サクラ板尾創路 深水元基 吹越満綾野剛 松岡茉優渡辺真起子渡部篤郎 /主題歌:ゆらゆら帝国「空洞です」(Sony Music Associated Records) /製作:オメガプロジェクト /制作プロダクション:ステューディオスリー /(C)「愛のむきだし」フィルムパートナーズ』

愛のむきだし(プレビュー)


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※何度か鑑賞したつもりでいたのだが、見覚えのないシーン続出!!
たぶんこれまでは、途中で挫折して寝落ちしてしまってたってことだろうなー。

ゆらゆら帝国 『空洞です』

※劇中歌。作品世界とぴったりリンクしてる!

トゥゲッター 松岡茉優語録 誕生日に @JJJproduction さんがtweetした語録をまとめました
園子温監督の『愛のむきだし』(09年)にも出ていたそうですが。/松岡:小5のときでした。あの作品に出ていたなんて、私もびっくりです(笑)(映画秘宝 3月号 2015)/いつも母に付き添ってもらってオーディションを受けていたんですが『愛のむきだし』からひとりで行くようにしたんです。地図は持っていたけど降りる駅を間違って道に迷い、路上で大泣きしてしまって(苦笑)トヨタ店のオジサンが「どうした?」と親切に声を掛けてくれて、オーディション場所まで車で送ってくれたんです。泣きながらお礼を言って扉を開けたら園監督が待っていて「ピュアな子を探していたんだ。君がいい!」って(笑)トヨタ店のオジサンにちゃんとお礼がいいたいです。オジサンのお陰で『愛のむきだし』に出演できましたよ〜!(映画秘宝 2015年3月号 )』

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安藤サクラさんは教団幹部で、茉優ちゃんは満島ひかり演じるヨウコが教団を
出た後でお世話になる親戚の家の子なので、二人が共演するシーンはなかったん
ですねーーー。

呑気なピスキスのブログ 松岡茉優、顔変わったと話題に?目が小さいと言われ目頭切開してた?
『松岡さんの目の大きさが違いますが、ネット上では目頭切開をしていると噂になっています。目頭切開は目元の印象を変える施術と言われており、目の横幅が広がって、目元が一回り大きくなった印象を見せる事ができます。また、寄り目気味の方にも好評であるそうで、目と目の幅を狭めずに目を大きく見せる事ができると言われてます。/目以外は特に変わったと言う印象はありませんので、今の顔のまま整形しないで美しい顔を維持して頂くと、嬉しいですね(*・ω・)これからも、芸能活動を頑張って欲しいですね(`・ω・´)b』
※目頭切開ぐらいなんだ!お化粧のうち、お化粧のうち・・・。

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※改めて、サクラさんの壮絶な死に方、主人公男子が気が狂うエンド、など
けっこう「Zガンダム」の影響を受けてるんじゃなか?と思ってしまった。
サクラさんの串刺しデスはシロッコそのものやしーーーwww

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※当時小5だったらしい。それにしてはしっかりしてる印象だ。。。

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※部屋に入って来て、ヨウコが観ていたDVD(盗撮マニアもの)
に興味津々の茉優ちゃん。

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※笑顔、そしてマシンガン・トークはこの頃からお上手だった!!

●「愛のむきだし」LOVE EXPOSURE - Who You Are


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※おぼこいけど、、、現在のお顔の原型はちゃーーんとある。
整形じゃなくって成長だね、これは。高須院長の診断を仰ぎ
たいものだわ~。



☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日6月20日(水)の、「元気が出る言葉」は~?

『退社時間が来たら遠慮なく家に帰り、家族と楽しい時間を過ごすことそれこそ「人として踏むべき道」』
出展:?
発言者:竹鶴政孝 (実業家 ニッカウイスキーの創業者 1894年6月20日~1979年8月29日)
『解説:竹鶴政孝は「日本のウイスキーの父」といわれ2014年NHK連続テレビ小説「マッサン」の主人公として扱われた。この言葉は明治生まれの男言葉としては現代的だが、そこはイギリス人女性リタと結婚した国際人らしい考え方ともいえる。退社時間が来たら遠慮なく家に帰る。それだけしっかり働きたいものだし、家族を愛したいものだ。「よく働き、よく遊べ」はいまだにニッカウイスキーの社風とのこと。』

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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

Amazon.co.jp ヒゲと勲章 ニッカウヰスキー社長 竹鶴政孝 「ウイスキー革命は俺がやる」 歴史をつくる人々 Kindle版 ダイヤモンド社 (著)
『■内容紹介:「本場のスコッチにおとらない、うまいウイスキーを生み出したい」「誰にでも手の届く額で提供したい」強い使命感を持ってウイスキーづくりに人生をささげた“国産ウイスキーの父”竹鶴政孝
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洋酒への憧れ、酒造メーカーへの就職、スコットランド留学、ニッカウヰスキー創業――竹鶴氏本人への取材により、彼の足跡と思いをたどる一冊。生涯の伴侶リタ夫人との出会い、そして別れなど、プライベートにも迫った1966年刊行書籍の復刻です。/■登録情報: /フォーマット Kindle版 /ファイルサイズ 29936 KB /出版社 ダイヤモンド社 /販売 Amazon Services International, Inc. /言語 日本語 /ASIN B00LTCR0J2 /Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) 有効  /X-Ray 有効にされていません  /Word Wise 有効にされていません /おすすめ度 5つ星のうち 4.5 /■カスタマーレビュー:Kindleユーザー 5つ星のうち5.0 「NHK連続テレビ小説“マッサン”の必読本です」2014年8月19日・・・竹鶴政孝氏ご本人の著作で、ウイスキー一筋の人生が語られています。本書が出版された時期には既に亡くなっておられたリタ夫人との出会いや結婚生活も書かれています。行間に遠い異国で、終生自分に尽くしてくれた亡き妻への想いが溢れています。日本のウィスキーの歴史を知る上でも貴重な資料だと思います。本書執筆後の竹鶴氏の晩年は、「ヒゲのウヰスキー誕生す(川又一英)」などでお読みいただければ良いかと思います。』


●”マッサン”が新成人に贈った62年前の名スピーチ

・テープは1953年1月、北海道工場の成年の祝いの式典を、工場長だった留治氏が録音したもの。前年、本社を東京に移し、社名も「ニッカウヰスキー」に変更。麻布に新工場を建設するなど、順調に業績を伸ばすなか”原点”である北海道の新成人に向けて、社長である政孝氏が贈ったメッセージだ。
《一人前の人間としてこれから社会に立っていくうえに、いろいろの、心がけが必要である》
若い社員を特に大切にしたというマッサン。このメッセージには、新成人に会社の未来、いや日本の未来を託したい、そんな思いが溢れている。

鬼平や竹鶴~私のお気に入り~ お気に入りその1539~竹鶴政孝パート277
『今回のお気に入りは、竹鶴政孝パート277、寿屋のポスターです。先日、寿屋白札ウイスキーの復刻版ポスターが届きました。寿屋白札ウイスキーといえば、知る人ぞ知る国産第一号ウイスキー鳥井信治郎竹鶴政孝というビッグ2が手を組んだからこそ誕生した奇跡の逸品です。世界に誇るジャパニーズウイスキーの歴史はここから始まりました。
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ポスターをご覧ください。そこにうたわれた名文句。鳥井信治郎竹鶴政孝の「ついに成し遂げたぞ!」という自信に満ちあふれた言葉が並んでいます。』

☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“自然は公平で冷酷な敵である(『思い出す事など』より)”

【1894年6月20日漱石】東京で「明治期最大の地震」の直撃を受ける

今から122年前の今日、すなわち明治27年(1894)6月20日、午後3時過ぎ、大学院生として東京帝国大学の寄宿舎にいた漱石は、耳の底に届くような地鳴りを感じた。続いて、大きな揺れがやってきた。地震だった。このとき、あわてた学生のひとりが、寄宿舎の窓から飛び下りて怪我をするというひと幕もあった。安政2年(1855)の大地震以来の大揺れ、明治年間に東京近郊を襲った最大の地震といわれるものであった。東京市内で倒壊した家屋は90戸、破損家屋は4千8百30戸余り、死者が24名出たと伝えられている。

しばらくして、寄宿舎に、友人の狩野亨吉(かのう・こうきち)が訪ねてきた。お互いの無事を確認し合うと、漱石と狩野亨吉は連れ立って市街を歩き、地震の被害の状況を見て回った。現状を把握するとともに、自分らで何かできることがあれば……、との思いもあったのだろう。かつて漱石の通っていた神田猿楽町の錦華小学校(現・お茶の水小学校)に大事はなかったが、神田錦町の錦城学校では生徒に2名の死傷者が出ていた。漱石と亨吉が前を通りかかると、そのことで大騒ぎとなっているところだった。

後年、漱石の謡の師匠である能楽師の宝生新が、自分は臆病だから地震に遭って屋根へ飛び出したことがあると語ったのも、同じこの日の体験だったに違いない。宝生新は、このとき、間の悪いことに吉原の遊廓に登楼していたという。以下、本人の語る回想談。《私は元来地震が嫌いな所へ持って来て、こんな所で死んじゃ恥だと思ったから、二階から三階へ上って、逃場所(にげばしょ)がないから、窓を破って隣の屋根へ飛び出したのですよ。さて地震が止(や)んでから帰ろうと思っても、屋根と窓との間には三尺ばかりの距(へだ)たりがあって、怖くてどうしても帰れなくなったのです》(森田草平による聞き書き謡曲の稽古』)

3尺といえば、およそ1メートル。足元も不安定な屋根の上で3階の高さだと、1メートルの隙間に恐怖を感じるのも無理はない。無我夢中の「火事場の馬鹿力」で飛び移ったものの、戻るに戻れないという滑稽な見せ物を、はからずも演じてしまったわけだ。いずれにしろ、この地震は、漱石の記憶の底に鮮明に残った。10年余りが過ぎ去ったのち、漱石は『吾輩は猫である』の中で、美学者の迷亭に、哲学者・八木独仙を揶揄(やゆ)する調子のこんな台詞を言わせている。

《あの時寄宿の二階から飛びおりて怪我をしたものは独仙君だけなんだからな》これは、まぎれもなく、東大の寄宿舎にいたあわて者の学生がモデルだろう。漱石の最古参の門弟のひとりである寺田寅彦は、地球物理学者として地震の研究にも携わっていた。欧州留学に出発する間際の明治42年(1909)3月、寅彦は「近いうちに地震があるかもしれません」と漱石に言い置いていた。その夏、関西に大きな地震があり、漱石は「寅彦の予言が的中した」と友人あての手紙に綴った。

しかし、これは、予知や予言というより統計学的観点からの注意喚起で、「地震大国」ともいうべきわが国で、日頃からの心掛けのようなものを促す意味の方が大きかっただろう。寅彦は随筆『天災と国防』の中で、こんなふうに述べている。《戦争はぜひとも避けようと思えば人間の力で避けられなくはないであろうが、天災ばかりは科学の力でもその襲来を中止させるわけにはいかない。その上に、いついかなる程度の地震暴風津波洪水がくるか今のところ容易に予知することができない。最後通牒も何もなしに突然来襲するのである》《文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そして、重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った。そうしてあっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻(おり)を破った猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ堤防を崩壊させて人命を危うくし財産を滅ぼす》

漱石も寅彦の注意を胸の底に、いつ襲ってくるかわからぬ自然の猛威を意識していたことだろう。漱石は地球全体の進化の歴史を頭に置いて、随筆『思い出す事など』の中にこう綴っている。《われら人類がこの大歴史中の単なる一頁を埋むべき材料に過ぎぬことを自覚するとき、百尺竿頭に上りつめたと自任する人間の自惚れはまた急に脱落しなければならない》/しかしながら、わが身で体感した地震の揺れとしては、大学院生時代のこの地震以上に大きなものに出くわすことはなかった。漱石の生涯は50年に満たず、関東大震災の7年前に、すでに病没していたのである。

細かすぎて伝わらない関連動画など

以下略・・・