『あの頃、君を追いかけた』

イメージ 1

木皿泉さんが、誰かさんに勧められて、自分でも気に入り、
皆に“また貸し”ならぬ、“また薦め”されてた作品。
さっそくレンタルしてきてみたヨン。

eiga.com 作品情報 『あの頃、君を追いかけた』
■解説:台湾の人気作家ギデンズ・コーが、自伝的小説を自らのメガホンで映画化し、台湾・香港で記録的ヒットを叩きだした青春ラブストーリー。1990年代、台湾中西部の町・彰化。男子高校生コートンは、悪友たちとつるんでくだらないイタズラで授業を妨害しては担任を困らせていた。そこで担任教師は、優等生の女子生徒シェンを監視役としてコートンの後ろの席に座らせることに。コートンは口うるさいシェンをわずらわしく感じながらも、次第に彼女にひかれていく。
イメージ 2

■スタッフ:/監督 ギデンズ・コー /製作総指揮 アンジー・チャイ /原作 ギデンズ・コー /脚本 ギデンズ・コー /撮影 ジョウ・イーシエン /音楽 ジェイミー・シュエ クリス・ホウ
■キャスト:クー・チェンドン(コー・チントン=コートン) ミシェル・チェン(シェン・チアイー) スティーブン・ハオシエ・ミンハ(アハ) ジュアン・ハオチュエン(ツァオ・グオション) イエン・ションユー(シュー・ボーチュン=ボーチ) ツァイ・チャンシエン(リャオ・インホン=マタカキ) フー・チアウェイ(フー・チアウェイ)
イメージ 3

■作品データ:/原題 You Are the Apple of My Eye /製作年 2011年 /製作国 台湾 /配給 ザジフィルムズ、マクザム、Mirovision /上映時間 110分
オフィシャルサイト
※中高生のころ、憧れていた女子の一人や二人、男子なら必ず
いたはずだ。そんな甘酸っぱい気持ちを思い出さされて、非常に
迷惑なる多幸感にどっぷり浸れる110分間だった・・・

●映画『あの頃、君を追いかけた』予告 (日本版)


TABIPPO.NET 【伝えたいけど、伝えられない…】アジアの3大青春映画まとめ
『アジア圏の青春映画における共通点は「青さ」「蒼さ」です。西洋圏の青春映画は「負け犬」側にスポットをあてて、負け犬たちが勝ち組へと昇進していく輝きを増していくスクールライフ物語が多いです。しかし、アジアの青春映画はとにかく気持ちを「隠す」事が多いんです。初恋は叶わないもの。というよりも初恋は隠すものと言うべきなのでしょうか。初恋を引きずり、多少美化されながらも綺麗な思いでとして「青春」を残していくのがアジア青春生映画の最大の特徴といえるでしょう。
イメージ 14

この映画のキャッチコピー「青春とは恥と後悔と初恋で作られる」がとてもお気に入りです。大人になって青春時代を思いでして思い出すのは、恥ずかしかった思い出や後悔した事や初恋の思い出なのでしょうか?映画はとにかく男目線!前半の下品さには驚きましたが、それを上回るピュアなやり取りが可愛らしいです。映画のラストシーンではベタなのにどこか爽やかで映画史に残る純愛エンディングシーンだと思っています。
▼映画に出てくる台湾のお祭り:平渓国際天灯祭り
米旅行ガイド大手のフォダーズが公開した「死ぬまでに一度は参加したい世界14のカーニバル」に選ばれた、台湾の大目玉祭り「平渓国際天灯祭り」。天灯祭りは旧正月の締めくくりにあたる元宵節(旧暦1月15日)の夜に、空に向かって紙製の熱気球(天灯)を飛ばす平渓ならではの風物詩です。劇中では、このお祭りが開催される平渓の近くで天灯に互いにメッセージを書き合って、天灯を飛ばすシーンが出てきます。』
※お祭りシーンは確かに印象的でした。ああいうシーンがある作品は名作と
呼ばれ易いでしょうねぇ~~~。

BANFA <台湾映画>国民的女優を生んだ青春映画「あの頃、君を追いかけた」のヒロインは女子ウケ微妙?
『那些年は台湾でも日本でも大人気となった台湾映画。香港ではカンフーハッスル興行収入を塗り替えたらしい。台湾のドラマや映画は大陸のそれとはちょっと趣向が違う気がする。恋愛ドラマや映画にも家族同士のいがみ合いや成り上がりが多い大陸に比べて、台湾は直球!青春!って感じ。こちらも例外ではなく、とりあえず、那些年は台湾産の爽やかな青春恋愛映画。
イメージ 7

ところで、今日初めて知ったのだが、那些年は、男女で感想が分かれる作品らしい。女子は、5人の同級生に好かれる主人公にあまりいい印象を抱かないようだ。反対に男子は、主人公のしっかり者の学級委員長に夢中になる。ちなみにざいたん(斉藤君)は彼女のファンだ。私の後輩も彼女に首ったけ。ということで、私みたいに女子で主人公に肩入れするのはごくごく少数のようだ。一部の女子は「あまりいい印象を抱かない」どころではない。この雑誌の編集ふたりは、ごくごく普通の女子高校生、まあちょっとモテる(ちょっとでもない、かなりか?)の学級委員の女の子を、なんと、ビッチと称する。ビッチ・・まじか。(私はそんなイメージなかったのでびっくりしたんですが)
イメージ 8

さて、そんな主人公を演じるのは、当時30歳だったミッシェル・チェンだ。役との年の差、13歳。画面上では完全に女子高生。実年齢を聞いて驚いた。この女優さんは2010年に大阪アジアン映画祭で上演された「聴説」にも出演していたが、注目を浴びたのは本作。私も「聴説」は二回くらい観たけど、出てたっけ?ってくらいの感じ。しかしこの作品で「国民的女優」と言われ、CDまで出しちゃったらしい。だが歌唱力不足で収入は微妙とのこと。非常によくあるパターン・・。この映画では演出が本当によかった。だってめっちゃ可愛かったもん。演出とかメイクとかのとの相性がよかったんでしょうな。このまま歌手としては一発屋で消えてしまうのだろうか。本人は二作目のCDも作っているらしく、もちろん映画にもひっぱりだこ。数多くのファンのためにも頑張ってほしい。斉藤君のためにも・・。さて、そんな公私ともに分かりやすい主人公の女の子が誰とくっつくのか!? 予想もしないラストは涙で頬を濡らすこと間違いなし☆』
※ラストの主人公青年の突飛な行動は、木皿泉作品のテイストに近かったと思うー。

シネマカフェネット クドカン描く「あまちゃん」と共通点も? 台湾発・青春映画『あの頃、君を追いかけた』
『アジア圏の映画祭で絶賛を浴びた台湾発の青春映画「あの頃、君を追いかけた」。本作で随所に見られる90年代のサブカルチャーが、80年代のアイドル文化や世相が盛り込まれた「あまちゃん」を彷彿とさせると、早くも話題になっているという。/悪友たちとつるんで、くだらないイタズラで授業を妨害しては担任を困らせていた男子高校生・コートン。そこで担任教師は、優等生の女子生徒・シェンを監視役としてコートンの後ろの席に座らせる。口うるさいシェンをわずらわしく感じながらも、コートンは次第に彼女に惹かれていくのだが…。
イメージ 4

台湾の人気作家ギデンズ・コーが、自伝的小説を自ら映画化した本作。見どころの一つは、90年代前半という“少しだけ”懐かしいその時代背景だ。教室内でブームになっていたのは、日本の人気漫画「SLAM DUNK(スラム・ダンク)」や、アメリNBA選手のトレーディングカードの収集、そして自室の壁にはジョイ・ウォン(『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』のヒロイン役)のポスターなど、セリフに登場する有名人の実名や固有名詞が、その時代の空気感を甦らせると同時に、いかに台湾に日本のサブカルチャーが浸透していたかがよく分かる。そして今、日本で一大ブームとなっているNHK連続ドラマ「あまちゃん」もまた、ヒロインの母親が80年代にアイドルを目指していた、という設定に伴って、当時のアイドルの名や懐かしい固有名詞が数多く登場しているのは、ご承知のとおり。70年生まれの脚本の宮藤官九郎は、自身が高校生だった頃のブームメントを巧みに取り入れているのだ。
イメージ 5

一方、本作のギデンズ監督は78年生まれで、宮藤さんのひと世代年下。監督の過ごした高校時代は90年代初頭ということになり、やはり自身の高校時代が色濃く反映されていることになる。「あまちゃん」が、「時をかける少女」や「君に胸キュン。」など、当時のヒット曲を登場人物に歌わせたり、BGMに使うなどして懐かしさを演出し、中高年層の視聴者のハートを掴んだのと同様に、本作は90年代当時の台湾のローカルヒット曲を、今回の映画のために出演者たちがカバーしたり、原曲がBGMとして流れるなど、台湾・香港の中年層の心をガッチリ捉えることに成功した。ギデンズ監督と宮藤さんの手法の共通点は、“懐かしさの演出”だけではない。脇役の一人一人にまで細かく与えられたキャラクター設定と、散りばめられた“小ネタ”の数の多さ、そして笑いのセンスなどは2人とも卓越したものがあり、宮藤さん脚本の『木更津キャッツアイ』などと同様、本作の登場人物たちも“青春をこじらせた”男女ばかり。両氏が日・台それぞれの若者層にも、中年層にも熱烈に支持されている由縁は、どうやらその辺りにありそうだ。“台湾のクドカン”とも言えるギデンズ監督は、本作以後、プロデュース作品が相次ぎ、待望の監督次回作も2015年の公開がすでに予定されている。』
※“台湾のクドカン”ww それって言われて嬉しいのかどうか・・・微妙ジャネ?

●主題歌「那些年」


ADC NEWS 【台湾イベントレポート】台湾映画の新しい潮流を感じよう〜上映会トークショー 第3回『あの頃、君を追いかけた』
『(2016年)5月15日に台湾文化センターで「台湾映画の新しい潮流を感じよう! 〜上映会&トークショー」の第3回イベントが行われました。第3回「あの頃、君を追いかけた」は、日本でもまだ上映権がありDVDとブルーレイも販売中にもかかわらず、予約開始 4 時間で満席となりました。そして上映後のアンケートには、初めて本作を見たという参加者から「笑って泣かされた」「自分の青春時代とリンクした」「何度も機会を逃してようやく見たが、期待以上の感動」、リピーターからは「またコートン(主人公の役名)に会えてうれしい」「何度見ても感動は薄れない」といった感想が寄せられました。今回、サプライズでこの上映会の為に九把刀(ジョウバーダオ)からムービーメッセージが届きました。現在2作目の長編監督作品である新作映画『報告老師!怪怪怪怪物!』の公開に向けて多忙な中のメッセージに会場も、どよめきました。
「皆さんこんにちは。九把刀(ジョウバーダオ)です。 この「あの頃、君を追いかけた」は、僕にとって昨日撮り終わったような映画 です。もちろん違いますよ(笑)5年くらい前に撮った映画で、僕が一番輝いていた時の記録、まさに青春です。誰もが青春時代に大好きだった人の思い出を持っていると思います。 彼女(彼)とうまくいかなかったとしてもその思い出は本当に貴重だから、特別な方法…映画にすることで青春の記録にしました。 それは自分に宛てたラブレターになればと。 自分の青春が他の人に感動をもたらせることができたらとてもいいけど、自分 の青春を他人に共感してもらうのは難しいかもしれない。 だって僕の青春は個人的なものだから、この映画の目的をみんなと分かち合え ないかもしれない。 でも、どんな状況でも、どんな時でも、この映画はみんなそれぞれの青春の一ページを蘇らせると思う。 懐かしんだり憧れたり、そして初恋の人に手紙を書いたり、それはとてもとても感激すると思う。そんなフィードバックになればとてもうれしい。だから、今日初めてこの映画を見た人は初めて好きになった人に手紙を出してみて。 最近どうしているかを聞き、つきあったかどうかに関わらず永遠にあなたの幸 せを願っていると。これこそが僕たちの青春をいつくしむことです。 "あの頃、君を追いかけた…"」/今回のトークショーでは、映画の背景や原作・監督の九把刀の熱い思いなどからヒッ トした要因と考えられるポイントやメインキャスト、主題歌、 映画に出てくる台湾の生活習慣などからいくつかトリビア的なことを解説。 さらにもうひとつのテーマ「最近の台湾映画のヒットの傾向」については、歴代興行収入ランキングの上位作品を例に挙げて紹介されました。先日、日本進出が発表された九把刀(ジョウバーダオ)。2作目の長編監督作品『報告老師!怪怪怪怪物!』の公開や、たくさんの作品が日本で楽しめるようになるといいですよね。』

●挿入歌 「人海中遇見你」


イメージ 9

※高校生時のヒロインは魅力的なのだが、大学に進んでからはあまり惹かれない。
(無理にそう撮影しているのかしらん?)制服や、校内の規制、勉強が本分の状
況などなどいろんな要素が相まって、ヒロインはヒロイン然と輝くものなのであろう。

OUTSIDE TOKYO
『OUTSIDE IN TOKYO(以降OIT):あえて最初にこの言葉を使いますけれども、エンターテイメントとして普通に楽しみました。それに対してはどう思われますか?/ギデンズ・コー:いいことですね。そうやって観てくれていいと思います。自分は小説を書く時も純文学ではなくて、大衆文学を書いているつもりで書いていますから。もし、アートな映画を撮れと言われても、それは自分には出来ないことですから。/OIT:構成がしっかりしていて、物語に問題なく入り込めたんですね。僕はつい色々穿って観るタイプなんですが、何も感じずにすっと観れたというのが印象的でした。最近は、エンターテイメントでも構成が(捻りが利き過ぎていて)えっ?、みたいなのが多かったりするので、逆にそこが面白いなと思ったんです。/ギデンズ・コー:この作品に関して言うと、スタッフの中で映画の専門家は極めて少なかったんです。例えばミュージックビデオはやってたことはあるけれども、映画は初めてっていう感じで、大多数は映画制作の現場としてはアマチュアの人が多かったんです。カメラマンもミュージックビデオは撮ってましたけど、映画の撮影は初めてだったんです。ですから技術的にも、資金面でも、かなり足りない部分はありましたが、だからこそ、情熱を注ぎ込んでいいものを撮りたいっていう意欲はありました。/OIT:コーさんは元々小説家ということですから、作家の方が文章を映像に転換する時に色々考えると思いますが、月並みな質問ですけれども、どういう風に考えられたのですか?/ギデンズ・コー:この作品を撮っていた時は、本当に資金が少なくて、主役の女優さんにスターを起用しようという案も出たんですけど、スターの方々はこの役にあんまり興味を持ってくれなかった。そうした事情もあって、事前の準備段階に、もの凄く長い時間をかけました。もう嫌になるほど長い時間がかかりました。そして僕と二人の助監督も、カメラマンも、みんな映画には素人なわけなんです。だからこそ、みんなであれこれ言いあうことができた。もしプロの人がいたら、その人の言うこと聞かなければならなかったと思いますけど、もうみんなアマチュアの集団ですから、意見を集約して、色々討論して、どうしてもいいものを撮ろうっていうことでやっていったわけです。
イメージ 10

OIT:ご自分が作家で、ご自分の原作があると、それに拘り過ぎて映画に持っていききれない人も多いと思うんですけど、そこは上手く捨てられたんですか?/ギデンズ・コー:自分は、映画を観るのも大好きなのですが、漫画も凄く好きなんですね。実は漫画家になりたかったくらいなのです。漫画家っていうのは、この世の職業の中で一番格好いい、クールな職業だと自分では思っていて、とてもなりたかった。映画監督と小説家っていうのはその次の選択でした。それほど漫画が好きなので、映画を撮る時のカット割りも、かなり漫画の影響を受けています。また、この作品を撮る時は、自分が5人分の役割を果たしてたので凄くやりやすかった。つまり、監督、脚本、原作も自分ですよね、そして出資も自分で、物語の主人公も自分、昔の自分なわけです。だから色々調整する時に最後に決めるのは全部自分です。例えば、原作小説にある部分を削ろうとする。別の作家の原作小説を使ったとすると、そこをカットされちゃ困るっていう風に作家からも意見が出たりとかしますよね。でもこの5人が全部自分なので、そういうところは独裁的に自分が決めることができました。そういう風に独裁出来たっていうのは、結果的には良かったですね。/OIT:今のお答えで、僕の質問が幾つか枝分かれしていったんですけれども、まず自分を美化したくならなかったですか?/ギデンズ・コー:そうですね、この僕を演じるクー・チェンドン君は、オーディションに応募してきた時に第一印象がとても悪かったんです。彼は僕よりちょっと背が高いし、あんまりしゃべらないんですね。自分がオーディションに応募してきたくせに、あんまり自己表現をしないタイプだった。だから何を考えているのかよく分からなくて、自分の方が色々聞かなきゃならなかったわけなんです。ちょっとその態度が気に食わなかった、ちょっと偉そうな感じに見えたんですよ。でも何度もインタビューを繰り返して会う内に、彼という人間が分かってきた。彼はとても気が小さいので、なかなか上手く自己表現が出来ないタイプだっていうのが分かってきたんです。そうすると、今度は凄く可愛いやつだなって思えるようになりました。結局、最終的にクー・チェンドン君をキャスティングしたのは、(ヒロインの)ミシェル・チェンに、あなたの相手役だったら誰に恋をするって聞いたら、クー・チェンドン君がいいって言われたんです、それで最終候補の中から彼に決めました。それと、これは偶然ですけど、僕の本名は柯(クー)といいますが、彼も同じ名字だった、この柯(クー)っていう名字は台湾ではとても少ないんです。/OIT:じゃあ、ミシェルが選んだっていうことですね、自分に似ていたっていうことではないんですね、その頃の自分に。/ギデンズ・コー:彼をキャスティングする時に、ヒロインのシェン・チアイー役はミシェル・チェンに100%決めてたんです、だからミシェル・チェンの感覚を凄く大事にしました。何人かの候補と相手役になって演技をしてもらったんですけど、結果的にクー・チェンドンの雰囲気をミシェル・チェンが気に入って彼とならっていうことで決まったわけです。その時、僕には彼が本当に演技がちゃんと出来るのかっていう不安がありましたが、彼はちゃんとやってくれた。その不安を払拭するために、教室で彼ともう一人の友達があれ(自慰)をするところがありますよね、そのシーンからわざと撮影を始めたんです。ああいうやりにくい演技を、恥をばーっと出すような感じで、最初にガンとぶつけてやらせれば、あとはどんな演技でも、どんな場面でも演じられるっていうことになりますよね。
イメージ 11

OIT:もちろんあれは自分の経験ですよね?/ギデンズ・コー:いや、あれは自分の経験ではないんです。彼らがああいう行為をしてから二人で立たされて先生に廊下で怒られてるシーンがあります、その時に彼が答える、「でも発射はしなかった」っていう言葉が凄く面白いので、その言葉を言わせる為に、その前にああしたシーンが必要だったので、脚本の段階で順序立てて書いたわけですね、あの言葉が面白いと思ったから。/OIT:ちなみにその後の、もう一人の女の子の「抜くってなあに?」っていうのが笑いました。あのタイミングが絶妙でした(笑)。/ギデンズ・コー:性のああいう微妙なところっていうのは、凄く重要な青春の一部分ですよね、どうしても必要な。凄く面白い部分なのであれは入れたいと思った。/OIT:でも実際にあれぐらいバカだったんですか?/ギデンズ・コー:あの時代っていうのは、教室で例えば恋人同士がいるとしても、手を繋いでたりしたら先生にもの凄く怒られるわけです。高校時代は恋愛は止めなさい、大学に入ってからそういうことをしなさいっていう風に怒られた時代なんですね。だからああいう性への妄想っていうのは凄く自然に出てくるものですよね。/OIT:バカ過ぎて映画には入れられなかったことで実際に自分でしたことはあるんですか?/ギデンズ・コー:実は、映画の中よりも、自分はもっとテストと勉強に明け暮れてたんです。坊主にしたり、喧嘩をしたり、というのは実際にあったことです。ただそれよりも、自分の大好きなチアイーと一緒にいる為に、二人とも一生懸命テストの勉強ばっかりしていたわけですけれども、そういう無味乾燥な青春時代をそのまま映画にしてもちっとも面白くないので、その二人が一緒にいる為に、どういう面白いことをするかっていうのを考えて、映画にあるような誇張したシーンを幾つか盛り込んだのです。/OIT:小説なわけですね、フィクション。/ギデンズ・コー:幾つか映画の為に脚色した部分は、事実と違うことが結構あります。喧嘩の場面もそうですし、二人が口喧嘩をする時も、電話で口喧嘩っていうと、よく二人の顔を画面の半分に分けて(分割画面)、こっちとこっちで受話器をとって喧嘩をしてるっていう風に撮る場合がありますけれども、それじゃ面白くないのでやっぱり自分なりの工夫をして撮りました。また、先生が勉強の出来ない僕をちゃんと勉強させる為に、この優秀な女子の前に座らせたっていうのは本当にあったことなんですけど、その理由は、なにも映画に描いたように自慰行為をしたから先生が怒って前に座らせたということではなかった。その理由は映画と現実とは違っています。
イメージ 12

OIT:漫画がお好きということですが、カット割りを決める為に参考になった漫画、また実際にストーリーボードを書いたのかどうか教えて頂いていいですか?/ギデンズ・コー:(この作品に関しては)やはり漫画はカット割りに凄く大きな影響を与えていまして、絵は書かなかったんですけれども、脚本にどの方向から撮るかっていうカメラ位置の指示はちゃんと書いてました。カット割りは、日本の漫画の影響を凄く受けています。日本の漫画の概念、コマ割りの概念は、凄く素晴らしいものがあると思う。僕が思うには、漫画家っていうのは誰でも映画監督になれるんじゃないかって思うくらいです。僕はよく大学とかで脚本の授業をするんですけど、その授業で使う教材が日本の漫画なんです。例えば、ここは引きで、ここはアップで、何故ここにアップを持ってくるのかっていうようなこともちゃんと理由がある、そういうことを日本の漫画から学びました。/OIT:同時代の映画作家について、またその彼らが作っている映画について、他の人達が作ってる映画についてどう見てます?/ギデンズ・コー:台湾の若手の監督達は、僕よりもずっと真面目に映画を捉えていて、凄く厳粛な態度で臨んでいると思います、凄くいいことだと思います。今もある作品を編集しているところで、これは僕よりも3歳年下の監督の作品なんですが、彼の側にいて編集を一緒にやると、アクションはこういう風に、特撮はどういう風に使うかとか、凄く勉強になります。僕の場合は、やはり映画制作っていうことを、最初の基礎の段階から、段階を踏んでずっと学んでいくっていうようなことはもはや出来ません。ですから、そういう映画監督の側で勉強をしながらやっているっていうこともある。ただ彼らにしてもそれなりに欠点を持っているわけだから、そした欠点も受け入れつつ、どういう風に学んでいくかっていうことを自分で決めてやっています。彼らのような若い監督が真面目にやっているのを見ると凄く勉強になります。僕はやはり小説家ですから小説を書く方が自分にとってはより面白いことなんです。映画を撮るということももちろん真面目に取り組んで、いい作品を撮りたいと思っていますけれども、彼らは僕と違って映画監督一本です。ですから、(僕よりも)もっと真面目に真剣に取り組んでいるのでそういうところから学ぶことは凄く多いです。/OUT:映画への情熱はあるんですよね?/ギデンズ・コー:もし僕が映画を撮らなければ、もっと自分の人生は楽しかったかもしれないと思います。というのは、やはり映画を撮るっていうことは、もの凄く大きなプレッシャーに直面するっていうことなんですよね。いい作品が撮れなければみんなに笑われます、そして面倒なことになる、多くの人が作品には絡んでいるので。そうするとその面倒なことっていうのが大きなプレッシャーになっていくわけですが、ただ、ちゃんと撮れた時の充実感ですね、そういう充実感がもの凄く大きい。ですから映画を撮るっていうことは、ただ小説だけ書いているよりも、また別の人生を僕に味あわせてくれるものです。 』

イメージ 13

※恋愛映画は苦手だが、『恋する惑星』は大丈夫だった。あれと同系統の愛すべき
作品となった。いい映画は苦手ジャンルの枠をも超えるのだっ!!

イメージ 15

※背中に残る青ペンの「青」は、紛れもない、青春の「青」だったー。

☆邦画リメクも、今秋に公開するようだゾッ!
山田裕貴×齋藤飛鳥『あの頃、君を追いかけた』特報映像

※これは久々の、リメイク失敗作になるのではないかと戦々恐々。。。
だって自慰シーンとか、悉くカットするに決まってるし。




☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日6月21日(木)の、「元気が出る言葉」は~?

『人間は自由であり、つねに自分自身の選択によって行動すべきものである。/もっといい時代はあるかもしれないが、これは我々の時代なのだ。我々はこの革命のただなかに、この生を生きるよりほかはないのである。』
出展:いずれも、「実存主義ヒューマニズムである」(人文書院
発言者:ジャン・ポール・サルトル (フランスの哲学者 1905年6月21日~1980年4月15日)
『解説:実存主義の哲学者として、アンガージュマン(社会参加)を旨とした行動的な文化人として、第2位世界大戦後、最も世界に影響を与えた一人であろう。2つとも彼の思想を表現した有名な言葉だ。特に2つ目は、何か問題があると時代のせいにするのは簡単だ。どんな時代だろうと、「我々の時代あのだ、その認識こそ、私たちの行動の背骨となる。』

イメージ 6

※ちょっと、目が“テリー伊藤”してる人なんだなぁーー。

◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・


ひとは各々の道を創り出さなくてはいけない

成功とは、品性と知性の証拠であり、また、神聖な保護を受けた証拠である

人間は現在もっているものの総和ではなく、彼がまだもっていないもの、これからもちうるものの合計である

青春とは、実に奇妙なものだ。外を見ると、赤く輝いているが、内から見ても、何も感じられない

生きることと書くことを、作家は一つにすべきだ

attached(,center)

●映画『サルトルボーヴォワール 哲学と愛』予告編


イメージ 16

※すでにして「契約結婚」という発想を仕出かしている・・・。

アメブロ たくさんの情熱と、一粒の狂気と サルトルのノーベル文学賞拒否コメント(抜粋)
『わたしはノーベル文学賞を拒否しました。なぜならば、わたしは自分が死ぬ前に人が“サルトル”を神聖化することを望まないからです。いかなる芸術家も、いかなる作家も、そしていかなる人も、生きている間に神聖化されるだけの価値のある人はいません。なぜならば、人は全てを変えてしまうだけの自由と力をいつも持っているからです。ですから、ノーベル文学賞というものがわたしを名誉の絶頂に押し上げてしまうとしたら、わたしは現在完成しているものを終わらせることができませんし、またわたしは自分の自由というものを行使することもできませんし、行為をおこすということもできなくなりますし、コミットメントをすることもできなくなります。このノーベル文学賞の後では、すべてがつまらぬものになってしまいます。なぜならば、すべてが回顧的な価値を認めるだけのものになってしまうからです。想像してごらんなさい。栄誉を得て、そしてその後転落していく作家と、栄誉はないが常に今一歩前進していく作家と、この2つの作家のうち、どちらが本当に栄誉に値するのでしょうか。常に、今一歩前進して自分の可能性の頂点に向かっていく人と、頂点に到達することなく神聖視されてしまった人、どちらでしょうか。わたしは、この2つのうちの1つになることはできていたでしょう。しかし、わたしがどんな可能性があるかは誰もいうことはできなかったはずです。人というものは、その人がなしえたものがその人であるのです。わたしは、行為することができる間は、絶対にノーベル賞を受け取ることはないでしょう。』

イメージ 17


☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“何もしないで生きていようというのは横着な了簡だからね(『心』より)”

【1907年6月21日の漱石】窮乏にあえぐ門下生のために金を用立てる
今から109年前の今日、すなわち明治40年(1907)6月21日、40歳の漱石は東京・早稲田南町漱石山房漱石の自宅)の書斎にこもって文机に向かっていた。その山房の前に、漱石門下の森田草平(もりた・そうへい)がやってきて、思わず足を止めた。門口に「面会謝絶」の貼り札が掲げられていた。漱石はあいにく朝日新聞入社後、初の新聞連載となる小説「虞美人草」の執筆に集中するため、面会を断っている最中だったのである。余り自慢できる用向きでなく、あえて邪魔をするのも憚られ、草平は貼り札の前で「う~ん」と唸ったきり引き上げていった。

その少し後に、生田長江(いくた・ちょうこう)が「貼り札」にもめげずに漱石の前に座っていたのは、草平の窮状を見かねての行動だった。長江と草平は東京帝国大学の同期生、卒業後も頻繁に行き来していた。漱石は結局、草平に貸すべく、長江へ20円の金を託した。漱石自身、草平の暮らし向きのことは気にかけていて、この1月以降、「子規遺稿」集の校正の仕事を紹介したり、漱石の大学での講義をもとにした「文学評論」の刊行に関する整理の仕事を頼んだりしてきていた。そんな経緯があるので、漱石から金を受け取るに当たって長江は、「飲んでしまって金がなくなったのではありません」と言い訳のように付け加えた。逆にいえば、怪しい。草平と長江、ふたりして飲んで使ってしまった金も、相応の額にのぼったのかもしれない。

ひと月ほど後、草平が疫病で女児を亡くした。話を聞きつけた漱石は、心を傷め、早速いくらかの香典を包もうかと思った。が、妻の鏡子に、「それならいっそ、前に用立てたお金を差し上げてお香典代わりにしたらどうでしょう」と進言され、なるほどと頷く。この2年後、東京朝日新聞社に校正係として入社した石川啄木の月給が25円。草平に用立てた20円というのは、かなりまとまった金額だった。いくらかの香典を包んで、引き続き恩師への20円の借金が残るより、「お香典の代わりだよ」と言って借金を清算してあげた方が、草平にとって、心の負担も含め、実際的にありがたいことに違いなかった。だったら、そうしようかと、夫婦の相談はすぐにまとまる。

漱石は草平あてにこんな手紙を書いた。《御不幸御気の毒の至にたえず。実は御悔みに上がろうと思うがオッカサンや奥さんで却って御迷惑と思って控えている。先日生田君の取りに来たものは些少ながら香奠(こうでん)として差上るからそのつもりにて御使用下さい。(略)虞美人草は昨今両日共休業。もし御閑(おひま)ならいらっしゃい》/取り込んでいるところに自分が出かけていって、却って草平の家族に負担な思いをさせるといけないので、お悔やみは遠慮している。その代わり、草平の方で何か話でもしたい気持ちなら、仕事の邪魔にはならないから出かけておいで。そう語りかけている漱石だった。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「香典」「代わり」で動画検索してみました!!)

●「お悔やみ」掲示板見て “香典空き巣”逮捕

※香典泥棒は一番恥ずべき犯罪者やな。映画『蛇イチゴ』では宮迫博之
ピッタリの配役で盗んでいたっけーーー。

●アフリカ式お葬式


イメージ 18

※ところ変われば風習も変わる・・・。ミュージシャンを呼んでダンス
というのがアフリカ式?撒いているお金が香典代わりなんだって!

ジョニーAのつぶやき:日本のお葬式って、こういうのと比べたら辛気臭いや。