漫画タイトル「墓じまい」/高須院長「DTデラックス」出演ナド

毎日新聞 りえさん手帖
毎日新聞 2018年8月27日 東京朝刊』

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※墓じまい、っつーか、墓つぶし、ですなぁー。

みんなのごはん 夏のプール帰りに食べた幸せのあの味 ニラの焼きうどん
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『【夏場のお昼に最適】/枝元:夏場のお昼ご飯にどうかな?ニラが食べたいばっかりに焼きうどんを作ります。/西原:やたらつるつるしたギョーザっぽい味になりそうな感じですね。/枝元:夏のお野菜っていうと、緑色のものは選択肢が少ない。なので今日はいっぱいニラを食べよう。
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/西原:ニラって冷蔵庫で溶かした人が多いと思うけれど、大変な臭いになりますよね。/枝元:うん。私も溶かしたことあるー。それではまずはじっくりと千切りのショウガを熱します。/西原:パリパリのおいしいやつだ。/枝元:それでニラをサッと炒めます。最後に目玉焼きものせたいので、別のフライパンで焼いておきますね。/西原:うわっ、この卵すごく元気。/枝元:ね、黄身がプリプリですよ。/西原:南米の女性のお尻みたいにプリプリですね。世界一お尻を愛する民族が、美しいケツを見せるために作り出したのがTバックです。/枝元:すごいですよね!それでうどんの具に豚肉も用意しようと思ったんですが、夏場の昼ご飯を想定してツナにします。うどんはサッと炒めたいから、絡まないように半分折りに。そうめんでもおいしいよ。
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/西原:私、そうめんチャンプルー大好きなんです。/枝元:そしたらそうめんチャンプルー味にします。うどんはゆでたてだとぬめりがあるので冷水で締めてからざっと混ぜ、ツナを。ニラは先にショウガとサッと炒めているので、最後に混ぜ合わせる感じで。/西原:これは絶対おいしいに決まっている。/枝元:お酒か紹興酒ナンプラーで味付けを。あとはコショウと粉ザンショウ。皿に盛りつけ、目玉焼きをのせてと……そして紅ショウガ。/西原:キャーーー。紅ショウガ!!これはプールサイドで食べたら絶対においしいだろうな。/枝元:はい、お待ちどおさま!/西原:見た目、完璧ですね。カレーライスよりも完璧で美しいかも。/枝元:うふふ、うふふふふーん。でもニラが入っていますよ。/西原:ニラとショウガがこんなに相性がいいなんて。ツナ缶は食品庫に絶対に余っているし、このサンショウもまたおいしい。バンザーイ、炭水化物!!/枝元:夏場はニラが絶対にお得だと思います。お昼ご飯にぜひ。【構成・矢澤秀範、写真・根岸基弘】』

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◎動画もドーーン!
●ニラの焼きうどん

※今日の夜は、「ニラ玉」か「ニラレバ」(王将!!)に決定ー。

日刊SPA! 西原理恵子『できるかな』シリーズ20周年&最新刊登場!
『「週刊SPA!」誌上で不定期連載の『できるかな』。漫画家・西原理恵子の体当たり取材による人気シリーズの最初の単行本が出てから今年でなんと20年という。その節目の年に待望の新刊『できるかなロワイヤル』が8月31日発売される。前作『できるかなゴーゴー!』から6年ぶりの第6弾。「20年で6冊って、私がサボってるみたいじゃん!」と西原氏は苦笑するが、その分、中身は手間ヒマかかったネタがたっぷりだ。
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クラウドファンディングで800万円以上を集めて高知にラッピング電車を走らせた『サイバラ電車できるかな』、オリジナル包丁作りに挑んだ『包丁できるかな』などビッグな企画を中心に、“五十の手習い”に臨んだ『書道できるかな』、世界的砂像作家と対決した『砂像できるかな』ほか、6年分のサイバラの激闘を収録。そのなかで本人的に一番印象に残っているネタといえば?「それはやっぱり電車。金に困ってないのに人から金を搾り取ろう! という担当の新保さんの企画を聞いただけで寒気がしました。しかもそれをネットで拡散しようという炎上企画。それなりに気を遣って35年仕事してきたんです。なのに、なんでアグネス棚に自分から入らなきゃいけないんですか!」
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しかし、いざクラウドファンディングがスタートすると支援金額はうなぎのぼり。あっというまに目標額(648万円)を達成してしまった。「ホントにもう、みんなどんだけいらんことに金使うんだと。『こんなとこに入れずアフリカに入れろよ』と、親切なファンの方々に腹が立ちました」と西原氏。一方、担当の新保氏は「目標額がデカかったので『もし達成できなかったらどうしよう……』と、さすがにちょっと不安でしたが杞憂でしたね。西原ファンの“ムダ使い力”に感動しました」と振り返る。かくして高知の街をサイバラ仕様の電車が1年間走ることになったのだが、その模様は『できるかなロワイヤル』にて。同書には、サイバラ電車に自腹で参加した作家の有川浩氏、「おかん包丁」企画に協力した料理研究家枝元なほみ氏らの寄稿、“動くりえくま”ペーパークラフトの付録、おかん包丁プレゼントなど、お楽しみ企画も満載。20周年にふさわしい豪華版となっている。「楽しい20年でした。新保さんは関西人なのに話を盛ることがまったくできず、企画の段階では全然面白そうじゃない、意味のわからないものがほとんどでしたが、さすが灘高・東大出身、綿密に調べてあって現場はいつもすごい面白かったです。でも、取材はうまくいってるのに、横で見守る新保さんがいつもものすごく不機嫌な顔をしてるのはなぜだろう、と思ってました。読者の方には、こんな汚いマンガにずっと付き合ってくれて感謝の気持ちしかありません。ありがとうございます!」次は何年後に出せるかな!?』

●【紹介】学校に行きたくない君へ (全国不登校新聞社)

※新学期開始!のこの時期に合わせて・・・。

コータリさんからの手紙
サイバラのことを書いてほしいと言われた。なんだかあれこれ考えていたら、遺言を書いているような気持ちになった。きっとサイバラのことをこんな風に書くのは初めてのことだと思う。/サイバラを見ていると、今本当に幸せなんだろうなあと思う。初めて会ったのは、週刊朝日に連載していた「恨ミシュラン」という連載を始めたときだった。「面白いイラストレーターがいる」。そう編集者から聞かされた。実際に会ってみると、美大を卒業して数年の、しかしすぐ噛みつかれそうな鋭さの中に、きらっきらっした目を持った人だった。野生児というか、ひと目で只者じゃないって感じの光を放っていた。
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「恨ミシュラン」は、いろいろなレストランや食事処、ときにはホテルやバーなんかを巡り歩いて、ミシュランガイドさながらのジャッジをする。恨み度を最高5点で評価するのだが、サイバラの顔マーク、ボクの顔マークがそれぞれ5個そろったら最悪ということ。「まずい」とか「店員の態度が悪い」とか、「雰囲気ばっかりで中身がない」とか言いたい放題のグルメガイドだった。もちろん良いときは褒める。「これはすごい」。そう2人とも評価したときだってある。/サイバラが「二度と行かない。わたしゃこういう三流の老舗が一番嫌いだ」「今年で一番まずい店だった」と、かなり辛口のイラストが描かれる。ボクも「わざわざまずくするために時間と技術をつぎ込んだとしか思えない」「こんなものをありがたがって行列をつくる気が知れない」。お店の名前もしっかり出して、そんな記事を毎週書いた。名店と呼ばれる店だったり、老舗だったり、うわさのお店だったり、どんどん食べにいった。
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ボクはその頃、ワイドショーのコメンテーターやコマーシャルなんかにも出ていたので「あ、コ~タリンだ」なんて、街を歩けばたまには言われることもあった。店に顔が割れて取材しづらいときもあった。それに、週刊誌のそのコーナーが人気になるにつれて、「満席です」。そんなことを言われて断られたりした。もちろん掲載した記事にクレームがついたこともあった。「店の雰囲気は、“テンパったカップルに占領されているのではなく”、大人の雰囲気に満ちている」とか、アフリカ料理の店で「“アフリカ料理以外のものを出している”のも、もともとひとつの大陸が分かれて広がったことを意味している」と抗議があったりもした。今だったらそんなに自由に書かせてもらえないのではないだろうか?2人で言いたい放題ではあったが、命がけでやっていた。人を批判するということはそういうことだ。うそを言ってはいけない。/おいしいものはおいしい。まずいものはまずい。面白い仕事だった。強くて弱いサイバラはぐんぐん風を切って成長していった。ものすごいパワーだった。10歳ほど歳の違う彼女と、最後はけんかもした。
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彼女は昔から実家の借金を背負ったり、東京に出てきてからも、大学の学費を稼ぐためにいろいろなことをしてきた。めちゃくちゃにみえる彼女の、ちらっとみせる優しさが実は心にずしっときたりしていた。今でもそうだ。年に何回か食事にいくと隣に座って世話を焼いてくれる。蟹の身をほじって食べさせてくれる。左手が動かないしゃべらないボクに「あんたはずるい」そういって口に運んでくれる。「あんなにめちゃくちゃやっていたのに、こんなに家族に『パパ、パパ』って言われてるのずるくない?」。だそうである。サイバラは今、相思相愛のパートナーがいて本当に人生最高に幸せそうだ。子どもも大きくなって自分のために生きていける。そんなときがやってきたのだ。サイバラは高須先生の介護はしないと断言している。老人ホームなり、病院なり、専門家に任せた方が良い。家族は「花持ってきたよー」と笑顔でいた方が良いと。彼女の人生で学んだ大切な接し方だ。けれど、サイバラのことだ。横に座ってお茶づけを食べさせてあげてるに違いない。』

続いて、高須院長のターーーーーン!


Sponichi Annex “プチ整形”生みの親・高須院長 自分自身への施術回数は500回超!費用は10億円
美容外科高須クリニック」の高須克弥院長(73)が30日放送の、日本テレビトークバラエティーダウンタウンDX」(木曜後10・00)に出演。波瀾万丈の医師人生を語る。高須氏は「ブレない芸能人生!これ一筋で今日まで来ました!!」のコーナーに登場。自身が医療に従事し、美容整形の世界で成功を収めるまでのプロセスについて明かしていく。/過去に高須氏は、生放送のスタジオで手術をして人気を得ると、34歳でクリニックを開業。1998年に所得税法違反で1年間の国内医業停止処分を受けるが、海外では医業を行える状況だったため、海外へ進出したという。高須氏は「(ある意味)チャンスと思って…。僕は一度見ると全部コピーできるんですよ」と、転んでもただでは起きないところを見せつけた。
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  海外ではヒアルロン酸やボトックスなど、最先端美容技術を習得。日本に持ち帰り、“プチ整形”という言葉を作って、積極的に広めていった。技術を上げるために自らを実験台にすることもあり、施術した回数は驚異の500回超。費用は10億円にものぼったことを告白する。同コーナーにはお笑いコンビ「テツandトモ」も登場。流行語大賞を獲得した「なんでだろう」のフレーズと立川談志師匠との関係など、様々なエピソードを語り尽す。さらには「なんでだろう」のネタ披露に鈴木梨央(13)や「ダウンタウン松本人志(54)も加わり、スタジオは大盛り上がりに…。番組では、ダウンタウンの2人が出演者たちと爆笑必至のトークを展開。ゲストは高須氏・テツandトモ・鈴木のほか、勝俣州和(53)、武田修宏(51)、バイきんぐ、三原じゅん子(53)、矢口真里(35)、八嶋智人(47)、m-froのLISA(43)。』

★ようつべに貼られてた。。。
ダウンタウンDX 2018年8月30日
※削除されてたらメンゴ。

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※西原さんのタレコミで、汚い部屋の様子を暴露される先生・・・。

☆またまた話題の事件にイッチョカミしてくる高須先生。。。
●全面支援!高須院長 「宮川選手とはLINEで・・・」

※宮川選手が表舞台から姿を消してしまうような最悪の事態は、これで
回避できるので一安心、っていうところですかねぇ-。




☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日8月29日(水)の、「元気が出る言葉」は~?

『なんだ、あれが僕たちの探している青い鳥なんだ。僕たちはずいぶん遠くまで探しに行ったけど、本当はいつもここにいたんだ。』 (「青い鳥」)
出展:
発言者:モーリス・メーテルリンク (ベルギーの劇作家 詩人 1862年8月29日~1949年5月6日)
『解説:チルチルとミチルの兄妹は魔法使いのおばあさんから、病気の娘を救うために青い鳥を探してきてほしいと頼まれて旅に出るが、結局見つけられず、家の帰った翌朝、昔から飼っていた鳥がみるみる青くなっていくのだ。そしてこの言葉が語られる。「幸せさがしの旅」という言葉もあるが、幸せは自分の足元にある。身近なところに幸せを探しなさいという教訓。』

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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

Amazon.co.jp 青い鳥 (新潮文庫) メーテルリンク (著), Maurice Maeterlinck (原著)
『■内容紹介:人が一番幸福なのは、笑ってるときじゃないのよ。幸福の青い鳥はどこだろう? クリスマスの前夜、妖女に言いつかって青い鳥を探しに出た兄妹、チルチルとミチルの夢と冒険の物語。クリスマスイヴ、貧しい木こりの子チルチルとミチルの部屋に醜い年寄の妖女が訪れた。「これからわたしの欲しい青い鳥を探しに行ってもらうよ」ダイヤモンドのついた魔法の帽子をもらった二人は、光や犬や猫やパンや砂糖や火や水たちとにぎやかで不思議な旅に出る。〈思い出の国〉〈幸福の花園〉〈未来の王国〉――本当の青い鳥は一体どこに? 世界中の人々に親しまれた不滅の夢幻童話劇。
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/■登録情報:/文庫 238ページ /出版社 新潮社; 改版 /言語 日本語 /ISBN-10: 4102013016 ISBN-13: 978-4102013014 /発売日 1960/3/22 /梱包サイズ 15 x 11 x 1 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.1 /■カスタマーレビュー:なお 5つ星のうち5.0 「“ひやっ”としながら、そこにあるもうひとつの世界に気づく。」 2014年4月23日・・・大人になってから初めて読んだ「青い鳥」。兄妹が青い鳥を探すため、様々な世界を旅しますが、そこで出会う「自然」、「夜」、「幸や不幸」、「誕生前の世界」の様子や、それぞれが語る言葉に筆者が、人生や環境をどうとらえていたのかが表現されています。シビアな観察眼から紡ぎだされたその言葉に、ひやっとさせられること数回。自分は本当にちゃんと自分と世界を見ているだろうか?表面だけみて、うすっぺらな考えしか持てなくなっているのではないか、と内省させられました。落ち着いて、少し奥まで見ようとすればそこにあるもうひとうの世界。日々が幸福と感謝であふれる世界があることを感じることができました。』

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メーテルリンクの青い鳥 チルチルミチルの冒険旅行 OP



☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“去られるのはまことに残念である、大いに惜しむところである(『坊っちゃん』より)”

【1899年8月29日、熊本第五高校の英語教師の漱石】転勤が決まり、同僚と阿蘇へ送別旅行に出かける

今から117年前の今日、すなわち明治32年(1899)8月29日、熊本第五高等学校の英語教師である32歳の漱石は、夏休みを利用して、同僚の山川信次郎とともに、阿蘇方面へ4泊5日の旅行に出発した。山川信次郎は、9月頭に東京の第一高等学校へ転任することが決まっていた。その送別旅行といった意味合いも含んでいた。山川信次郎は、漱石の学生時代からの親しい友人だった。漱石が鏡子と結婚して熊本で新婚生活をはじめた際も、すぐに他の友人と連名でお祝いの手紙を寄越してくれた。そのユニークな手紙について、後年、鏡子が『漱石の思い出』の中で楽しげに回想している。

《結婚のお祝いの手紙が狩野亨吉、松本文三郎、米山天然居士、山川信次郎、たしかこの四人さんの連名で参りました。みるとたいへん堂々たるお手紙で、祝辞が滔々と述べてあって、お祝いの品別紙目録どおりとあって、その目録が鯛昆布から始まって、めでたい品の限りを尽くしております。こんなにたくさんの品を送ってくだすったのか、お友達というものはえらくありがたいものだと読んでいきますと、一番終(しま)いに小さい文字で、お祝いの品々は遠路のところ後より送り申さず候と、とうとう新婚早々一本かつがれてしまいました》

かつぐ方もかつがれる方も、楽しさいっぱい。漱石と愉快な仲間たちの笑い顔までが目に見えるようだ。山川信次郎を熊本五高に呼び寄せたのも漱石で、赴任当初は漱石夫妻の住む合羽町の家に同居していたりもした。熊本では仕事上でも私生活の上でも、漱石が何かと打ち明けて相談できる相手だった。のちに小説『草枕』に実を結ぶ小天温泉行きも含め、福岡、佐賀などへも一緒に旅行した旅仲間でもあった。いなくなるのは心細いところもあったが、家庭の事情やら兄の病気などがあって、致し方がなかった。

旅行初日のこの日は、ふたりは阿蘇への入口となる烏帽子岳西南の戸下温泉まできて一泊した。明日は内牧温泉、明後日は阿蘇神社を詣でて、中岳の頂上を目指す旅程を組んでいた。この日、漱石の詠んだ句。《重ぬべき単衣も持たず肌寒し》《山里や今宵秋立つ水の音》

阿蘇の山裾までくると、もうすっかり秋の気配で、夕刻ともなると肌寒くもあった。この旅の思い出は、後年、小説『二百十日』の素材として使われることになる。漱石の出発を見送った鏡子夫人は、生後3か月の乳飲み子である長女・筆子を抱えて、頑丈な体格の働き者ながらちょっと臆病なところのある女中のテルとともに、自宅で留守番をしていた。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「二百十日」「阿蘇」で動画検索してみました!!)

夏目漱石二百十日」を歩く


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※2016年は夏目漱石が旧制五高(現・熊本大)に赴任して120年と
いうことで「漱石ブーム」というのも沸き起こっていたんだなァー。

●第5話 夏目漱石二百十日阿蘇の旅 (1分53秒)


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くまモンがナビゲート!

ジョニーAのつぶやき:今年は西日本では台風がひっきりなしに襲撃してきよるなぁー。二百十日付近には21号がやってくるんジャマイカ!!