筋肉少女帯「オカルト」MV

イメージ 1


筋肉少女帯「オカルト」MV

筋少とオカルトとラブソング。なんて贅沢なコラボ!!

音楽ナタリー 筋肉少女帯ニューアルバム「ザ・シサ」発売、11月から東名阪ツアー
筋肉少女帯が10月31日にニューアルバム「ザ・シサ」をリリースする。メジャーデビュー30周年を記念して発売される今回のアルバムには全11曲を収録予定。大槻ケンヂ(Vo)はアルバムについて「過剰に独特な、もはや、筋肉少女帯的、としか他に言いようの無いやり放題の超世界感です」とコメントしている。今作はBlu-rayが付属する初回限定盤A、DVDが付属する初回限定盤B、CDのみの通常盤の3形態で発売。Blu-rayやDVDに収められる映像や収録曲などの詳細は追って発表される。
イメージ 2
大槻ケンヂ コメント:メジャーデビュー30周年目突入記念の本作は、前作に続いてのフルオリジナル。過剰に独特な、もはや、筋肉少女帯的、としか他に言いようの無いやり放題の超世界感です。以前からのファンの方々はもちろん必聴ですが、初めて筋肉少女帯を聴く、というリスナーには、30年目からの筋少、という衝撃を楽しんでいただけることと思います。』

okmusic 【筋肉少女帯 インタビュー】世の中には視差がある 正しいものなんて何もない
『メジャーデビュー30周年を記念して、前作から1年振りとなるアルバム『ザ・シサ』が完成! ものの見方で全ては異なるものに見えるという、ある種30年間貫かれてきた唯一無二の世界観を全開に、平成を生き抜いた彼らのロジックとエモーションが強烈な光を放つ、そんな30周年作について大槻ケンヂ(Vo)を直撃した。/“メジャーデビュー30周年記念アルバム”とは重みのあるワードですよね。/…と思ったんですけど、この前イベントで共演した頭脳警察は50周年、遊びにいらしていた非常階段は40周年だと仰ってたんで、まだまだだなと。でも、30周年ということで、お祝いの意味で1曲目にはファンファーレ的なSEを入れましたし、2曲目の「I,頭屋」には昭和天皇崩御のことが出てくるんで、30年前。確か崩御の時に本城聡章をバンドに勧誘して、今のメンバーで初めて録音したのが大喪の礼の日だったんですよ。で、平成になって2年目には武道館でやってた。“振り返れば30年。その時間とは何だったんだろう? そして、今後はどうなるんだろう?”っていうことを歌っているのが「I,頭屋」ですね。“頭屋”というのは神事を司る人のことで、ある種の生贄的な性格も持っていたという説もあって。詳しくは諸星大二郎先生の『鎮守の森』という短編漫画を読んでいただければ全て分かります。ちなみにタイトルはトーニャ・ハーディングの伝記映画『アイ、トーニャ』をもじりました。/なるほど(笑)。人から羨まれるアーティストという職業も見方を変えれば生贄的でもある。そう「I,頭屋」で歌われているように、同じ対象も見る位置の違いでまったく異なるものに映るという“視差”が、アルバム名“ザ・シサ”の由来とのことですが、それって大槻さんが30年間ずっと歌い続けてきたものじゃありません?/僕、たまにお昼のワイドショーのコメンテーターをオファーされるんですけど、お引き受けしづらくて。/えっ、なぜ?/世の中には視差があるから。例えば誰それが事件を起こして国民みんなから叩かれても、見方を変えたら“ほんとにこの人が悪いのかなぁ?”ってことがあるでしょう。物事を多角的にいろんな面から考えると、結局のところ誰も本当のことは分からない。言えない。正しいものなんて何もないんだっていうことは、ずーっと僕の中にありますね。いわゆるオカルトだってそうじゃないですか。例えば“宇宙人を見た!”っていう現象があっても、視差があると全然違う現象になる。その点、音楽はいいなぁと思いますよ。音楽って理論で成り立っているから、数学と同じで1+1=2以外にはならない。でも、詞というのは1+1=2でないところから始まる世界なので、そういうロジックとエモーションのアンバランスというものを30年間作り上げてきたんだなぁという気はします。それこそリード曲のタイトルは、ずばり“オカルト”ですからね。中東インド風のフレーズと、まさしく視差を活かした“if”の物語がロマンチックで惹き込まれました。
イメージ 3
これは僕がレギュラー出演している『緊急検証!』っていうオカルト番組が映画化されるということで、主題歌のお話をいただいた時にパーッと歌詞が降ってきたんです。新しい試みとしてサウンド面ではバングラビートとメタルを融合した“バングラメタル”をやりたいと本城くんにリクエストしたら、その通りに作ってくれて。基本的においちゃん(本城の愛称)の曲というのは非常にポップだからか、物語調な歌詞を乗せると冴えるんですよ。「なぜ人を殺しちゃいけないのだろうか?」も80~90年代のスタジアムロックサウンドに僕には聴こえたので、普通なら応援歌的な歌詞が合うところ、異化効果を狙って“ほぅ!”っていう歌詞を乗せてみました。/楽曲自体は涙が出そうなくらいさわやかでキャッチーなのに、衝撃的なタイトルの答えが“黒いスーツを買いに行くのが面倒くさいから”というのは、まさに視差の極みですよ。/そう。でも、今回のツアーはそれを黒いスーツで歌うんだよなぁ。しまった!/(笑)。この曲では恋人を殺す女性、「ケンヂのズンドコ節」では矢を放つ天使と、過去作で登場したモチーフが散見されるのにも、30年の歴史を感じましたね。
イメージ 4
僕、親父が小林 旭さんの大ファンで「旭のズンドコ節」をずっと聴いて育ったから、一度は自分の名前の入ったズンドコ節を歌ってみたかったんです。この曲も最初はハードロックと音頭が融合した楽しい曲になる予定が、どうも近年の内田くんは音楽も存在自体も不思議担当なんだよなぁ。どんどん不思議な曲になっていった。逆に「衝撃のアウトサイダー・アート」なんかは歌詞も曲もカチッとまとまった曲ですよね。作曲した橘高くんは“ヒデキロック”って言ってたけど、僕の中では70年代の化粧品メーカーのCMソングのイメージ。キャッチコピーで言うと“燃えろいい女”とか“セクシャルバイオレットNo.1”とか。筋肉少女帯の30年を考えるという点では「セレブレーションの視差」のポエトリーリーディングもそうですね。僕が別でやっている特撮の歌詞ともリンクしている部分もあって、今後そういうこともやっていこうと考えているんですよ。永井 豪先生が作品を超えてキャラクターを登場させていたように、僕も特撮とか新プロジェクトの大槻ケンヂミステリ文庫を曲で絡ませていこうかなと。/楽しみです。普通の人間には発想がいかない視差を駆使した物語で、今作でもリアルを突き付けてくださって。決して心地良いだけではないけれど、それこそが筋肉少女帯が持つ中毒性の核なんだなと実感しました。/ありがとうございます。昔、チャクラに「ちょっと痛いけどステキ」っていう曲がありましたけど、結局は痛みを伴わないと乗り越えることはできないんですよね。乗り越えることで自分自身が癒される、明日への活力を抱く。筋肉少女帯のやっていることもそれなんだろうと思うんです。ただ、本当に厳しい現実って物語にできないし、リスナーも望んでないんで、そのギリギリを突いていくっていうのは厳しい闘いですね。でも、介護とか遺産相続とか、そういう重いテーマも今後歌って然るべきですよ。“俺の歌った印税は誰がもらうのか?”って。ま、そんな儲けちゃないけどさ(笑)。取材:清水素子/アルバム『ザ・シサ』 2018年10月31日発売 徳間ジャパンコミュニケーションズ 「メジャーデビュー30周年記念オリジナル New Album ザ・シサ・リリース・ツアー」』

イメージ 5


●戦え!何を!?人生を!

※ガイアジャパンの主題歌に使ってほしかった筋少の名曲!!

●2017/10/26 『Future!』メッセージ

トークがなんだかベテラン芸人さんの域に達している気が・・・w




☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日10月29日(月)の、「元気が出る言葉」は~?

『お前な、人生で絶対大事なのは感謝や。/僕は妻を愛している。子供たちを愛している。だから、生きる。』
出展:いずれも、「だから、生きる。」(新潮社)
発言者:つんく♂ (歌手 実業家 1968年10月29日~)
『解説:「だから、生きる」は泣けてくる。咽頭がんで声を失い、「何万回となく呼べるものだと思っていた妻の名前」も呼べなくなる。が、そこから再生を誓う全身ポジティブな本だ。歌手としても、音楽プロデューサーとしても、声を失うことは死の宣告に近いが、彼は家族のために生きると決めたのだ。初期の「シングルベッド」は四畳半フォークか演歌のような歌だったが、つんく♂はいまロック魂に火がついて、心のゴングを打ち鳴らしているようだ。失敗や挫折から感謝を学んで。』

イメージ 6


◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

イメージ 8
・家族ありきのクリエイションを、つんく♂は、
「ジョンとヨーコの法則」と呼んでいる。
ジョン・レノンが、オノ・ヨーコと見せた生活
スタイルをリスペクトしたものだ。

つんく♂さん声帯摘出 「声捨て生きる道選んだ」(15/04/04)


イメージ 7


●声帯摘出前の最後のラジオ


☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“書を読むや躍るや猫の春一日(『吾輩は猫である』より)”

【明治38(1905)年10月29日、38歳の漱石】『吾輩は猫である』重版の連絡を受けて喜ぶ。

今から111年前の今日、すなわち明治38年(1905)10月29日、38歳の漱石は、寺田寅彦に誘われて午後から東京・千駄木の自宅を出て上野へ向かった。東京音楽学校(現・東京芸術大学)の卒業演奏会を聴くためであった。寅彦の当日の日記によれば、聴衆の中には多くの西洋人も混ざっていたという。帰りがけ、ふたりは夕食をともにし、日本橋から銀座の辺りを、イルミネーションを見ながら散策。漱石が東京・千駄木の自宅に帰り着いたのは、夜の9時頃であった。

漱石が書斎に戻ると、机の上に2通の手紙が置かれていた。1通は、発売から20日間で『吾輩は猫である』の単行本の初版が売り切れ、目下第2版印刷中である旨の、出版元からの連絡。漱石はこれを受けて、挿絵を描いてくれた中村不折に礼状を書いた。《拝啓 かねて御面倒相願候「吾輩は猫である」義、発売の日より二十日にして初版売切、只今二版印刷中のよし、書肆(しょし)より申来候。これに就ては、大兄の挿画は、その奇警軽妙なる点に於て、大に売行上の景気を助け候事と深く感謝致候。拙作も御蔭にて一段の光輝を添え候ものと信じ改めてここに御礼申上候。以上》

一見、事務連絡のような文章の端々に、作り手として、ともに喜びを分かち合いたい気持ちが綴り込まれている。もう1通の手紙の差出人は、旧知の内田魯庵(ろあん)であった。魯庵は自身、文筆家として活動しながら、丸善で発行する『学燈』という雑誌の編集に携わっていた。封を開くと、中からは、書状の他に27枚の猫の絵葉書が出てきた。書状には、『吾輩は猫である』への賛辞と作者への励ましの言葉が書き連ねられている。漱石は非常にありがたく、愉快な気持ちになった。

漱石魯庵への返書をしたためた。《拙稿は御覧の通りの出鱈目(でたらめ)をかきつらねたるものにて最初は別段書物に致す考も無之(これなき)候ところ友人らの勧めにて稿を続ける事に相成(あいなり)、書肆(しょし)の催促により出版を急ぎ候もの。実は大方諸君の批評如何あらんかと気づかいおり候ところ、はからざる貴君よりかかる御言葉を頂戴し非常の慰藉(いしゃ)を得たる次第に候。(略)公平にして眼識ある人の賞賛は満腔の感謝を以て拝受致候》/追伸には、洒落っ気でこんな言葉も付け加えた。《猫儀只今睡眠中につき小生より代って御返事申上候間、不悪(あしからず)御容赦願上候》/もしかすると、実際、漱石先生の視野の中には、部屋の片隅で居眠っている猫の姿がとらえられていたのかもしれない。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「重版」「喜ぶ」で動画検索してみました!!)

●重版出来 お気に入りシーン


重版出来! 黒木 華 可愛いすぎ


イメージ 9 イメージ 10

ジョニーAのつぶやき:「重版出来」、続編観た~~~~~い