『ボヘミアン・ラプソディ』映画館がライヴ会場に!

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eiga.com 作品情報 『ボヘミアン・ラプソディ』
■解説:世界的人気ロックバンド「クイーン」のボーカルで、1991年に45歳の若さでこの世を去ったフレディ・マーキュリーを描いた伝記ドラマ。クイーンの現メンバーであるブライアン・メイロジャー・テイラーが音楽総指揮を手がけ、劇中の楽曲には主にフレディ自身の歌声を使用。「ボヘミアン・ラプソディ」「ウィ・ウィル・ロック・ユー」といった名曲誕生の瞬間や、20世紀最大のチャリティコンサート「ライブ・エイド」での圧巻のパフォーマンスといった音楽史に残る伝説の数々を再現するとともに、華やかな活躍の裏にあった知られざるストーリーを描き出していく。「ナイト ミュージアム」のラミ・マレックがフレディを熱演し、フレディの恋人メアリー・オースティンを「シング・ストリート 未来へのうた」のルーシー・ボーイントンが演じる。監督は「X-MEN」シリーズのブライアン・シンガー
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■スタッフ:/監督 ブライアン・シンガー /製作 グレアム・キング ジム・ビーチ /製作総指揮 アーノン・ミルチャン デニス・オサリバン ジャスティン・ヘイザ デクスター・フレッチャー ジェーン・ローゼンタール /原案 アンソニー・マッカーテン ピーター・モーガン /脚本 アンソニー・マッカーテン /撮影 ニュートン・トーマス・サイジェル /美術 アーロン・ヘイ /衣装 ジュリアン・デイ /編集 ジョン・オットマン /音楽監修 ベッキーベンサム /音楽総指揮 ブライアン・メイ ロジャー・テイラー
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■キャスト:ラミ・マレックフレディ・マーキュリー) ルーシー・ボーイントン(メアリー・オースティン) グウィリム・リー(ブライアン・メイ) ベン・ハーディ(ロジャー・テイラー) ジョセフ・マッゼロ(ジョン・ディーコン) エイダン・ギレン(ジョン・リード) アレン・リーチ(ポール・プレンター) トム・ホランダー(ジム・ビーチ) マイク・マイヤーズ(レイ・フォスター) アーロン・マカスカー(ジム・ハットン) マックス・ベネット(デヴィッド)
■作品データ:/原題 Bohemian Rhapsody /製作年 2018年 /製作国 アメリカ /配給 20世紀フォックス映画 /上映時間 135分 /映倫区分 G
オフィシャルサイト
MBSラジオ「劇場に行こう」で、映画おもしろコメンテイター縛りやトーマス
氏と橋詰優子アナが強烈に絶賛していたので、劇場に足を運ぶ。
クイーンのファンでもなんでもなかったのだが、やけに惹き込まれたのは確か。

●予告編

※現実の時間軸と映画の時間軸とには、若干の嘘が含まれているが、それが
劇的な効果を生んでいて、ノンフィクションベースの作品として許容範囲。むしろ
ラストのライブでの盛り上がりに大きく貢献してる。

RollingStone クイーン自伝映画『ボヘミアン・ラプソディ』を事実検証
『①クイーン結成:映画では、両親とケンカしたフレディ・マーキュリーが、ブライアン・メイロジャー・テイラーが在籍したクイーンの前身バンド、スマイルの1970年に行ったギグをたまたま見たことになっている。
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ライブ後にメンバーと知り合い、その数分後にスマイルのベーシスト兼ヴォーカリストのティム・スタフェルが都合よく脱退する。ドラマーのテイラーもギタリストのメイも、大きな前歯のこの男を怪訝に思うが、この男が彼らの曲「Doing Alright(原題)」を鳥肌モノのアカペラで歌いだした途端、彼らはこの男をバンドに迎え入れるのだ。しかし、事実は、フレディとティム・スタフェルは長年の友人で、フレディは加入するかなり前からスマイルの大ファンだった。ブライアン・メイはフレディがメンバーにしてくれとしつこく言い続けたことを覚えていて、1970年にスタフェルが脱退して初めて、その要求を受け入れたのである。②ジョン・ディーコンはオリジナル・ベーシストではなかった:映画では、1970年のクイーンの初コンサートでジョン・ディーコンがベースを弾いている。しかし、実際は、ディーコンはバンドが試した4人目のベーシストで、加入したのが1971年だ。劇中、最初のコンサートで演奏している「炎のロックン・ロール/Keep Yourself Alive」は彼らのデビュー・アルバム収録の初期の楽曲だった。
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③クイーンは一度も解散していない:1985年のライヴ・エイドでのパフォーマンスに向けて盛り上げるためか、最も現実と離れたストーリーラインが用意された。フレディが密かに400万ドルのソロ・プロジェクトにサインし、バンドとしばらく距離を置きたいと暴露するシーンがある。当然、残りの3人は激怒し、それぞれの道を進む。しかし、事実はこうだ。ほぼ10年間ずっとツアーを続けたメンバーたちは、1983年になる頃には燃え尽きていた。全員が休暇を必要としていたのだ。劇中ではメンバーがフレディに何年も口をきかなかった雰囲気を醸しているが、彼らは1983年の後期にはアルバム『ザ・ワークス/The Works』の制作を始めており、疎遠になったことは一度もなかった。④ライヴ・エイドは再結成ではなかった:映画では、1985年にライヴ・エイド出演のオファーが来たとき、彼らは互いに口すらきかない仲になっていて、何年もライブを行っていない設定だ。1984年初頭に彼らがアルバム『ザ・ワークス』をリリースしたことにも、その後ワールド・ツアーを行ったことにも一切触れていない。このツアーのツアーファイナルはライヴ・エイドの8週間前だった。そのため、ライヴ・エイドに出演したクイーンの演奏は非常にこなれたものだったが、映画では彼らが互いのペースを掴んで、再びまともな演奏をするために努力する姿を描いている。確かにこの方がドラマチックではあるが、事実とは異なる。⑤フレディはライヴ・エイド前に自身のHIV感染を知らなかった:劇中のライヴ・エイドに向けたリハーサル中、フレディはメンバーにHIV感染を告げる。だが、彼は病気を隠し通し、音楽へ全精力を傾けたいと言う。事実は、フレディがHIV感染を知った時期はいまだにはっきりとしないが、1986年から1987年の間だろうというのが大方の見方だ。つまり、ライヴ・エイドのリハーサル中のフレディは病気のことなど全く知らなかったのである。』
※個人的にクイーンへの思い入れはなかったが、「他のメンバーは結婚してボーカル一人だけが孤独」といったくだりではエレカシみやじを、「ちょっとした諍いで喧嘩別れしてしまう」くだりでは、筋肉少女帯のことを重ね合わせることで、感情移入して観られたのだった。。。

ほぼ日刊イトイ新聞 新宿二丁目のほがらかな人々。
フレディ・マーキュリーさまに捧ぐ。/ジョージ:9月5日、フレディー・マーキュリーさま フレディー・マーキュリーさまはですね。わたくしも、よく2丁目でお目にかかりましたっ!/ノリスケ:時代を感じるわね(笑)。/ジョージ:2丁目に有名なゲイバーがありまして。 /ノリスケ:入ったことあります。大っきい店ですよね。2Fか、3Fだっけ?/ジョージ:通りに面して窓があって、窓、パンッパンッパンッと 開け放しているのね。クイーンが公演を日本でやったときに、真っ赤なオープン・トップの、リンカーン・コンチネンタルで、二丁目の仲通りを、ダッダッダッダッダッダッダーッて、走ってくるの。で、あーっ、フレディ・マーキュリーが来たー、とかって、こうやって見てると、下ピッチンパッツンのレオタード・パンツの上三島由紀夫の文学のような、金襴緞子の打ち掛けを、素肌でお召しになったフレディ・マーキュリーさまが、あの、ものすごい高音の声で、「ア~イム・バ~ック!!」って言うのよ。「帰ってきたわよぉ~っ!」って言うと、そのバーのナンバー・ワンの女給さんが‥‥。/つねさん:すごいマッチョのかっこいい人だよね。/ジョージ:そう。その人が‥‥。/ノリスケ:生きてんの?/ジョージ:死んじゃった。もろとも。で、窓から乗り出すようにして、「待ってたわよぉっ!アイ・アム・ウェイティ~ング!」って言うと、それからダダダダダダダーッ!って上がってきて、ブォワッ!!って抱きあうのよ。ブチョォォオオーーーッ。/つねさん:それ、見たんだ。/ジョージ:見た。/つねさん:いいな。/ノリスケ:ね。歴史的瞬間だよね。
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/ジョージ:それで、デァアアアーーッ!!て上がってきたフレディー・マーキュリーを、その打ち掛けごと、その女給が、グァアッと抱えて、女王様ダッコ? お姫さまダッコ?して、ダダダダダダーッ! って階段降りて、もう1回オープン・トップに乗って、「じゃあねーっっっ!!」って。それで、ピーピーピーピーッ(指笛)とかってやりながら。‥‥見せていただいたわ。/つねさん:すごいね!いい時代だったんだねー。/ジョージ:そう。ゴールデン・エイジ。まだAIDSがなかったころ。あれは素晴らしかったー。/つねさん:2丁目でいちばんの伝説の人じゃないの?/ジョージ:フレディ・マーキュリーって、ベスト・ヒットUSAの時代に、ベスト・ヒットUSAって、はじめてビデオ・クリップっていうのがお茶の間に流れたでしょ?/ノリスケ:小林克也さん司会。/ジョージ:家族みんなで見てると、ちょっとしたお色気が出てくるわけだ。たとえば、オリビアニュートンジョンのフィジカルかなんかで、レオタード姿のおねえちゃんたちが出てきて、それを家族みんなで見ているわたしたち、まだ僕、カミングアウトしてない。ま、みんなはおかしいかな?って思ってたんだろうけど、カミングアウトしてないから、女のお色気のときには、みんなが「ウォッホン」みたいな感じなの。で、フレディ・マーキュリーが出てくるでしょ?みんながね、どうすればいいのかわかんなくなるのよね(笑)。/つねさん:ワッハッハッハッハ!/ノリスケ:笑いもしないの?/ジョージ:そう。もう、女のお色気じゃなくって、男のお色気を、みんなはどういうふうにハンドリングすればいいのかわかんないわけよ。/ノリスケ:フレディさま、女装もしてたし、まずそれより前に、もう、ピッチンピッチンで。ていうか顔がすごいし。/ジョージ:そう! あの、「ウィー・アー・ザ・チャンピオン」を歌ったときに、阿修羅男爵みたいになってて、左半分真っ白で右半分真っ黒で。それでピッチンパッツンのユニタード着て、モッコシで「ウィー・アー・ザ・チャンピオン」なわけでしょう?あれはね、目のやりどころに困った。
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/ノリスケ:(笑)あれは、世間はいったいどう受け止めたの?ゲイじゃない人は、どう受け止めたの。要するにチャンピオンになったわけじゃないですか。不思議なんだよ。/ジョージ:あれ、たぶん、それまでは、オカマっていう世界があって、あと、まだ当時って、オカマ、ゲイ、ホモ、ホモセクシャルとかって、そういう使い分けはなかったわけでしょ?で、ゲイっていうと、ゲイ・ボーイだから。/ノリスケ:そうだよね。もっと淫靡なものを、みんな想像してましたよね。シスター・ボーイよね。/ジョージ:あの、メケメケの時代が、まだあったわけじゃない?/ノリスケ:そうですよね。/ジョージ:ということは、美輪明宏先生、カレンダーに載ってないけど(笑)美輪明宏先生のようでもなく女の子が好きでない男の人を、まだカテゴライズしてなかった時代。で、そこに振って湧いてきたようなできごとでしょう?フレディさまって。あれは。お~どろいちゃったもん。フレディ・マーキュリーよ、絶対フレディ・マーキュリー。ハード・ゲイとかゲイ・テイストとかっていうものを広めたのはフレディさまよ。「さま」なんだー。つづきます!』

●ライブエイド動画
 Queen - Live at LIVE AID 1985/07/13 [Best Version]

※映画の中の高い再現度に感動するためには、この映像を観なければなりませぬ!

withnews 映画「ボヘミアン・ラプソディ」配給会社が驚いた「異変の始まり」
『イギリスのロックバンド「Queen」(クイーン)の軌跡を描いた映画「ボヘミアン・ラプソディ」が、世代を超えてヒットしています。週末の興行収入は異例の右肩上がりで、東京の熱が全国に広がってきています。2回、3回と目的を変えて複数回見に行く人たちが続出しています。背景を探っていくと、クイーンファンの献身的な愛と配給会社のマーケティング戦略がありました。
【フレディの命日】「ボヘミアン・ラプソディ」の興行収入は、1週目の土日より2週目の土日、2週目の土日より3週目の土日というように、右肩上がりで増えています。今年2月に公開された「グレイティスト・ショーマン」の53億円を超える勢いです。フレディ・マーキュリーの命日11月24日、各地の映画館でドン・ドン・パツとリズムを刻む足踏みと手拍子が響きました。東京のTOHOシネマズ日比谷の12スクリーンの夜の「応援上映」のチケットは、命日イベントもあり、前売り発売開始から数分で完売したほどです。/映画館内に、フレディの大型写真や献花台などはありませんが、すでに複数回見ている人たちが多く詰めかけていました。この日、クイーンを何度も取り上げてきた雑誌「MUSIC LIFE」を発行していたシンコーミュージック・エンタテイメントで行われた献花に参加したファンたちの一部が、この「応援上映」に流れてきていたのかもしれません。上映前のイベントでは、ゲストで登場したミュージシャンのROLLYさんが、この映画や複数回見に行く人が出ていることについてこう語っていました。「音楽家のことを描いた映画としては、モーツァルトを描いたアマデウスのように未来永劫輝き続けるでしょう」「あくまでも映画は、クイーンに入る入り口であって、入ってみるとそこからものすごく広大な世界が広がっていると思っているんじゃないかな……」
/日本での配給会社「20世紀フォックス映画」マーケティング本部長の星野有香さんは、「2週目の週末の興行収入が、封切られた週末を上回ることは普通はありえません。3週目も2週目の週末を超えるでしょう」と話し、自信から確信へと深めていました。

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【リアルなフレディ知らない世代も動く】映画で描かれているクイーンは、1970年代から85年にあった20世紀最大のチャリティー音楽イベント「ライブ・エイド」までです。フレディは、91年に亡くなっています。これまでの取材や記事に寄せられた感想の中で印象に残ったのは、「ライブ・エイド」を衛星生中継で見た世代ではない人たちの受け止め方です。
【20代の印象はタンクトップにちょびひげ】千葉県の大学生、松原杏衣さん(20)は、1回目は11月18日のレイトショーを両親と一緒に見に行きました。2回目は旅行先のアメリカで友人と、3回目は日本で大学の友だちを誘って見る予定だと言います。映画を誘ったのは、「何となく知っている」杏衣さんの方でした。そのきっかけは、別の映画を見に行った時に流れた「ボヘミアン・ラプソディ」の予告編の映像を見て、インターネットのストリーミングで聴く音楽では得られない「音楽の迫力」に圧倒されたからでした。杏衣さんに、率直な感想を聞くと、こう話してくれました。「最初は音楽だけ考えて行きましたけど、考えさせられる重い映画でした」/ただ、そこで終わらないのが、この映画やクイーンの持つ力のようです。「映画を見た後、ネットでクイーン関連の記事検索をしまくりました。音楽は聴いたことがあっても、その人の人生を気にしてはいませんでした。クイーンやフレディのことを知って準備が出来たので、もう1回見に行きたいと思いました」(中略)

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「大作」と言われる映画は、通常、封切りされる週末のスクリーン数が一番多く、また客席数が多いスクリーンで上映されます。全国の総座席数でみると、2週目は6~7割に減るのが一般的で、日が経つにつれて徐々に座席数が少ないスクリーンに変わったり、上映館が減ったりしていきます。「ボヘミアン・ラプソディ」にとって、3週目の週末は「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」の封切りがあり、映画館の座席供給数が減ってしまったこともあり、東京では「朝、見に行こうと思ってネットで調べたら、ほぼ満席だった」というようなSNSの書き込みがでてきました。
このような逆風の条件下でも、配給会社が26日に発表した週末の興行収入では、3週目の週末24日と25日の動員数が27万8910人、そして興行収入が3億9502万円となり、2週目の公開週末と比べて102%、オープニング週末の117%を記録しました。25日までの累計動員数が166万936人、累計興行収入が23億3610万円になっています。3週目が、2週目を超えるのは、「普通ではあり得ないことです。東京の盛り上がりが地方に伝わってきているため」(配給会社)と見ています。また、映画を1年に1回見るか、見ないか、というぐらいの人たちが、映画館に足を運んでいることも影響していると見ています。
音響がいい大スクリーンの映画館が好まれる傾向にあり、さらに、観客が一緒に歌ったり、コールしたりできる「応援上映」をする映画館が全国109館に増え、様々な見方をするリピーターが増えているのも要因です。』

amass 本編では削除された日本公演シーンの写真が公開
フレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)の伝記映画『ボヘミアン・ラプソディBohemian Rhapsody)』。本編では削除された日本公演シーンの写真を、ジョン・ディーコン(John Deacon)役のジョゼフ・マゼロが自身のInstagramページで公開しています。ジョゼフによれば、この写真は「39」(アルバム『A Night at the Opera[邦題:オペラ座の夜]』収録曲)を演奏しているシーン。』

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●1979年クイーン武道館ザ・ライブ

※カットされた日本公演の模様を追加した特別版とかも出そうだな、おい。

★映画鑑賞ブログ
こねたみっくす 『ボヘミアン・ラプソディ』
『監督交代劇があったとはいえ、クレジット監督のブライアン・シンガーがゲイということもあって、同じ性的嗜好フレディ・マーキュリーの苦しみを描きたいのはよく分かる。だがあの独特な音楽を作り上げてきたQUEEN及びフレディ・マーキュリーを描くにしては、少々典型的な伝記映画過ぎて退屈に思える部分も多々ある。けれど自身のルーツや過剰歯といったコンプレックスを乗り越え、素晴らしき歌唱力と何事にも縛られない感性で作られた音楽と共にスターになるも、ゲイという性的嗜好で妻であるメアリーを失い、無用な取り巻きに自分自身を見失い、エイズ感染によって残された時間を知ってしまったフレディ・マーキュリーの苦悩を知ると、思わず誰もがこの映画の最大のクライマックスである1985年のライブ・エイドで心揺さぶられるだろう。気付かぬ間に彼らの楽曲を口ずさんでいる自分がいることに気付くだろう。
そう、この映画はフレディ・マーキュリーを批判するような描き方はしていないし、彼を美化するような描き方もしていない。ただ家族の一員として、彼はただただ家族愛を求めていた。自分から手を伸ばせば届く距離にあったのに、それに気付かずにあちらこちらに手を伸ばしては自分の心を満たしてくれる誰かからの愛を求めては得られずに苦しんでいた。そんな不器用な愛すべき家族の一員の姿を、ひたすら優しい目線で描いている。だからライブ・エイドで死期を悟ったフレディ・マーキュリーが歌う「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詞に心が締め付けられる。「AY-OH」で観客もまたQUEENファミリーの一員だと気付かされる。「We Are The Champions」を口ずさむ自分もまたファミリーの一員になれたことに気付く。
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普通に考えれば、フレディ・マーキュリーのような奇才がいれば、誰もが彼の才能に集りたいと思うはず。けれど家族だけは絶対にそんなことはしない。「善き思い、善き言葉、善き行動」を信条に、時に彼と対立し、時に彼を優しく迎え、時に彼を見守り、時に彼のために全力を尽くす。そんな姿をグウィリム・リー、ベン・ハーディ、ジョー・マッゼロが見事にブライアン・メイロジャー・テイラー、ジョン・ディーコンを演じ切っている。直接ご本人から指導を受けたという楽器演奏で見せてくれる。そして誰もがその再現度の高さに驚くラミ・マレックが演じるフレディ・マーキュリーについては、まさにスクリーンに伝説のスターが復活したと言っても過言ではないだろう。その感動だけでもこの映画は一見の価値がある。
QUEENが日本で先行してヒットしていた事実はセリフでは描かれない。もちろんフレディ・マーキュリー股間にナスを入れていたという噂も描かれていない。けれど「ボヘミアン・ラプソディ」や「We Will Rock You」の誕生秘話はきちんと描かれているからこそ、見終わると思わずサントラが欲しくなる。そして個人的には数十年後でもいい。次はボン・ジョヴィの伝記映画を見たい。エアロスミスでもザ・ローリングストーンズでもなく、ボン・ジョヴィが見たい。そう思えた映画でもありました。』
※監督交代劇などのゴタゴタがあったら、普通はどうしようもないダメ映画に
なってしまいがちなところを、よく踏みとどまりましたね。フレディの魂が
人々の思いを繋ぎ止めたのかも、ですね。ワチクシはブラックサバスのドキ
ュメントが観たいです、ハイ!

細かすぎて伝わらない関連動画


●フレディの声の一部を担当したマークマーテル氏のボヘミアン・ラプソディ一発撮り


●ある世代の人たちにとっては、「ボヘラプ」は、グッチ裕三の、この
 替え歌だったりするみたいですねーーー♪コチラの完コピもスゲー!
 QUEEN×ハッチポッチステーション


●『勝手にふるえてろ』フレディシーンw


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※ドンドンパッ!ドンドンパッw




☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日11月28日(水)の、「元気が出る言葉」は~?

『総ての言動は本能的にプリンシプルによらなければならない。』
出展:文芸春秋「諸君」1969年9月号
発言者:白洲次郎 (官僚 実業家 1902年2月17日~1985年11月28日)
『解説:白洲次郎は連合国軍占領下の日本で、吉田茂の補佐を務めた。GHQに「従順ならざる唯一の日本人」と呼ばれ、数々の交渉を行った。しばらく彼の名前は忘れられていたが、死後、平成に入って彼を評価する動きが増え、彼の評伝や自著も多く出された。「プリンシプル(原則)をもって生きれば、人生に迷うことはない」というのがぶれない男、白州の白州たるところだ。妻は名随筆家の白洲正子。』

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※むっちゃダンディな方ですやん~~!

◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

Amazon.co.jp レジェンド 伝説の男 白洲次郎 (朝日文庫) 北康利 (著)
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『■内容(「BOOK」データベースより):今の日本人に最も足りないのは、次郎のような圧倒的な「人間力」である。終戦後、吉田茂の側近として力を発揮し陰から日本を支えた次郎の真価と魅力を丹念な取材を通して鮮明に描き出す。白洲次郎評伝の決定版がついに文庫化。貴重な写真資料を多数収録。/■登録情報:/文庫 288ページ /出版社: 朝日新聞出版 /言語: 日本語 /ISBN-10: 4022617160 ISBN-13: 978-4022617163 /発売日: 2012/2/7 梱包サイズ: 14.9 x 10.7 x 2 cm /おすすめ度: 5つ星のうち 3.5 \■カスタマーレビュー:jn 5つ星のうち4.0 「確かに白洲次郎の全てでは無いですが・・・面白く読めます。」2010年4月7日・・・戦後の昭和20年代を生きた伝説の男として、白洲次郎という偉人を知る読み易い本です。当時の日本の情勢を察すれば、現代のように情報を誰でも入手できる時代ではないですし、そんな中でも世界の情勢、日本の立場を考え行動に移した人間として尊敬しなければならないと思います。今の政治家に読んでもらいたい・・・というのが本音です。』

●偉人列伝 白洲次郎 (11分)


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☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“若い者には美人が一番よく眼につくようだ(『趣味の遺伝』より)”

明治44年(1911)11月28日、44歳の漱石】帝国劇場にイプセン『人形の家』を観に出かける

今から105年前の今日、すなわち明治44年(1911)11月28日、44歳の漱石は東京の空を見上げながらロンドンのことを思い出していた。どんよりと陰気な雲の向こうに太陽が薄く見え、冬の近づいているのが感じられた。ただ産業革命で大量の石炭の焚かれているロンドンと違い、東京は空気の清涼なのが救いだった。

昼からは、雨になった。その雨が庭の芭蕉にしとどに降りかかるのを見ていると、なんだかわびしい感じが伝わってきた。この日、漱石は文芸協会から招待を受けていた。帝国劇場で、イプセン原作の芝居『人形の家』をやることになっていた。開演は午後4時半の予定だった。漱石は入浴して身支度を整え、フロックコートを着て、人力車を頼んだ。ヨーロッパでは劇場へ行く際は正装するのが習わしだった。時間は4時を過ぎたところだった。俥屋はちょうど、娘たちを迎えに女子大へ行って出払っていた。4時20分になっても帰ってこない。もう間に合わないから今日は止めにしようかと思い、コートを脱ぎかけたところへ俥屋が戻ってきた。

漱石が帝国劇場に到着したとき、すでに芝居は始まっていた。天気が悪いせいか、客は思ったよりも少ない。それでも、知り合いの顔がちらほらあった。東京朝日新聞の同僚の松山忠二郎や西村酔夢らと挨拶を交わす。幕間に、評論家で小説も書きはじめている近松秋江が「よくお出かけでした」と声をかけてきて、「今日は、ぽんたがきてますよ」と小声で付け加える。名妓の呼び声高い新橋の芸者のことを言っているのだった。ぽんたは漱石のすぐ前を通ったが、噂に聞くほどの美女には思えなかった。2階の客席には高浜虚子もきていて、見上げると、番付を振って合図をした。漱石もお辞儀を返した。

芝居の演出・脚本は島村抱月だった。主人公のノラは女優の松井須磨子が演じていたが、その顔がまるで洋服と釣り合っていなかった。思い入れたっぷりのゼスチャーや表情も、わざとらしく、一種の刺激を観客に強いて塗り付けようとしているようで、漱石は感心しなかった。それに比べると、男優陣の方がよほど自然で厭味がなかった。妻ある身の抱月と須磨子の間に恋愛スキャンダルが報じられるのは、この数年後のことである。さほど遅くないつもりだったが、帰宅するともう9時半だった。漱石は夕食を口にしていなかったが、妻の鏡子は、食べるものはないという。漱石は「それなら、劇場で何か食ってくればよかった」と思いながら、「じゃあ、蕎麦でもとってくれないか」と言いつける。無理に西洋風に厚化粧をほどこしたような印象の芝居のあとだから、純和風に蕎麦でもたぐりこむのが、漱石先生にとって最適の口直しだったのかもしれない。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「人形の家」「松井須磨子」で動画検索してみました!!)

●忘れ難きことども 松井須磨子 朗読:向井智子


●対談「女優・松井須磨子

・劇団太陽族舞台「Sumako-或新劇女優探索記-」
 3/10(土),11(日)・サントミューゼ 大ホール舞台上ステージ /公演を前に、
 岩崎正裕さん(作・演出)と宮坂勝彦さん(松井須磨子研究者)による特別対談を開催。

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※『華の乱』では須磨子役を松坂慶子が演じていた・・・

ジョニーAのつぶやき:奇しくも、いい男といい女といいゲイが勢揃い。