2018年11月GMH♀ランキング発表!

2018年11月1日~11月30日までの間に、萌え~♪を感じた女性のランキングを考える超・私的自己満足企画、それが「ギザ萌えヒロイン♀ランキング」、略して「GMH♀」なのだーーっ!毎月1日前後にヒロイン・ランキング、16日前後にヒーロー・ランキングをお送りするのが、本ブログの恒例行事。TVや映画、DVD、ネット動画などに出演したタレントさんのみならず、ニュースになった“時の人”や、日常生活で出会った素敵な一般人もアリ。とにかく女性で胸キュン☆させてくれたお方ならば全て対象になるという、まこと嘘偽りのない真実の萌えランキングなのだ!さあ、11月を制したのはいったい誰子さんなのかっ!!

第10位 本仮屋ユイカ
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※「探偵ナイトスクープ」の秘書が、抜群にしっくり来ていた!!
 もうそろそろ固定化してもいい頃だと思うんだが・・・。
 前任の方が帰ってくる予定でもあるのだろうかーーー。

第9位 ミシェル・ウィリアムズ
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※『ゲティ家の身代金』で、誘拐された息子を心配する母親役
 を迫真の演技でやり切ってみせた。
 ケビン・スペイシーの例の事件で、あやうくお蔵になるかも
 知れなかったサスペンスの良作を、それこそ、自分の力で
 「なんとか助けたい!」との思いで、力が入ったのかも、だ。

第8位 長与千種
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※暴力夫の妻への暴行を止めようとして指を骨折させられた
 長与さん。そしてその指を攻められながらも、30日の電流
 爆破マッチには激勝した。
 カッケーすぎるぜ、チコさん・・・。
 東スポweb ライオネス飛鳥「さすがパートナー」、ダンプ松本「私ならバックドロップかます!」

第7位 ブルックリン・キンバリー・プリンス
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※ただの子役ではない、真の女優がそこにはいた。TVの
インタビュー番組に出て、映画の仕事について話す彼女に
驚いた。『フロリダ・プロジェクト』の輝きは、彼女自身の
輝きによる部分が大きいのだー。

第6位 松たか子
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※事前の情報を一切入れてなかったので、冒頭のシーンで、
「ははーん、彼女がキーパーソンとなって、右近と左近の
人生が変わっていくんだろうなー」などと想像していたら、
それ以降一切出てこなくてポカ~~ンだった、『ハード・
コア』!逆にそれだけのチョイ役出演なのに、インパク
を残しての6位ということである!さすがなのである!

第5位 ルーシー・ボーイントン
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フレディ・マーキュリーの彼女役を演じ、名言をいっぱい
残した。嫌いになったわけでもないのに別れねばならない苦
悩を巧みに表現していてお見事!『ボヘミアン・ラプソディ
大ヒットの、ある意味立役者といっても過言ではないー。

第4位 松岡茉優
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※CMでマッキーの名曲を歌ってみたりとか、今月も
目立っていた茉優ちゃんではあるが、ここんとこずっ
とベスト3入りしていたので、たまには休憩である。
また「コウノドリ2」を全編観終わるであろう来月に
は、余裕でトップ3に顔を出すこと間違いなしなのだ!!


★DVD鑑賞した『ビガイルド』から、この3美人をば入賞させたい!

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※良い美人(まぎれもない絶世の美女だ♪)

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※普通の美人(歳はとったが、さすがにその美貌は健在!)

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※悪い美人(劇中ではコリン・ファレルに「美しい」と
連呼されるのだが、観客の頭にはハテナマークが浮かぶ
こと請け合いという・・・偽装的?美女。)

☆「よい子 悪い子 普通の子」みたいなノリになってしまったw

VOGUE JAPAN ひとりの男が女たちを狂わせる、極上スリラー『ビガイルド 欲望のめざめ』
南北戦争(1861-1865)真っ只中の1864年キリスト教信仰の厚い教育方針のもとに生活していた女子寄宿学校に、生徒の一人が発見した足を負傷した北部合衆国兵士のマクバニー(コリン・ファレル)が連れて来られて治療を受ける。戦争で教師や生徒、使用人の奴隷たちのほとんどは実家に戻っていて、学園に残っていたのは園長のマーサ(ニコール・キッドマン)、教師のエドウィナ(キルスティン・ダンスト)とアリシアエル・ファニング)をはじめとした、10歳から17歳までの5人の女生徒のみ、というまさに乙女の花園だった。
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奔放な若い女子とは違って、本心を抑えに抑えようとする園長を演じたニコール・キッドマンの演技が光る。ところで、キルスティン・ダンストはソフィア映画でもそうだったように、美人すぎないけれど共感できる、可愛さのあるモテ女子ヒロインを演じさせたら、彼女の右に出るものはいないオーラを発揮していた。ここ数年では、今作で奥手の女教師エドウィナを演じたように、昨年度のアカデミー賞ノミネート作品『ドリーム』でも、ドラマ「ファーゴ」でも、なんだかフツーのおばさんキャラにハマり、このまま性格俳優路線で定着してしまいそうな感じだが、私生活ではドラマ「ファーゴ」で共演した6歳年下の俳優ジェシー・プレモンス(29)と婚約し、現在妊娠中。ママとなれば、定評のある演技力にさらに幅が出そうだし、今でもロダルテ(RODARTE)の秋冬コレクションのルックブックでは、大きなお腹でモデルとして登場し、ファッション界からの需要は高いという、侮れない不思議な存在はやっぱり貴重だ。』
※的確なるキキ評ではないか。感心したので引用させてもらったーーー。

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※子供を産んで完璧に“普通のオバハン”状態になってしまったキキ。
もう絶世の美女は、偽装的にでも演じられないだろうが、そこらへん
にいる小マシなオバチャン役をさせたら右に出る者はないと言われる
ほどの、庶民派女優として、第2ステージを歩んでいって欲しい♬

第2位 伊藤美誠(大魔王)


文春オンライン 誰も見たことのない卓球に到達した18歳の戦略
『それは誰も見たことのない卓球だった。中国のトップ選手たちがあっけにとられたのも無理はない。10月29日から行われたスウェーデンオープンで、中国が誇るトップ3を立て続けに破った伊藤美誠のプレーだ。それは理不尽なまでのバックハンド強打だった。バックハンドとは、体の前でラケットの手の甲側の面で打つ打法で、体の横でラケットの手のひら側の面で打つフォアハンドよりもスイングの回転半径や回転角度が小さいため、一般的には威力が劣る打法だ。/伊藤は、サービスやレシーブの巧みさ、フォアハンドのスマッシュなど全面的に優れた技術を持つが、あの試合を決定づけたのは、そのバックハンドによる回転をかけないフラット強打だった。しかも伊藤はバック面に、突起が表面に出ていて回転のかかりにくい表ソフトラバー(「表」と呼ぶのは、このタイプのラバーが先に登場した歴史的経緯による)を貼っているため、それは極端に回転の少ない無回転強打だった。これが相手を戸惑わせて返球を甘くし、伊藤はそれをフォアハンドスマッシュで狙い打った。
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もちろん回転をかけないこと自体は簡単である。初心者のボールは回転がかかっていないのだし、多くの卓球愛好者はむしろ回転をかけようと日々奮闘している。難しいのは回転をかけないことではなく、それで速いボールを入れることだ。直感的にわかるように、速いボールほど直線的に飛ぶ。打点が十分に高ければ、全力で打った直線的なボールでも相手のコートに入れることができる。これがスマッシュだ。しかし高いボールはそうそう来ないから低い打点を余儀なくされる。打点が低いほど、直線的な軌道で相手のコートに入れることは難しくなるため、ボールを遅くして軌道を山なりにするのが一般的だ。ところがボールに「ドライブ」と呼ばれる前進回転をかけると、空気抵抗によって軌道が極端に山なりになり、コートに入る確率が飛躍的に増すのだ。ドライブこそは、速いボールをあたかも遅いボールのように安全に相手のコートに入れることができる理想的な打法なのだ。だから現代のほとんどの攻撃選手はドライブをその打法の中心にし、もっとも効率よくそれを実行できる裏ソフトラバー(表面が平坦なタイプで「表」ラバーを裏返したもの)を使う。卓球のテレビ放送でアナウンサーがスマッシュと言う場面の多くが実際にはスマッシュではなくドライブである(ラケットを卓球台より下から振り上げるので容易に判別できる)。
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伊藤の無回転強打は、そのドライブによる安定の効果を使わないことを意味する。しかも伊藤は相手に時間を与えないために、ボールが弾んですぐの低い打点でそれを行う。相手に近く、なおかつ低い位置から直線的な軌道で相手のコートに入れるのは絶望的に難しい。ネットすれすれを通過し、重力によってわずかに沈み込んでコート一杯に入る軌道だ。少しでも下にズレればネットミス、上にズレればオーバーミスとなるため、針の穴を通すようなコントロールが要求される。もちろん、確率を度外視すれば他の選手でもまったくできないことではない。何回かに一回は入る。バスケットボールやサッカーの超ロングシュートのようなものだ。その超ロングシュートを立て続けに入れるようなプレーが、伊藤がスウェーデンオープンでやってのけたことなのだ。決勝で伊藤のプレーに呆然とする朱雨玲の表情は「冗談じゃない、こんなプレーが連続してできてたまるものか」と言っている表情なのだ。/伊藤の無回転強打の威力は、速いことだけではない。低い打点から直線的に飛ばしたボールは、飛行中のボールが常に低いため相手に高い打点を与えない。低いカメラからの映像を見ればよくわかる。そのため、相手は速いボールで打ち返せない。
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  もうひとつある。前進回転同士の安定系の破壊だ。カットマンとの試合など特別な場合を除き、卓球選手同士の速いラリーでは、打球の瞬間に回転の反転が起こっている。裏ソフトラバーの場合、ボールとラバーはほとんど滑らないので、回転しているボールがラバーに当たると、ラバーの表面がボールの回転方向に引っ張られて変形し、その変形が元に戻る過程でボールを押し出して逆の回転がかかるのだ。相手の回転が大きいほど打球後の回転も大きくなる。卓球のボールの回転を作り出しているのはラバーの摩擦力と弾性なのだ。/多くのトップ選手がこの打法を使わない理由は、言うまでもなく難しすぎて入らないからだ。実際、スウェーデンオープンの翌週に行われたオーストリアオープンで伊藤は2回戦で敗退している。神ならぬ伊藤が奇跡のプレーを再現し続けることは不可能に近い。当のスウェーデンオープンでも、準々決勝の劉詩ウェン戦の前半は伊藤のバックハンド強打がことごとく入らず、ほとんど負けかかっていた。もしも第5ゲームの8-8からの劉詩ウェンのサービスミスがなかったら、11-11からの伊藤のエッジボールがなかったら、伊藤は1-4で負けていたかもしれないのだ。
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しかし伊藤はそこから覚醒し、準決勝、決勝と理不尽なまでのバックハンド無回転強打を連発して優勝した。それは世界卓球史上、誰も到達したことのないプレーだった。あのプレーを再現できたなら、どんな対策も無意味となる。あの試合の伊藤に勝つ方法はない。/伊藤のバックハンド無回転強打にとって真の脅威は、相手が対策をしてくることではない。わずかなラケット操作の狂いがミスにつながるという打法の難しさそのものだ。しかし伊藤には、巧妙なサービスと意外性のあるレシーブ、回転量の読みづらい表ソフトでのバックハンドドライブといった安定した技術がある。それらだけで早田ひなと組んだオーストリアオープンの女子ダブルスで中国ペアを破って優勝するほどの極めて高いレベルだ。それらによってゲーム全体を支配しつつ、やがてそのバックハンドに卓球の神が降りてくるのを待つ。それをコントロールできるようになったとき、伊藤は史上最強の選手となるだろう。それを目撃できるかもしれない幸運な時代に我々は生きているのである。』

スウェーデンオープン 決勝 伊藤美誠VS朱雨玲


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※覚醒した大魔王、無敵の強さだっ!

●中国メディアに「大魔王」と報じられた伊藤美誠が帰国


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天下一武道会後の孫クンのコメントのようですな。

●よくわかる「美誠パンチ」解説

※にゃーるほど~~~~!ミマパンチは番場蛮の“ハイジャンプ
魔球”みたいなもんで、いずれは攻略される運命にあるのやも知れ
ません。でも、そうなったらそうなったで、“大回転魔球”やら
“分身魔球”みたいに、新たな必殺技を編み出していけばいいんですね♬
「なーんかオラわくわくしてきたゾー。」(by野沢雅子
東京オリンピックの頃には、「美誠大回転魔球」「美誠分身魔球」が
開発されているのかしらん?

伊勢新聞 卓球五輪メダリスト、伊藤美誠選手とラリー 紀南高で650人交流 2018-11-18
リオデジャネイロ五輪卓球女子団体銅メダリストの伊藤美誠選手を招いたイベントが17日、県立紀南高校(御浜町阿田和)体育館であり、公募に応募した県内外からの約650人(主催者発表)が参加して、伊藤選手との交流を楽しんだ。同校同窓会や南牟婁郡卓球協会らでつくる実行委員会(戸地功実行委員長)が主催。同校OBで日鉄住金物流卓球部の杉井孝至監督が伊藤選手と親しいことから、実現した。
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同校の生徒会役員が司会を務め、伊藤選手は拍手とともに登場。質疑応答では、生徒が「卓球をする上で一番大切な能力は何か」などと質問。伊藤選手は「体幹や軸が大切。あとは楽しむことを第一に考えて練習や試合をしている」と答えた。また、東京五輪への抱負として「個人戦団体戦も優勝して二つの金メダルを持って帰ること」と述べた。/会場では杉井監督が解説しながら、伊藤選手と松下海輝選手(日鉄住金物流)が模範演技をした。伊藤選手が「美誠パンチ」や「逆チキータ」を披露すると、観客からは歓声が上がった。その後、抽選で選ばれた40人が伊藤選手とラリーをして交流した。
ラリーの体験をした和歌山県立新宮高校卓球部の二年風間一誠さん(17)は「緊張した。球の威力や正確さなど、世界を経験している人は違うなと思った」と感想を話した。伊藤選手は終了後、記者団に「応援してくれる方と普段は触れ合う機会が少ないので、たくさんの方と交流ができて光栄でした」と語った。』

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※交流会の後、軽く観光して英気を養ったとか。。。

第1位 中川翔子しょこたん


☆『blue moon』キャンペーンで加古川にもやってきたしょこたん
 「カツめしも褒めてくれた」記念の第1位!(ま、しょこたん
  基本なんでも褒める芸風なのではありますが・・・)

中川翔子『blue moon』アニメ「ゾイドワイルド」ED


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※改めてこうやって聴いてみると、いい曲でございやす。惚れ惚れ♪

イラストレーター・岸田メル様と対談!と盛り上がってるが、
以前にも対談した様子が、著書「中川ブロードウェイ」に
載っていたゾイ。
ブックス

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●神とあがめる松田聖子の「瞳はダイアモンド」を熱唱!


CHiCO with HoneyWorksとのコラボ「ミスター・ダーリン」


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※調べてみると、ホントたくさん仕事しとるな~~~。まさに“貪欲”
を体現しとるな~~、って感じ。ヲタクパワー恐るべし!!

●BSのCM

※「よりどりみどり」を表現するのに、このしょこたんの普段の素行。
 実はもっとマニアックなんだけど、抑えてこのありさま・・・。

デイリー 中川翔子 32歳で他界の父・勝彦さんのLP盤贈られ「泣いてしまいました」2018.10.16
『歌手・中川翔子(33)が15日、ブログを更新。亡き父で歌手の中川勝彦さん(享年32)を手がけた作編曲家・林哲司と共演し、感激で涙したことを明かした。勝彦さんは1994年、白血病のため32歳の若さで他界した。勝彦さんのアルバムのジャケットを手にした写真をブログにアップし、「似てますか?もう父の年齢を超えてしまいましたがやっぱりまたあたらしい足跡がみつかる人生が不思議!」と父が生きた年数を追い越したことに触れた。
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  中学時代はひきこもりだったという中川。その時代に林が作った楽曲をずっと聴いており、対面に感動。林からは未使用で大切に保管していた勝彦さんのLP盤をプレゼントされ、「泣いてしまいました 感激です。うちにもなかった、レコード。こんな風にまだまだ父の存在が、生きている」とつづった。今夏、ACジャパンの骨髄バンク支援キャンペーンのCMで亡き父と“共演”しており、「今年になって初めて、父とcm共演できたり、不思議でならない きっとみまもってくれているんでしょう ありがとう」と天国の父への思いを記した。』

しょこたん勝彦「空色デイズ

中川翔子の「空色デイズ」。ピッチを下げてみると父親の中川勝彦っぽい。ナルホド。

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※悪ふざけしょこたん・・・・確実に、おちゃらけ勝彦の遺伝子を
 受け継いでおるのだった。。。

☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日10月30日(金)の、「元気が出る言葉」は~?

幸福の七か条 ◎第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない ◎第二条 しないではいられないことをし続けなさい ◎第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし ◎第四条 好きの力を信じる ◎第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ ◎第六条 怠け者になりなさい ◎第七条 目に見えない世界を信じる
出展:「水木さんの幸福論」(日本経済新聞社
発言者:水木しげる (漫画家 1922年3月8日~2015年11月30日)
水木しげるのことは妻武良布枝の自伝「ゲゲゲの女房」を原案に、2010年、NHK連続テレビ小説となったので、その生きざまが改めて知れ渡った。片腕を失った戦争体験、貧しかった紙芝居・貸本時代、そして人気作家へ。死と隣り合わせになった体験から水木を救ったのが「妖怪たち」だった。水木しげるの人柄や人生観を、この「幸福の七か条」はよく表現してくれている。特に六、七条は彼ならではの幸福感だ。』

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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

しまね観光ナビ 水木しげるロードへ鬼太郎に会いに行こう!
『「ゲゲゲの鬼太郎」の生みの親、水木しげる氏の出身地で「妖怪の町」として名高い境港。「妖怪の町」の中心「水木しげるロード」は妖怪ブロンズ像をはじめ、お店も駅も交番も、はたまた外灯から公園まで、何から何まで妖怪づくしの町ごとテーマパーク。1993年に誕生した水木しげるロードは2018年7月に25周年を迎えて大リニューアル!ますますパワーアップしました!子どもから大人まで、世代を問わず楽しめる妖怪ワールドをまるごとガイドします。』
※現地へ行かなくても、めくるめく写真の楽しさだけで、十分だなゃ~~。


※これはまだ観ておらんのです。そのうちそのうち、と思ってて・・・

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コミックナタリー 水木しげるお別れの会、夫人らが「丸い輪」の向こう側の水木サンを偲ぶ 2016年1月31日
『昨年11月に逝去した水木しげるを偲ぶ「水木しげるサン お別れの会」が、本日1月31日に東京・青山葬儀所にて行われ、発起人代表を荒俣宏が、喪主を水木の妻・武良布枝が務めた。会場に設置された祭壇は、生前より水木と親交が深かった京極夏彦がデザイン。水木の短編マンガ「丸い輪の世界」をイメージした輪に笑顔の遺影が飾られ、それを一回り大きく囲んだ輪の中に「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」「河童の三平」「コケカキイキイ」のイラストが並ぶ。遺影の下には水木の実家から見える島根半島の山と大海原をイメージした菊が、左右には水木が太平洋戦争時に出征したラバウルのジャングルをイメージした南国の花が配された。(中略)
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関係者のみで行われた「お別れの会」第1部では、京極による挨拶のあと、荒俣が水木の功績を紹介。続いて、水木とは貸本時代からの付き合いだというさいとう・たかをが登壇し、「ご自分の感性をうまく料理し、独自の世界観を作り出す手腕は天才的で、計算して絞りだすように作品を創ってきた私にとっては羨ましい才能でした」と、自身と比較しながら水木への思いを語る。TVアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の1・2作目で鬼太郎役を務めた野沢雅子は「そちらでごゆっくりとお休みになって、そしてまた、たくさんの素晴らしい作品を、たくさんたくさん描いていってください。私は鬼太郎くんと出会って本当に、本当に幸せでした」と感謝した。47年前、ガロの編集部に出入りしていた頃から親交があるという編集者の松田哲夫は、別れの言葉で「初対面の僕に向かって、『殺されますよ』『頭がからっぽになりますよ』と言ってきた」という、多忙だった頃の水木のエピソードを披露。さらに「水木さんにとって『死ぬ』ということは、広大な水木ワールドの中でちょっと引っ越しをした、そんな軽い気持ちなのかもしれませんね」と続けた。
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最後に、布枝夫人があらためて来場者へ挨拶。「皆様に認めていただき、温かく支えていただいたからこそ今日に至ったと思います」と感謝を述べ、「まだまだ頭の中には構想があったはずです。それらが日の目を見なかったことはとても残念」「とはいえ主人がいる、あちらの世界にはきっとマンガのタネがたくさんあって、たくさんストーリーを思いついているでしょう。だって生前から妖怪やあの世とは親しかったのですから。発表できなかった作品だけでなく、新しいマンガをあの世の読者に読んでもらっているかもしれません。きっとそうだと思います。生前は水木しげるを温かく見守ってくださってありがとうございました。今、主人もきっとこの会場にいて、皆様に感謝申し上げてることと思います」と締めくくった。
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終了後の囲み取材には、中川翔子さいとう・たかを野沢雅子松田哲夫浅野忠信ウエンツ瑛士向井理松下奈緒が順に出席。実写映画「ゲゲゲの鬼太郎」「ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌」で鬼太郎を演じたウエンツは「神妙な面持ちでいる僕らをどこかでケラケラ笑っているような、そんな声が聞こえてきそうな会でした。(水木には)ゆっくりと休んでいただくと同時に、向こうでたくさんの妖怪たちと戯れてほしいなと思います」とコメント。TVドラマ「ゲゲゲの女房」で水木夫妻を演じた向井理松下奈緒はそれぞれ「本当に自由な人だったと思う。あちらの世界で、好きなものを食べて、飲んでほしい」「水木しげるさんの奥様に一瞬でもなれたのは、今でも『素敵な経験をさせてもらった』という気持ち」と涙ながらに述べた。』

☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“己れの呑気を自覚しない男だと思った(『行人』より)”

明治41年(1908)11月30日、41歳の漱石】とっておきの吉報をもって門下生の下宿を訪ねる

今から108年前の今日、すなわち明治41年(1908)11月30日、41歳の漱石は吉報を胸に、東京・牛込横寺町の正定院を訪問した。辺りは、夕闇に包まれはじめていた。漱石の傍らに、東京朝日新聞社員で門弟の坂本雪鳥が付き従っていた。訪問先の正定院には、漱石門下の森田草平が下宿している。その下宿にこもって机に向かっているはずの草平が、留守である。仕方なく漱石は、しばらく時間をつぶし、再びこの寺に足を運んだ。草平はまだ帰っていなかった。

それほどまでして、一刻も早く漱石が草平に知らせたかったのは、『煤煙』の朝日新聞連載決定のニュースだった。『煤煙』は、草平が平塚明子(平塚らいてふ)と起こした心中未遂事件を下敷きにした小説で、冒頭部分の原稿が徐々に書き進められているところだった。漱石の口利きで、原稿がすべてまとまった暁には、春陽堂から単行本として刊行される約束が出来上がっていた。その上で、漱石は、朝日新聞への連載の話も、編集部に見本原稿を送るなどして、交渉を進めていた。それが今日、正式に決まったのである。漱石が胸を躍らせるのも無理はなかった。「森田のやつ、原稿を書き直すのに時間が惜しいといって、早々に引き上げていったくせに、一体どこをほっつき歩いてるんだ」漱石は、苛立ちというより、もどかしいような思いを感じていた。

帰宅後、漱石は草平宛ての手紙をしたためた。《只今二度御訪ね申候処御不在 不得已(やむをえず)引取候。「煤烟」朝日の採用する処と相成明日八千号を期し其(その)予告をする由にて相談に参候(略)書き上げた分は社へ渡しそれ丈(だけ)稿料に引換え年を越せる様にする事。今夜電話にて春陽堂へ一寸(ちょっと)断わる事。右の件依頼致置候。漸く落着一先(ひとま)ず安心に御座候。書き直すひま惜しとて帰りながら二度行っても居らず。何所(どこ)をあるいて居るにや。あまり呑気にすると向後も屹度(きっと)好い事なき事受合に候。先は右迄 草々》

草平は夕方までは確かに、正定院の下宿で机に向かって筆を握っていた。だが、日が落ちてくると堪えがたい寂寥感に襲われ、ひとり酒を呑みに出てしまっていたのだった。漱石の手紙を受け取った草平は、飛び上がって喜んだ。自分の書いた小説が、朝日新聞紙上に連載されるのだ。それも、師たる漱石先生の『三四郎』の連載のあとを引き継ぐ形となるのである。草平は何度も手紙を読み返す。やがて叱責の文にこもる漱石の父親の如き温情が胸にしみ、あふれてくる涙を禁じ得なかった。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「森田草平」「」で動画検索してみました!!)

●長野漱石会研修旅行~雑司ヶ谷霊園

雑司ヶ谷霊園漱石先生ゆかりの人が数多く眠っている。中村是公(満鉄総裁・東京市長)、大塚楠緒子(作家)、森田草平(作家)、小泉八雲、ラファエル・ケーベル(帝国大学外国人教師)、伊藤長七(信濃教育会主催の講演会に漱石を長野に招いた)等


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・チャブダイと書く漢字としては卓袱台以外にも、茶袱台、茶部台、食机、その他にも古くは森田草平の『煤煙』や徳田秋声の『黴』で書かれている餉台などがある

ジョニーAのつぶやき:聞いてちゃぶだい、見てちゃぶだい♪