漫画タイトル「負けず嫌い」/最後の講義・・・ナド

毎日新聞 りえさん手帖
毎日新聞 2019年1月28日 東京朝刊』

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※インスタント麺のクオリティはハンパないっちゅうことで・・・。

FNNPRIME 直撃!シンソウ坂上 「全身がん」公表の高須院長が“保証のない”治療を選んだ覚悟と事実婚を選んだワケ
『高須氏は、2018年9月に「全身がん」であることをSNSで打ち明けている。がんを患っても東京での生活は今までとほとんど変わらないというが、高須氏の拠点である愛知ではどのような生活を送っているのか、その日常に密着した。朝8時、愛知にある自宅からタクシーで向かった先は、高須病院。高須一族は代々医師の家系で、現在高須グループは、高須クリニック全国5か所に加えて、高須病院をはじめとする11の医療・介護・福祉施設を持っている。そのトップに君臨しているのが高須氏だ。自宅から1時間ほどで病院に到着すると、まずは隣にある実家へと向かい、仏壇に向かって8年前に他界した妻と母に手を合わせる。その後、お手伝いさんが作った朝食を回診の前に取る。この日のメニューは、うなぎの蒲焼。3分で済ませて、病院へと向かった。
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がんが見つかったのは3年半ほど前。「自分で見つけたの。検査の時に人間ドックで上から下まで全部調べて、血尿が出てるっていうのがわかったから、細胞診をやってくれとオーダーしたんです。『がん細胞が出ました』と言われて、尿路系のがんだって。膀胱がんか尿管がんか腎臓がんだろう…と思っていたら全部なってて」と笑って話す高須氏に、思わず坂上は「笑いごとじゃないんですけど…」とツッコんでいた。3年半ほど前に見つかっていたはずのがんを公表したのが2018年9月。なぜ、このタイミングで公表したのか。それは、同じように全身がんを患っても精力的に活動していた女優・樹木希林さんに心を打たれたからだという。
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明るく話す高須氏に坂上は「でも、素人からすると全身がんと聞くと「もう無理なんだろうな」という印象しかないんです」と話すと、「どっちみち全員無理なんです。200歳まで生きられっこないので。平均余命を数えると、あと何年と計算できるし」と楽観的な様子。また、高須氏は「麻雀やっているときと一緒。当たるか通るかというのと同じで、どっちかしかない。絶対に死ぬことは間違いないんだけど、どのくらい生きられるかはわからないから人生楽しい。何でがんだけ特別扱いするのかよくわからない。だって結核よりもポピュラーですよ。2人に1人になるんだもん」とがんは特別な病気ではないと言い切った。/んな彼は今、「自分のところが総合病院ですし、検査機械が一番新品」と高須病院でがん治療を行っているという。MRIやCTなどの検査結果は、高須氏自身でも診断できるが、自分に都合の良いように解釈する恐れもあると、他の医師にも診断を仰いでいるようだ。現在の高須氏の体には、腎臓・尿管・膀胱の3か所ががんに侵されている。一般的に、複数のがんに侵されている状態を“全身がん”と呼ぶことが多いという。すでに、がん細胞があると疑われた箇所は摘出した部分もあるが、依然がん細胞が残っている箇所もあるという。さらに、高須氏は特殊ながん治療にも臨んでいるという。
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自身の血液を特殊な治療器具で体外循環させ、そこからリンパ球に含まれる“がんを攻撃する細胞”を取り出して、その細胞を培養して増やし、増やした“がんを攻撃する細胞”を点滴で再び体に注入…このサイクルを繰り返し行う、一種の免疫治療を行っている。高須氏によると、この治療法は絶対の効果が保証された治療ではないという。そのため、「厚生労働省が推奨している標準治療から外れているんです。もちろん、保険は利きません。自己責任でやる治療です」とも言っている。自身が行う治療法を明るく語っている高須氏だが、絶対の保証のない治療をなぜ選んだのか。坂上が「ご自身が自分を実験台にしているところはあるんですか?」と問うと、「ええ!実験台です。だからこれ、勧めてません」と明かした。/坂上は続けて「高須さんが整形されたり、腹筋作ったりをずっと見ていて、今全身がんで自分の考えのもとで治療をしているのを見た時に、これが成功しようが失敗しようが、周りの人からするといい教材になるんだろうな…」と問いかけると「よく言ってくれました!それが目的です!」と高須氏は目を輝かせた。「今までやっていること全部そう。上手くいったらいったで僕の利益。上手くいかなかったら世のため人のため。どっちに転んでもいいんです」と、持論を述べた。がん治療を続ける中、高須氏自身が今、楽しみにしていることの一つが「麻雀」。高須氏との麻雀に集まる人たちは、がん患者同士で病気に関して情報交換をしながら対局しているという。
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そんな高須氏には今、事実婚7年を迎えるパートナーがいる。自身の子育てを描いた「毎日かあさん」や「ぼくんち」などの代表作でなどで知られる漫画家・西原理恵子さん。高須氏との交際を宣言し、公の場に二人で登場することも多いが、戸籍は別という事実婚の関係を7年に渡って続けている。二人の出会いは、高須氏が西原さんのファンだったことから始まる。西原さんは「ずっとファンレターを送ってきたので。付き合う前の最初の手紙、ファンレターがこの間家を片付けていたら出てきたの」と出したものは、なんと、当時高須氏が始めた脂肪吸引ビジネスの会員権。ファンだった西原さんにいきなり200万円分をプレゼントするという、高須氏の破天荒な行動がきっかけで二人は出会った。しかし、当時はただの友人同士。当然、恋愛関係にはなかったがお互いの身に起きたことにより、関係は変わったという。/それは、パートナーとの死別。2007年と2010年にそれぞれの配偶者をがんで亡くしている高須氏と西原さん。立て続けに母親や愛犬と死別し、ひどく落ち込んでいた高須氏を西原さんが食事に連れ出したことを機に交際に発展。2012年に堂々と宣言をし、高須氏70歳、西原さん50歳の年の差20歳の熟年カップルとして知られるように。
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坂上が戸惑うほどのラブラブぶりに西原さんは「若い人みたいに、“この人のここが許せない”とかなる前に工夫できますよね。そんなに嫌いになる前に、一緒にいないとか、意見を戦わせないとか、流せるようになりました」と円満の秘訣を明かした。/仲睦まじい二人だが、事実婚関係を続けるわけは、ある考えに基づくものだという。高須氏は「籍を入れると面倒なことばっかりなんですよ。両家の結びつきとか、そういうものになってくるので。僕は彼女を個人的に好きで、いろいろなしがらみは全部なしで付き合いたいものですから。お互い、独立した人格で互いを認め合っていますから」と言う。そして今後について「とにかく、僕が介護とかそういったことは一切やらなくていいと言って。始めから宣言しています。親父が死んだ後に、親父の遺産で争うくらい悲しいことはない。死んだ時に全部すってんてんになるように計画しているんだけど、思ったより早く死んじゃうと(遺産が)残っちゃうから」と話した。/また、高須氏は西原さんへゴルフ場の会員権と愛車を遺すと言っているが、西原さんは「ゴルフもしないし、免許もないし、いらない」と、利害関係にとらわれていない関係だと見せた。ただ、西原さんは高須氏が“全身がん”だということに、不安を抱いているという。「私は前の夫もがんで亡くしています。『どっちみち僕が先に逝くんだから』や『一緒にいる時間をとにかく大事にしよう』って。『笑っていこうね』と言われて、その通りだなと思って。『ケンカする時間がもったいないよ』って。若い時は意地を張ってケンカをしたけど、もうそんなことする暇はないんだなと思って」と動揺する西原さんを高須氏が励ましたようだ。
さらに、まるで自分の体を実験台のようにしてがんの治療を行う高須氏に西原さんは「みんな、苦しんでいるでしょ。そしたら、手本になるがん患者でいようと。『こんなに行動できる』や『こんなに動ける』と、治る病気であることを医者として実践したいんじゃないかと思います」と高須氏が抱く医師への覚悟を語った。「直撃!シンソウ坂上」毎週木曜 夜9:00~9:54』

●最後の講義 西原理恵子


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※「りえさん手帖」では、下品な言葉連発で空気が凍った、などと
描いていたが、この動画ではそういうシーンはカットしているのかな?
すごーくためになるいい講義に見えるなぁーw

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※若き日の写真が出るたび、保存しておきたい衝動に駆られたや~♬

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毎日かあさんの1巻2巻あありは神懸かり的に面白かったヨナアーーー。


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※西原さんが、自身を「ごうりき」に見立ててるところがツボ!w

西原理恵子の患者通信
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〜誰にも言えない女性の悩み 高齢出産メリット&デメリット編〜
『デメリットばかりが取り上げられがちな高齢出産ですがメリットもあります。今回は高齢出産のメリット&デメリットを西原理恵子先生が漫画を通してお届けします。』

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※風呂から出没する謎の老齢カップル!超シュールだ・・・w

NEWSポストセブン 高須院長 レーダー照射問題に憤怒「韓国はフェイク国家」
『高須:これはちょっと難しいよね。たとえば、北朝鮮フェイクニュースであれば、基本的に無視すればいい。でも、それは世界中が北朝鮮がフェイク国家であることを知っているからできることなんだよ。じゃあ、今の韓国はどうかというと、知見の深い人々であれば韓国が嘘つきだということは理解しているだろうけど、そこまで韓国の本質は知られているわけではない。だから、韓国の嘘を信じちゃう人もいる。それで日本は風評被害を受けるわけだから、たまったものではないよ。これで、もしも韓国がもっともっとひどい嘘をついてくれれば、世界中がフェイク国家であることを認識してくれて、日本も対処がラクになるのになあ…なんて思っちゃうね。なんなら、韓国をもうちょっと煽ってあげて、世界中が目を疑うような明らかな嘘をつかせるほうがいいのかも。さすがに極論だけどね(笑い)。
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  それにしても、もしも、日本政府がいきなりこんなひどい嘘をついたとしたら、それはそれは世界中からバッシングを受けて、大変なことになるはずだけど、韓国の場合はそうはならないんだよなあ。韓国政府が何をしようと世界的な関心事ではないということなのだろうね。韓国は日本に嫌がらせをする前に、ちゃんと世界に興味を持たれる国になってほしいよ(笑い)。──日本としては、もはやまともな協議は無理だと判断しているわけですが、果たしてこれでいいのでしょうか?/高須:ヘンに韓国に歩み寄るくらいであれば、協議をしないというのもひとつの選択ではあると思う。ただ、本来であれば、しっかり糾弾して、落とし前をつけさせるべきだろうね。「悪いことをしたら、ちゃんと謝らなければならない」ということを教えてあげなければいけない。ただ、どうして日本が韓国にそんな当たり前のことを教えなければいけないんだっていう思いもある。いつまで韓国は日本に頼っているんだよ。早く独り立ちしてほしいものだ。
* * *
  解決の糸口がまったく見えないまま悪化の一途をたどる日韓関係に、フラストレーションが溜まっている様子の高須院長。果たして、韓国をちゃんとした大人の国家に教育することはできるのだろうか?』



☆「プロレス今日は何の日」と「漱石と明治人のことば」をお届け~♪

(詳細は、1月1日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日2月1日(金)の、「プロレス記念日」は~?

年度・団体【2002年・新日本】
カテゴリー【名言】
見出し:『「明るい未来が見えません」』
『解説:武藤敬司小島聡らの選手ばかりか、フロント陣も含む大量離脱を招いたことから、オーナーである猪木が激怒。札幌・きたえーるのリング上で蝶野を現場責任者に指名し、返す刀で中西学永田裕志鈴木健想KENSO)、棚橋弘至をリングに上げ、「おめえは何に怒ってんだ?」と“闘魂問答”を仕掛けた。/その中で健想は「僕は自分の明るい未来が見えません!」と答えたが、猪木は「見つけろ、てめえで!」と、振っておきながら突き放し、次の棚橋へ。後年、本人は「こんなに長い間、語り継がれるとは思わなかった」と回想している。』

◎関連書籍、ニュース記事、試合動画、など。

●猪木問答 (笑)


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※「なら、なんで聞いたんだよー」と言いたげな蝶野w

KAMPBLOG 「猪木問答」書き起こし(グループトーク風)
『色々聞いておいて、マイク向けておいて「俺に言うなー」ですからね。蝶野が笑ってしまいそうなのもよくわかります。いやむしろよくこらえたというべきか。最後の一言で全部を台無しにするので、飛龍革命よりは日常生活への応用度は低いかもしれません。/流れをわかっている仲間たちと電車でやることがない時とかに再現してみたりすることで周囲の笑いをとれるくらいかな…?棚橋の「俺は!新日本のリングで!プロレスを!やります!」からの「まあ。それぞれの想いがあるから、それはさておいて」あたりは使えるかもしれませんね。クレーマー、モンスターペアレント、通勤電車内のいざこざ…世知辛い現代ニッポンにはそこかしこに怒りがあふれています。そんな怒りを見かけたときに「お前は怒(いか)ってるか?」「誰にだ?」と問いかけてみてください。「全日に行った武藤です!」と返ってきたらそれは中西学本人かもしれません。』
※中西が端的に本音をいきなり喋っちゃったもんで、猪木もうろたえた
のかも知れませんね。返答がいちいち笑いを誘っていて、途中で投げやり
になってしまった可能性もありますヨ・・・。

スポイチ編集長日誌 猪木問答で学ぶ小山評定
『9月15日といえば、(旧暦で)関ヶ原の合戦の日らしいですが、その直前に、会津上杉家征伐の途上で石田三成挙兵の知らせを受けた徳川家康が、諸将を集めてその去就を問うた「小山評定」ってのがありました。この小山評定が何かと「猪木問答」に似てるなあと思ってたのでネタにしてみました。/家康:「オメーも怒ってるか!?」/細川忠興:「怒ってますよ!!」/家康:「誰にだ!?」/忠興:「ガラシャを人質にとった石田です!!!」/家康:「そうか。おめえはそれでいいや。」(本陣:笑)/家康:「おめぇは!?」/加藤清正:「すべてに対して怒ってます!」/家康:「すべてってどれだい?」/清正:「…………。」/家康:「言ってみろ。俺か?石田か?淀の方か?」/清正:「上方にいる全てです!」/家康:「そうか。奴らに気づかせろ。」(本陣失笑)/家康:「おめえは!?」/島津義弘:「僕は自分の退路が見えません!!」/家康:「見つけろてめえで!」(本陣失笑)/家康:「お前は!?」/伊達政宗:「俺は!上杉と戦って、百万石に、なります!!」(本陣大歓声)/家康:「…まあ、それぞれの想いがあるから、それはさておいて。」(本陣大爆笑)/さておかれてしまう百万石のお墨付き…。/家康:「なあ。おめえ達がホントの怒りをぶつけて、ホントの力を叩きつける、時代をお前たちが作るんだよ。オレに言うな!」(本陣大爆笑)/家康:「オレは三年…四年だ、内府になって。テメエ達の時代…テメエらの飯のタネはてめえで作れよ!いいか!!?今日はテメエらみんな握手しろ!!」(本陣どよめく)/家康:「ダー!!」(全員にビンタ)
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こんな家康はイヤだ。でも、配下からの質問には実は何一つ答えてないんだけど、なんか相手をその気にさせてしまうところが天下獲るだけあって両者似てるなあと思いました。』
※こういういろんなネタが、探せばごまんと見つかりそうだなぁーーーーーw

☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・
漱石と明治人のことば目次

【今日のことば】「あーまたこの二月の月がきた ほんとうにこの二月とゆ月かいやな月 こいをいパいになきたい」――小林セキ

【解説】
小林セキは、『蟹工船』『不在地主』などで知られるプロレタリア作家・小林多喜二の母親。明治6年(1873)の生まれで、30歳の折に次男の多喜二を出産した。多喜二と夏目漱石の三女・栄子とは、同い年ということになる。

多喜二が生まれたとき、家は秋田で農業を営んでいたが、やがて小樽に移り住んでパン屋をはじめた。セキが読み書きを学んだのは、息子・多喜二が獄中にあるときだった。思想弾圧の嵐が吹き荒れた昭和初め、非合法下の共産党員でもあった多喜二は繰り返し検挙され、ついには築地警察署内での凄惨な拷問の果てに死亡した。昭和8年(1933)2月20日のことだった。変わり果てた息子の遺体を抱きかかえて、セキは「ああ痛ましや、痛ましや」と涙に沈んだ。その後のセキは、毎年2月20日の息子の命日には、田舎から上京して集まる友人たちをもてなし、ともにその死を悼んだ。

セキが昭和36年(1961)に亡くなった後、多喜二の姉がその遺品を整理していて、セキがたどたどしい字で記した紙片を見つけた。今回のことばは、そこに書かれたもので、あとには、こんな文字がつづいていた。「どこいいてもなかれない あーてもラチオてしこすたしかる あーなみたかてる めかねかくもる」

全体を改めて整理すれば、こうなる。「ああ、またこの二月の月が来た。ほんとうに、この二月という月が嫌な月。声をいっぱいに泣きたい。どこへ行っても泣かれない。ああ、でもラジオで少し助かる。ああ、涙が出る。眼鏡がくもる」

そこに書かれていたのは、誰にも明かせなかった母の真情だった。過ぐる日、小樽文学館で対面した、小林多喜二の苦悶と崇高を宿すデスマスクを思い出す。今夜は久しぶりに、しみじみとラジオでも聞こうか。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「小林セキ」「」で動画検索してみました!!)

三浦綾子原作「母 小林多喜二の母の物語」ダイジェスト版

・キャスト
 寺島しのぶ(主演・小林セキ役) 渡辺いっけい(小林捨松)
 塩谷瞬小林多喜二) 山口馬木也(近藤牧師)
 趣里(=シュリ、滝口タミ) 松本若菜(長女:小林チマ)
 水石亜飛夢(小林三吾) 磯村みどり(金田夫人)
 神田さち子(山本夫人) 佐々木(タコ、草薙仁)
 宮本百合子(露のききょう) 赤塚真人(安田医師)
 浅利香津代(セキの母) 佐野史郎(阿部特高部長)
 徳光和夫(駐在) 《現代プロダクション制作》

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Amazon 母 (角川文庫) 三浦綾子(著)
→『■内容(「BOOK」データベースより):「わだしは小説を書くことが、あんなにおっかないことだとは思ってもみなかった。あの多喜二が小説書いて殺されるなんて…」明治初頭、十七歳で結婚。小樽湾の岸壁に立つ小さなパン屋を営み、病弱の夫を支え、六人の子を育てた母セキ。貧しくとも明るかった小林家に暗い影がさしたのは、次男多喜二の反戦小説『蟹工船』が大きな評判になってからだ。大らかな心で、多喜二の「理想」を見守り、人を信じ、愛し、懸命に生き抜いたセキの、波乱に富んだ一生を描き切った、感動の長編小説。三浦文学の集大成。
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/■登録情報:/文庫 244ページ /出版社 角川書店 /言語 日本語 /ISBN-10: 4041437172 ISBN-13: 978-4041437179 /発売日 1996/6/1 /梱包サイズ 14.6 x 10.6 x 1.2 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.6 /■カスタマーレビュー:佐藤則英 5つ星のうち5.0 「映画化が決まったので読んでみました。」2016年11月12日・・・山田日砂子監督が、三浦綾子「母」を題材に映画化することを知り、AmazonからDownloadした。小林多喜二の母の小説と思って読み始めたが、聞き取りだったことに驚かされた。秋田県大館市で生まれ育った母セキが、幼少の多喜二を連れて北海道小樽へ引っ越し、晩年までが描かれている。小樽に引っ越したとはいえ、セキの秋田弁を理解するのには、通訳が必要だったことが推測できる。とかく思い出話は、美化されていることが多いものであるが、八掛けで読んでも良書であることが伝わってくる。この本を読んで、小林多喜二壺井栄と交流があったことを知った。壺井栄Wikipediaで検索すると、「二十四の瞳」が反戦小説であることを知り、また、Downloadした。来年1月に放映されるのを楽しみにしている。大館市長がちょい役で出るようだ。』

☆多喜二役はなんと、あの俳優だった!
塩谷瞬ブログ LIVE IS LIFE 小林多喜二さんの魂に祈りを。
→『(2017年)2月20日小林多喜二さんが天に召された日。お墓参りをしてきました。全国から沢山の人が集まり追悼をしている姿を見て、藝術というものが時を超え人の心に残り続けることを心に刻みました。この日にこの場所に来れたことに運命を感じます。俳優人生の中で役を生き抜くというのはとても大切なことです。多喜二さんが思い、描いた良き社会になるように頑張って生きます。この映画が多くの人の心に届きますように。塩谷瞬 ー 闇があるから光がある ー』

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ジョニーAのつぶやき:冨永愛園山真希絵との二股交際を認め、謝罪会見したのはもう4年前のことなんだねえー。月日の経つのは早いものよ・・・。