いろいろと初めてのお店へ行ってみた(後編)

カフェプレイスMu(ミュウ)


Mu(ミュウ)公式HP
『モーニング、ランチ、夜カフェごはんが楽しめます。100種類以上の豊富なメニューとボリュームで大満足!アーモンドトースト付のモーニング、名物【逆オムライス】のランチ、季節で変わる【デザート・パフェ】は必食です。』

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※お洒落な外観。いつも10時過ぎに通るのでちっとも気付かんかったお店。
早い時間に来れる日は、これからどんどん寄せてもらお♬

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※焼肉スッペシャルランチなりん~♪

食べログ Cafe Place Mu
『☆クチコミ:島玉夫(904)さん・・・姫路と言えば、ボリューミーなランチを提供するカフェの”メッカ”と私的に位置付けている。コーヒー付きでこのボリュームで1000円未満はうれしいコスパ。今回は仕事仲間3人と突撃して、筆者は「豚生姜焼き+魚フライ」、一人は「牛焼肉+エビフライ」、もう一人は、「和風おろしハンバーグ+オムレツ」、全部うまそう!女性客が多かったが、われわれのような男性客でも十分満足出来る内容と思いますがな(^-^) /☆もんちゃさん・・・「コスパ◎のランチ」日曜日にランチで利用しました。予約なしで行きましたが、ちょっと遅めのランチだった為か、すぐに座れました。本日の日替わり定食は、鶏の照り焼きとサーモンフライとのことで、注文。美味しかったです!お味噌汁とサラダとドリンクも付いてました。満腹になりました!これで800円台とは!食後のコーヒーまで付いてこの値段はなかなかですよね。ケーキも美味しそうだったので今度はカフェで行こうかなと思います(^^)』

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※イチゴアイス、絶品~!

葡萄屋 姫路本店


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※車崎のお店は遅くまで営業していて、以前はよく利用していたが、本店は初!

●【特集】姫路城マラソン直前 グルメツアー (葡萄屋さんは3分25秒~)


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※ご飯も食べたんだけど、写真に撮り損ねた!無念!!デザートだけ、ハイパシャリ。

ら~麺 愚かものであれ


☆公式フェイスブックは2017年4月以降、更新止まっとるゾッ!
フェイスブック

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Retty らー麺 愚かものであれ
『「濃厚スープと平打ち麺の相性抜群、いつも賑わう人気のラーメン屋さん」このお店に行った人のオススメ度:63%/◎クチコミ:Tomoyuki Aboshi はじめて訪れました。MIXチャーシュー大盛りと平日17時半から24時は餃子が半額なのでチョイス、特製こってりで鶏ロースと豚ロースのMIXチャーシューでした。とろりととろけるような口溶け、とても美味しかったです。/◎Masafumi Takeuchi トウガラシ味噌が入った赤ラーメンとチャーマヨ丼を注文。濃厚なスープにトウガラシ味噌を混ぜ溶かし食べます。結構辛くて汗が出てきます。辛いの苦手な私でも食べれましたので激辛ではありません。チャーマヨ丼は細かく刻んだチャーシューに辛子マヨネーズがかけてあります。ほんのり辛子の味がして美味しいです。ごちそうさまでした。』

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※ラーメンやに入って、ラーメンを注文せなんだ。なーんかそういう気分じゃ
なかったのだ。喧嘩売ってると思われたかな?次はしっかりラーメン頼んまっ
す!オッス。

かどや食堂


●姫路!昭和レトロ老舗「大衆食堂かどや」の「おでんと中華そば」がたまらない!


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※今回はおでんだけで、ビールも控えた(車で行っちゃったかんね~~。)ので
ちょっと欲求不満だーーー!次回はぜったい、ビールと中華そばを、戴くゼイ!
 



☆「プロレス今日は何の日」と「漱石と明治人のことば」をお届け~♪

(詳細は、1月1日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日5月7日(火)の、「プロレス記念日」は~?

年度・団体【1999年・全日本】
カテゴリー【事件】
見出し:『三沢が全日本の社長に』
『解説:ジャイアント馬場他界から3カ月後、新体制が発表される。三沢社長、川田と百田が副社長、元子夫人と小橋らが取締役に就任。三沢全日本がスタートする。』

◎関連書籍、ニュース記事、試合動画、など。

全日本プロレス新人事詳細は以下の通り

代表取締役社長 三沢光晴
取締役副社長  川田利明
取締役副社長  百田光雄
専務取締役   大八木賢一
取締役     馬場元子
取締役     渕正信
取締役     田上明
取締役     小橋健太
取締役     百田義浩
取締役     馬場幸子
監査役     大峡正男
選手会会長   田上明

●1999年の三沢光晴 (社長就任5日前の死闘)7分34秒


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※必殺のエルボー・スイシーダ!格好良かった!

☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・
漱石と明治人のことば目次

【今日のことば】「オカアチャン、オクチ、スズメサンミタイ(口をとがらせたのを)」――金子みすゞ

【解説】
金子みすゞは、明治36年(1903)山口県の生まれ。本名テル。20歳の頃から、信濃の国の枕詞である「みすゞ」をペンネームにして童謡詩を書きはじめた。彼女の詩には、人をはっとさせ胸を揺するようなイマジネーションの飛躍があった。たとえば、次の詩。

「朝焼小焼だ/大漁だ/大羽鰯の/大漁だ。/浜は祭の/ようだけど/海のなかでは/何万の/鰯のとむらい/するだろう。」(『大漁』)

西条八十は、その才能を高く評価し、「若い童謡詩人中の巨星」という称号まで贈った。そんなみすゞの才能を無理矢理に封じたのは、そぐわぬ結婚だった。封建的で放蕩児の夫は、横暴にも、詩作ばかりか文通さえも禁じた。みすゞは25歳で童謡詩人としての筆を擱(お)く。

みすゞに残された唯一の生き甲斐は、幼い愛娘ふさえだけであった。ふさえの発する愛らしくあどけないことばを、みすゞは手帳に採録していく。山口県長門市金子みすゞ記念館を訪れて、その手帳を手にとって見たことがある。縦13センチ、横9センチほどの大きさだから、紙の規格サイズでいえばB7判。あずき色のクロス張り表紙。表紙をめくった最初の扉部分の中央に、まるみを帯びた字体で「南京玉」と書かれている。

掲出のことばも、その手帳「南京玉」に書かれていたもの。母と娘の温かな心の交流が覗く。こうしたことばを書きつけることで、みすゞは辛うじて詩人の魂に命の糧を与えようとしたのである。だが、それも1年もつづかなかった。みすゞは耐えきれず離婚を決断するが、夫は娘を渡さないと言い張り、みすゞを追い込んだ。行き場を失ったみすゞは、とうとう自ら命を断つ。両親あての遺書には、こんなふうに書かれていたという。「ふうちゃんを頼みます。今夜の月のように私の心も静かです」26年という短すぎる生涯であった。

※ひええーー、壮絶な人生だったんスねぇーーー。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「金子みすゞ」「不幸」で動画検索してみました!!)


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金子みすずを訪ねて・・・仙崎紀行


ジョニーAのつぶやき:金子みすゞ記念館、行ってみたいヨォーー。