【寝ずの番】上方落語の皮を被った・・・

さっそく観て来てしまった。六代目・笑福亭松鶴をモデルにした、お通夜バラエティ(そんなジャンルあるんか?)『寝ずの番』を。観る前に仕入れていた感想BBSの類では、賛否両論、真っ二つ!!「最初のお○○のエピソードが一番面白く、あとは尻すぼみ」という意見あれば、「もう会場はドッカンドッカンの大受けでした!」という現場報告まで。。。さてさて一体、自分にとってはどっちなのか??興味津々でワーナーマイカルシネマズ加古川へと向かう。


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基本的には、中島らもさんの原作ストーリーを忠実に映画化していた。若干のエピソードの前後や、省略が入ったものの、らもテイストは十二分に伝わってきて、ホッコリ温かい気分にもなれた。。。だがしか~~~し・・・コレはかなり言いたい事もイパーイ出てきたのだった。詳細はあらすじ引用の後で・・。


ココログ 寝ずの番 公式

ヤフー・ムービー 寝ずの番

《ヤフー・ムービーからストーリー解説引用》

●解説: 俳優の津川雅彦が、偉大なる映画人である祖父のマキノ省三、叔父のマキノ雅弘からマキノ性を襲名し、マキノ家3代目監督マキノ雅彦として初メガホンを取った意欲作。故・中島らもの人情喜劇を原作に、お通夜の席で寝ずの番をする故人ゆかりの人々の人間模様を、愛情に満ちた視線で紡ぎ出す。主演の中井貴一をはじめ、映画界、落語界から豪華なキャストが集結。魅力あふれる登場人物たちによる、洒落と粋を追求した世界が心地よい逸品。


●ストーリー: 100年に1人といわれた稀代の噺家上方落語界の重鎮である笑満亭橋鶴(長門裕之)は、臨終の時を迎えようとしていた。弟子たちが見守る中、一番弟子の橋次(笹野高史)が死にゆく師匠に最期の願いを聞くが、呆気に取られる珍妙な答えが返ってきた。驚きつつも橋次は、弟子の橋太(中井貴一)に指示を出すが……。


製作年度 2006年  製作国・地域 日本  上映時間 110分  監督 マキノ雅彦

原作 中島らも  脚本 大森寿美男  音楽 大谷幸

出演もしくは声の出演 中井貴一木村佳乃 、木下ほうか 、田中章土屋久美子


加古川の劇場は3~4分の入りで、さほどウケは良くなかったように思う。冒頭のお○○話でクスクス、途中のエイの話でドッ、最後のマチャアキの歌にザワザワ、それぐらいの反応しか伝わって来なかった。何か乗り切れないのだ。先述のように、らもさんの原作通りの面白いエピソードが散りばめられているのに、役者も巧い人を取り揃えているのに、とりたてて脚本がマズいわけでもないのに・・・何なのだろうこの違和感。。。新鮮な素材を、一流の料理人に、正しく調理して提供したのに、出来上がった料理はイマイチ美味しくない~みたいなこの感覚w


らもさんの原作本を買って、パラパラと捲る。巻末に監督のマキノ雅彦氏(津川さんネ)の感想が載っていた。それをツツーッと読んで、その違和感の正体がおぼろげに解った気がする。監督は「下品にならないように」撮影したのだという。下ネタは扱っても、それでいてお上品な、ちょっと小粋な作風を目指されたものと見える。でも、それって、上方落語界の芸風とは相容れないんちゃうん!???そこなのだ。この映画は、関西弁を使って、上方落語の世界を描くフリをして、実は江戸落語の世界に近いテイストを持ってしまっているのだ。してみると、冒頭で紹介した、劇場がドッカンドッカン沸いていた、というのは、非関西圏での劇場だったのかも知れない。要は、元ネタなど知らず、最初っから東京の話だと思って(言葉の不備はあるけど。その変換の方が楽にできそう。)観てれば、普通に違和感なく笑ってられたと思う。らもさんの話をモチーフにして作った江戸落語の話だと思えば。先述の料理人の例で言えば、要するに、

一流の板前さんに、フランス料理作らせちゃったようなもんじゃないかね~。


さらにこんな指摘をしている人もいた↓

おたべちゃんのシネマシネマ 寝ずの番


見た目での違和感の元。そうか、スーツだ。それ、大きい。イメージとしては、仁鶴さんや鶴光さん、鶴瓶さんあたりが、黒の紋付の着物を着ているシーンを想像できないせいで、しっくりこなかったのだ。で、あと、やっぱり、元々関東圏の人は、いくら関西弁を上手に操ろうとも、根底のところで、大阪の笑いを解ってなさそうで、あとだいたいビジュアルが・・・中井貴一みたいなシュッとした顔立ちは、関西圏では生まれんやろう~・・・。監督はそのキャスティングに一番こだわったようだが、その出発点からしてズレてたんちゃうかなぁ~~~~~。たとえば、そうやねー、生瀬 勝久さんあたりを起用してたら、エイのエピソードなんか抱腹絶倒のシーンになってたろうになぁ~、と思う。中井貴一は、カッパやタヌキとCM共演してオチャラケていても、どこか冷めてる感じなのだ。


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映画化にあたって、らもさんや、桂吉朝 さん、鶴瓶さんらと念入りな打ち合わせもしていたというマキノ監督。前者2人が映画完成を見ずしてお亡くなりになってしまう、というのも映画のストーリーと符丁してチョット不吉だが(鶴瓶さんお大事にw)、どうせなら、もっと松鶴師匠の人柄を端的に表した、生のエピソードを盛り込んで欲しかったナ。講座の途中でオチを忘れて「これでやめま!」と降りてしまった話や、昔はヒロポン打って仕事してた(「疲労がポンと飛ぶからヒロポンやぁ~!」て言ってた)話、鶴瓶さんには結局一回も稽古をつけてやらず、訳を聞いたら「お前、キライや!」ってズバリ言われた話とかw→鶴瓶さんのエピソードは細かく分けて何人ものエピとして使われてたみたいですねー。


らもさんの原作本との細かい違いや比較考察がココに詳しい↓

寝ずの番のページ


松鶴師匠の5番弟子である松枝さんが書かれた本『ためいき坂 くちぶえ坂』に、6代目のお通夜の後の様子が書かれている。それを抜粋させてもらって、本映画の感想の締めくくりとしたい。


ためいき坂くちぶえ坂 松鶴と弟子たちのドガチャガ

《引用》

「仮通夜、通夜の客の退けた後は誰にも憚ることはない。酒も入り、ささやかな事にもよく泣き、よく笑った。松鶴の棺を前に彼らは、無邪気にじゃれあった。棺桶から遺体を出し、カンカン踊りをさせようと言う者迄あった(筆注:「らくだ」の中にこういう場面がある)。」


「言葉が途切れると、ふいに寂しさに襲われる。拭うように、又誰かが糸口を掴む」


松鶴は今改めて、弟子一人一人の松鶴になった」


「一部始終、棺の中から松鶴が見ていたような気がして、松枝にはおかしかった」


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