【東西の個性派漫才師2人、逝く・・・】
元雨空ライポ、現〆さばヒカルさん、死去
TV芸能の話題を時事問題と絡める手法は、東京のお笑いさんで喩えるなら“爆笑問題風”っていうのが一番しっくりくるんだろうが、あえて言おう。このスタイル、松竹芸能のシンデレラエキスプレスに酷似だと♪余計な一言でどこまでも引っ張ろうとするボケは、シンプレ渡辺を髣髴とさせる。渡辺は基本的にツッコミなのだが、ボケの松井に乗っかってツッコミながらボケるという荒業を得意とする。〆さば漫才を聴いていて、そんなシンプレ風味を感じ取った。いわゆる一般受けこそしないが、一部のマニアックなファンを惹きつけて止まない、という根っからのマイナー芸人。。。音源を聞いていて、観客の受けている様子にも顕著にそれが感じ取れた。何とも懐かし~い感触だ。耳心地よいことこの上なし!もっともっと、〆さばの漫才も聴いてみたいんだが・・・残念ながら探しきれないでいる。。。ご存知の方、おられたら教えてたもれ。
吉本興業所属のお笑い芸人・清水キョウイチ郎さん(本名=清水共一、41歳)が大阪市内の自宅で肺血栓のため4日早朝に急逝していたことが6日、分かった。連絡が取れないため、同社関係者が5日に自宅を訪れた際、倒れているところを発見した。
◆ 突然の訃報に芸人ら絶句…漫才で一世風靡 ◆
関係者によると、清水さんの最後の舞台は先月31日に大阪・うめだ花月で開催されたケツカッチン高山トモヒロのイベント。7日からは大阪・なんばグランド花月の吉本新喜劇に出演する予定だった。突然の悲報にメッセンジャーあいはらら親交の深かった芸人も肩を落としているという。
清水さんは1988年に新井正浩さんと結成した漫才コンビ「ぴのっきお」で一世を風靡(ふうび)。その後、解散してから新喜劇に入団した。「ぴのっきお」ではABCお笑い新人グランプリ審査員特別賞を受賞するなど注目されていた。
▼内場勝則(吉本新喜劇座長) 人柄の良さで潤滑油として新喜劇を明るく楽しく和ませてくれました。可愛い後輩の1人。天国でのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
▼ケツカッチン・高山トモヒロ 先輩やけど、昔から友達のように接していた兄さんだけにより一層つらいです。発見された日に、ほんまにご飯に行く約束をしていたのに…。
▼メッセンジャー・あいはら ええとこも、悪いとこも全部ひっくるめて憎まれへん人で、血のつながってない身内のような人でした。
▼メッセンジャー・黒田 こんなにインパクトの強い芸人は見たことがなかった。最後までみんなに迷惑をかける人でしたが、可愛がられる人でした。
[ 2006年11月7日付 紙面記事 ]
ハプニングに対する機転が利かず、アドリブに弱い(後述)。新喜劇の舞台の上では端役が多かった。
/2006年2月4日放映分のよしもと新喜劇『帰ってきた若頭』に、医者役で出演。体調の優れない井上竜夫を診察するシーンで登場する。その際、「薬は朝、昼、晩の2回で飲んでください。」とボケるはずだったのが、「薬は…絶対3回に。」とマトモなことを言ってしまい、すかさず看護師役の仙堂花歩が「違いますよ、先生。薬は朝、昼、晩の2回で飲んでください。」とフォローされた。これ以外にも様々な台詞、所作を度忘れしてしまい、周りの座員は何とかこの場を切り抜けようと「もうええから!!」と、清水を制止するも清水はやめる気配を見せない。また、喉を見るためにペンライトを胸ポケットから出そうとするが、事もあろうに入れ忘れており、何で代用しようか焦っているうちに烏川耕一から突っ込まれてしまう。以降、顔は引きつり、台詞はタジタジの連続であった。ボケ専門の安尾も「先生のおかげで皆、何もしゃべってへんのに汗だく!!」と突っ込むシーンがあった。事実、その場にいた平山・松下もテレビ画面で額がテカるぐらい汗をかいていたのは紛れもない事実である。
あの人は急に止まってまう、病気やねんっ!! |
ゆうて。
個性派という意味では突出していたんじゃなかろうか。『やりすぎコージー』にも出演して、徐々にその不思議な魅力が開花しようとしていたようにも見えたというのに・・・。実に残念だ。
まるで生き急ぐかのように、早くにお亡くなりになるお笑いタレントさんって、意外と多い気がする。
生前、大いに笑わせてくれて、今は星となったお笑いタレントの皆様方へ。
星になっても、相方探して頑張っとくれよっ♪♪ |