【いわずにおれない】まど・みちおインタビュー
まど・みちおさんという詩人がいる。なんと今年で、おん年98歳!まだまだ現役でバリバリ作詞活動
をしておられるというから凄い!その、まどさんのインタビュー、詩、絵などを収録した本を先日、
読み終えた。
簡易な言葉を使い、ひらがな中心に、自然体で仕上げるその作風は、人柄を偲ばせ、穏やかな心持ちに
させてくれる。不思議な魅力を持った言の葉ばかりなのだ。本の帯コメントは谷川俊太郎さんが書かれて
いる。こんな文句だ。
まず、これまた有名な「ぞうさん」の歌詞について。
たとえば「ぞうさん」でしたら、〈ぞうさん/ぞうさん/おはなが ながいのね〉と言われた子ゾウは、からかいや悪口と受け取るのが当然ではないかと思うんです。この世の中にあんな鼻の長い生きものはほかにいませんから。顔の四角い人ばかりの中に一人だけ丸い人がおったら、本来はなんでもない「丸い」っちゅう言葉が違う意味をもってしまう。われわれ情けない人間だったら、きっと「おまえはヘンだ」と言われたように感じるでしょう。ところが、子ゾウはほめられたつもりで、うれしくてたまらないというふうにくそうよ/かあさんも ながいのよ〉と答える。それは、自分が長い鼻をもったゾウであることを、かねがね誇りに思っていたからなんです。小さい子にとって、お母さんは世界じゅう、いや地球上で一番。大好きなお母さんに似ている自分も素晴らしいんだと、ごく自然に感じている。つまり、あの詩は、「ゾウに生まれてうれしいゾウの歌」と思われたがっとるんですよ。(p.10)
小さい頃、この歌を聞いて、漠然と不思議に思っていた。「お鼻が長い理由」を聞かれて「母さんも
長いのよ」では答えになっていないではないか、とwじゃあお母さんはなんで鼻が長いの?おばあさん
は?ひいばあさんは??と延々問答が続いてしまうではないか、と。
しかし、コレを読んで納得した。「お鼻が長いのね」はある種、からかいの意味を含む問いかけだった
わけだ。それに対して、子象はゾウであることを、逆に嬉しく思っている、と宣言する。自信を持って。
素直に。母親と似ていることの誇りを謳い上げる。
ろがあろうとも、自分は自分。この世に一つだけの、かけがえのない自分。
まどさん自身が好きだという、ノミの詩も引用したい♪
ノミが ノミだったとは
ゾウではなかったとは
とめないような細かい事象を、自分と同じ目線で感じ取り、詩にする。
実際には理解しあえない物同士でも、それでも何とか解り合おうと努力する大切さを教えてくれる。
相手が人間であれ、他の動物であれ、あるいは植物であれ・・・
桜に対して詠んだ次の詩も、心を打つ。
いちどでもいい
ほめてあげられたらなあ・・・と
さくらのことばで
さくらにそのまんかいを・・・
そういう身の回りの小さな素材から、宇宙の意思を感じ取れるような大~きな素材まで、まどさんは
詩に表現する。
読み上げたという有名なフレーズ(の一部)。
その頭は きっと
宇宙のはてを ゆびさしています
けれども そのときにも
足だけは
みんな地球のおなじ中心を
ゆびさしています
成分が組み合わさって生きものになっているのだから、ぜんぶ生きものの母なのだ。そういう感覚だか
らこそ、全てのものに対する、優しさ・温かさを基盤にした創作活動ができるんだろうなぁ~。
まどさんの語ってくれたエピソードで気に入ったのがあったので、まずそれから紹介する。
→ 軍隊の訓練中、戦友の近藤が横に座った。帽子に刺繍してある字を読むと、“チイズカウドンコ”と
書いてある。何のことかと思ったら、実は左右逆に読んでいたのであって、本当は“コンドウカズイチ”
(近藤和一)だった。しかもそいつが、元コックだった事を思い出し、まどさんは可笑しくて
一人でクククク・・・って笑ってたそうな。
人なんだろうなぁ~。「がいらいごじてん」や「木の字たち」も好きだなー。思わず引用www
とうとう
やじるしになって
きいている
うみは
あちらですかと・・・