【三沢さん】2chプロレス板の背景は今、エメラルドグリーン

いま、2ちゃんねるの「プロレス板」は、三沢のタイツカラーである鮮やかなエメラルドグリーンに彩られている。

普通ならば喪中の白黒にするところだろうが、まだ誰も三沢さんの死というものに実感が湧かず、現実に追い

つけずにオロオロしている、といった状況ゆえに、三沢カラーであるこのグリーンが、その哀しみを癒す働きを

担っているかのようでもある・・・。今日は、レスラーをはじめ、いろいろな方が書かれた、三沢さんへのメッセ

ージを集めようかな。



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川田利明 『信じられないとしか言いようがない。今でも信じたくない』

スポニチ・アネックス 後輩・川田のメッセージ


●馬場元子: 『馬場さん、怒っちゃだめですよ。「お前、なぜこんなところに来たんだ。まだお前がくるような世界じゃない。バカ野郎!」と言いたいでしょうけど』

ターザン山本の煩悩菩薩日記 諸行無常


渕正信(ノア):三沢光晴の突然の死に言葉も出ない…。ショックである。彼との思い出はあまりに多過ぎる。御冥福を心よりお祈り致します。』

オフィシャルブログ 酔々ブルース


福沢朗(アナウンサー): 『三沢さんはいつもこう言っていました。「いつもベストな試合はできないよ。ただその日に出来る限りの試合はしないとね。」受け身の天才がどうして?という気持ちが拭えません。きっと、その日も決して万全ではないコンディションで、でも出来る限りの試合をしようとリングにたったのでしょう。社長業とのレスラーの二足のわらじは想像に絶する苦労があったと思います。お疲れさまでした。天国で、ジャイアント馬場さんやジャンボ鶴田さんと一緒に「超時代軍」としてプロレス界の今後を見守っていただきたいと思います。』

生エッセイ ボンキシャ!?


コマンド・ボリショイ 『昨日の試合、大会に関わった方々の心中を察します。今日も沢山の興行が予定されている。JWPも。。等身大の選手たちは色んな葛藤と戦いながら、それでもリングに上がる。こんな時こそ応援してほしい。今日、興行開催される方々、どうか皆さん無事に素晴らしい興行になるように、全力を尽くしてください。。』

ボリショイ記 三沢さん。。。


山宮恵一郎(格闘家): 『今から7年前、まだ自分がパンクラス所属だった当時、初めてディファ有明で試合をした時の事。ディファ有明の青コーナー側の控え室の隣には『プロレスリングNOAH』の事務所がある。その試合青コーナーだった自分は、試合前にトイレに行ったら、たまたま事務所に来ていたと思われる三沢さんがいた。面識は全くないが、この世界の大先輩である事には変わりがないので、トイレ内ではあったが、「お疲れ様です!」と挨拶をした。すると、三沢さんは小便をしながら振り返り、「うーし。」と、全く面識のない自分に応えてくれた。こんな小さな事だが、元々プロレスファンから来ている自分としては凄く嬉しかったのを覚えている。/まだ46歳。本当にショック。何で、よりによって三沢光晴が?と思う。もう二度と、その姿が見れないと思うと本当に悲しい。まだまだ試合が見たかった…。心よりご冥福をお祈り致します。』

やまみやけいいちろう日記


●スタン・ハンセン: 『あの(エルボウの)凄まじさが、わたしのあごに残っている。昨日のようにね。特に92年の夏のタイトルマッチは忘れられない。」(92年8月22日、同氏は全日本の3冠ヘビー級選手権試合で三沢さんに敗れ、王座を明け渡した。)「エルボーをあごに食らい、場外に吹っ飛ばされた。それを知ったのは負けてから。あのエルボーで、オレは初めて記憶をなくしたんだ…」三沢さんが全日本退団後は疎遠になり、望んでいた再会はかなわなかった。「タフな戦いをありがとう。安らかに眠ってください」』

ニッカンスポーツ.com ハンセン氏「記憶なくしたあのエルボー」


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永田裕志新日本プロレス): 『三澤さんとは何度かタッグマッチで戦ったことがあったが、ひとことで言うととにかく大きな人だった。格下だった自分に対して正面からガッチリ受け止めてくれ、その分お返しは半端じゃなく強烈だった。最後にお会いしたのが今年の1月3日、東京ドームホテルでの記者会見前に挨拶した時でした。体調はかなり悪そうだったが、どんな試合でも相手の技を正面から受け止めるファイトは翌日のドーム大会でも健在だった。本当に残念でたまらない。三澤さんにはまたまだ業界の象徴として現役で頑張っていて欲しかった。心よりご冥福をお祈り申しあげます。』

サンダーデスブログ おくやみ


小島聡全日本プロレス): 『何から話していいのか分かりません。何を話していいのか分かりません。事実を事実として受けとめられないし、受けとめたくありません。プロレス界の大先輩。誰もが知っている業界のリーダー的存在。同じ職業に就いているけど憧れの人。ご家族やファンの方や会社のかた達の気持ちを思うと、やりきれない思いが込み上げてきます。三沢さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます』

コジログ 突然の訃報


高木三四郎(DDT):三沢光晴さんの突然の訃報。未だに現実を受け入れることができない自分がいます。2年ほど前に試合をさせていただく機会がありました。コミカルもシリアスも全て受け入れる度量の大きさに、一流のプロレスラーとはかくあるべきだと思いました。一レスラーとして、そして選手スタッフを率いる団体の長として心から尊敬しておりました。心よりご冥福をお祈りいたします。』

新宿御苑ではたらく社長レスラーのブログ 心よりご冥福をお祈りいたします。


西尾美香 『突然の訃報にいまだに信じられずにいます。一度だけですが三沢さんとご一緒させていただいたお席がありました。色んな意味で大っきくて優しい方だな…そんな印象が今でも鮮明に残ってます。偉大な方を失った喪失感とやはりプロレスラーは大変な仕事だとあらためて、端くれの自分自身、私の周りの方々を思い返し実感。これから試合する方々、どうか無事に、これからもこのような事がないように終わりますように。心よりご冥福をお祈りいたします』

http://blog.livedoor.jp/mika_revo/archives/51281686.htmlミカシン~美香神言~ 


グレート小鹿大日本プロレス): 『確か1981年の春頃だったと思うが、それまでは良い新弟子が入らなくって新日本プロレスが羨ましく思って居た頃でした、5・6人が一度に入って来て馬場さんも喜んで張り切っていましたが10日間くらいで4・5人が集団でいなく成ったのです。/残ったのが三沢選手ともう一人くらいで馬場さんが偉い剣幕で怒り出しまして俺に残った奴に聞いて来いと怒鳴られ彼に聞きに行ったところ分かりませんの一点張りで口を割りませんでした。その時に彼を殴りましたが最後まで出て行った新弟子の事は聞けませんでした。/その頃から仲間を思いやり人の悪口を言わず責任感を持って行動をして居た彼の事を思い浮かべれます、前文で話をしましたが此れほどのハードな試合をこなした訳は口より行動だよと態度で示した事の結果だと思うが、頭・首の繋がりの部分、今までの疲労の蓄積が今回の事故に繋がったと俺は思いますがこのブログを見ているみなさん達はどの様に考えますか!/今、ノアにいる選手たちよりも少ない月日かも知れないが彼に対する思いを此処で話しをしていきたいと思います!今日は、今回の事故を認めたくなくて思い出しながらただただPCのキーを叩いて居るだけです。』

小鹿注意報 どの様に考えても三沢社長の事故死が納得いかない!


高崎計三(ライター): 『2002年頃、とある媒体の仕事で、三沢さんにお話をうかがう機会がありました。1回のインタビューではなく、定期的なもので、2ヵ月に1回で足かけ1年、つまり6回、インタビューしたわけです。/その都度テーマを設定して、それに沿って聞いていくというもので、あるときは「プロレス」そのものがテーマでした。デビューする頃の思い出、キャリアの中で印象に残っている試合、続けていく中でプロレスについて考えたこと…などを聞いていった中で、最後の方にした質問が「今、格闘技が人気を得ていることについてはどう思っていますか?」でした。/02年といえば、格闘技では夏に国立競技場で「Dynamite!」が行われ、ボブ・サップらが大人気の頃でした。現にこの年の末に決まった「2002年度プロレス大賞」のMVPは、サップが受賞しています。格闘技人気の台頭で、プロレスは厳しい……という見方が大勢を占めてきていた頃で、そんな背景を受けての質問でした。選ぶのはお客さん、俺たちは飽きられないように頑張っていくしかない……そう答えた上で、三沢さんはこう言いました。「こんな面白いものをなくしちゃいけないからね」/正式なインタビューという仕事の席で、プロレスリング・ノアの関係者の方も同席されていたにもかかわらず、自分はこの言葉を聞いて泣きそうになってしまいました。三沢さんのこの言葉は、今でもあの声と口調のままで思い出すことができるほどです。/当時でもかなり多様化していたプロレス界は、さらに様々な変化を遂げて、今に至っています。プロレス界全体が、大変な状況にあるのも確かでしょう。ですが、三沢さんのこの言葉が持つ意味は、いつも変わらないと思います。自分から立案して、媒体にも交渉して始めた企画でしたが、この言葉を聞いたとき、本当にその仕事をやってよかったと思いました。それは嘘も誇張もなしに、今も変わらず思っています。』