【デニス・ホッパーさん死去】元祖ちょいワル親爺

デニス・ホッパー氏がお亡くなりになった。癌で余命いくばくもないという報道は見知ってはいたものの・・・

いざ、その日が来てしまうと、やはり「信じられない」との思いが先に立つ。


シネマトゥディ デニス・ホッパーさん、74歳で死去 『イージー・ライダー』で一世を風靡

前立腺がんで余命わずかといわれていた俳優のデニス・ホッパーさんが29日午前8時ごろ、カリフォルニアの自宅で死去した。74歳だった。彼は家族と友人にみとられて静かに亡くなったという。/デニスさんは昨年10月に前立腺がんであることを公表。12月にシダース・シナイ・メディカル・センターに入院するも、年が明けて今年の1月にがんが骨に転移し、余命わずかであることを友人にもらしていた。

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その後、現在の妻で結婚して14年になるヴィクトリアさんとの離婚を申請し、世間を驚かせた。しかし、離婚協議はスムーズに進展せず死の淵で妻との泥沼の離婚劇が繰り広げられた。デニスさんは生涯で5回結婚しており、ヴィクトリアさんは5人目の妻になる。/そんなデニスさんではあったが今年の3月にはハリウッドの星を受け、デニスさんの娘や孫、さらに1969年の映画「イージー・ライダー」で共演した盟友ジャック・ニコルソンや友人のデヴィッド・リンチ監督も駆け付けたデニスさんの栄誉を祝った。その席でデニスさんは「ハリウッドは家であり、学校であった」とコメント。「人生のすべてを皆さんから学んだ。これは僕にとって大変重要なことだ。皆さん本当にありがとう、そしてハリウッドにも感謝します」と喜びを語っていた。/デニス・ホッパーさんが監督・脚本・出演した「イージー・ライダー」は世界中で大ヒットし、アメリカン・ニューシネマの代表作として映画史に残る作品となった。また、「理由なき反抗」で共演したのをきっかけに、若くして亡くなったジェームス・ディーンと友人になり、深い影響を受けたといわれている。一時はアルコールとドラッグにおぼれるが1980年代には自らの力で克服し、精力的にテレビドラマや映画に出演していた。主役から悪役、脇役とオールマイティーな演技力で出演作は数多く、「スピード 」「ウォーターワールド」「スーパーマリオ/魔界帝国の女神」など幅広いジャンルで活躍した。最近では、ジャック・バウワーが主演の人気テレビドラマ「24 TWENTY FOUR (シーズン I)」での演技も印象に残る 。2008年より放送が始まったアメリカの人気テレビドラマ「crash クラッシュ」にも出演していた。』


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※西原さんの本で、小さい頃に影響を受けたと言ってた『イージー・ライダー』・・・観よう観ようと思ってる

うちに、DVD借り損なってたんだわなぁ~~~。今度絶対に借りてきて観るぞ~♪あと、「勝利への脱出」

ブルーベルベット」などもいいらしい。「スピード」のいかれた爆弾魔の雄姿ももっかい観ておきたいなー?



タイム・ワープ 余命わずかのデニス・ホッパー、笑顔で「ありがとう」

『今年3月28日の記事より引用:末期の前立腺がんで余命わずかと宣告された男優デニス・ホッパーが現地時間26日、ハリウッドの殿堂「ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム」にその名を刻むため行われた式典に出席した。/闘病生活で弱々しく痩せ細った身体と、それに追い打ちをかけるように、パパラッチに気を取られ転んだ際に負ったという頭と手のケガがなんとも痛々しいデニス。「家を出た時に、誰かが大声で“デニス!”って呼んだんだ。だから歩きながら見回してみたら…顔面からうつ伏せにひどく転んでしまった。私には筋肉が無いからね。しかも手にメガネを持ってたんだ。痛みで顔がゆがんだよ」と明かした。原因となったパパラッチに対しては「パパラッチがキツイ仕事なのは知っている。だけど、時にはちょっと気にかけてほしいな」と優しく注意した。/だがそれでも、この名誉ある式典に出席することが良いという医師の判断で姿を見せたデニス。式典には6歳になるデニスの娘(Galen Grier Hopper)を含む家族、男優のヴィゴ・モーテンセン、さらには名作「イージー・ライダー」で共演した盟友ジャック・ニコルソンが駆け付け、これ以上ないくらい幸せそうな笑顔を見せていた。』

※それにしても6歳の娘ってw


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※一番印象に残っているのは、『トゥルー・ロマンス』における、クリストファー・ウォーケンとの対峙シーン。

緊張感がハンパない。笑いと暴力を混在させるタラちゃんの手法が、見事にキマッている珠玉の名シーンだろぅ。


●TRUE ROMANCE-DUELO HOOPER-WALKEN- SUBTITULADA



※CMも小粋でカッチョ宜しいナ。ヤクで何度も破滅しかけては復帰してきたオッサンには、説得力があるヨ。

いい役にはあまり恵まれなかった?とも言われるホッパーだが、いいヤクには巡り会えたんだろうてwww

●Ford Cougar (Dennis Hopper) - 1990's UK Advert



※「アヒルちゃん」のCMも懐かしい。これをようつべで見てビックラこいた外国人も多かったと言う。。。

●Dennis Hopper Tsumura Commercial



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デニス・ホッパートリビア

誰かに話したくなる映画のトリビア

『1955年のテレビドラマ「メディック」での若いてんかん患者役でデビューした。ジェームス・ディーン主演の「理由なき反抗」(1955)および「ジャイアンツ」(1956)に出演した。ディーンの1955年の自動車事故死は若いホッパーに深い影響を与えた。/1969年に監督・脚本・主演した「イージー・ライダー」はアメリカン・ニューシネマの代表作となり、ホッパーの名前も知られるようになった。この作品で共演したジャック・ニコルソンピーター・フォンダを1967年の「白昼の幻想」という作品でそれぞれ前者を脚本、後者を俳優として起用している。/1970年代には飲酒や麻薬の問題、また映画会社との確執などで役に恵まれなかったが、1986年のデヴィッド・リンチブルーベルベット」で復帰した。/1991年に東京で行われたコム・デ・ギャルソンのファッションショーや、審査員を務めた1995年のゆうばり国際ファンタスティック映画祭などで度々来日している。また、トヨタセリカ(ST200系)、ホンダ・アヴァンシア、ツムラバスクリンなど、日本企業のCMへの出演歴もある。2005年にはUKのバーチャルバンド「ゴリラズ」にも参加した。日本でも彼の個展が催されたことがある。/「ハートに火をつけて」は、製作会社の無断編集に対して憤慨したデニス・ホッパーがクレジットを拒否したため、アラン・スミシーの監督名義で完成している。同作は、デニス・ホッパーの監督名義に改め、「バックトラック」の題名で日本公開された。』

どうぞ安らかに。


◎シャア語録

シャア専用手帳

先の約束を果たされんことを切に願う。あの優しきアルティシア・ソム・ダイクンへ。ーキャスバル・レム・ダイクンより愛を込めてー(ファースト第38話)


◎シャア・トリビア:当初、「機動戦士ガンダムZZ」にも、シャアやアムロが登場する予定だった。