【中村光毅氏、イデの元に召される・・・】メカニック・アートの第一人者

イメージ 2

氷川竜介ブログ 訃報:中村光毅さん

中村光毅さんが亡くなりました。またも日本のアニメを方向づけた偉大な才能を失い、残念です。なんと言っても一般的には「機動戦士ガンダム」の美術監督で有名でしょう。アニメでは動くキャラクターが主役ではあるんですが、背景画として描かれる美術が世界観を決め、作品の品格をかもし出します。ガンダムではスペースコロニーや宇宙要塞の存在感から始まり、ホワイトベースが転々と移動する地球上の各地の風土をぱっと分からせる、その手腕など中村さんの美術が果たした役割は大きいと思っています。続く「伝説巨神イデオン」ラスト近くの巨大戦艦バイラル・ジンや超新星兵器ガンド・ロワなど、美術だけで「もってかれる」感じがしました。/美術のお仕事のすばらしさは、他にも「風の谷のナウシカ」など含めタイトルを挙げていけばキリがありませんが、美術に対する評価が先立ち、メカデザインについて語られることが少ないのが残念です。もともと中村光毅さんは若くして東映動画に入社しましたが、『宇宙エース』でタツノコプロに移籍。そこで美術課長として数々の作品に関わりました。60年代にはアニメのメカデザイナーという専従者はまだいませんが、車好きだったので「マッハGoGoGo」で自らマッハ号のデザインを提案。同作はアメリカに輸出され「スピードレーサー」として大人気となります。後にウォシャウスキー兄弟監督が実写として近年リメイクしたほどですし、映画「パルプ・フィクション」でもタランティーノ監督自らが出演したカットの後ろにある冷蔵庫に、わざわざ「スピードレーサー」のマグネットが貼ってありました。そういう意味では、掛け値なしにメカデザイナーの草分けでもあり、世界的に大きな影響をあたえたデザインの創造者であったのです。SFアニメでは『科学忍者隊ガッチャマン』の美術監督を手がけ、同時にメカニックデザインとして大河原邦男さんと連名でクレジットされています。あるエピソードでギャラクターの科学者として「オガワラー博士と助手のナカモーラ」というキャラが出てきますが、楽屋オチだったわけですね。』


ウィキペディアより。参加作品一覧

宇宙エース (1965年、背景)/マッハGoGoGo (1967年、美術監督メカニックデザイン

おらぁグズラだど (1967年、美術監督) /ドカチン (1968年、美術監督

紅三四郎 (1969年、背景) /ハクション大魔王 (1969年、美術監督

昆虫物語 みなしごハッチ (1970年 美術監督) /いなかっぺ大将 (1970年 、美術監督

アニメンタリー 決断 (1971年、美術設定) /カバトット (1971年、美術監督

樫の木モック (1972年、背景) /かいけつタマゴン (1972年、美術)

科学忍者隊ガッチャマン (1972年 - 1974年、美術監督メカニックデザイン

けろっこデメタン (1973年、美術監督) /新造人間キャシャーン (1973年 美術監督

破裏拳ポリマー (1974年 美術監督メカニックデザイン

宇宙の騎士テッカマン (1975年、美術監督) /タイムボカン (1975年、美術監督メカニックデザイン

ポールのミラクル大作戦 (1976年 美術監督メカニックデザイン

ろぼっ子ビートン (1976年、美術監督) /超スーパーカー ガッタイガー (1977年、美術監督メカニックデザイン

無敵超人ザンボット3 (1978年、美術監督) /宇宙魔神ダイケンゴー (1978年、美術監督

科学忍者隊ガッチャマン<劇場版> (1978年、美術監督) /科学忍者隊ガッチャマンII (1978年、美術デザイン)

ザ☆ウルトラマン (1979年、美術) /宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち (1979年、メカ設定)

機動戦士ガンダム (1979年 美術監督) /怪盗ルパン813の謎 (1979年、美術監督

科学忍者隊ガッチャマンF (1979年、美術デザイン) /ニルスのふしぎな旅 (1980年、美術監督

伝説巨神イデオン (1980年 - 1981年、美術監督、四条徹也のペンネームで担当)

黄金戦士ゴールドライタン (1981年、美術担当) /機動戦士ガンダム<劇場版> (1981年、美術監督

ブレーメン4 地獄の中の天使たち (1981年、美術監督) /うる星やつら (1981年、美術監督

まいっちんぐマチコ先生 (1981年、美術監督) /太陽の牙ダグラム (1981年、美術監督

白い牙ホワイトファング物語 (1982年、舞台設定) /太陽の子エステバン (1982年、美術監督

伝説巨神イデオン<劇場版> (1982年、美術監督) /テクノポリス21C (1982年、美術設定)

イメージ 4

クラッシャージョウ (1983年、美術監督) /スプーンおばさん (1983年、美術監督

ドキュメント太陽の牙ダグラム (1983年、美術) /ダロス (1983年、美術監督

風の谷のナウシカ1984年、美術監督) /魔法の妖精ペルシャ1984年、美術監督

地球物語 テレパス2500 (1984年、美術監督) /世紀末救世主伝説 北斗の拳1984年、美術デザイン)

メガゾーン23 (1985年、美術監督) /こちら葛飾区亀有公園前派出所 (1985年、美術監督

エリア88 (1985年、美術監督) /ダーティペア (1985年、美術監督

トゥインクルハート 銀河系までとどかない (1986年、美術監督) /バツ&テリー(1987年、美術監督

機甲戦記ドラグナー (1987年、美術) /あいつとララバイ 水曜日のシンデレラ (1987年、美術監督

アニメ三銃士 (1987年、美術) /新グリム名作劇場 (1988年、美術監督

燃える!お兄さん (1988年、美術監督) /トウキョウ・バイス (1988年、美術設定)

ルパン三世 バイバイ・リバティー・危機一発! (1989年、美術監督

変幻退魔夜行 カルラ舞う! (1989年、美術監督) /Cryingフリーマン (1989年、美術監督

花のあすか組!2 ロンリーキャッツ・バトルロイヤル (1990年、美術監督

武者・騎士・コマンド SDガンダム緊急出撃 (1991年、美術) /スローステップ (1991年、美術監督

ヴァンパイヤー戦争 (1991年、美術監督)/アップフェルラント物語 (1992年、美術監督

ろくでなしBLUES 1993 (1993年、美術) /世界名作童話 楽しいウイロータウン (1993年、美術設定)

機神兵団 (1993年、美術監督) /ライヤンツーリーのうた (1994年、美術)

銀河戦国群雄伝ライ (1994年、美術監督) /少年サンタの大冒険! (1996年、美術監督

PiPi とべないホタル (1996年、美術監督) /ガンバリスト!駿 (1996年、美術監督

逮捕しちゃうぞ (1996年、美術監督) /栄光へのシュプール -猪谷千春物語- (1997年、美術監督

マッハGoGoGo (1997年、美術監督) /時空転抄ナスカ (1998年、美術監督

アンドロイド・アナ MAICO 2010 (1998年、美術監督) /時空転抄ナスカ (1998年、美術監督

SHADOW SKILL -影技- (1998年、美術監督) /タイムボカン2000 怪盗きらめきマン (2000年、美術監督

勝負師伝説 哲也 (2000年、美術デザイン) /ニャニがニャンだーニャンダーかめん (2000年、美術監督

キン肉マンII世 (2001年、美術監督) /えっちゃんのせんそう (2002年、美術監督

王ドロボウJING (2002年、美術監督) /釣りバカ日誌 (2002年、美術監督

ボボボーボ・ボーボボ (2003年、美術デザイン) /Wind -a breath of heart- (2004年、美術監督

冒険王ビィト (2004年、美術デザイン) /あかほり外道アワーらぶげ (2005年、美術監督

ガイキング LEGEND OF DAIKU-MARYU (2005年、美術監督) /レ・ミゼラブル 少女コゼット(2007年、美術監督

ヤッターマン(リメイク版)(2008年、美術監督) /フレッシュプリキュア! (2009年、18話美術)


ガンダムのイラストも印象深い(ジャブローを飛び立つホワイトベースの雄姿は鳥肌モンだった)が、

一番好きだったのは、イデオンにおける幻想的な宇宙空間の挿絵の数々・・・。↓このポスターなんて、懐か

しくて涙チョチョ切れますワー

イメージ 1


※安彦さん、冨野さん、長生きしてヨ~~~~~~!

イメージ 3


イデオン動画(death編) 冨野さんの作品は、登場人物の多くが命を落とす。イデオンのそういう

シーンを集めた動画をご紹介。中村さんもイデの元で生まれ変わってきて欲しいと切に願う・・。



マイコミジャーナル インタビュー

インタビュー『マッハGoGoGo』放送開始40周年記念企画

「宇宙も描かなければならないし、引き出しの中の消しゴムもその背景の中の表現の一つとして出てくるわけですよね。机の中を開けたら、その中にいっぱい入ってるものを背景で描かなきゃならないっていうのを表現するというおもしろさ。私にしてみれば非常に奥深いものがあって、そういう世界がすごく好きでやっているんです。」


スプーンおばさん「ゆめ色のスプーン」



ジョニデ語録(ジョニー自身の発言は赤字、他者のジョニーへの発言は青字、その他は黄字で)

ジョニデ語録解説

アーニーは知的障害者だ。もうすぐ18歳になるので、家族で盛大なパーティーを計画している。医者はアーニーが10歳まで生きられたら幸運だと言っていた。10歳は迎えられたし、もうそれから何年も経っている。今じゃその医者は「いつ死んでもおかしくない。いつでもあり得る」と言う。だから、俺や姉妹、お袋は、毎晩ベッドに入ると「明日の朝、アーニーは目を覚ますだろうか?」と考える。彼に生き続けてほしいと思う日もあれば、そう思わない日もある。今この瞬間、俺は近づいてくる車列の前に弟を突き出したい気持ちで一杯だった

(「ザ・ジョニー・デップ」第三章より。ピーター・ヘッジズ著『ギルバート・グレイプ』の引用《その2》)