【お宝発掘!ナンシー関】10年ひと昔・・・
→ 『「お宝発掘! ナンシー関」は発掘された未収録原稿に、消しゴム版画を合わせて掲載。鋭い切り口で綴られた軽妙なコラムが、再び味わえるのだ。関さんが生きていた頃に比べ、10年後の日本は取り巻く状況がひどく変わった。彼女が生きていたら、我が国の現状をどんな風に表現しただろうか。/めまぐるしく変わる現代社会では、得意だった芸能人評も時代とともに色あせるはずなのに、彼女の文章は今も古びず、ある種の凄みすら漂う。消しゴムハンコといい、コラムといい、誰にも真似できない着眼点は不世出のものだ。お気に入りの店は中目黒の「ビッグママ」。決まってカウンターの隅に座り、焼酎「百年の孤独」を傾けながら、ときおりボソッとつぶやいていたという』
ナンシーさん急死からはや10年・・・。
先日6月12日が命日だった。
もし彼女が御存命なら、今頃ツイッター界で
ブッチぎりの女王として君臨していたかもなぁー。
ナンシーさんの文章の語尾に「なう」を付けて
読んでみて、ちょっとほくそ笑んでみたりする
今日この頃デアル・・・ww
→ 『90年代半ば以降には、ちょっと歩くだけでも息切れし、立ち止まって呼吸を整えなければならないほどになっていたという。さらに膨大な仕事量へのプレッシャーから、ナンシーはストレスを抱え込んでいるようだったと、複数の関係者が語っている。もし、ナンシーがもうちょっと体に気を遣い、仕事量をセーブしていたのなら……とは、ファンなら誰しも考えることではないか。/ナンシーが亡くなってからというもの、世間で何か起こるたびにナンシーだったらどう論じただろうとふと思ったことがあるのは私だけではあるまい。それでも、ナンシーの文章を読み返すと、登場する固有名詞を変えれば現在でも十分通用するような記述が多々見つかる。たとえば本書に引用されている、テレビ番組で企画されたユニット(ブラックビスケッツとポケットビスケッツ)同士のCDセールス対決に対する《あんまりあこぎなことすんなよ》(『テレビ消灯時間2』)という言葉は、昨今のもろもろの現象にも向けられてるような錯覚におちいる』
ニコニコ動画 記憶スケッチアカデミー 「鬼」(BGM:人間椅子)
※BGMに惹かれて、ついつい貼ってしまいやした。あいスイマセヌ。。。
『お宝発掘!』より、芸能人同士の結婚について書かれた章をば、少々引用~~♪
→ 『記憶の一番上にある浅野ゆう子が今、結婚しても笑いをとるのは難しいですよね(笑わすために結婚するわけじゃないんですけどね)。で、今、浅野ゆう子が笑いをとれる結婚をするとしたら、問題は相手ですね。マネージャーと結婚したってダメですよ。面白くもなんともない。笑いをとるなら、野口五郎なんか一発大逆転。笑いは十分とれます』
『そんなわけで、急死である。いきなり誰のことかと思えば、なんと私だ。いやー、参ったね。まさか自分が死ぬことになろうとは。それにしても、これほど意外でありながら必然性を兼ね備える急死が他にあろうか。私の急死にはツッコミどころが多過ぎる。その9割5分はデブ関係だが。思えば年末進行の最中に思い切りリンパを腫らした。あれは私のニブい体が、最後に発したSOSだったのかもしれない。見た目に目立つようなこともなかったし、ついつい軽視してしまったのがいけない。/元々輪郭なんてあってないような顔立ちだったもんな。いや、私のことだが。やり残したことなんて、そもそも余力が全力だった私にとってあると言えばいくらでもあるが、ないと言ってしまえば1個もないのだ。週に何度も、私はオチを考えて生きて来た。これはもちろん書き物の中での話だが、森繁より先に逝ってしまうことをもって、私の人生のオチとしたい。先に逝くことが勝ちなのか負けなのかはおいといて。』
旱魃の影響と闘うための国際協力の必要性、および、砂漠化防止条約の実施に対する認識を高める日
・1946年・・・ 東京裁判のアメリカ側主席検事キーナンが「天皇を戦争犯罪人として裁判しない」と言明
・1967年・・・中華人民共和国が初の水爆実験。世界4番目の核保有国に
・1971年・・・衛星中継によりワシントンと沖縄で「沖縄返還協定」に同時調印
・1985年・・・柔道の山下泰裕が203連勝で現役を引退
・1991年・・・ 南アフリカ共和国人種別議会が「人口登録法」廃止案を可決。黒人隔離政策・アパルトヘイ
ト体勢が終結
少年!何だかわかんないけど、人生そんなに捨てたもんじゃねえぞ!おじさんなんか、競馬で負けて今60円しか持ってないけど、頑張って生きてんだー!
1926年 加藤精三(声優)
1947年 今くるよ(漫才師)
1948年 ショー・コスギ(俳優)
1958年 中原理恵(歌手)
1959年 矢尾一樹(声優)
1974年 大野幹代(タレント)
1978年 麻生久美子(俳優)
1983年 二宮和也(タレント)
1987年 辻希美(歌手)