【漫画タイトル「復学届」】群馬でトークショー、などなど

毎日かあさんち

・「毎日かあさん」は毎日新聞紙上で毎週1回、掲載しています。

ウェブでは月2回、作品を転載します。


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毎日新聞 2015年9月6日 東京朝刊

※なんかよく状況がワカラン。ブログネタ以上にブログネタだった。

つか、ヅカちゃんという子のインスタの方が面白い感じだーーー


群馬県トークショーだってーーー。関西にも来てちょーだいヨゥ~~~!

心にググッと 群馬県HP

西原理恵子トークショー (大泉町文化むらにて開催)/(募集は締切りました)ぐんま男女共同参画センターでは、サークル「エガリテ」、大泉町と共催で「西原理恵子トークショー」を開催します!毎日新聞で大好評連載中の子育てマンガ、「毎日かあさん」作者の西原理恵子さんをお迎えし、サイバラ流人生観をお話していただきます。(トークの聞き手:フリーアナウンサー佐藤由美子さん)/演題:『サイバラ流 人生体当たり』/会場:大泉町文化むら 小ホール (群馬県邑楽郡大泉町朝日5-24-1)/定員:200名 (先着順)/費用:入場無料/主催:サークル「エガリテ」、大泉町群馬県ぐんま男女共同参画センター/後援:太田市館林市板倉町明和町千代田町邑楽町


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矢野顕子さんのツイートより

矢野顕子 Akiko Yano

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西原ブログ

『なーんと矢野顕子さんがゲストにいらしてくれました。枝元さんのちょー美味しいくせに、簡単で手早い料理でおもてなし。私は何の役にも立ってないので、とりあえずずっとうめーうめー言って食べて飲んでました。矢野顕子さんがしゃべると全部耳の中であの歌声に変換されてピアノの音まで聞こえる。まるきし、ディナーショーみたいで私が一番お得だったと思うです』

※エダモンって、誰かと雰囲気似ているナァーー、とずっと思ってたが、

ようやく判明した。そうか、矢野顕子さんだよぅっ♪


●高須クリニックは、オリックス・バファローズを応援します!ワーーーーーイ♪



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ガジェット通信 佐野研二郎VS佐村河内・小保方・野々村で「P-1グランプリ」開催!? 高須克弥院長「わし、スポンサーやりたい」

『9月1日、佐野研二郎さんデザインの五輪エンブレムの使用中止が決定。翌2日もTV各局はこのニュースを大きく報じていた。NHKの『ニュースウオッチ9』では『2ちゃんねる』の佐野スレッドの画像や、ネットにアップされた佐野デザインの作品と元ネタ比較表なども放送される。ちなみにその表では、佐野さん本人の写真の元ネタが”ビリケンさん”になっていた。今回の騒動では、そういった「作品の比較表」や、佐野さんをめぐる「人物の相関図」、五輪エンブレムやその他のデザインの賞の「審査員一覧」など、さまざまな画像が作成されて出回っている。中には”コラ画像”とかもあるのだが、9月3日には高須クリニック高須克弥院長が、「年末イベントなら高視聴率確実-w/(^O^) わし、スポンサーやりたい。」とツイート、佐野研二郎さんと佐村河内守さん、小保方晴子さん、野々村竜太郎元県議の写真が載った『P-1グランプリ』なる架空の大会のポスター画像をアップした。“脅威の新人”佐野がP-1三大王者に挑む!!とのことで、場所は新国立競技場建設予定地の特設リングだそうである。一体、どんな戦いになることやら……。』


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※「ノーヒアー佐村河内」、ワロスwww


●まもにち応援メッセージ vol.02 高須克弥さん



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ほぼ日手帳」より、“日々の言葉”

■9月13日の言葉:終わった恋の相手を忘れるためによいことは、相手の知らない道をあるきはじめることです(『恋歌くちずさみ委員会』より )


◎関連リンク

恋歌くちずさみ委員会


「今日の歴史出来事カレンダー」より、“今日も明日も歴史的一日”

安土桃山時代天正15年(1587年)9月13日:豊臣秀吉聚楽第

・・・この日、豊臣秀吉が完成した聚楽第へと移りました。聚楽第は関白となった秀吉が、京都に建設した邸宅です。建物はまったく残っておらず、詳しい様子はわかりませんが、絢爛豪華な造りであったと伝わっていますー


細かすぎて伝わらない関連動画や雑学、感想など


◎関連動画

スピッツ / 若葉



◎関連雑学

聚楽第の「聚」は「集める」、「第」は「邸宅」を意味するが、聚楽第の形状は白壁の櫓と天守閣を擁する平城だった。実質的には城でありながら聚楽第命名した秀吉の心情は」どこにあったのだろう。/秀吉は1585年に日本初の武家関白の宣下を受け、翌1586年に豊臣姓を賜り、ここに豊臣政権が樹立された。聚楽第の完成は1587年。1588年には後陽成天皇行幸を迎えている。大阪城聚楽第はよく似た外観を持っており、その原点が信長建設の安土城であり、安土城最大の意趣は、信長天守閣より下の階に天皇の間を設定し、はっきりと天皇より武家のほうが格が上であることを示す構造になっている。後陽成天皇行幸は親しみを示した演出ではなく、天皇を呼び寄せた武家権威の誇示とみなすべきかと思われる。そして秀吉は聚楽の名にふさわしく、黄金で飾り立ててその権威を天下に知らしめたのだ』