船木誠勝さんがいろいろブッチャケてます~


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松竹芸能に入ったのは、論客としてプロレスの内幕を語るためだったのか?

船木・・・。とりあえず、べしゃりは先輩の森脇健児譲りの流暢さ(まだまだ

重複が多くて聞きにくい部分はあれど。)を発揮しており、今後のマット界を

も左右するぐらいのトンデモ爆弾発言に期待したい。そのうち、ミスター高橋

をも凌駕するような回顧エッセイを出版しそうな雰囲気も醸しているナァ~~。


●セメント最強のレスラーは誰なのか…を発表します by 船木誠勝


※10分くらいから聴けばオッケーでございやす。

最強レスラー言いたいよ~~ぅ♪っつって引っ張るだけ引っ張って、お前は

プロレス界のレイザーラモンHGかっ!っ突っ込みたくなりましたーw


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藤田くんと鈴木くん。120%男の安生くんはいまどうしているのかな?


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※船木の代名詞といえば、このルッテン戦・・・


◎去年はこんなとこでも、内幕暴露記事披露してたし・・・

日刊ゲンダイ 旅館が営業停止に 船木誠勝が語る“新日対UWF”宴会の惨状

『1980~90年代の新日本プロレスに始まり、パンクラスを旗揚げするなどプロレスラーとして活躍している船木誠勝さん(48)。現在は大阪でフィットネスのパーソナルトレーナーをしながら、フリーで年間40試合弱、リングに立っている。酒の思い出は豪快だ。

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/中学を卒業してすぐに青森県弘前市から上京して、新日本プロレスに入団しました。酒は入門してすぐから飲まされていました。毎日じゃないですよ。宴会の時とか巡業の時とかです。先輩から「飲め!」と言われたら嫌とは言えません。「はい!」と言って目の前のコップの酒を一気する、それが酒だと思っていました。青森では飲んだことがなかったので、飲み始めた頃はすぐに酔って訳がわからなくなっていましたね。それで二日酔いになって、翌日起き上がれなくて。飲ませた先輩も自分に飲ませたことがバレたらマズいから、「具合が悪いことにして寝とけ」と言って寝かせておいてくれました。/記憶に残るのは17歳の時に新日とUWFで一緒に飲んだ酒。当時、新日とUWFは抗争していて、試合で戦うだけではなく実際にも関係があまりにもギクシャクしていた。それで、それもよくない、もっとスポーツライクにやろう、そのために一度、一緒に飲もうということになった。/場所は巡業先の熊本・水俣の旅館。新日はアントニオ猪木さん、坂口征二さん、藤波辰爾さん、木村健悟さん……、UWFは前田日明さん、藤原喜明さん、高田延彦さん、山崎一夫さん……、すごいメンバーでしょ。/最初は和やかに始まりました。ところが、酒が回ってきたら、こっちでもあっちでも小競り合いが始まり、しまいには全員で大乱闘。壁を壊したり、最悪だったのは最上階のトイレの男性用の便器に、何人も戻してしまい、流そうとしたら詰まって水が逆流して、階段を伝って下の階まで流れ落ちて行って……。旅館は数カ月も営業停止になった上、潰れてしまい、ン千万円も弁償したと聞きました。みんなの顔も腫れ上がって、翌日の試合の時はお客さんもビックリしたでしょうね(笑い)。でも、自分は大丈夫。暴れてる先輩を必死で止めてた方なんで。

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(「明日からまた生きるぞ!と雄叫んでいた人がまさかこうなるとは・・・」右画像→)

  自分のペースで飲めるようになったのは19~20歳、1人でヨーロッパ遠征した時。団体行動ではなくて、誰かに飲まされることがないので。イギリス、ドイツ、オーストリアに4カ月ずついて毎日のように試合をしたけど、どこもビールがおいしくて、ビール好きになりました。/飲み方はまずビールを2リットル。それからチューハイを2リットル。2年前に大阪で暮らすようになってからはゆずチューハイがお気に入りです。青森出身なのに日本酒は苦手でウイスキーも受け付けなくて、飲んだら戻してしまいます。飲んでみんなで賑やかに話しながら、焼き肉とか焼き鳥、刺し身を食べている時が一番幸せ。最初、陽気になって笑っているのに突然泣き出して最後は倒れるらしい(笑い)。プロレスラー同士で飲む時は倒れても、周りが力があるからいいけど、一般の人と飲むと周りが大変らしいです。/一度、妻のお義父さんの実家の与論島で大勢で輪になって飲んだことがあります。“与論献奉”といって黒糖焼酎「島有泉」をみんなで順番に話をしながら一気していくんですけど、5周ぐらいしたらベロベロになりました。その後、2次会でバーに行って踊ったら酔いが回って3次会のカラオケで寝ちゃって。みんなでホテルまでタクシー使って運んでくれたんですけど、5人でそれぞれ手、足、頭を持って体を持ち上げたらしい。今は宴会で大勢の時は飲みますけど、普段はまったく飲みません。晩酌もやりません。毎日、パーソナルトレーナーとして1対1の指導をしていて結構、忙しいから。フリーでリングに上がってもいるんで、毎日1~2時間、全身のウエートトレーニングとヨガで鍛えていますし。それに何日も一滴も飲まなくても平気なんですよ。』


●軽い気持ちで注射に手を出し『遂にやっちゃったな…』と。(ステロイド・筋肉増強剤) / 船木誠勝


※海外修行から帰ってきたレスラーのマッチョな体形にうっすら感じる違和感の

正体は“ジュース”(隠語)なんスねえー。ま、全日本の輪島大士さんの時は露骨

に一般人にもバレバレだったですけどーーー。


●【ヒクソン・グレイシー解説】 vs 船木誠勝

(『コロシアム2000』・2000年5月26日、東京ドーム)



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※もしも、ヒクソンに食らわせたパンチが致命的なダメージを与えていたら・・・

もしも、映画デビューに『五条霊戦記 GOJOE』という駄作を選ばなければ・・・

もしも「ハイブリッド肉体改造トレーニング法」が「ライザップ」ぐらい浸透してれば・・・

現在の船木の状況も大きく変わっていただろうて。


ライブドア トピックニュース 息子に「宿題やるか死ぬか」と詰問…プロレスラー・船木誠勝の極端な教育論

『(2018年1月)13日放送の「有吉反省会」(日本テレビ系)で、プロレスラーの船木誠勝が、息子への極端な教育方法を明かした。番組では船木がゲストで出演し、家族についてトークを繰り広げた。その中で、12歳になる息子への「トレーニング」が話題となった。船木は、息子が1歳半のときからスクワットをやらせていると明かす。それだけでなく、落ちるまで鉄棒にぶら下がらせる、屋根から自分に向かってジャンプさせる、などもやらせていたとか。

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船木はトレーニングを「息子に対するプレゼント」と表現。平然とした様子で「自分がやってきたことを伝える。一子相伝(いっしそうでん)です」とコメントしたのだ。船木の極端な教育はトレーニング以外にも及び、息子が宿題しないときは「宿題やるか、死ぬか」と迫るのだという。この告白に、オアシズ大久保佳代子も「比べるものが違い過ぎる」と漏らす。息子に「なんで死ななきゃいけないの?」と問われた際には、船木は「宿題やんなきゃ成績が上がらない」「いい学校行けなかったら、自分の好きな職業に就けないかもしれない」「(そうなれば)食べれないから、お前死ぬんだよ」と説明したらしい。これには、MCの有吉弘行も「なるほど、そういう理屈で死につながる」と納得した様子だった。』

※無茶な教育論で目立ったりとかもしてるねーーー。芸人プッシュが下手な

松竹芸能だが、今後、この異色タレント・船木をどう売り込んでいくのだろうーー?


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●レスラー・格闘家は会場でお客さんのことをどう思っているのか?(船木誠勝


※声援を送る観客ではなく、猪木&星野の恐怖政治のほうを見習ってるワケかー。


●新弟子の夜逃げについて(船木誠勝


※息子が身の危険を感じて家から逃げてしまわないようにねーーー!!


●ゴッチさんからいただいた忠告について(船木誠勝


※ムトちゃんの本によると、虐待体質だったのは船木と山田と佐々木とか・・・。

船木の場合は、ゴッチイズムの歪んだ指導ゆえだったのかも。佐々木健介

たぶん長州イズムの間違った継承だろうし、山田に関してはただの人間性

歪みかな?(だいたい人間じゃねえし、、、獣神さんだしw)


REDZONE 船木誠勝オフィシャルブログ デビュー33周年

『三年前にデビュー30周年だったのですが、タイミングが悪く何も出来ませんでした。あれから三年。大阪で暮らして三年。デビューをして33周年。デビュー戦の日にちが3月3日という事で、今年は記念のイベントを行う事になりました。憧れの初代タイガーマスク、そして新間寿さんとのトークイベントです。皆様 どうぞ宜しくお願い致します。船木誠勝


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※なんか「3」という数字にこだわりがあるのネン。いっそイベントタイトルも、

船木誠勝 33(さんざん)なプロレス人生」とかにしはったらぁ~~?


☆オマケ

●真夜中のハーリー&レイス (33分20秒ぐらい)

 船木誠勝が語るあの頃の新日本プロレスUWFの裏事情 長州vs前田 顔面蹴撃事件.





☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)


☆さ~~て、本日1月29日(月)の、「元気が出る言葉」は~?


『克己という言葉を知っているか。克己とは自分に克つことだ。非常に難しいが、人間が他の動物と違うところは、誘惑や欲望と闘って自分に打ち克つことができるという点だ。勉強するも克己、仕事をするのも克己、みな克己だ。』
出展:「わが一期一会」(毎日新聞社
発言者:井上靖(小説家 1907年5月6日~1991年1月29日)

『解説:井上靖は現代小説から児童文学、歴史小説まで書き、ノーベル賞候補になったこともある。克己については井上が小学校高学年のとき、先生と共同浴場に行った帰りに教わった言葉らしい。』


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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・


Amazon.co.jp しろばんば (新潮文庫) 井上靖 (著)

『■内容(「BOOK」データベースより):曾祖父の妾だったおぬい婆さんに育てられる洪作。本家の人々、離れて暮らす両親など複雑な人間関係のなかで、大人たちそれぞれの思惑を受けとめながら、それに翻弄されないような人生の知恵を、洪作は子どもなりに身につけていく―。幼い日の魂の成長を投影した、井上靖の自伝的小説。 --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。

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/■登録情報:/文庫 583ページ /出版社 新潮社; 改版 /言語: 日本語 ISBN-10: 4101063125 ISBN-13: 978-4101063126 /発売日 1965/4/1 /梱包サイズ 15 x 10.6 x 2.2 cm/おすすめ度 5つ星のうち 4.7 /カスタマーレビュー:ecco 5つ星のうち5.0 「少年物語の最高峰!」・・・すべての子供と、昔子供だったすべての人々に読んでほしい。幼い洪作の目に映った外界が、ただ淡々と描写される。洪作は日常に起きる出来事をまっさらな目でつぶさに見ているだけだ。その淡々とした描写が素晴らしい。読んでいて何度笑って何度泣いただろう。しろばんばに続く「夏草冬涛」も夢中になって読んだ。本を読む楽しみを久しぶりに味わえた。文豪らしい歴史小説よりも、井上文学の真骨頂はこちらにあるのではと感じる。』

※代表作。洪作少年にはいろいろと共感できる部分が多かったーー。


井上靖さんの作品の映画化といえばコレが一番有名?

eiga.com 『わが母の記』

『■解説:井上靖の自伝的小説「わが母の記」3部作(講談社文芸文庫刊)を、「クライマーズ・ハイ」の原田眞人監督が映画化。役所広司樹木希林宮崎あおいら実力派キャストで10年間にわたる親子、家族の愛を描く。昭和39年、小説家の伊上洪作は、父が亡くなり母・八重の面倒を見ることになる。幼少期に母と離れて暮らしていたため距離を置いていた洪作だったが、妻や3人の娘、妹たちに支えられ、自身の幼いころの記憶と八重の思いに向き合うことに。

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八重は薄れゆく記憶の中で息子への愛を確かめ、洪作はそんな母を理解し、次第に受け入れられるようになっていく。第35回モントリオール世界映画祭ワールド・コンペティション部門で審査員特別グランプリを受賞。第36回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞樹木希林)受賞。■スタッフ:/監督 原田眞人 /プロデューサー 石塚慶生 /原作 井上靖 /脚本 原田眞人 /撮影 芦澤明子 /照明 永田英則 /美術 山崎秀満 /衣装 宮本まさ江 /録音 松本昇和 /編集 原田遊人 /音楽 富貴晴美■キャスト:役所広司(伊上洪作) 樹木希林(八重) 宮崎あおい(琴子) 南果歩(桑子) キムラ緑子(志賀子) ミムラ(郁子) 菊池亜希子(紀子) 三浦貴大(瀬川) 真野恵里菜(貞代) 赤間麻里子(美津) 三國連太郎(隼人)■作品データ /製作年 2012年 /製作国 日本 /配給 松竹 /上映時間 118分 /映倫区分 G』


●『わが母の記』予告編



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樹木希林さんが素晴らしい。泣かされましたワーー。


☆本日の、『日めくり漱石』は・・・

サライ 「夏目漱石」の記事一覧


“学問をする人、教育を受ける人が、何かに打ち当るまで行くということは、生涯の仕事としても、必要じゃないでしょうか(『私の個人主義』より)”


1893年1月29日の漱石】帝大で講演するも、親友・正岡子規の姿がないことに気づく


今から123年前の今日、すなわち明治26年(1893)1月29日、数え27歳の漱石は積雪をおかして、外神田の青柳亭へと向かった。そこで、夕刻4時30分から帝国大学英文学談話会の例会が催されるのだった。大学3年の漱石はこの日、会の席上、『英国詩人の天地山川に対する観念』というテーマで講演を行なった。18世紀末から19世紀初頭のイギリスの詩人を俎上(そじょう)にのせ、


《「クーパー」の自然主義は濁世(じょくせ)に身を処し難きが為に起り、「ゴールドスミス」の自然主義は賦性(ふせい)の恬淡(てんたん)なるに基づき、「バーンス」の自然主義は天稟(てんぴん)の至情に根し、「ウォーヅウォース」の自然主義は一隻の哲理的眼孔を具したるに因る》などと述べ、個々の詩作品と自然観を読み解いていくという優れた内容だった。講演は皆の注目を集め、この後、3月から6月にかけて『哲学雑誌』に分載されることになる。


しかし、この日、漱石がもっとも講演を聞いてほしい相手はその場にいなかった。その相手は親友の正岡子規。子規はこの頃、日本新聞社で働きはじめていて、大学にはほとんど顔を見せていなかった。それでも、漱石の講演だけは聞きにきてくれるものと期待していたのだが、体調がすぐれず欠席したようだった。漱石はその後、子規の体を心配して手紙を書いた。《過日文学談話会へ出席仕候処(つかまつりそうろうところ)大兄御病気の趣にて御来駕無之(これなく)御風邪にても有之(これあり)候や 又は例の御持病にや 心元(こころもと)なく存候間(ぞんじそろあいだ)御容体一寸(ちょっと)相伺ひ申上候 随分御養生専一と奉存(ぞんじたてまつり)候》


じつは、漱石の談話会当日、子規は大雪の中を一度は会場に向かった。ところが、会費の10銭を持っていないことに気づき、途中で引き返した。昨秋、郷里の松山から母と妹を呼び寄せ3人で構えた新世帯、新年からの物入りもあって、子規の懐中はひどく逼迫(ひっぱく)していた。寒さの中で無駄足を踏んだ影響か、その後、子規は風邪気味となり体調を崩してしまった。漱石に余計な心配をかけたくないので、子規はそんな経緯は報知していない。金銭的にはけっして裕福でなくとも、友への情愛だけはたっぷりと胸にあふれる漱石と子規だった。


細かすぎて伝わらない関連動画など

(「友情」「来てくれる」で動画検索してみました!!)



FUNKY MONKEY BABYS 「ありがとう」(7分47秒)



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※ちょっと柳葉敏郎入ってるさんまさんw


R指定 ずっと、ともだち


♪~いつか別れの日が来たとしても 消えることない絆さ

   くじけそうになった時があれば いつでも飛んでいくよ~♪


ジョニーAのつぶやき:友情の基本は「走れメロス」ですなー。いかに真剣に友との約束を守れるか否か・・・