「宮沢賢治の真実」今野勉:著
→ 『■内容(「BOOK」データベースより):たった4行、だが「猥」「凶」「呪」などただならぬ言葉をちりばめた文語詩との出会い。それが始まりだった。謎の詩に導かれるように、著者は賢治の人生をたどっていく。身が千切れるほどの悲しみ、苦悩を、彼は作品に変えていったのだ。
妹を死の淵にまで追い込んだ事件とは何か。なぜ、賢治は自身を修羅と呼んだのか。「永訣の朝」はいかにしてつくられたのか。「銀河鉄道の夜」で描かれた「ジョバンニの切符」とは一体何なのか―。謎解きの連続で賢治像を一変させる圧巻の書。/■登録情報:/単行本 400ページ /出版社 新潮社 /言語 日本語 /ISBN-10: 4103506814 ISBN-13: 978-4103506812 /発売日 2017/2/28 /梱包サイズ 19 x 14 x 3.4 cm /おすすめ度: 5つ星のうち 3.8 /■カスタマーレビュー:長崎成明 5つ星のうち4.0 「教科書には掲載できない、賢治の別な顔!」2017年6月8日・・・テレビマンユニオン創立者の一人、元TBSドラマ部門出身の今野さんが書いた、日本のノヴァリスとも言われる鉱山派・天文系文学者である宮沢賢治の評伝。教科書にも登場する公に流布した賢治のイメージとは異なり、禍々しい漢字が使われた一篇の文語詩に惹かれ、その謎に迫るという、まさにドラマティックな内容で、読み始めたら中断が難しい。/しかし、賢治が妹(とし、文中では、とし子)の初恋事件を知った時期が、やはり気になる。例え仮名だったとしても、地元新聞(『岩手民報』)に連載されたくらいの肉親が関わった一大スキャンダルなのに、賢治の耳に入る時期があまりにも遅過ぎないか。知ってはいたが、あえて内に秘め、後に妹が書いた自省録の内容に賢治自身の同性への辛い思慕と共通する点をいくつも見つけ、しかも、彼女が実に冷静に自己分析していることに驚き、触発されたと見る方が順当だと思う。』
→ 『小橋「“僕たちしっかりやろうねえ。”ジョバンニが胸いっぱい新しい力が湧くようにふうと息をしながら言いました。私も、しっかりやります。ふう!」』
※まさに執念!詩が創作された日の、天候や風向き、風速まで気象庁に問い合わせ、
さらに現地にまで赴いて賢治の心境に触れようとする今野勉氏。文学作品の研究と
は、ここまでこと細かに行わねばならんうものなのか!背筋がピン!と伸びる思いだ。
※賢治にとってのカムパネルラは、とし子(妹)の投影だ、と捉える学説が主流なの
だろうが、本書ではカムパネルラ=賢治の愛した男・保阪嘉内である、との結論に
達している。思えば、ジョバンニ(賢治)が、少女と親しげに話すカムパネルラに
嫉妬する場面がある。まさにあのシーンからしても、同性への恋を匂わせていると
言えるのだ!(本書にその部分の言及はない・・・)
なぜ賢治は自身を修羅と呼んだのか。「永訣の朝」はいかにして作られたのか。「銀河鉄道の夜」で描かれた「ジョバンニの切符」とは一体何なのかーー。 |
同性に恋い焦がれ己をけだものと称した詩人は、最愛の妹の胸中を知り、修羅と化した。 |
☆宮沢賢治解説といえば、コレが秀逸でした~~~ン♪
→ 『宇宙規模の世界観:彼の作品には、気候変動が食糧生産に壊滅的な影響を及ぼす話がよく出てくる(ただし当時は冷害に悩まされていた)。賢治は経済発展は重要だと信じる一方で、環境破壊につながる方法で電力を生み出そうとすれば必ず自然から猛烈なしっぺ返しを受けることを人々に伝えようとしていた。動物虐待も主なテーマの1つで、賢治は屠殺(とさつ)に強く反対していた(今でもベジタリアンが非常に少ない日本で、彼は21歳から37歳で亡くなるまで菜食主義に傾倒していた)。また、賢治の作品には文学の普遍的なテーマである勧善懲悪のストーリーが極めて少なく、その創作の源にあるのは、人々に勇気を与える倫理観だった。
つまり、賢治の世界観は宇宙規模だった。彼は「有機物・無機物を問わず、地球上のあらゆる物体と現象は、この地球と宇宙におけるその他全てのものとつながっている」と信じていた。その意味で賢治はカオス理論の先駆者と言えるが、彼はそのカオスの中にも人間の行動を導く慈悲深い秩序が存在すると考えていた。』
→ 『特に着目したいのは、クルーザーから忽然と姿を消す牧元教授がテーブルに置き去った1冊の詩集、宮澤賢治の「春と修羅」だ。/岩手に生まれ、昭和初期に37歳で夭逝した天才詩人が残した唯一の詩集――作者が「詩集」と呼ばれることを嫌い、「心象スケッチ」という呼称にこだわったことを考慮すればこれを詩集と呼ぶことに抵抗はあるが、便宜上、ここでは「詩集」とする――が、この物語において意味するものとは何か。物語に交錯するもう1つの創作物「春と修羅」を読み解きながら、「シン・ゴジラ」の核心に挑んでみたい。「シン・ゴジラ」のエンドロールに、「資料協力」として日本近代文学館刊行の復刻版『春と修羅』が挙げられている。同じものと思われるものを入手した。復刻元の奥付に「大正十三年四月二十日発行」とあり、定価は2円40銭。著者は「宮澤賢治」、発行所には「関根書店」の名がある。賢治の地元である岩手県花巻で印刷されている。
大正13年は1924年。時代を超えて物価を比較するのは難しいが、当時の米価が10kgで3円50銭前後だったことを基準に、あえて乱暴に今の貨幣価値に換算すると、2000円から3000円程度になるだろうか。1000部刷られたが、売れたのは100部程度だったとされている。残りの在庫は賢治が引き取った。中原中也など文壇の一部に評価はされたが、この岩手に生まれた夭折の詩人は、同時代的にはほぼ理解されなかったと言っていいだろう。/なぜ理解されなかったのか。その答えは、この詩集の「序」を読むだけでも明らかだ(なお、詩の全文は「青空文庫」に公開されている)。/東京大学言語情報科学専攻教授の小森陽一氏は、その講義録「いま、宮沢賢治を読みなおす」(かわさき市民アカデミー講座ブックレット)の中で、この一文目の、時代に対してあまりに先鋭的だった先進性についてこう述べている。/恐らく、どんなに突き詰めて問題を考えていた哲学者でも、一九二〇年代前半に「わたくしという現象(引用注:「現象」に傍点)」という言葉を、つまり「わたくし」とはフェノメノンだ、現象だと言う人はいなかった。恐らく詩人も小説家も哲学者も、「わたくし」と言えば、それは「わたくしという存在(引用注:「存在」に傍点)は」というふうに存在論的に言葉にしたかと思うのです。この「序」を読むと思い起こす映画がある。賢治のもう1つの代表作である『銀河鉄道の夜』を、別役実氏が脚本を担当し、杉井ギサブロー氏が監督を務めてアニメ映画化した作品だ。そのエンディングで、ナレーターの常田富士男氏がこの「序」を朗読する。賢治の世界観に惚れ抜いた制作陣が、「銀河鉄道の夜」とは直接関係はなくとも、その世界に重ねたいと願った一節だったのだろう。細野晴臣氏の音楽ともあいまって印象に残る名シーンだった。
/「序」において、「わたくし」は、自らを「仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明」であり、「風景やみんなといつしよに、せはしくせはしく明滅しながら、いかにもたしかにともりつづける、因果交流電燈のひとつの青い照明」であると宣言する。天井を見上げてほしい。「交流」の電気で点る蛍光灯は、1秒間に100回以上「せはしくせはしく明滅」している。私たちの肉眼から見れば「いかにもたしかにともりつづける」ひとつの光であるように見えるけれど、その光は、明滅という「現象」の軌跡に過ぎない。疑いもなく「いま/ここ」にあり続ける「存在」としての「わたくし」ではなく、賢治はここで、まるで蛍光灯のように、何らかの「因果」の中で生まれ、明滅する「現象」の残像としての「わたくし」を宣言している。/「風景やみんなといつしよに」明滅している点も注目したい。明滅する「わたくし」という「電燈」が光を放ったその刹那に、「風景やみんな」が照らされて浮かび上がる。つまり「現象」としての「わたくし」が鼓動するように明滅するのに呼応して、初めて世界が生まれている。「わたくし」だけでなく、「わたくし」が感知する世界もまた「現象」であると賢治は宣言しているのだ。
/この宣言は、「シン・ゴジラ」におけるヤシオリ作戦のありようと重なって見える。劇中で、ゴジラを物理的な「存在」として打ち倒そうとした作戦はすべて失敗した。自衛隊の攻撃はダメージを与えることすらできず、米軍の戦闘機は反撃を受けて全滅した。だが、ゴジラを折り紙のように立体的に描かれた化学反応の連鎖という「現象」として捉えたことで、その動きを停止させる術を見出すことができた。つまり、船に置かれていた「折り鶴」と「春と修羅」は、ゴジラを止めるために牧元教授から日本政府に与えられたヒントであったとも読み解くことができる。』
※なるほど。やや無理やり感はあるが、とりあえず『シン・ゴジラ』における「春と
修羅」の存在意義を示す一つの回答は得られたわけだ---。
『今日が人生最後だとしたら、今日やることは本当にやりたいことだろうか。/Stay Hungry,Stay Foolish.(渇望せよ、愚か者であれ)』 |
出展:いずれも、2005年6月12日「スタンフォード大学卒業式で行われたスピーチ」より |
発言者:スティーブ・ジョブズ(アメリカの実業家。1955年2月24日~2011年10月5日) |
→ 『解説:スティーブ・ジョブズの有名な講演から2つの言葉を紹介。2005年にすい臓がんが見つかってから、ジョブズは、他人ではない、限られた自身の時間をより強く考えるようになったのだろう。1つ目の言葉は有限の生を生きていく生物としての私たちが、最も大切にすべき至言といっていいだろう。2つ目は赤塚不二夫なら「腹ペコになれ、バカになれ」と訳すか。ここでは「渇望せよ、愚か者であれ」とした。仕事バカであったジョブズらしい言葉だが、何かを成し遂げる者の魂のそばに置いてほしい言葉だ。』
☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
細かすぎて伝わらない関連動画など
(「朝日新聞」「運命」で動画検索してみました!!)