今年の姫路球場のオープン戦は雨天中止・・・

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※仕事の合間にサクッと覗きに行こう~♪と画策していたというのに。。。

 ちぇーーーーーーーーーーーーーーーっ!


シモヤマンブログ 本日は雨天中止

『姫路での試合だったんですが・・・残念でございます😥 /昨日は、3-3の同点から、途中出場の伏見が右中間へ勝ち越しホームラン。課題としていた高めのボールに良いスイングができ、見事な打球でした。4-3でオープン戦初勝利‼️ まだまだ微調整していく部分はありますが、良い方向に向かってる選手が多いと感じます👌 頑張りまっせ☝️ byシモヤマン。#下山真二


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※腹立つから、今日はもう、しまい!はい撤収撤収~~~。


●去年のオープン戦 阪神戦 スタメン発表


※あーー、雨が恨めしい。




☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)


☆さ~~て、本日3月8日(木)の、「元気が出る言葉」は~?


『一言ぐらいしかセリフがなくても、僕がステージの隅っこにいることにも、それなりに意味はある。』
出展:「第5の男」(朝日新聞社
発言者:高木ブー (コメディアン。1933年3月8日~)

『解説:あのころ、ドリフターズで一番セリフのないメンバーであり、しかし誰からも愛された高木ブー。それでいて、雷様になると彼はアドリブ風によくしゃべった。あのころとは、視聴率50%もあったお化け番組、「8時だよ全員集合!」が続いた16年間のことだ。どんな組織でも、一見不要のようでいて、無言でも饒舌な存在感を示す好人物が必要なのだ。そんな縁の下の力持ちさん、高木ブーのようにこの台詞を言い切ってみよう!』


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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・


音楽ナタリー 高木ブー82歳の念願成就!ベストアルバム発売決定

高木ブーのベストアルバム「Life is Boo-tiful ~高木ブーベストコレクション」が6月24日にソニーミュージックのオンラインショップ・Sony Music Shop限定で発売される。

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リスナーからリクエストを集め入手困難な企画盤や廃番タイトルなどを商品化する同ショップ内のシステム「オーダーメイドファクトリー」に、自ら企画したベストアルバムをエントリーしていた高木。このたびリクエストが目標数に達したためアルバムの商品化が決まった。今作には「ON A LITTLE BAMBOO BRIDGE」などハワイアンの定番ナンバーからThe Beatlesエリック・クラプトンの楽曲のハワイアンアレンジカバー、吉田拓郎作曲の「僕の大好きな場所」などのオリジナル曲まで全18曲を収録。現在82歳の高木の集大成的な作品に仕上げられた。なお高木は8月29、30日に香川・小豆島ふるさと村で開催されるイベント「shima fes SETOUCHI 2015 ~百年つづく、海の上の音楽祭。~」に出演することが決定している。』


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●(PV)筋肉少女帯 元祖高木ブー伝説


※ブーさんの哀愁を熱く歌った筋少はやはりセンスが良かったんダナー


NewsWalker 大槻ケンヂ、「新・筋肉少女帯」結成計画を激白!

『――「筋肉少女帯」(以下、筋少)として活動し約30年。印象的な“苦い”経験はありますか?/大槻:たくさんありますよ。特に覚えてるのは「高木ブー伝説」のことですね。メジャーデビュー(1988年)した直後、高木ブーさんに無許可で「高木ブー伝説」という曲を販売しようとして、怒られたんです。だいぶ(笑)。――えっ、なぜ許可をとらなかったんですか?/大槻:元はね、インディーズ時代に出した曲だったんですよ。(インディーズ版は1987年リリース)でも、そのときは何も言われなかったから。――なるほど…。/大槻:当時はカッコイイ恋愛ソングが流行ってたから、「オレは逆にカッコ悪い恋愛ソングを作ってやる!」と思って。“恋に悩むけど、何もできない無力な男”を表現する言葉を悩んだ結果、高木さんにたどりついたんです。「何もできない男、何もできない男……高木ブーだ!!」と(苦笑)。「今この世にない表現や歌詞を作りたい」というマジメな理由だったんですが…今考えると、失礼な話ですね(笑)。――(笑)。

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/大槻:同じくインディーズで活動していたTHE BLUE HEARTSの「人にやさしく」と、インディーズチャートの1位、2位を競い合うくらい話題になって。この曲がヒットしたおかげで、メジャーレーベル数社から声をかけてもらえたほどなんです。それで、メジャー初のアルバムにも収録しようと、あらためてレコーディングを進めている途中で、各方面からストップが…。――まあ、当然というか…。/大槻:そうなんです。「あんなもんは出しちゃいけない」ということすら分からなかった、若さのバカさがヤバイですよね。会社の人も「(許可はとらなくて)大丈夫だよ~」なんて言ってたのに、ある日…、「ダメ!怒られた!!ホントにダメなヤツ!」と、青い顔で(笑)。高木さん本人ではないんですが、“ちゃんとした大人”から注意されたそうです。――結局、お蔵入りに?/大槻:いえ。それが後日、なんとご本人が許可をくださり「元祖 高木ブー伝説」としてリリースできることになったんです。「若いヤツらが、頑張ってバカやってるんだから、許してあげようよ」と、本当に優しい言葉をくださって。それがきっかけで、筋少のライブにも来ていただけるようになったんですよ。いらっしゃったときに、僕が「次は高木ブー伝説です!」と言ったら、スーって立ち上がって四方にお辞儀をしてくださって(笑)。高木さんの、器の大きさに感動しましたね。』


☆本日の、『日めくり漱石』は・・・

サライ 「夏目漱石」の記事一覧


“今日の四角は明日の三角にならないとも限らないし、明日の三角がまたいつ丸く崩れ出さないともいえない(『現代日本の開化』より)”


【1913年3月8日の漱石】横浜大火の新聞記事を読み、友人の安否を気遣う


今から103年前の今日、すなわち大正2年(1913)3月8日、漱石は自宅で新聞を読んでいて、気になる記事を発見した。前日、強い風が吹き荒れ、各地で大きな火災が起こり、横浜でも200 戸余りが焼失したというのだった。漱石は、被災地の近辺に住んでいる友人のことを思い出した。安否を気遣い、さっそくに一筆したためた。横浜・元浜町に住む渡辺和太郎への手紙だった。


《横浜大火の新聞で吃驚(びっくり)致し候。やけた処(ところ)をしらべて見るに元浜町と申す所見当たらず、やはり御無事と存(そんじ)候(そうら)えども地理不案内につき何所(どこ)まで焼けて来たか分らず、即ちこの見舞状を書(かき)たる訳に候》/もちろん、万一何かの被害があったりすれば、できる手助けはしようという気持ちも、漱石の胸の奥にはある。だからこそ書いている手紙である。


和太郎は横浜の渡辺銀行の御曹司。漱石より11歳年下で、漱石と同じ時期に、見聞を広めるためロンドンに滞在していた。ロンドンにおける漱石の5番目の住まいとなったクラパム・コモン、ザ・チェイス81番地の下宿の先客であり、空室ができたときに漱石を同宿に招き入れたのもこの人であった。ふたりは、一緒に芝居見物に出かけたり、他の友人とともにその下宿で句会を開いたりもした。その後、渡辺和太郎は下宿を替え、明治35年(1902)1月1日には、その新しい下宿に漱石らを招き句会を開いている。その日、生まれた句。


《山賊の顔のみ明(あ)かき榾火(ほだび)かな》《元日や遠き国より友来たり》/前者が漱石、後者が「太良」と号した渡辺和太郎の作。漱石の句は、ストーブを囲むようにして顔を火照らせている遠国からの旅人である自分たちを、野蛮な「山賊」にたとえるユーモアに包まれている。いずれにしろ、遥かな異境の地で、屠蘇の香りと雑煮の味に身悶えするような恋しさを感じながらの句作だったらしい。帰国後も交流は続いていた。


互いの家を行き来し、漱石からは著作を進呈し、和太郎からは毎年暮れになると新巻鮭を送り届けるといった仲であった。結局、和太郎の家は、この大火の被害を受けることはなく無事だった。手紙を受け取った和太郎は、漱石先生の心配りに、感謝したことだろう。


細かすぎて伝わらない関連動画など

(「安否」「大火」で動画検索してみました!!)


●涙で心境「あしたはどうなるか・・・」“大火”から一夜(16/12/23)



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※大風と火事、バッド・タイミング・ディザスター。


●【火事現場映像】明石市大蔵市場で大規模火災が発生(撮影者映像まとめ)



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※ほんと、家事は怖いワニーーーー。自分もトラウマあるぅ~!


ジョニーAのつぶやき:高台で火事が起きて、まさに火の塊が降ってくるような恐怖を覚えた小学生時代の悪夢のような思い出がある。忘れようとしても忘れられない衝撃の残像。