漫画タイトル「攻防」

毎日新聞 りえさん手帖
毎日新聞 2018年3月5日 東京朝刊

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※西原さんに動物モノ漫画で当てることは難しそうかな?
 きっと、これまで他人のネコ漫画とかをボロカスに言ってきた報いw
 あ、「ダーリンは73歳」にゃあクマが出てくるか。。。

毎日新聞 週刊サラダぼうる・おかん飯 ワカメしゃぶしゃぶ
『枝元:東日本大震災から丸7年を前に、三陸海岸の復興への思いを込めてワカメしゃぶしゃぶを作ります。震災の後、岩手県陸前高田市でこの時期に出回る細くて軟らかい生ワカメをしゃぶしゃぶで食べさせてもらったことがあってね。地元の方たちと「またワカメが取れる海になってよかったね」って話して。/西原:よかったですね、本当にね。/枝元:震災のことを思うとつらいけど、それでもおいしいものを食べて笑顔を増やしていかなくちゃね。/西原:このワカメはすごい立派ですね。「もうすぐ俺は昆布になります」って感じ。/枝元:ワカメは今回立派なのになっちゃいましたが、生のものが手に入ったらいいですね。即席のユズコショウを作ります。むいた皮をみじん切りにします。/西原:うん、いい香り。/枝元:キッチンのアロマテラピーや! これは香りを楽しむためのもので、熟成させずにすぐ食べられます。みじん切りにした赤唐辛子2本で辛みを付け、塩こうじ大さじ1と2分の1でなじませます。汁も搾り、果肉を包むワタの部分も2~3片分を刻んで入れるとおいしい。
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/西原:すぐ食べるフレッシュ・ユズコショウっていうやつですね。/枝元:これを添えて食べてね。鍋のおだしは昆布に煮干し、カツオ節で取っています。弱めの中火で昆布と煮干しをじっくりと煮出し、昆布を引き上げたら、カツオ節を取っ手の付いたザルに入れて鍋に沈め、軽く混ぜながら2分ほど煮出して引き上げます。/西原:高級旅館やうどん屋さんのような匂いが漂っていますね。/枝元:ワカメ自体はそんなに味が強いものじゃないから、おだしでしゃぶしゃぶするのが好きなんです。さあ、いただきましょう。/西原:このお上品なだしにこの生ワカメとセリ、いいですね。ブリも合います。私ね、おだしを永遠に飲めるんですよ。おなかがどんなにガブガブになってもね、お酒よりおだしのほうが飲めるの。
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枝元:体にはいいですよね。鶏むね肉を薄くそぎ切りにしてブリの代わりにしたり、春先においしいイカを斜めに薄くそぎ切りにしてサッとくぐらせたりしても。おいしい食べ方がいっぱいできます。/西原:ちょっと高めの絹ごし豆腐も、めっちゃおいしいと思います。【構成・矢澤秀範、写真・根岸基弘】』

anan NEWS 波瀾万丈な西原理恵子さんの人生。転んでも、立ち上がる。その濃厚で逞しいサバイバル経験を、安田顕さんとお聞きすることに。
『西原:私が最初につまずいたのは、19歳で美大の予備校に入った時ですね。/安田:どうされたんですか?/西原:課題で描いたデッサンが、成績順に貼り出されたんですけど、私は最下位。その時点でプライドはぺしゃんこだった。それなのに、いざ武蔵美に入ったら、まわりはもっとスゴい人たちだらけで…。その上には東京藝大っていうのがあって、さらに院とかになるとチョモランマみたいなものでしょ。でも、予備校で最下位からスタートしたおかげで、自分の実力がどんなものか、もうわかっていたんですよね。だから、卑屈にならず、「そんな自分にできることは何なのか」って、考えることができたんです。/安田:冷静ですね。/西原:で、始めたのが、1カット500円のエロ本のカット描き。本当は、芸術家とかイラストレーターとか、かっこいいのになりたかったんですけど、私はとにかく絵で食べていきたかったから、身の程知らずの夢にはしがみつかなかった。“自分には才能がある”と思っている人たちが絶対にやらないことにこそ、自分にできることがあるんじゃないか。そう思って行ったのが、エロ本でした。/安田:でも、それが今の足掛かりになったんですよね。/西原:はい。ただ、その頃、男でもつまずいています(笑)。/安田:そうなんですか!/西原:当時、大学の学費から生活費まで自分で稼がないといけなくて、居酒屋とかいろんなアルバイトをしていたんです。歌舞伎町で水商売のバイトもしていたんですけど、お客さんにセクハラされたり、「バカ女」扱いされたり。時給1400円もらえるからいいやって思ってたはずなのに、なんか寂しくて…。そういう時に、無職の男が転がり込んでくるという(笑)。もともと田舎でヤンキーと付き合ってたから、無職ってわりと平気だったんです。/安田:免疫があったんですね(笑)。でも結局、無職はダメだと?/西原:そう。自分が稼いだら、相手も稼いでくれるなんて思い込むのは大間違い! むしろやらなくなっちゃう。私がバイトでへとへとになって家に帰ると、ぐちゃぐちゃに汚した部屋で無職の彼が待っていて、「靴下どこ?」って。/安田:それはイラッとしますね。/西原:でも、そんな男でもそばにいてほしかったのは、自分に自信がなかったから。「いらない」って思えるようになったのは、絵の仕事で食べていけるようになった時。引っ越そうと部屋を片づけていたら、そこに“働かない男”っていう粗大ごみがあることに気づいて。ただ、その後もそういう“腐れチ○ポ”ばかりと付き合っちゃうんですけどね(笑)。/安田:腐れチ○ポ!?/西原:ダメ男のことです。
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ユーモアをまぶした勢いある西原さんの語り口に、少々押され気味の安田さん(笑)。そんな中、ちょっと聞いてみたいことがあるようで…。
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/安田:西原先生は、刺激的な言葉で人を惹きつけて、本質に持っていくっていう印象を受けたんですけど、それはもともとの感性なのか、あるいは生きていくうえで必要な技術として作り上げてきたものなのか、気になります。/西原:典型的な、南方のウソつき文化です。/安田:え!?/西原:南国の人って、陽気な感じでウソついたりするでしょ? かまして、ウソついて、笑わせて。私の地元の高知では、そういう黒潮文化が染みついているというか。何しろ、人を笑わせたら勝ち。/安田:そういえば、僕らチームナックスが人生相談に乗るっていう企画をやったとき、「人見知りが直りません」という相談に対して、うちの大泉洋は、「おもしろければ、なんとかなる。それを磨けばいい」って言ってたんですよね。僕は真面目に、「相手と真摯に向き合う」なんて答えたんですけど、今の西原先生のお話を聞いて、大泉のほうが正解かなっていう気がしてきました(笑)。/西原:確かに、“おもしろい”はサバイバル術の一つになるかも。わが家でも大事にしているのは、笑いだったりしますしね。いくらどん底の状況でも、エグるようにツッコんで笑いに変えちゃう。それが明るい方向に向かっていくためのコツなんだと思います。/安田 顕さん 俳優。1973年12月8日生まれ、北海道室蘭市出身。西原理恵子さん 漫画家。1964年11月1日生まれ、高知県高知市出身。/※『anan』2018年3月7日号より。写真・芹澤信次 スタイリスト・村留利弘(安田さん) ヘア&メイク・西岡達也(安田さん) 高松由佳(西原さん) 取材、文・保手濱奈美(by anan編集部)』

●糸でやる切らない鼻中隔延長は効果ありますか?
 鼻先を出す美容整形手術について。高須幹弥

※鼻ペチャで悩むエイミー(「若草物語」)なら飛びつく施術ですなーw

★かっちゃんの本が発売されてる!!
Amazon.co.jp 炎上上等 (扶桑社新書) 新書 高須克弥(著)
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『■内容紹介:「誰も言わないなら僕が言う! 」僕は別に炎上させたいわけじゃない。正しいことは「正しい」、間違っていることは「間違っている」と言っているだけだ――。暴論か? 正論か! ?数々の言動や破天荒な行動で物議を醸す著者が、言いたいことが言えない世の中をぶった斬る! ! 【目次より】まえがき――誰も言わないなら僕が言う/☆第1章 ツイッターは今日も大漁 ☆第2章 フリーメイソンの会員だけど聞きたいことある?/☆第3章 誰もやらないなら僕がやる/☆第4章 いじめられても闘争心は失わなかった/☆第5章 自分の国ぐらい自分で守らなきゃ/☆第6章 中国、韓国、北朝鮮にも忖度せずに物申す/☆第7章 男も女も若さと美貌を欲しがる時代/☆第8章 日本ももう一度戦争をやってみたら?/☆あとがき――君たちはどう生きるか/■登録情報:/新書 239ページ /出版社 扶桑社 /言語 日本語 /ISBN-10: 4594079229 ISBN-13: 978-4594079222 /発売日 2018/3/2 /梱包サイズ 17.2 x 11 x 1.6 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.9 /■カスタマーレビュー:Kindleのお客様 5つ星のうち5.0 「印税寄付の心意気やよし!」2018年3月10日・・・高須院長の言うことはいちいちごもっとも。自分とほとんど同意見なのが悔しいぐらい。ツイッターで言葉足らずな分を補完してくれるのでフォロワー必携ですよ。ただひとつ異論があるとすれば次に戦争したら必ず勝つ。軍事費が三倍だろうとベトナムがやれたことを日本ができないはずがない!北朝鮮については米朝会談という驚きの一手を打ってきたので高須院長の予言が当たるかもしれない… 』
※たま~に過激なことを言うけれど、それも正論を吐くための燃料的な
勢い加速装置だと思えば、、、許せなくもない。どう~~考えても勇み
足な場合はちゃんと内縁の愛人・西原理恵子が身を挺して止めてくれる
だろうし・・・。




☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日3月7日(水)の、「元気が出る言葉」は~?

『順境にいて悲観せよ。逆境にいて楽観せよ。』
出展:「マルクスが日本に生まれていたら」(春秋社)
発言者:出光佐三 (実業家。出光興産の創業者)
『解説:「人間万事塞翁が馬」とも言うが、人間の幸不幸はたしかに予測しがたい。調子がいい時こそ次の失墜に心し、どん底にいる時こそもうこれ以上の底はないだろうと楽観する。大切な人生訓だ。』

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※「海賊とよばれた男」(百田尚樹著)の主人公のモデルになった人か~。

◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

出光佐三 社訓と「人間尊重主義」
『出光興産一社提供の『題名のない音楽会』であるが、佐三の「芸術に中断は無い」との考えに基づき、CMは入れず、本編は通しで放送される構成となっている。 2011年6月20日の出光創業100周年記念日には、「日本人にかえれ」の名言が新聞広告に掲載された。また「海賊と呼ばれた男」のモデルとして知られ、近年、その業績が再評価されている。■出光興産 社是 ①社会がよりよく明るくなるために ②企業がよりよく繁栄するために ③社員がよりよく幸福になるために』

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海賊とよばれた男 監督 山崎貴が映画紹介

※なにやかやで、この映画、まだ観られてないんだなぁ~。

Amazon.co.jp マルクスが日本に生まれていたら 単行本 出光佐三(著)
『■内容紹介:海賊とよばれた男出光佐三が自ら語る「和」の思想。 「人間尊重」を理念に掲げ、社員は家族、非上場でよい、タイムカードはいらない、定年制度はいらない、労働組合はいらない等、独特の社風のもとに出光興産を一代で築いた出光佐三。彼が、マルクスの思想の目指すところは出光と同じであり、ただそこにいたる方法が決定的に相違することを示し、その上で日本人が世界の平和と福祉に貢献するための道標を明らかにした快著。
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/■登録情報:/単行本 228ページ /出版社 春秋社 /言語 日本語 /ISBN-10: 4393333284 ISBN-13: 978-4393333280 /発売日 2013/7/20 /梱包サイズ 19.2 x 12.6 x 2 cm /おすすめ度 5つ星のうち 3.9 /■カスタマーレビュー:ぺんぺん 5つ星のうち4.0 「ある意味、預言書」2016年2月28日・・・私も「海賊と呼ばれた男」で気になって、読んでみました。出光氏が言ったようにマルクス主義は行き詰まり、現在ではソビエトも瓦解し、世界で最大の「物の国」たる中国も、今や経済は自由化に。日本の互譲互助、義理人情の精神は、北陸大震災で世界を感嘆させました。出光氏の言う「神はわれわれの祖先である」という感覚は、アラフォーの私でも正直理解はできませんでしたが、目前の利益に囚われず、自社の為だけでなく遥か遠くを見て、決断を下してきた事は立派だと思います。/ただ出光氏は実家が質素倹約を旨としながらも、幼少の頃は裕福な家でした。これがもし、飢饉で苦しむ東北の貧農の家で生まれていたら、彼も日本のマルクスになっていたかも。日本だって戦国時代は、負けた国の人が人身売買されてたし、環境って大事だと思う。出光氏が亡くなって35年経つ現在の出光でも、派遣や契約社員を遣わず、全員直接雇用の社員しかいないのなら凄いと思うけど、実際はどうなんだろうか?』

☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“私は天寿の許す限り、奮励する心組みでいる(『点頭録』より)”

【1909年3月7日の漱石】門弟の小宮豊隆にドイツ語の個人授業を依頼する

今から107年前の今日、すなわち明治42年(1909)3月7日、漱石は門弟の小宮豊隆漱石山房に迎え入れた。この日は、豊隆の誕生日だった。漱石の妻・鏡子は豊隆のために、赤飯と鯛の尾頭付きを用意して、お祝いの準備をしていた。一方、豊隆のほうも、漱石の依頼で1冊の本を抱えてきていた。ロシアの作家レオニード・アンドレーエフの作品をドイツ語に翻訳したものだった。

このころ、漱石はドイツ語を勉強したいと思い立っていた。大学予備門(のちの一高)から大学時代にかけて、第2外国語としてある程度学んでいたものを、もっと向上させたいと考えたのである。そこで、ドイツ文学者でもある豊隆に相談したところ、購読の教材にふさわしいものとしてアンドレーエフ作品のドイツ語版を選び、持参してくれたのであった。ふたりの間で相談がまとまり、漱石はこのあと、豊隆を先生にしたドイツ語の個人授業を受けていくこととなった。

この5日後の3月12日には、漱石は豊隆宛てにこんな葉書を書いている。《アンドレーフをならいてより、急に独逸(ドイツ)語趣味が出た様なれば、この機に乗じて次の仕事に取りかかるまで大いに勉強仕度(つかまつりたく)、どうぞ日数を御ふやし下さい》/漱石このとき数え43歳。当時としては、十二分に熟年の域に入っている。漱石の、尽きることのない向学心を感じさせる逸話だ。漱石は没年となる大正5年に発表した評論『点頭録』の中でも、《力の続く間、努力すればまだ少しは何か出来る様に思う。それで私は天寿の許す限り(略)奮励する心組(こころくみ)でいる》と述べている。

ふと、同時代の陸軍軍人・秋山好古(あきやまよしふる)のことを想起する。好古は人間は死ぬまで働くべきものと思い定め、退官後、郷里・松山の無名の中学の校長をつとめた。それも6年余りつとめ、1日も休むことがなかったという。陸軍大将まで上りつめた人物としては、極めて異例のことだった。ちなみに、好古の弟・真之(さねゆき)は、正岡子規の少年時代からの友人で、一時、大学予備門(一高の前身)で漱石とも机を並べて学んだことがあった。超高齢化社会を迎えている現代の日本。年をとってもむやみに老け込まず、漱石や好古の心意気を大いに見ならうべきなのかもしれない。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「ドイツ語」「個人授業」で動画検索してみました!!)

●B2 ドイツ語教材 Einen Kater haben

※「雄猫を持つ」でなぜに二日酔いになるのやら・・。ドイツ語は難解だーーー

●Caro mio ben- Jose Carreras in concert 1997

※ワチクシの、大学での第二外国語もドイツ語でした。漱石とおそろ♪
 イッヒ・ビン・シュツデント!

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ジョニーAのつぶやき:「カロ・ミオ・ベン」は未だに歌えるジョニーAでありんす~♪