コメダ珈琲のシロノワールかき氷
→ 『東海地方を中心にいまや全国区でチェーン展開している「コメダ珈琲店」。2018年夏の新商品を先取りできる試食会が先日開催されたのですが、今回はPouchも招待されました。以前「たっぷりたまごのピザトースト」について「おいしいけど卵がたっぷりすぎてこぼれる」なんて率直すぎるレビューをしたにもかかわらず声をかけてくれるとは……その心意気、さすがコメダ!というわけで、ワクワクしながら参加してきた私。今回はそのレポートをお届けしたいと思います。先にお話しておくと、夏の新商品でイチオシしたいのは「シロノワール氷」! そう、毎年好評のかき氷ですが、今年はシロノワールをモチーフにした新商品が出ているんです……!!
【あのシロノワールがかき氷に!】シロノワールといえば、言わずと知れたコメダの看板商品。サクサクふんわり焼いたデニッシュパンの上にたっぷりのソフトクリーム、そこにシロップを垂らしていただくという「熱い」「冷たい」「甘い」の組合せが多くの人たちをトリコにする秘密です。(中略)コメダのかき氷といえば、「ふわっ、ヒヤッ、じゅわ~」が合言葉。固めの氷ではなくフワフワとしたやわらかな氷が使われていますが、今回の「シロノワール氷」に関しては作る際に少し押しつぶしているのが特徴。これはシロノワールの見た目を再現するためですが、社内では「コメダのかき氷の特徴である“ふわっ”をなくしてもよいのか?」との声もあがったそう。そうした議論を経て商品化となった「シロノワール氷」。個人的には見た目も味もかなり再現度高くて、コメダでしか食べられないコメダならではの一品だと感じました。』
※この手のニュース記事をあらかじめ見ていたからなワケだが・・・。
コメダさんって、今回初めて店内に足を踏み入れたわーー。
コーヒーにあまし思い入れはないし、専門店って敷居が高いように
感じてたから。今回、かき氷のみ!涼むためだけにコメダデビュー!
いざ、いざ。
※マンゴーパフェだけを食べに行くのって・・・アリなんすかぁ~~~~?
『失われたものを数えるな 残された機能を最大限に生かせ』 |
出展:<傷痍軍人たちにかけ続けた言葉> |
発言者:ルートヴィッヒ・グッドマン (ドイツの神経学者 1899年7月3日~1980年3月18日) |
→ 『解説:ルートヴィッヒ・グッドマンは「パラリンピックの父」といわれる。1939年、ナチスから迫害を逃れてイギリスに亡命。第二次大戦後、戦争で傷ついた者たちのリハビリテーションにスポーツが最適であると考え、障害者スポーツを始めた。1960年、オリンピックと同年に車椅子競技大会を行い、これがパラリンピックの開始となった。この言葉は障害を持つものにどれだけ勇気を与え続けてきただろう。』
(↑グットマンを扱ったイギリス制作ドラマからのショット)
→ 『パラリンピック:障害のある人々が参加する世界最高峰の大会である。現在はオリンピック終了後に同じ会場を使って開かれている。障害者スポーツは、もともとイギリスの医師であったルードヴィッヒ・グットマンが第二次世界大戦で脊髄に損傷を負った兵士の治療にスポーツを取り入れたことから始まったとされている。パラリンピックの原点は1948年のロンドン大会の開会式の日に病院内でアーチェリー大会を開いたことにあるとされる。1979年の大会では脊髄損傷者だけではなく、視覚障害者や切断の選手も出場するようになり、1980年の大会では脳性麻痺の選手の出場が認められた。パラリンピックの「パラ」の意味は、当初は下半身麻痺を表す「パラプレジア(Paraplegia)」にちなんでいたが、1985年に「もう一つの」という意味で「パラレル(parallel)」に意味づけされている。つまり、パラリンピックとは、「もう一つのオリンピック」という意味であり、1988年のソウル大会からは、これが正式名称になっている。』
→ 『オリンピックの興奮もまだ冷めやらぬ今日この頃だが、9月7日(日本時間で9月8日)には同じリオデジャネイロで《パラリンピック》が開幕する。競技や種目こそ違えど、またスポーツの世界一を巡る熱い戦いが繰り広げられるってわけだ。2020年には東京大会が行われることもあるし、今日はその歴史と魅力を改めて紹介しよう!/パラリンピックのルーツは第二次世界大戦が終わった3年後の1948年、ロンドンの北西60kmにあるストーク・マンデヴィル病院で開催されたアーチェリーの競技会だ。医師のルートヴィヒ・グットマン博士が、戦争で脊髄を負傷し下半身が麻痺してしまった患者のリハビリテーションとして、アーチェリーを活用することを提案したんだ。アーチェリーは車いすに座ったままでもできるスポーツだからな。
グットマン博士が始めた競技会は年々規模が大きくなり、1960年にはローマ五輪に合わせて、同じローマで国際大会として開催された。現在はこれが実質的な第1回のパラリンピックだとされている。まだ当時の大会名は「国際ストーク・マンデヴィル大会」だったが、参加23カ国、参加者400人という規模で、アーチェリーの他にも陸上、水泳、卓球、フェンシング、バスケットボールの全6競技が行われたんだ。それ以降、オリンピックに合わせて障がい者の国際スポーツ大会を開催するのが恒例化し、1964年の東京五輪の後にも同大会が行われている。
当時はまだまだ世界的に障がい者スポーツに対する認知度が低かったが、日本は国を挙げて受け入れ態勢を整え、坂本九が寄付募集のコンサートを開いたり、自動車業界が車いすのまま乗れる特注バスを造ったりしたんだぞ。1976年のモントリオール五輪に合わせて行われた第5回トロント大会では車いすの選手のみならず、視覚障がいや切断の選手も参加できるようになり、1988年のソウル大会から正式名称が「パラリンピック」となった。そして今回のリオ大会は全23競技528種目が行われ、176の国と地域が参加するほどの規模で行われる。それじゃ今日は今大会の見どころや注目の選手を詳しい人に会って聞いてみようかな。Here we go!』
☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
細かすぎて伝わらない関連動画など
(「上野精養軒」「漱石」で動画検索してみました!!)
※団地育ちだったからゆえに、伝統に憧れて、よく来たんだそうな。
恐るべき宮本理論!この頃は、でもまだ理屈としては解り易い方
だったかも?(いまだいぶグチャグチャだもんなーーw)