『光』 井浦新vs瑛太
■スタッフ:/監督 大森立嗣 /原作 三浦しをん /脚本 大森立嗣 /撮影 槇憲治 /照明 野村直樹 /録音 吉田憲義 /美術 黒川通利 /編集 早野亮 /音楽 ジェフ・ミルズ
■キャスト:/井浦新(黒川信之) 瑛太(黒川輔) 長谷川京子(篠浦未喜/中井美花) 橋本マナミ((黒川南海子) 梅沢昌代(山内) 金子清文 中沢青六 足立正生 原田麻由 鈴木晋介 高橋諒 笠久美 ペヤンヌマキ 福崎那由他(14歳の信之) 紅甘(14歳の美花) 岡田篤哉(輔ー幼少期ー) 早坂ひらら(黒川椿) 南果歩(小野) 平田満(洋一)
■作品データ:/製作年 2017年 /製作国 日本 /配給 ファントム・フィルム /上映時間 137分 /映倫区分 R15+
※井浦新は「アンナチュラル」の中堂さんのイメージがまだ色濃く残っているので、
幼少の頃のエピソードも、中堂さんの過去として脳内で補完してしまう自分がいる。
「暴力で傷ついたら暴力で返さなきゃいけないんだ」なんて台詞、バッチリ繋がるし。
※直接的な暴力描写が苦手な人にはお勧めできない。
個人的には、凄惨なシーンでこれ見よがしに流れる大音響が
耐えられなかった。同じような暴力映画でも、たとえば『ヒメ
アノ~ル』などは描写の強弱が絶妙だし、ラストは感動まで
させてくれる優れもの。そういうの観ちゃってる身としては
やっぱり比較しちゃって、「後味の悪さはどうにかならんもん
かなぁ~~」などと思っちゃうんである。
→ 『(取材・文/平辻哲也、写真/江藤海彦)/井浦は「さよなら渓谷」、瑛太は「まほろ駅前」シリーズと、それぞれ大森監督作品に出演しているが、顔合わせは初めてだ。「仕事、プライベートでもなかなか会う機会がなかった」と話す井浦。瑛太の出演作や雑誌などでのインタビュー記事は見てきたという。芝居によってカメレオンのように変わるが、瑛太個人の印象は変わらないという。/井浦「根っこのところがずっと感じたままの人でいられるって、すごく素敵なこと。全然ぶれてない、そのまんまでいる。大きいというか、もう底が見えない人だなあ」/瑛太「僕って、すごいですねえ(笑)」/井浦「先にハードルを上げておこうと(笑)」/瑛太「共演の前に、食事に行かせていただいたんですが、新さんの言葉って、自分に全部返ってくるんですよ。こういうところを、俺は直さないといけないんだなあとか、もっと楽しんでいいんだろうな、人生って。共演にはすごく興奮しましたね。新さんのことを知りたいという気持ちが増しました。今、僕が伝えたいことが新さんの思いに届いたのか、今、返されたのか、っていうことがずっと連鎖していくというか……。そんな感情も思考も全てかき乱される感じがあるんです。新さんといるということで、どんどん恍惚の状態に入ってしまう。すごい」/井浦「なんだか、僕が人の話を聞かない人みたいになっているけど、大丈夫?(笑)」/瑛太「なんか異次元に連れてってもらえるんです」
人々の共感を呼んだ「舟を編む」とは違い、圧倒的な暴力や人間の闇を描いた衝撃作。原作、脚本のどの部分に共感、魅力を感じたのか? 「光」とは何か?/井浦「暴力は肯定できるものではないし、共感できるものがすべて良いことじゃないと思いますけど、自分が(作品に)感じたのは、生命感です。作品の中で信之は死んだような顔をしていますけど、心の中はとても速く回転し動いている。輔が現れてから信之の心はものすごく生き生きしていた。津波が襲ってくる時も月の光が照らしていた。あの光って、静寂の世界に見えるけど、見方によっては、そういう光でさえも生命力に溢れている。光っていうのは、生命感や命の輝きみたいなものかなと感じました」/瑛太「原作を読んでも台本を読んでも、『光はどこにあるんですか』って感じでした。このタイトルをつけた意図は何か、ずっと考えさせられました。でも、そういうことを超越しちゃっているというか、どう捉えても良いですよっていうのはあるのかな……あんまり難しいこと考えられないんですけども。生命力みたいなところから生まれてくるエネルギーみたいなものが光なのかな? 自分で言っていて、訳が分からなくなっちゃった(笑)」/井浦「迷宮に入っていくよね。監督は取材の場で一緒になった時、『見る人たちに答えを預ける、渡すんじゃなくて、あなたはどうなんですかって力強く、挑発してるような作品なんだと思う』と言っていました。これにはドキッとしました」
大森監督のキャスティングは「役に合うか」よりも、「この人と仕事がしたいかどうか」が重要という。監督との話で、印象的な言葉はあるのか。/井浦「『自分が今までやってきた映画作りを1回捨てて、作品に向き合おうと思っている』っていう言葉です。もうそれがきっと全てだ、って。自分も監督のテンションと同じくらいものを返し続けなければいけないっていう思いがありました。(試写が)始まった瞬間、僕、大笑いすることがあったんです。『いままでの大森作品でこんな始まり方はなかった』みたいなところから、(最後は)本当にそれをやってのけたんだなって思って、嬉しくてケラケラ笑ってしまいました」
/瑛太「僕、(監督から)何も言われてないですけど……。無言で圧をかけられているのか……分からないですね。でも、ワンカットワンカットに対しての覚悟みたいなものは感じました。僕は思考したり、感情をこうしなきゃいけないっていうことにさえも、いかせてくれないっていうか、ある意味、本能だけでやっている感覚でした。特に新さんとのシーンは。だから、試写を見た時に、(自分を見て)コイツ誰だって感じでした(笑)」/井浦「変な生き物が映っちゃって、と?」/瑛太「みたいな感じですね。それが演出だったんじゃないかなって気もします。『まほろ(駅前シリーズ)』の時は、ややこしい松田龍平もいたんで(笑)、(演技について)たくさん話しました。龍平は結構、ディスカッションするんで。『もっと来いよ』と言うから、僕は『監督、どうしますか?』って(笑)」/井浦「ちゃんとしてるね」/瑛太「そういうのが今回一切なかった」/井浦「怖いですよ、そういうのが一番。結局、圧かけられて、ウチらは恐怖の中から出てきちゃったものが映ってるだけ、みたいな状況だったりしますから。監督は、速攻見抜く方ですし、お互い、本能でやっていた感じはあると思います」
井浦によれば、大森監督は積極的に俳優に対して、細かく注文をつけるタイプではない、という。/井浦「こっちから行かない限り、自分からは(俳優側には)来ないです。きっと今回の作品は、なおさら。僕は、何かあった時に『わからない。どういうことなんですかね』と言ったりするから、『新、俺もわかんねえ』みたいな……。そんなやり取りをしているだけで、なんか安心しました。分からなくてもいいんだなって。『どんどん分からない方向に行って良いですよね』って話をしました」
平穏に暮らしていた信之は突然、目の前に現れた輔に対して、戸惑う。輔は、信之の気を引くため、その妻(橋本マナミ)や過去を封印して、女優として活躍する美花(長谷川京子)に近づく中、信之は新たな暴力に目覚めていく……。大森監督は登場人物の心情を単純に言葉にすることはない。画面には、心のざわめきや得体の知れない緊迫感が漂う。/井浦「演じていくうちに自分の中で押し殺していた暴力性みたいなものが解放されていった。息をしているだけでも周りの人たちにすごい攻撃をしているような感情で、自分でも怖いものがありました。それを現場まで隠しながら持っていくのが大変でした。撮影の3週間を過ごすのはしんどかった。それがあるから、後で楽しさ、心地良さになっていくものなんですけどね……」
そんな闇を持ったキャラクターを演じた場合、現場、プライベートでのオン、オフの切り替えは大変ではなかったか。/井浦「どの役も自分じゃないけど、結局は自分なんです。それが、人を殺める役だったとしても。どれも自分から出てきちゃったものだから、それを分けてしまうのが一番心に負荷をかける。1回オフにしたものをオンにするっていうことの方が疲れるんです。だったら、少し沈めておくだけくらいにする方がいいかな、と。演じている時は自分の中で暴力性、凶暴性みたいなものがバンバン出てきて、普段やらないようなことがやりたくなってしまう自分がいました。それは現場だから解放できているんです。現場の方が楽な場所だったりするんです」
終盤、信之が輔の首を締めるというシーンが登場する。ここは脚本になく、井浦が直前、監督と相談の上、本番で加えたアドリブだったという。/井浦「(瑛太が)殺して欲しそうな顔をしていたから。だから、リハーサルをやった時に、『シャベルでボコボコ殴る前に、殺しちゃって良いですか?』って監督に聞いたんです。『それは、ちょっとやめて』と言われたんですけど(笑)。本当になんだろう、この気持ちは……。早く輔を殺してあげたいなあって。そういう顔を目の前でされて、そのまま本番に流れました」/瑛太「来たか! って感じでしたね。それはやっぱり、(演じていて)楽しかったです。やっぱり本番は一番自然な感じで迎えたいですし、何が起きても良いように準備しておかない、と。そういうことを抜きにして、井浦新すげえって思いますし、本当に殺されるかと思いました」
念願の初共演を果たした2人。共演後も同じ時間を過ごし、さらに刺激を受けあっているようだ。/瑛太「新さんが、生活の中にも、僕の中にも入ってきちゃって、新さんだったらどうするかな?とか考えちゃったりしましたね」/井浦「お互いにまだ分かり合えてないところがいっぱいある。これだけお互いに体も心も削りながらやってみたけど、それでもまだある。全然まだ先が見えないと感じているので、だからこういう風にワクワクさせられているんだな。まだ、終わってないなあ」』
→ 『舞台あいさつが8日、大阪市内であり、主演の井浦新(43)瑛太(34)大森監督が出席した。お互いに出演作品を認め合い、共演を望んでいたという2人は男同士にもかかわらず「好きです」を連発。「ガッキーに告白した時みたいになる」と瑛太は苦笑いした。先月、瑛太は公開中の映画「ミックス。」のイベントに登場。男子校と女子校に通う高校生から恋愛相談を受けた。好きな女子に告白したいという男子には、新垣結衣(29)を練習相手に「普通に付き合ってくださいと言うのが一番だけれど、全部かんで言うと伝わると思う」と極意を伝授していた。』
※子役に「パパ、パパ」と延々何分も言わせる演出が合わなかった。
どうしても是枝監督の映画に出ている子役と比べちゃうもんなーー。
ごめんネ、監督さん!!↓
『日の光を籍(カ)りて照る大いなる月たらんよりは、自ら光を放つ小さき燈火たれ。』 |
出展:「森鴎外の“知恵袋”」(講談社) |
発言者:森鴎外(小説家1862年2月17日~1922年7月9日) |
→ 『解説:月は太陽の光があって、はじめて光を放つのだ。それなら小さくても自ら光を放つ生き方をしたい。というのは簡単だが、「寄らば大樹の陰」「虎の威を借る狐」とならざるを得ないところがあるのが、私たち世俗の苦しいところだ。それでも、自ら光を放つ小さき燈火たる自分を忘れまい。そういう気概を持ちたいものだ。明治の人・森鴎外は自らの生き方もその通りの人であった。』
→ 『森鷗外(1862-1922)は、「大発見」(1909年)という小説で、ヨーロッパ人は鼻糞をほじるのかを調べ、ついにその記述を発見したことを記している。鷗外は衛生学を学ぶためにドイツ留学した際、当時の駐独日本大使に「人の前で鼻糞をほじる国民に衛生も何もあるものか」と罵倒され、3年間鼻糞をほじるヨーロッパ人を探したが見つからなかった。20年以上が経ったある日、ついに鷗外は、デンマークのグスタフ・ウィードが書いた「2×2=5」という脚本に鼻糞をほじる記述を発見した。「大発見」には「僕は謹んで閣下に報告する。欧羅巴人(ヨーロッパ人)も鼻糞をほじりますよ」と記されている。そして、鷗外は何かを発見することについて次のように記している。/発見は力づくでは出来ない。一目の羅(あみ)は鳥を獲ず。鳥を獲る羅(あみ)は唯だ是一目である。「目が一つだけの網では鳥は捕まえられないが、鳥が捕まるのは網の目の一つに過ぎない」という意味の言葉だ。』
→ 『明治時代、富国強兵政策を推進した日本が学歴偏重主義へ移行していくなか、“性”というものは勉学心を阻害するものだとする見方が急速に広がっていった。教育関係者のあいだでは、児童のマスターベーションをどうやって勉学心に振り向けるかが盛んに論議され、その結果「マスターベーションすると知能の成長が止まる」とか「身体の成長が止まる」といった説が流布されたのである。
/だが、この説は当時のドイツで収集された特異な事例だけを集め、「マスターベーションするとこうなる」という形で引用され、意図的に流されたものだった。われわれは政府によって歪曲された根拠のない説に、つい最近まで惑わされていたのだから、実にめでたい。このような流れに対して敢然と立ち向かい、『マスターベーション無害論』を打ち出したのが、当時、軍医として活躍していた森鴎外であった。鴎外はまず、自分で自分を卑しめるという意味で“自涜(じとく)”と呼ばれていたマスターベーションを“独淫”と呼び換え、共同で発行していた雑誌『公衆医事』で「オナニーは無害」だという主張を展開したのである。もちろん、女子のマスターベーションも是認し、当時の風潮に真っ正面から対抗したのだった。そのとき、鴎外は40歳。しかも18歳年下の女性と再婚したばかりだった。官僚であった鴎外が、システムの内からそのような変革を主張したことは誠に意義深い。成人向けの本を害悪視し、一方的に市場から締め出そうとする現在のやり方を鴎外が見たら何と言うだろうか。』
☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
※誤字をいましめる文書に誤字、って・・・完璧すぎるネタ物件!!
※カシマス!?エレカシのチケットを貸すってーの?
※すぐやめてしまいそうですw
※リ、リアル「ねこ組長」やーーーーん!