オジンオズボーン 「シャッフル男爵」のラジバンダリーになってしまう危険性
●大竹まこと ゴールデンラジオ 2018年7月5日
オジンオズボーン登場は、54分30秒~1時間17分23秒まで!ピンポイントで是非!!
※台湾のSNSで話題沸騰中?とかで、台湾進出を図ろうとしている
らしいオジオズだが。ちょっと待て、そんなピコ太郎の二番煎じみたい
なリズムネタで一世風靡したところで、一発屋の称号が手に入るだけの
ような・・。個人的にはもっと本芸で勝負してもらいたい!ダブルダッチ
が「ラジバンダリ!」でプチブレイクした後空中分解してしまった嫌な思い出
しか脳裏に浮かんでこないんだよ~~~ぅ。
オジンオズボーン登場は、54分30秒~1時間17分23秒まで!ピンポイントで是非!!
※台湾のSNSで話題沸騰中?とかで、台湾進出を図ろうとしている
らしいオジオズだが。ちょっと待て、そんなピコ太郎の二番煎じみたい
なリズムネタで一世風靡したところで、一発屋の称号が手に入るだけの
ような・・。個人的にはもっと本芸で勝負してもらいたい!ダブルダッチ
が「ラジバンダリ!」でプチブレイクした後空中分解してしまった嫌な思い出
しか脳裏に浮かんでこないんだよ~~~ぅ。
☆7/7の単独ライヴはどうだったんだろ?日本国中、大雨で大変やった
日やけど。。
日やけど。。
『あの氷の山頂に立って、私はただ振り返ることを奪われた一つの動物のように、前に向かって力いっぱい踏んばっていたい。よろめく私をささえるものは、私以外にないことを知っているはずではないか。』 |
出展:「若き日の山」(集英社) |
発言者:串田孫一 (詩人 哲学者 1915年11月12日~2005年7月8日) |
◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・
Amazon.co.jp 新選 山のパンセ (岩波文庫) 串田孫一(著)
→ 『■内容(「BOOK」データベースより):詩人・哲学者串田孫一(1915~)の、山をめぐる随想集。ページをめくると、独特の詩的で平易な文章で綴られた、山靴やスキーで野山を逍遙する著者の世界がひろがる。雪を待つ高原の一本の枯れ草まで魅力的な表情を浮かべている、著者自身が選び再編成した決定版。/■登録情報:/文庫 356ページ /出版社 岩波書店 /言語 日本語 /ISBN-10: 4003114817 ISBN-13: 978-4003114810 /発売日 1995/6/16 /梱包サイズ 14.6 x 10.6 x 1.8 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.2 /■カスタマーレビュー:なおたろう 5つ星のうち4.0 「迷ったらこちらを」2018年4月25日・・・「山のパンセ」は1957年~63年の間に1、2、3が出版されました。岩波文庫の「新選」は串田孫一さんが95年に3巻計90編余から約55編を選んで自ら編んだ1冊。対して、没後にヤマケイ文庫から出た「山のパンセ」は1~3の全編を収録している。どちらを選ぶか迷う人も多いと思うが、まずは岩波文庫の「新選」を薦めたい。筆者がこの自選から外したのは、長い時を経て振り返って「こんなことを書かなければよかった」と考える文章であることを、後書きで正直につづっている。若干の加筆や訂正も施されている。筆者が明確な意思を持ってまとめた「新編」を底本と考えたい。』
→ 『■内容(「BOOK」データベースより):詩人・哲学者串田孫一(1915~)の、山をめぐる随想集。ページをめくると、独特の詩的で平易な文章で綴られた、山靴やスキーで野山を逍遙する著者の世界がひろがる。雪を待つ高原の一本の枯れ草まで魅力的な表情を浮かべている、著者自身が選び再編成した決定版。/■登録情報:/文庫 356ページ /出版社 岩波書店 /言語 日本語 /ISBN-10: 4003114817 ISBN-13: 978-4003114810 /発売日 1995/6/16 /梱包サイズ 14.6 x 10.6 x 1.8 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.2 /■カスタマーレビュー:なおたろう 5つ星のうち4.0 「迷ったらこちらを」2018年4月25日・・・「山のパンセ」は1957年~63年の間に1、2、3が出版されました。岩波文庫の「新選」は串田孫一さんが95年に3巻計90編余から約55編を選んで自ら編んだ1冊。対して、没後にヤマケイ文庫から出た「山のパンセ」は1~3の全編を収録している。どちらを選ぶか迷う人も多いと思うが、まずは岩波文庫の「新選」を薦めたい。筆者がこの自選から外したのは、長い時を経て振り返って「こんなことを書かなければよかった」と考える文章であることを、後書きで正直につづっている。若干の加筆や訂正も施されている。筆者が明確な意思を持ってまとめた「新編」を底本と考えたい。』
●音楽の絵本「氷」(8分40秒)
・1968年夏FM東海から放送された串田 孫一 「音楽の絵本」テーマは「氷」。詩とお話の1部が残ってました。現在音楽専門放送「music bird」で
毎週朝5時からアーカイブとして放送されていますが、この「氷」は消失してしまっているそうです
・1968年夏FM東海から放送された串田 孫一 「音楽の絵本」テーマは「氷」。詩とお話の1部が残ってました。現在音楽専門放送「music bird」で
毎週朝5時からアーカイブとして放送されていますが、この「氷」は消失してしまっているそうです
今から126 年前の今日、すなわち明治23年(1890)7月8日、漱石は第一高等中学本科の卒業式にのぞんだ。同級生の正岡子規は、病を抱えた身ということもあってひと足早く郷里の松山に帰省しており、子規の卒業証書も漱石が代理で受け取った。
漱石と子規の、いかにも親しい交際ぶりが伝わってくる。
第一高等中学(のちの第一高等学校)の卒業証書。漱石がこの学校の前身である大学予備門に入学したのは明治17年。予科2年、本科3年に加え、1年の落第もあり、漱石は計6年間、この学校で学んだ。神奈川近代文学館所蔵
漱石は翌日、卒業証書を預かっている旨を葉書で松山に知らせた。
《不順の折柄、御病体は如何。陳(のぶれ)ば昨八日、例の如く卒業式これあり。大兄卒業証書は小生当時御預上り申し上げ候。差し当り御不都合なくば九月に拝眉の上、差上(さしあぐ)べく候》
前年に喀血して「それほど長くは生きられないかもしれない」という覚悟を胸の奥に秘めてはいても、子規はまだ寝込んでしまっているわけではなく、日常生活はそれほど大きな支障なく過ごしていた。
子規から漱石へは、まもなくこんな返書が届いた。
《小生は如何なる前世の悪業にや今度の試験もとうとう及第せしよし、誠にありがた迷惑に存候》
前世でどんな悪いことをしたのか、自分の望みとは裏腹に、また試験に及第してしまった。子規は、そう言うのである。続けて、こう綴る。
《もし小生が落第せしならば、古今独歩東西絶倫大極上々無類飛切という大学者になる処を、(略)終に小学者道へ堕落致し候》
もしも落第したならば、古今に類例のないユニークでとびきりすごい大学者になるところを、普通に及第してしまったために、普通の学者(小学者)たる道を行くことになるだろう--。
冗談半分の飄々たる言い回しの中に、他者と違う道を行って何かをなし遂げようとする気概と自負だけは、あふれ出ている手紙である。
漱石先生も、呆れたり感心したりしながら、微笑とともに、子規のこの返書を読んだのだった。
数年前には、日頃の不勉強と試験日に腹膜炎を起こす不運も重なって、一度は落第も経験している漱石先生。その後、気持ちを入れ直し首席で通しての卒業。大学進学直後は、歴史の外国人教師マードックと1時間ぶっ通しで英語で歴史を論じ合い、英文科教師のディクソンにも認められ、鴨長明の『方丈記』の英訳を依頼されるほどだった。