オマケの三連投!~~禁断の横着スタイル発動~~
埋める努力をするのだが。とりあえずこの酷暑日和で、集中力は途絶え気味。
禁断の作戦に手を染めざるを得なくkなったのだった。いや、そない大したこと
ぢゃあないんだけどもーーー。
『飛び込む前に、あれこれ考えたってや、どうせ、その通りにはなんねぇ。だったら何も考えず飛び込め。なんとかなるもんだびゃ。死にたくねぇがらな。』 |
出展:2013年NHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」の台詞 |
発言者:宮藤官九郎 (脚本家 俳優 1970年7月19日~) |
→ 『解説:「あまちゃん」は宮城県出身の宮藤官九郎ならではの岩手三陸地方の活き活きとした会話も魅力的だったが、ドラマの中に急きょ、東日本大震災も取り入れられ、一段と多くの勇気と感動が与えられた。この言葉は、夏ばっば(宮本信子)がアキ(能年玲奈)を海に突き落としていう名シーン、名台詞だ。そうだ、人はそうは死にたくないのだ。、そうと腹をくくれば人生勝ったようなものだ。何も考えずに飛び込め、だ。大江健三郎の小説のタイトル「見る前に跳べ」を思い出す。』
→ 『■内容(「BOOK」データベースより):セリフを書きセリフを覚えセリフを喋って20年。人生の半分をセリフと格闘してきた宮藤官九郎が思わず「いまなんつった?」と振り向いてしまうようなセリフをエッセイに。TV・舞台・映画・音楽・家庭で耳にした名&迷セリフばかり111個。巻末には、劇作家・俳優の岩松了が書きおろした岩松了の「いまなんつった?」を収録。/■登録情報:/文庫 389ページ /出版社 文藝春秋 /言語 日本語 /ISBN-10: 4167811022 ISBN-13: 978-4167811020 /発売日 2013/5/10 /梱包サイズ 15.2 x 10.6 x 2 cm /おすすめ度 5つ星のうち 5.0 /■カスタマーレビュー:ゴリポン 5つ星のうち5.0 「公共の場では読めない」2013年12月14日・・・今は亡き、井上ひさしさんを思い出させる書きっぷりで、とても読みやすかった。ただ、バスや電車、知らない人がたくさんいるような場所では読まない方が良い。それは、思わず、大きな声を出して笑ってしまうからだ。家で読んで、久し振りに大きな声を出して笑うことしばしばだった。健康に良いかも………。』
※役者としても、存在感のあるいい脇役の座をキープしてるんだよなぁー。
→ 『NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」が相変わらず高い視聴率をキープ。今週放送分(4月29日~5月4日)では、海女(あま)漁シーズンも終わり、意気消沈するヒロイン・アキ(能年玲奈)を見兼ねた親友・ユイ(橋本愛)が高校のプールに連れて行く。そこで出会った、潜水土木科の種市(福士蒼汰)にアキは一目ぼれをしてしまう展開に。そんなアキの恋を応援する“ミス北鉄”ユイ役の橋本愛にインタビューを行った。
――ユイを演じての感想をお聞かせください。/橋本:(脚本の)宮藤(官九郎)さんに“橋本愛”のパブリックイメージごとすごく遊ばれているのを脚本の中から感じたので、だったら逆に遊び返してやろうと思って演じています。ただ、ユイちゃんのような強引さやアイドルへの憧れが、私にはないので苦労しました。――ユイの好きなところはどこですか?/橋本:調子にのらない子なので、勘違いしないところはやっていてすがすがしく思います。頭のいい子なので、すごく冷静な面は好きですね。でも、逆に見ている方には嫌われる要素のひとつにもなると思うので、ちょっとずつ調整しながら演じています。――思い出に残っているシーンは?/橋本:トンネルで叫ぶシーンは印象に残っています。すごく気持ち良くて、ユイが田舎を嫌う気持ちが分かりました。やっと自分を吐露できた瞬間で、すごく楽しかったです。私にとって開放できる場所が、ユイには閉塞感を感じる場所でしかないことを体で感じることができました。自分とはチグハグなんですけど、楽しめたシーンですね。――能年玲奈と共演した印象はどうでしたか?/橋本:(能年は)自分のやり方がわかっているからか、現場では常にアキとして生きるために必要な振る舞いをしています。そんな姿勢や玲奈ちゃんの笑顔に現場は癒やされています。玲奈ちゃんが吹き出すのをこらえながらもせりふが言えない姿に、私もいとしさを感じます(笑)。(能年は)弱音を絶対に吐かないんです。ヒロインのかがみだと思います。』
※のんちゃんのドラマ復帰作は、是非ともクドカン脚本のモノにして欲しいゾーゥ。
☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
※久々に観たなー、ベルりんの壁サン。忘れていたわ。今後もチェック欠かさんとこ。
※偶然の本との出会いは確かに魅力的だ~~!
ジョニーAのつぶやき:ベルリンの壁さんのユーチューブを思い出せたことは収穫~♪書評動画とか、もっとどんどん観させてもらいまひょ♬
『不惜身命(フシャクシンミョウ)』 |
出展:座右の銘 「法華経」(仏教聖典) |
発言者:緒形拳 (俳優 1937年7月20日~2008年10月5日) |
→ 『解説:「不惜身命」とは、我が身や命をかえりみないこと。命を捨てて惜しまないこと。元々は仏教に身を捧げる意味だったが、国や主君、天や人々なども対象となった。では緒形は何に命を捧げようとしたか・・・。もちろん、俳優道だろう。正義も悪もこなせる陰陽併せ持った大人の俳優だった。この言葉、貴乃花が横綱に昇進する際の口上で「相撲道に不惜身命を貫く所存です。」と述べて有名になった。貴乃花は緒形拳から贈られた言葉と述べているーー。』
→ 『14日放送の「行列のできる法律相談所 3時間スペシャル」(日本テレビ系)で、司会の明石家さんまが、落語家の笑福亭鶴瓶と、2008年に亡くなった俳優・緒形拳さんとの逸話を語った。/番組では俳優の高橋一生が、お笑いコンビ・野性爆弾のくっきーと初対面したときに「車を貸してほしい」と冗談なのか本気なのかわからない相談をされ、困ったというエピソードを披露した。VTR出演したくっきーは、「冗談だった」として高橋に謝罪していた。そうした中、スタジオトークではさんまが「お笑い芸人は、役者さんに気に入られようと」「なにか仕掛けたりするのも事実」と語り、鶴瓶と緒形さんのあるエピソードを話し始めた。
さんまによると、かつて鶴瓶は緒形さんに気に入られるためにある行動を取ったという。それは、緒形さんから「甘いの好きか?」と聞かれ、鶴瓶が「大好きです」と答えたときのこと。鶴瓶は、8個あったおはぎを「なんとか緒形さんのハートをキャッチしよう」という思いから、全て食べきったのだとか。そんな鶴瓶に、緒形さんは「誰が全部食べろって言った!」とツッコミを入れたそう。さんまは「(鶴瓶は)緒形さんのハートをキャッチ…したけど『(おはぎを)吐いた』って言うてはった、すぐに」と明かし、笑いを誘っていた。』
※うれしぃ~~~~~!シンプルなキャッチコピーが際立ちます。
→ 『俳優としてだけでなく、バラエティ番組の司会者やナレーターとしても知られる石坂浩二は、役者ではなく劇作家志望だった。駄目なら作家に戻るつもりで役者になり、時代劇の経験がないままNHK大河ドラマに出演した。そのとき主演だった緒形拳に影響され後の芝居に生きた役の「風格」についての石坂の言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづる連載『役者は言葉でてきている』からお届けする。
石坂の名を一気に世間に知らしめることになったのは、1965年のNHK大河ドラマ『太閤記』だ。緒形拳が秀吉役で主演した本作で石坂は石田三成に扮し、シリーズ後半から出演した。「番組の放送が始まってから話が来たんです。でも『時代劇はできないですよ』と断りました。するとプロデューサーの方が『これは時代劇ではありません。扮装は時代劇ですが、現代劇のままでいいんです』と説得されて引き受けました。ただ、実際は大変でしたね。刀を差したまま角が曲がれなかったくらいです。それでも緒形拳さんはニコニコ笑いながら『そんなこと気にしないでいいよ』って言ってくれました。あの人は新国劇にいたから立ち回りも所作も上手い。それで『こう立った方がいい』とか助言もくれましたし、こちらもお芝居を見ながら『そうか、なるほど』と目で盗んでいきました。
緒形さんが凄いのは、普段と芝居とで顔が全く違うことです。しかも表情を変えようとしてそうなるんじゃなくて、お腹の中の気持ちで変わっている。特に驚いたのは、秀吉が歳とって偉くなるのにしたがって、緒形さんもそう見えていったことです。そのことを緒形さんに言ったところ、『役に慣れてくると、偉くなったように見える。長い間やるんだから、そう思えばいいんだよ』と。たしかに最初は慣れないから芝居もチョコチョコしちゃうんですが、慣れてくるとゆったりしてきて、位も上がったように見えてくるんですよね。/後になって大河ドラマの『天と地と』で主演した時にその言葉が頭に残っていたから、意気込んでやりませんでした。段々とこの場に慣れていけば、上杉謙信としての風格も出るようになるんだと思って演じました」』
☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
『老人がふたたび眠りに落ちていた。依然としてうつ伏せのままだ。少年がかたわらに坐って、その寝姿をじっと見守っている。老人は、ライオンの夢を見ていた。』 |
出展:「老人と海」(新潮社) |
発言者:アーネスト・ヘミングウェイ (アメリカの小説家 1899年7月21日~1961年7月2日) |
→ 『解説:熱がいい。夏の海辺で5時間くらい寝たきり起きたり、ゆっくりと1冊の本を読む。100ページちょっとの長さがいい。「老人と海」だ。男の人生とはどういうものか、男が戦うこと、人生に負けないことを教えてくれる。老人になって、どんなに心身が壊れていてもライオンの夢を見られる。そんな人生に勇気づけられる。この本で老人は何も誇らない。そんな老人を少年は大好きだ。「失われた世代の代表。ヘミングウェイの作品群は魅力的な言葉で溢れている。』
→ 『生涯:イリノイ州オークパーク(現在のシカゴ)に生まれる。父は医師、母は元声楽家で、六人兄弟の長男だった。父は活動的な人物で、釣りや狩猟、ボクシングなどの手ほどきを受けた。高校卒業後の1917年にカンザスシティ (ミズーリ州)の地方紙「カンザスシティ・スター(英語版)」(英: The Kansas City Star)紙の見習い記者となるも退職。翌年赤十字の一員として第一次世界大戦における北イタリアのフォッサルタ戦線に赴くも重傷を負う。
戦後はカナダ・トロントにて「トロント・スター」(英: Toronto Star)紙のフリー記者をつとめ、特派員としてパリに渡りガートルード・スタインらとの知遇を得て小説を書き始めた。行動派の作家で、1930年代には人民戦線政府側としてスペイン内戦にも積極的に関わり、その経験を元に行動的な主人公をおいた小説をものにした。『誰がために鐘は鳴る』『武器よさらば』などはそうした経験の賜物。当時のハリウッドに映画化の素材を提供した。短編には簡潔文体の作品が多く、これらはダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラーと後に続くハードボイルド文学の原点とされている。1954年、『老人と海』が大きく評価され、ノーベル文学賞を受賞。同年、二度の航空機事故に遭う。二度とも奇跡的に生還したが、重傷を負い授賞式には出られなかった。以降、これまでの売りであった肉体的な頑強さや、行動的な面を取り戻すことはなかった。/晩年は、事故の後遺症による躁鬱など精神的な病気に悩まされるようになり、執筆活動も次第に滞りがちになっていく。1961年7月2日早朝、ショットガンで自殺(当初は手入れの際に起きた暴発による事故死と報じられたが、遺書が発見されたため自殺と断定した)。』
☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
※絵は描けなくとも、プロデュースは出来る!?