『この世界の片隅に』のん、再上映舞台挨拶に登壇
→ 『女優ののんが15日、都内・テアトル新宿で行われた映画『この世界の片隅に』夏の再上映舞台あいさつに、片渕須直監督と共に登壇。2016年11月12日に公開されて以来、642日もの間、一日も途切れず劇場上映されてきたことへの感銘とともに、新規シーンを追加して今年12月に公開される別バージョンへの思いを明かした。のんは、2016年11月に初日舞台あいさつが行われたテアトル新宿の地に立って以来、約2年にわたって作品に携わっていることに「こんなに長く皆さんに愛される作品は、世界中のどこをみてもないと思います」と感慨深げ。「とても貴重な体験」と破顔すると、終戦後、すずの感情が溢れ出るシーンを述懐。片渕監督やスタッフが感情をしっかり作れるよう、真摯に向き合ってくれたことに感謝を述べていた。
また本作は、約30分の新規シーンを追加した『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』というタイトルで別バージョンが上映されることが決定している。先月、その特報が公開され反響を呼んだが、収録に臨んだのんは「(すずを演じてから)期間があいていたので、役柄に入り込めるか不安だった」と胸の内を明かす。しかし録音ブースに入ると自然とすずに入り込むことができ「手ごたえを感じた」と自信をのぞかせていた。/特報を観た原作者のこうの史代が「今までにない、大人のすずさんだった。すごく良かった」と感想を述べていたことを片渕監督から聞いたのんは「本当に嬉しい。そう言っていただけるとありがたいです」と満面の笑み。今後、行われるアフレコに対して「こうの先生がおっしゃるように、大人のすずさんを片渕監督ともっと掘り下げていけたら」と抱負を語っていた。(磯部正和)』
※報道陣が多いことにビックリのお二人w 微笑ましい~~~ぃ♪
→ 『片渕監督は、「クラウドファンディングでたくさんの支援をお願いしなければ作り始められなかった映画」と、製作当時を振り返ると、今日に至ったのは作品を応援してくれるファンと、常に作品を上映し続けてくれる劇場の方々のおかげであると感謝を述べる。/また終戦の日に再上映されたことについて問われた片渕監督は、企画段階では戦争を描いた作品だけに「8月に映画公開すべき」という声を多く受けたという事実を明かすと「8月だから戦争を思い出すのか、それ以外だと思い出さなくてもいいのか」という思いに駆られたという。そのため、あえて8月ではなく、物語が始まる11月に公開を決め、夏以外にも戦争のことを考えてもらえる機会を作ろうと思ったという。一方で、約1年9か月にわたって劇場での上映が続いていることで、8月にも映画に触れる人がいることについて「原爆投下や終戦があった月なので、すずさんを通して、当時の生活やいろいろな人の顔を思い出すきっかけとなる役目を担わせてもらえたら」とこの時期に上映される意義を述べた。/さらに、片渕監督は、終戦の日から8月22日の全面的な戦争の停戦までの期間に触れ「戦争というものは非日常ですが、その後に起こる兵隊さんの給料や退職金、戦地から帰国する足の手配などを考えなくてはいけない状況でした。そんな世界の片隅に、すずさんがいたんです」と作品の解釈を加える。
のんが声を吹き込んだすずも、劇中で終戦を体験する。普段はおっとりとしているすずが、玉音放送を聞き、畑で泣き伏すシーンには、ある種の衝撃を覚えるが、のんは最初、自身が演じてきたすずの性格からすると意外な行動に思えたそうだ。しかし片渕監督から、終戦の日に、すずのように自分でも説明がつかずに涙が溢れ出てきた人がたくさんいたことを聞くと「すずさんの中に押し込めていた、さまざまな怒りが終戦の日に逆流してきたんだ」と理解し、演じたことを明かした。/片渕監督は、公開初日よりも多くのマスコミが詰め掛けたことに驚いた表情を見せると「この映画は、すずさんだけではなく、彼女の周囲にいる人々や景色、空間などの当時が描かれている作品。映画館のスクリーンならではの気づきがあるので、一日でも長く上映が続いてほしい」と呼びかけていた。(磯部正和)』
※個人的には、義理姉が家の陰で娘を想って泣き崩れるシーンの方が
ズン!と胸にキタなぁ~。戦時中は我が子がなくなっても大っぴらに
泣くことさえはばかられる状況だったんだなぁと解って・・・。
→ 『(2018年8月)6日朝、広島市の平和記念公園であった平和記念式典の後、同公園内で行われた旧中島本町の慰霊式に俳優のんさんが参列した。参列者らと話し、町民慰霊碑に手を合わせた。/のんさんは、戦時下の広島・呉が舞台のアニメ映画「この世界の片隅に」(片渕須直監督)に主人公「すず」の声で出演。この日は片渕監督とともに訪れた。
(↑合同慰霊祭に参加するのん)
旧中島本町の街並みを再現した映画を見たことが転機となり、祖父の遺骨捜しに取り組んだという大木久美子さん(59)が「映画に勇気づけられました」と話しかけると、のんさんは「ありがとうございます」と笑顔で応じていた。 片渕監督は取材に「こんなに遅くなってしまったけれど皆さんにようやく会えたという気持ちで手を合わせた」と話し、ハンカチで目をぬぐった。(永野真奈)』
※戦争で、そして自然災害で、さらにいくつものご不幸で、お亡くなりに
なった全ての人へ祈りを込めて。。。
→ 『アニメ映画「この世界の片隅に」で主人公の声を担当した女優のん(能年玲奈から改名)が6日、広島県庁を訪れ、西日本豪雨の被災者支援のため、義援金の目録を湯崎英彦知事に手渡した。片渕須直監督やプロデューサー真木太郎さんも同席した。
(広島県の湯崎英彦知事-左から2人目-に、義援金の目録を手渡す女優、のん=広島県)
映画の舞台は、今回の豪雨で被害に遭った広島県呉市。太平洋戦争中の主人公や家族の日常を通して市井の人々の暮らしが描かれている。のんは報道陣に「お世話になった町が(豪雨で)すごいことになっていて、とても衝撃を受けた。皆さんに元気だけでも届けたい」と話した。/県によると、義援金は映画の収益の一部という。湯崎知事は「呉市民もこぞって応援した映画。義援金を届けてくれたことは、市民だけでなく県民みんなが勇気づけられる」と謝意を述べた。』
神戸新聞NEXT 女優のんさんが舞台あいさつ 神戸で「この世界の片隅に」再上映
→ 『原爆投下の日をはさんで、広島の女性が生きた日々を描いたアニメ映画「この世界の片隅に」が、神戸市中央区のシネ・リーブル神戸でアンコール上映されている。これに合わせ5日、主人公すずの声優を務めた兵庫県神河町出身の女優のんさんが同劇場を訪れ、映画を見た約500人を前に舞台あいさつした。
広島市に生まれ、絵を描くのが好きな女性すずが、呉市の海軍に勤務する男性と18歳で結婚し、戦争の脅威が迫る中、つつましく暮らす様子を温かな視点で描いた。こうの史代さんの漫画が原作。2016年の公開以来、口コミで評判が広がり、異例の大ヒットを記録した。のんさんは「生きるってなんて素晴らしいと思える作品。公開以来、多くの人に愛され、こんな作品には今後、出合えないのではと思うほど」と、映画への思いを説明。西日本豪雨で県内も大きな被害に遭ったことに触れ、「自分にできるのは元気と笑顔を届けること」と語った。映画は10日まで上映、午後0時15分からの一日一回。シネ・リーブル神戸TEL078・334・2126(片岡達美)』
※ちょこなんと座るのんちゃん、というか、すずさんじゃのぅ~。
※負けへんでえ~~~~~!
→ 『TBS 8月12日(日)放送分 松本穂香×松坂桃李×岡田惠和×久石譲 戦時下を生きた家族の物語 迫り来る空襲ー幼馴染と涙の決別 /●キャスト:尾野真千子/二階堂ふみ/村上虹郎/仙道敦子/伊藤蘭/宮本信子/●あらすじ:昭和19年冬、すず(松本穂香)のもとに、突然幼馴染の水原哲(村上虹郎)が現れる。青葉という重巡洋艦に乗っている哲は、入湯上陸で呉に着き、すずに会いに来たのだった。一晩泊めて欲しいと言う哲に面食らう径子(尾野真千子)とサン(伊藤蘭)だったが、結局哲を一晩泊めることに。幼馴染である哲と仲の良さそうなすずを見て、心中穏やかではない周作(松坂桃李)。ふいに哲と二人きりになってしまった周作は・・・』
※原作の隙間をセリフで埋めて上手に延ばしているな~、と割と好印象。
※はるみちゃんの役の子がウマかったワァーー。
※たぶん、この二人に起こる出来事が中心になるであろう第6話(次回)
が、ドラマの成否を分ける重要ポイントになりそうだ。アニメのあの表
現をはてさてどう実写ドラマで見せるのか。(マンマイッショヤッタラシツボウスルデ・・・)
『好きなことを仕事にすれば、二度と仕事をしているとは感じないだろう。』 |
出展:? |
発言者:エルヴィス・プレスリー (アメリカのミュージシャン 1935年1月8日~1977年8月16日) |
→ 『解説:プレスリーのヒット曲の1つに「好きにならずにいられない」がある。聞けば、「ああ、知ってる」というバラードの名曲だ。自分の仕事を好きにならずにいられない。そう思えるようであれば、こんな幸せはないのだ。それを仕事と感じるのか、仕事と感じないのか、それはもしかしたらどちらでもいいのかもしれない。エルヴィスは数々のヒット曲と映画と伝説を残した、初めての白人ロックンローラーだった。』
→ 『今から39年前の1977年8月16日(アメリカ時間)、エルヴィス・プレスリーが亡くなった。死因は心臓発作。享年42歳。彼の突然の、そして余りに早すぎる死は世界中のファンたちを悲しませ、彼のファンでない人たちまでをも驚かせた。/時の合衆国大統領だったジミー・カーターは異例ともいえる追悼声明文を読み上げた。「エルヴィスの死によって我が国は自らの一部を失った。(中略)彼は世界中の人々にとって、アメリカの活力、反逆精神、明るい気質の象徴であった」と。彼の訃報を知ったファンたちがその日のうちに全米はおろか、世界中から彼の邸宅があるテネシー州メンフィスに泣きながら押し寄せた。その数、8万人。晩年は太り過ぎで人気も落ち目と言われていたがとんでもない。チケットはインターネットなどまだなかった時代において、発売後僅か40分で完売。事実、当時のコンサートチケット売上枚数においても常にダントツの1位を記録していた。そして死して40年近く経った今も年に50億円以上を稼ぐ彼の魅力とはいったい何なのか? などと毎年この命日が来るたびに考えてしまう自分がいた。
何故こうも多くの人々を惹きつけるのか? 45年以上エルヴィスを聴いてきた人間として辿り着いた一つの答えが彼の誠実さにあるというものだった。それは人に対しても、仕事に対しても、そして時代に対しても、彼を取り巻く全てのものに対して彼はいつも誠実な人だったということだ。そんな彼の誠実さは彼が残した語録の中からも読み取ることが出来る。「どんな音楽も、人に悪い影響を与えるということはありません。少年犯罪率にロックンロールが多大な影響を及ぼしているとマスコミは言っているけれど信じられません。アメリカ中の少年犯罪の原因が僕だと言われています。少年たちに悪い考えを起こさせるとか、ワイセツだとか。僕は人前で、特に少年たちの前で、ワイセツなことをする人間じゃありません。そんなふうに育てられた覚えもありません」「レコードと同じものをステージから客たちに提供してもつまりません。それでは家でレコードを聴いているのと同じですから。だから僕はレコードでは味わえない、それ以上のものを、プロとしてステージではやっているのです」「僕は非常に幸運でした。音楽界にはっきりした傾向がなかった時に僕が現れたのです。人々が何か違ったものを待望していた、丁度そんな時に僕が世に出たのです」「芸能界は予測し難いところです。人は変わるし、時代も変わる。だから10年後の自分がどうなっているかなんて予測出来ません。今言えることは、努力し、経験を積んでいけば何とかなるだろうということです。だけど僕がどのくらい続くかは、本当のところ全くわかりません」「僕は人を喜ばせてあげたいんです。それが僕の死ぬまでの目標です」「エンターテイメントの分野では、僕は誰も非難出来ません。誰もがその人の場を持っているからです」「声だけなら普通のものです。その声をどう使うかが勝負です」「僕はこの人気商売に気を許すつもりはありません。神が僕に“声”を与えてくださったのです。もし僕が神に背くようなことがあれば、身の破滅です」・・・
など、どれもエルヴィスが質問してきた記者に対して誠実に受けごたえした言葉の数々だ。また彼はこんな言葉も残している。「イメージとその人間自身は別のものです。ひとつのイメージに添って生きるということは難しいことです」と。エルヴィスは自分を愛するファンたちが自分に抱くイメージに最大限応えるべく、常に誠実に生き、それ故に42歳という若さでこの世を去ってしまったのかもしれない。命日に彼の歌声を聴く。そしてそこにある彼の誠実さにやはり僕は感動せずにはいられないのだ。』
※演じたのはヴァル・キルマーだっけー?
→ 『石原さとみ主演の日本テレビ系の水曜ドラマ「高嶺の花」の主題歌にエルヴィス・プレスリーの名曲「ラヴ・ミー・テンダー」が使用され話題となっています。その名唱「ラヴ・ミー・テンダー」を含む、全米&全英No.1ヒット、代表曲、人気曲を網羅した日本選曲のベスト盤「ラヴ・ミー・テンダー~グレイテスト・ヒッツ」をエルヴィス命日の前日となる8月15日に緊急リリースされます。KING OF ROCK&ROLLを語る上で欠かせないマストな楽曲を30曲詰め込んだ、まさにエルヴィス・プレスリーのすべてを知る為の究極の選曲となっています。』
※「高嶺の花」全然興味なかったけど、、、ちょっと石原さとみさんが
観てみたくもあるかなぁー。「アンナチュラル」のミサトさん以外の役
は、ほとんど好きじゃあないけども・・・。
☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
※♪やっぱり本気なほうがいい どうせ滅びる命なら~♪(byエレカシ「RESTART」)
ジョニーAのつぶやき:「うまれる ずっといっしょ」の予告編も見つけたので貼っておこう。ナレーションが樹木希林さんだ!
※「家族って何でしょう・・・」希林さんに解らないことはワチクシに
解るはずもないのですーーー。