『悪の教典』松岡茉優(白井さとみ)定点観測!
すっかり忘却の果てだったわ。もちろんその当時は松岡茉優の女生徒役にはちっ
とも関心を寄せていなかったわけで・・・。さてさて、今回の再鑑賞で、印象は
どう変わるかな?
→ 『※いやーー、やってくれましたなぁー、我らの三池崇史はん!今回は当たりッスわー。この人、「皆殺し映画」には安定感があるッスなw「バトルロワイヤル」に求めていたものがしっかり入ってた♪「バトロワ」は原作がクソ面白かったので、映画も期待したが、今一歩、乗り切れなかった。役者ひとりひとりの決め台詞とか決めポーズとかは、部分的には良かったんだが、全体的な緊迫感に欠けるというかなー。そこんとこ、本作は役者の緊迫感のレベルが段違いだたように思う。さすがだ。きっと、園子温監督への対抗意識が、三池の本気モードに火をつけたんだろうねー♪
※サイコ・ヲタクの吹越満演じる教師が、ハスミンの本性にうすうす気付く、という展開もワクワクする!「吹越満はこうやって使うんだぜ!園子温!」と、『冷たい熱帯魚』に対抗して作った感アリアリだ!特に、最後の電車内での一連のカットは神懸り的!たぶんタラちゃんはあのシーンで失禁しているだろうーw』
→ 『本日(2014年)2月18日発売の「月刊サイゾー」の巻頭グラビアにて、女優・松岡茉優さんのインタビューを担当しました。表紙リニューアルを敢行した先月号はピンク基調でしたが、今月号はオレンジ基調で、気持ち「ダ・ヴィンチ」くささが抜けております。松岡茉優ちゃんは、NHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」の劇中アイドルグループGMT47のリーダー・入間しおりを演じたことでも有名ですね。その他「桐島、部活やめるってよ」「鈴木先生」「悪の教典」など話題作に多数出演。個人的には「絶叫学級」の天然キャラが可愛くて好きです。特に『桐島』を観た後では同一人物なのか疑ってしまうほどのギャップですよ。で、他の連載モノとしては月末発売予定の「Mac Fan」日々是検証がございます。今月号のネタはMacBookのSDカードスロットを利用してストレージ容量が増やせる「Nifty Mini Drive」。こいつでHDD起動のMacBook ProをSSD起動風にカスタムしております。その他、雑誌やムック系の記事制作が続いておりますが、これは3月4月以降のお知らせになりそうです。』
※次は「絶叫学園」を観るとしましょ。
→ 『「国民的ドラマに出たのは初めての経験だったので、全国挙げての人気を体感した1年でしたね」こう話すのは、昨年NHKの朝の連続ドラマ小説『あまちゃん』にて、劇中アイドルグループGMT47のリーダー・入間しおりを演じた松岡茉優さん。これまでも、若手ながら『鈴木先生』や『桐島、部活やめるってよ』などの出演作で演技力が高く評価されている松岡さんですが、空前の“あまちゃん旋風”はいかがでしたか?「『桐島』だと映画好きな方を中心に『良かったよー』と熱く語っていただくことが多かったんですが、『あまちゃん』は、おばあちゃんの層から、それこそ普段私の作品をあまり観ないような親戚や友達まで反応をいただいて、あらためてすごい作品だったんだなって思いました」
最終的にはNHK紅白歌合戦にまで出ちゃいましたからね。街中で声をかけられることも増えたのでは?「それが私、全然なんですよ。放送が始まってほかのGMTメンバーがなんかウキウキしてるなーと思ったら、渋谷駅からNHKに行くまでの間によく声をかけられるようになったかららしいんですけど、『ちょっと待って! 私一度もないよ』って。一番ひどかったのは、GMTメンバーの喜屋武ちゃん(蔵下穂波)と一緒に休憩に出たら、NHKの真ん前でおばちゃまに『喜屋武ちゃんですよね!』って声をかけられたのに、隣にいる私は完全にスルーだったことですね。茶髪なのに、リーダーなのに……」』
※たしかに「あまちゃん」のリーダーは、そんなに印象に残ってないなーー。
もっかい観てみよう、とも、、、思わない。。。不思議だ。
※生徒が殺されるたびに写真に×を入れていく? なんて悪趣味な特典!
※やはり二階堂さんの存在感は強烈!
→ 『映画「桐島、部活やめるってよ」や、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」での好演が話題を呼んだ女優の松岡茉優。「現在は映画にドラマにバラエティにと、八面六臂の活躍を見せています。20歳以下の女優では、ダントツでしょう。彼女と高畑充希さんは演技もしゃべりもいけるので、重宝されているようですよ。知名度も浸透してきているので、今後はCMも増えていくでしょうね」(テレビ局関係者)/やはり大きいのは、昨年「あまちゃん」で、主人公の能年玲奈と同じアイドルグループのリーダー役を務めたことだろう。
(意外とライバルに対してはこれが本音だったりして。オーコワ)
「実は、彼女はそのあまちゃんになる可能性があったんです。最終オーディションに残ったのは、能年さんと松岡さんだったと聞いています。甲乙つけがたかったようですが、最後は僅差で能年さんに決まったとか。ただ、松岡さんに対するNHKの評価は高く、同じアイドルグループのリーダー役に抜擢したんです。それ以来、NHKのドラマにもいくつも出ていますから、今後は大河でも名前が挙がるのは間違いないですよ」(NHK関係者)/事務所の先輩である宮崎あおいは大河ドラマ史上最年少で主演を務めたが、その記録を更新するのは彼女かもしれない。』
※三池さん、撮りながらスゲエ興奮してるんだなぁ~~。
それほど茉優ちゃんの死にざまが迫真に満ちてたってことかも。
※白井さとみ死亡、と同時に、定点観測も、終了ぉ~~~~~っ!(ハマちゃん風に)
『きっと生きられますよ。きっと生きる道はありますよ。どこまで行っても人生にはきっと抜け道があると思うのです。』 |
出展:「いのちの初夜」(新潮社) |
発言者:北条民雄 (小説家 1914年9月22日~1937年12月5日) |
→ 『解説:人生には抜け道がある。どんなにつらい病気や差別にあおうと、生きる道がある。結核のため23歳で夭逝(ヨウセイ)する前年、北條がハンセン病患者としての自伝「いのちの初夜」に書いた言葉だ。ハンセン病患者は戦後でも長く差別されていたが、まして戦前は人としての尊厳を奪われていた。しかし「私にとって最も不快なものは諦めである」と北條は言う。いま、何かをあきらめようとしているなら、必ず道はある、あきらめを敵としよう!』
→ 『■内容紹介:二十四歳で生涯を終えた著者は、生前苦悩の彷徨を虚無へ沈めず、絶望によりむしろ強められた健康な精神を文学の上に遺した。独英訳など海外にも知られ、強い感動を与えている。(川端康成/光岡良二)
/■登録情報:/文庫 257ページ /出版社 角川書店;改版 /言語 日本語 /ISBN-10: 404108301X ISBN-13: 978-4041083017 /発売日 1955/09 /梱包サイズ 15 x 11 x 2 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.7 /■カスタマーレビュー:花(ベスト1000レビュアー) 5つ星のうち5.0 「事実・当事者・それを見守る川端康成の文も秀逸」2013年3月23日・・・凄まじいですが、終始迫り来る闇に怯えた、暗い手記の様なものではありません。でも早速、入所(多摩の施設)到着前、道すがらに、枝ぶり(自死用)を眺める所から始まります。66通のやり取りを行った、川端は、作者当事者の慄然とした実体験に、かなり打ちのめされた様子が、文(添付されてる)から見て取れます。川端は逗子で自死しましたが、ガス管を捻る際、三島ではなく、この作者、北条 民雄がよぎった(と云うよりあえて思った)と思いました。』
→ 『昭和9年10月16日、ハンセン病をわずらう小説家志望の青年・北條民雄(21歳)が、川端康成(36歳)に手紙を書いています。8月11日に初めて手紙を書いたところ、2ヶ月後の10月12日に川端から返事があり、感激し、お礼の意もこめて2便目を書いたのでした。「御返書、ほんとうにありがとう御座いました。もうきっとお手紙は戴けないものと、半ば断念致して居りました。それは此の上もなく寂しいものでした。けれど、今日から、又以前のように病気を忘れて、文学にだけ生きて行こうと云う気持になりました。・・・」/北條がハンセン病になったのは1年前の昭和8年、19歳のときでした。翌昭和9年には国立療養所多摩 全生園 ぜんしょうえん (map→)に入院、死を見詰める日々の中、文学に生きる望みを見出しました。彼は手紙で、病院での生活を、・・・一般社会の常識語では決して説明し切れない、不安と悲しみ、恐怖と焦燥が充ちて・・・と書きますが、その言葉に続けて、・・・けれどこうした中にも、ほんとうに美しい恋愛も在れば、又何ものにも優った夫婦愛の世界もあります。実際この中の恋人同志は、荒野の中に咲いた一輪の花のように、麗しく、そして侘しく、だが触るれば火のやうに強いものです。・・・とも書きます。/作品を読んでくれるという川端からの手紙に励まされ、北條は、その「常識語では決して説明し切れない」ものや、その「荒野の中に咲いた一輪の花」を表現していく決意を固めたようです。・・・私は静かに眺め、聞き、思って、私自身の役割を果して行きたいと思っています。役割とは勿論、表現すること。血みどろになっても精進すること、ただそれだけです。どうかよろしく御指導下さい。・・・(以上、昭和10年10月16日付けの、北條が川端にあてた手紙より)
川端からの最初の手紙は、書いた作品は読みますよといった、あっさりしたものでしたが、手紙を交わすうちに、北條の熱意に触発されてか、そして、何よりも北條の作品を読んだことにより、川端の手紙にも熱がこもってきます。およそ1年後の昭和10年12月10日、川端(36歳)が出した7通目の手紙では、些細のことが貴兄を力づけ、こんな嬉しい思いをしたことはありません。貴兄の手紙は立派です。そうあろうと推察し、文壇小説はよむな、文藝雑誌は見るなと予め申上げたのです。今度の小説は改造か中央公論のようなものに、必ず出して差し上げましょう。しかし、悪ければ返しますよ。原稿の注文は一切小生という番頭を通してのことにしなさい。でないとジャアナリズムは君を滅ぼす。文学者になど会いたいと思ってはいけません。孤独に心を高くしていることです。原稿紙ヤへ見本送る催促出しました。横光曰ク、(間木老人を見て)おれ達と苦労がちがう、ドストエフスキイの死の家以上だ。肺療院の生活など甘いものだと。これはしかし一時の感動のコ張ですよ。林房雄はマキ老人文学界革新後に再録しろと云ってます。
「横光」は横光利一で、「間木老人」「マキ老人」は北條が最初に川端に送った小説の題名で、「死の家」はドストエフスキーの小説『死の家の記録』でしょう。「ハンセン病の作家」という“レッテルだけの作家”にならないよう、川端は親身に助言しています。文壇小説や文芸雑誌は読むなと注意、別の手紙でドストエフスキー、トルストイ、ゲーテを勧めています。北條の才能を守るために、自分が「番頭」になるとまで川端はいいました。/ちやほや甘やかすのではなく、悪ければ返すといっています。横光が感動しているがそんなものは一時のものと手厳しい。有名作家(横光)に褒められたくらいで有頂天になるなということでしょう。マスコミや文壇との距離の取り方や読書の在り方など、真の表現者として生きていく方法も親身になって指南しています。ジャーナリズムはアダになるし、他の作家とは付き合わぬよう戒めました。「孤独に心を高くしていること」と。川端自身、昭和3~4年、狂騒の馬込文学圏に身をおいて、作家間交流が文学にかならずしもプラスにならないことが身に染みていたでしょう。北條の才能を守るため、「改造」とか「中央公論」といった有力誌への売り込みはいっさい自分がやるといい、川端は自分が北條の「番頭」になるとまでいっています。
二人の書簡は、北條が胃腸病を併発して重病室に入る昭和12年9月までの3年間ほどで、計90通交わされました。北條は、重病室に入った2ヶ月後の昭和12年12月5日、結核を併発して23歳で他界。短い生涯でしたが、全生園に入った1日目のことを書いた『いのちの初夜』(第2回文學界賞受賞)など、幾編かの珠玉の作品を残しました。』