漫画タイトル「クー」

毎日新聞 りえさん手帖
毎日新聞 2018年9月17日 東京朝刊』

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※「遠い島から来たcoo」ならぬ、「遠い国にいたクー」

みんなのごはん 「食べるという発想はなかった」けど実はヒゲも使えるで…!「トウモロコシの天ぷら」のレシピ【西原理恵子と枝元なほみのおかん飯】
『枝元:国連が定めた10月16日の「世界食料デー」に向けて、食品ロス削減のレシピを紹介します。国連WFP協会によると、飢餓に苦しむ人が世界で8億人以上いるのに、食材の3分の1に当たる13億トンもの食料が廃棄されているんです。家庭でも、できることから始めましょう。今回はトウモロコシのひげを使います。/西原:草木染みたいにきれいな色。食べるという発想はなかったなあ。
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枝元:ひげはどうしても捨ててしまいがちですが、天ぷらにするとおいしい。実は芯と実の間を縦に切ってください。おしゃれな居酒屋だときれいにくっついたままなんだけど、家庭でやるとバラバラになっちゃいますね。蒸すかゆでるかしてから切るとまとまったのに……。/西原:あらら、学級崩壊状態。/枝元:うえーん。/西原:私なんか子ども2人しかいないのに、自宅崩壊させちゃった。学校の先生、エライ!!/枝元 ははは。ひげは衣を付けて桜エビを加え、一口大ずつ揚げてください。実やタマネギもそれぞれサクッと揚げて。赤ジソふりかけをかけて食べるとおいしいですよ。/西原:パリッパリ。トウモロコシのひげって、こんなにおいしいんだ。/枝元:全然クセもないでしょ。こうやって私たちが普段食べられそうなところを傷ませたり、捨てちゃったりするものを見直していけるといいですよね?
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/西原:この前、エダモンは賞味期限が2カ月も切れた生クリームをバターにしたんです。私たち(おかん飯の取材スタッフ)全員が食べまして……おいしかったです。/枝元:まだ、みんな生きている!/西原:私、食品ロスについて考えて思うのは、みんな賞味期限を守りすぎじゃないかって思うんです。何日か過ぎても平気です。/枝元:そうだよね。早く設定しすぎだよね。賞味期限は私が決めるわ!/西原:そうだそうだ。ばっちこーい、賞味期限!/枝元:国連WFP協会は10月に食品ロスと飢餓を考えるキャンペーンを実施するそうです。次回も食品ロスを減らすレシピをやりますね。【構成・矢澤秀範、写真・根岸基弘】』

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※お二人とも『パイレーツ・オブ・カリビアン』のデイヴィ・ジョーンズ
みたくなっとります!

●おかん飯:西原理恵子枝元なほみ「トウモロコシの天ぷら」


キンマWEB
『だいぶ前の話ですが、白夜書房の麻雀雑誌で「でかピンでポン」という、対戦企画を連載していたことがあります。当時、ぼくはバカラなどのギャンブルに首まで漬かっており、西原理恵子さんは鼻まで漬かっておりました。編集長の末井昭さんに至っては、頭の上まで水中に没しているというありさま。麻雀は普通のレートで遊んでいたんですが、「たまには、もうちょっとシビれるレートでもいいよね」「いいね、フグ麻雀」と誰かが言いだし、さっそく危険な連載が始まったのでした。勝負に負けると、白夜書房の原稿料では(失礼)とても間に合わない。ゲストには対局料が出るけど、負ければもちろん大赤字です。西原さんいわく、「末井さんが打たないとアタシやらないからね」/ゲストを入れても、もう一人必要ですが、一般の編集者では月給が危険にさらされるので、初心者ですが末井さんに打ってもらうしかありません。「こんな企画で、ゲストが来てくれるかな?」
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というのは杞憂で、第一回目の安藤満プロ(日本プロ麻雀連盟)を筆頭にたくさんのゲストが来てくれました。作家の伊集院静さんは、どうやらレートを1ケタ聞き間違えたようで、厚さ2センチほどの札束を持参しておりました。この企画は、ぼくとゲストが有利だと思ってたんですが、実際の勝ち頭は西原さんだったんです。勝負強いな~。●たまには高レートでシビれてみよう。●普段のレートの2倍ならじゅうぶんシビれます。●ただし日常化すると破滅する可能性あり。』


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※すべてに決着がついて、宮川選手の件がクリアーになったその際には、
しれ~っと鼻の下のホクロを除去してあげてくださいな。いや、選挙の
当選→ダルマの目方式で行くんなら、除去ではなく、反対側にホクロを
増設して、左右対称にする手術というのもアリじゃないでしょうか!!

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※提示版からの拾い物画像。かっちゃんの豪邸紹介?また無駄な情報を
垂れ流しているもんだ。。。

AbemaTIMES 好角家・高須克弥院長の交遊録はモンゴルまで「朝青龍と白鵬のお父さん同士のビデオを延々見せられた」
『「イエス高須クリニック」のCMでお馴染みの高須克弥院長が好きなものの1つが、相撲だ。本場所では「砂かぶり」と呼ばれる特等席に、パートナーの漫画家・西原理恵子と並んで仲良く観戦。懸賞も多数出すため、館内では何度も病院の名がアナウンスで響き渡る。「実はモンゴルの相撲も好きなんですよね。日本ではやってないけど」と明かす高須院長の、相撲交遊録は海を越えていた。
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砂かぶりで座っているのは「東のAの1番、2番でね。1番が西原理恵子、僕が2番なんです」と決まっている。「十両以上じゃないと、あの席は怖いんですよ。(番付下位を意味する)ふんどし担ぎだと、負けた力士が席の方まで落ちてきちゃうから(苦笑)」と、最前列に座る者しかわからない悩みもあるという。/伊勢ノ海部屋と親交が深いが、懸賞を出し始めたのはモンゴル出身初の横綱朝青龍から。数々の歴代記録を残している横綱白鵬とは、Twitterで相互フォローもし合う仲だ。「モンゴルの朝青龍のところに行くとね、自分のお父さんと白鵬のお父さんが戦ったビデオを延々と見せられるんですよ。自分のおやじが勝ったところばっかり編集したのを見せられるから、てっきり白鵬のおやじさんが弱いのかと思ったら、そっちの方が歴代最高に強い人だったんですよ(笑)」と、おもしろエピソードを披露した。
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9月19日にはAbemaTVの相撲中継にゲストとして出演したが、支援している勢(伊勢ノ海)は敗れてしまった。「(十一日目で)1勝全敗の人に、5本も懸賞出すのは僕だけだよね。でもタニマチは渋っちゃダメだから。白鵬は強いから自分は懸賞つけてないんだけど、いつも勝つから相手につけても全部持ってっちゃうんだよね」と、力士を応援することを心底楽しんでいた。』

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※義理父?そういう関係にはないはずなんだが・・・

かっちゃんブログ 格闘技の選手はかっちゃんが贔屓すると何故負けるのだろう?
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『かっちゃんは平和を愛するが格闘技が大好きだ。かっちゃんが力一杯応援すると、贔屓された格闘家は大抵負けてしまう( ;∀;) 何でだよ┐('~`; )┌ /今日はミャンマーの格闘技ラウェイ後楽園ホール。かっちゃんの贔屓選手は戦う僧侶一休そうじゅん高須クリニックのロゴを背負って戦う。闘志満々//ラウェイはダウン何回してもノックアウトにならない。死力をつくし最後まで戦うことができれば互いに善戦をたたえあう二人とも金メダルなのだ。戦いの太鼓が鳴り響く。ワクワクする。
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一休そうじゅん選手の対戦相手はミャンマーのチャンピオン。一休そうじゅん選手ロッキーみたいに善戦したがドクターストップ。いい試合だった。二人をたたえるプレゼンターかっちゃんなう』




☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日9月21日(金)の、「元気が出る言葉」は~?

『百歳になっても、女のところへ這っていく位の元気がなくちゃダメですよ。/物事ってえものは、うれしい前にはきまって、心配事や悲しいことがあるんです。心配事や悲しいことから、うれしいことが生まれてくるもんなんです。』
出展:いずれも、「なめくじ艦隊 -志ん生半生記」(筑摩書房)」
発言者:古今亭志ん生(5代目 落語家 1890年6月5日~1973年9月21日)
『解説:20世紀を代表する落語家だが、酒や女にまつわる話題に事欠かず、波乱万丈の人生を送った。落語は最後にオチがつくが、彼の言葉、日常、人生も、その一つ一つが自分や他人を楽しませようとする「オチ」ぬみかって放たれた芸だったのかもしれない。彼にかかれば、それこそ貧乏も心配事も「なんだ、笑い飛ばしてしまえ」と思わせてくれる。』

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※長男は金原亭馬生(10代目)で、その娘が池波志乃(中尾彬の妻)である。

◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

Amazon.co.jp びんぼう自慢 (ちくま文庫) 古今亭志ん生(著), 小島貞二(編集)
『■内容(「BOOK」データベースより):「貧乏はするもんじゃありません。味わうものですな」その生き方が落語そのものと言われた五代目古今亭志ん生がこの世を去って三十有余年。今なお落語ファンを魅了してやまない師匠が、自らの人生を語り尽した名著。父のこと、少年時代、売れなかった極貧時代、なめくじ長屋の真実、関東大震災、三道楽、満州慰問、息子たち(金原亭馬生古今亭志ん朝)のことなど…志ん生伝説のすべてがここにある。
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■登録情報:/文庫 341ページ /出版社 筑摩書房 /言語 日本語 /ISBN-10: 4480420452 ISBN-13: 978-4480420459 /発売日 2005/1/1 /梱包サイズ 14.8 x 10.6 x 1.8 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.4 /■カスタマーレビュー:ロジェ 5つ星のうち3.0 「貧乏なのはしゃぁねぇ」2016年8月11日・・・カネとモノを持たない身軽な生き方。稼いだカネで呑む・打つ・買う。家賃すら払わない。ただ、芸があるのでいつでも稼げる。古き良き時代の物語と思いきや、これからの時代にこそ見習うべき要素がたくさんある。起業時に貧乏生活を経験しているイーロン・マスクは「貧しくてもハッピーであることは、リスクを取る際に非常に大きな助けになる」と言っている。貧乏を楽しく過ごした経験と、継続的な努力、へこたれない気持ちがあれば、健全な判断がしやすい。既得権益にしがみついたり、邪悪なことを働いたりしにくい。蒐集・所有を追求してきた人類の歴史は「持たない」方向に転換している。江戸っ子の生き方は新時代の鑑だ。』

●落語 「千早振る」 (12分11秒)


zakzak 古今亭志ん生の名人芸が復活!? ひ孫が落語家デビューへ、関係者「愛嬌のある顔立ちで性格も素直
『先日、スポーツ紙が芸能面トップ記事で報じたのが、2019年のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」。毎回、狂言回し的に登場するのがビートたけし(70)だ。昭和の名人と呼ばれた落語家、古今亭志ん生を演じる。「たけしは立川談志が家元を務めた立川流のBコース(有名人コース)に入門しており、先日も立川梅春として爆笑問題の所属事務所の主催ライブにも出演しました。志ん生のふわふわした語り口をどこまで再現するか分かりませんが、たけしが演じることに異論は出ないでしょうね」
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  そう指摘するのは演芸評論家。さらに情報を加える。「大河のオンエア前後に志ん生のひ孫が落語家デビューしますよ」/志ん生の長男は十代目金原亭馬生で、次男は古今亭志ん朝。2人とも若くして亡くなったが、「名人の子供が2人とも名人の道を駆け上った。彼らの姿に、多くの落語家の子供が自分も父親のようになれるのではと落語家を目指すようになりました」(演芸関係者)。幸せな誤解を周囲に与えたのが、志ん生親子だった。十代目馬生の長女は女優の池波志乃(62)で、夫は俳優の中尾彬(75)。次女の子供が現在、金原亭小駒として前座修業中だ。
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  前出・演芸評論家の話。「小駒は十一代目金原亭馬生に入門し2015年1月に前座になりました。きちんとした師匠のもとで育っています。通常、前座修業は3~4年が相場ですから、来年には二つ目に昇進し、落語家として認められることになります。大河が放送されるまでには“志ん生のひ孫、二つ目昇進”がニュースになるはずです」/子供のころ、子役で経験を積んだが、18歳で落語家に転身。一門の大看板である、十一代目の門をたたいた。前座のうちは高座でも余計なことはしゃべらないのが、落語界のお約束だ。「自分から志ん生のひ孫、馬生の孫という立場を売りにすることはありません。愛嬌のある顔立ちで性格も素直。毎日寄席で楽屋働きをし、高座に上がっていますよ。口調はごく普通。志ん生に似ているとかはない」と演芸関係者は笑う。この秋、昭和の名人、桂三木助名跡が復活した。襲名した五代目は三代目の孫だ。歌舞伎界のように名優の子が名優になる世界と違い、名人が必ずしも名人になれないのが落語界。それでも志ん生のDNA復活は、落語界にとって明るい話題になる。』

☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“絵に賛を致し候。不出来ながら御勘弁願上候(『書簡』大正5年8月11日より)”

【1916年9月21日、49歳の漱石】門弟にせっつかれつつ懸命に筆をあやつる

今から100年前の今日、すなわち大正5年(1916)9月21日、49歳の漱石は東京・早稲田南町の自宅、漱石山房で滝田樗陰(たきた・ちょいん)の訪問を受けていた。樗陰は雑誌『中央公論』の編集主幹で、漱石晩年の木曜会にいつも一番に顔を出していた。この日も木曜日であり、樗陰は例によって正午過ぎに人力車で乗りつけ、漱石もこれを迎え入れたのである。樗陰は他の門弟たちとは異なる、ある明確な目的を持っていた。それは、漱石に「書」をかいてもらうことだった。そのために樗陰は、いつも大量の紙や墨、硯、筆洗、毛氈などを抱えて漱石山房にやってくる。これが漱石の妻・鏡子の目には,「太った金太郎さんみたいな恰好」に見えていたという。

部屋に通されると、樗陰は自分で墨をすり、毛氈(もうせん)を敷き、持参の紙を広げて、いっさいの準備をととのえていく。そうしておいて、「さあ、先生お書きください」と、漱石の手をとらんばかりにして筆を動かさせるのだった。どんな文字を書いてもらいたいかという主題についても、樗陰はその都度はっきりと注文をつけた。ちょっとした墨絵に賛をしてもらう、というようなこともあった。逸早く山房に顔を出すのも、門弟たちがやってくる前に、できるだけこの仕事を進めてしまいたいためだった。

木曜日以外の日にやってこないのは、漱石の仕事の邪魔をしないためで、そこは樗陰なりの節度であったのかもしれない。他の門弟たちからすると、先生を奪われたようで何やら妬心めいたものも働くし、漱石が唯々諾々と樗陰の言いなりになっているようにも見える。そのため、「先生はおとなし過ぎる」「滝田は横暴だ」といった声が出ることもあった。が、そこは樗陰も心得たもので、持参の墨や紙は高級品、持ち帰った書は翌週にはすぐに表装してきて箱書きを求めるといった塩梅。漱石もまんざら悪い気はせず、手習いにもなるだろうという考えも働き、ついつい注文に応じてしまうのだった。

この日、漱石は、以前から頼まれていた「帰去来辞」の書き直しに取り組んだ。「帰去来辞」は陶淵明による漢詩。350 字ほどもある全文を書き連ねていくのだから、容易な仕事ではない。紙の長さだけでも5メートル以上に及ぶ大作。漱石は、一文字一文字指図するような樗陰の調子に閉口しながら、書き上げていくのだった。後年になってみると、樗陰のこの強引な手法が、文壇史に貢献した。われわれはそのお蔭で、「帰去来辞」を含む漱石先生の遺墨に、より多く接する機会を得ているのである。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「帰去来辞」「漢詩」で動画検索してみました!!)

●歸去來辭  陶淵明 | 漢詩朗読


●異邦人/帰去来収録曲 # さだまさし



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ジョニーAのつぶやき:さだまさしのアルバム「帰去来」では、「線香花火」と「絵はがき坂」が思い出深い・・・