のん、前所属事務所と極秘会談!急展開か・・・
→ 『本名の能年玲奈から改名した女優・のん(25)が、契約問題をきっかけに断絶状態だった前所属事務所「レプロエンタテインメント」と10月上旬に“極秘会談”していたことが19日、分かった。話し合いを拒否していたのんが関係を修復したいと要望し、都内のレプロの事務所で第1回目の場が持たれた。レプロはデイリースポーツの取材に「何ら解決には至っていない」としているが今後の展開が注目される。
両者の契約問題が表面化したのは、16年5月。レプロと能年玲奈(現のん)の契約は同年6月までだったが、レプロ側は、15年1月に能年が無断で個人事務所を設立するなど契約違反があり仕事を入れたくても入れられなかった期間が1年半ある、と主張。弁護士を通じ、契約不履行として延長を申し入れていたが、のん側が応じてこなかった。関係者によると、これが騒動後、初めての話し合い。のん側がレプロへの謝罪と、マネジメント契約の再開を前提に和解したい意向を示し、実現したという。会談は約1時間半行われたが、のん側はマネジャー的立場にいる男性F氏と2人、レプロも弁護士が同席しないフランクな場だったという。/レプロはデイリースポーツの取材に「能年氏から、過去についての謝罪と、弊社にマネジメントを再度依頼したい旨の要望があり、本人との面会に至りました」とのん側からの要請で話し合いをしたことは認めたが、「しかしながら、何ら解決には至っておりません」と説明した。』
※この報道について初めて知ったのは、「のん公式ブログ」のリンク。しかし・・・
→ 『能年玲奈ことのんが、かつての所属事務所・レプロエンタテインメントと“和解”の準備を進めていると、10月19日発売の「フライデー」(講談社)が伝えている。双方の関係修復は喜ばしいことのように思えるが、業界内では「まだまだ不安要素が目立つ」と指摘されているという。
「のんは、レプロに所属していた2013年に、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」で主演を務めて注目を集めるも、15年に独立報道が流れました。当時は、彼女が“生ゴミ先生”こと演出家・滝沢充子氏に“洗脳”されているという話も飛び出し、世間を騒がせたものです。レプロとの対立が解消されないまま、16年には本人が『能年玲奈』の名を捨て、『のん』名義での再出発を発表。しかしメディア露出は激減し、最近こそ歌手活動やCMなどで少しずつ復帰できているとはいえ、以前のように活躍できていないのを『レプロがメディアにのんを起用しないように圧力をかけている』と見る者は少なくありません」(スポーツ紙記者)/そんな中、「フライデー」は10月上旬に、のんがレプロを訪れる姿を目撃。謝罪のために事務所へ足を運んだといい、その場で話し合いも行われ、再びのんがレプロのマネジメントを受けるといった話まで出ているそうだ。「記事によれば、のんには来年のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」のオファーが来ているとか。つまりのんサイドは、これを機にテレビや映画への本格復帰を果たすため、レプロに和解を持ちかけたようです」(同)
レプロに対し、強い敵対心を抱いていたであろうのんサイドだが、「独立騒動時、レプロが「ブラック事務所」などと世間に批判され、かなり評判を落としたことで、少しは気が晴れたことでしょう。だからこそ、こうしてわびを入れる気にもなれたのかもしれません」(テレビ局関係者)という。一方でレプロ側も、のんサイドの申し出を受け入れる姿勢を見せているようだが、「このまま滞りなく和解成立とはいかないだろう」と、前出のテレビ局関係者は指摘する。「独立騒動の原因となった滝沢氏が、今ものんのマネジャーを務めているそうなんです。そもそもレプロがメディアに対して圧力をかけるようになったのは、のん以上に、滝沢氏への不信感があったから。のんと滝沢氏の関係が解消されないまま、手打ちで和解とはいかないのでないでしょうか。それに、これまでのん側が散々“仮想敵”としていたレプロに、一転して和解を持ちかける動きに、ファンはもとより一般層が納得するのかという疑問も。何よりメディア側も、今後レプロの圧力がなくなったところで、ここまでトラブルを引きずってしまったのんを、そう簡単に起用する気にはなれないでしょう」(同)/のんとレプロは、まだ和解合意にまでは至っていないとのこと。そんな中途半端な状況を「フライデー」にすっぱ抜かれてしまったところからしても、前途洋洋とは言えないかもしれない。』
※ニュース記事も、一般系と、裏ネタ系で様相が違~~う。
因みに、のんオフィシャルブログの記事はあっちゅう間に削除されたみたいーーー
出演:レプロ父さん(マキタスポーツ)、ミライさんこと能年さん♬
●【第5話】「新しい働き方」10/6(土)
『私は失敗などしていないよ。1万通りのダメな方法を見つけただけだ。』 |
出展:? |
発言者:トーマス・エジソン (アメリカの発明家 1847年2月11日~1931年10月18日) |
→ 『解説:「発明王エジソン」といえば子供のころに、一度は伝記を読んだだろう。小学校は3か月で退学、以後は元教師の母に家で教わる。とにかく彼の人生はきりがないほどのエピソードの宝庫だ。そんなエジソンには努力に関する有名な名言があるが、失敗に関する名言も多い。この言葉を読むと“失敗は失敗ではない”ということがよくわかる。彼は1日30分、数回仮眠するだけで、あとはひたすら仕事と実験に没頭したらしい。』
→ 『■内容(「BOOK」データベースより):ベンチャー起業家の草分けにして、「大」のつく親日家…。これまでほとんど語られなかった天才発明家の実像を、精力的な調査で描き出したユニークな人物伝。「天才とは、1%のひらめきと99%の努力のたまもの」の真意とは?単行本に大幅加筆。
■登録情報:/文庫 285ページ /出版社 日本経済新聞社 /言語 日本語 /ISBN-10: 4532190207 ISBN-13: 978-4532190200 /発売日 2000/11/7 /梱包サイズ 15 x 10.6 x 1.4 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.7 /■カスタマーレビュー:Amazon Customer 「トリビアじゃないけれど…」2005年2月16日・・・「ハロー!」って言葉を考えたのは誰かご存じですか?こんな世界中にひろまってる挨拶の言葉を、誰かが考えついたものだなんてことさえ思っていませんでしたが、エジソンが考えついた言葉なんでって。「ハロー」が発明される以前アメリカではヨーロッパの風習にならい、紹介されるまで知らない人には声をかけない、というのが礼儀だったそうです。それが「ハロー」の発明以降、知らない人にでも気楽に「ハロー!」と話しかけ仲良くなってしまうというアメリカ人的なスタイルができてきたんですって。このように、この本は思わず「へぇ~!」って思ってしまうエジソンの話がたくさん紹介されています。発明王であること、努力の人であることなど、エジソンは誰でも知ってる偉人ですが、それだけにとどまらず、マーケティングや広告の才を持つものすごい企業家であったり、思想家であったり、とても多才な人だったことがわかります。特に、筆者がこの本を書く動機の一つであった、エジソンが親日家であった、というあたり、初めて知った話であり、かつ、エジソンにとても親近感がわきました。』
※大川隆法先生もその霊言に注目した!!
・発明王として知られているトーマス・エジソンは、約1300もの発明を手にした人物だと言われています。実は、以外に知られてはいませんが、映画の原点を作ったのもエジソンでした。
この作品は、当時有名で人気もあった怪力男サンドウの筋肉美を撮影して、人々にお金を払わせて観せるものでした。1分弱の短い作品ですが、怪力男サウドウの身体の記録といえる映像になっています。
※今観ると、ただのフェチでしかないなw
→ 『ベネディクト・カンバーバッチが発明家トーマス・エジソンを演じた映画「ザ・カレント・ウォー(原題) / The Current War」の公開延期をワインスタイン・カンパニーが発表した。Deadlineなどが報じた。「ザ・カレント・ウォー(原題)」は、1880年代後半、エジソンと実業家ジョージ・ウェスティングハウスの間で勃発した“電流戦争”の顛末を描いたドラマ。カンバーバッチのほか、マイケル・シャノン、ニコラス・ホルト、トム・ホランドら人気俳優が集い、「ぼくとアールと彼女のさよなら」のアルフォンソ・ゴメス=レホンが監督。先月、第42回トロント国際映画でワールドプレミア上映され、11月24日の全米公開を予定していたが、2018年まで延期されることになってしまった。具体的に来年のいつ公開するのかは未定。
近年も「英国王のスピーチ」「ジャンゴ 繋がれざる者」「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」をはじめとした名作を世に送り出し、アカデミー賞の有力候補となることが多かったワインスタイン・カンパニーだが、先日、その創立者の一人であるプロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインによる約30年にわたるセクハラ疑惑が告発されて大騒動に。ワインスタインは同社をクビになったほか、アカデミー賞を主催する映画芸術科学アカデミーの会員資格もはく奪された。そして、そのあおりを受けてしまったのが「ザ・カレント・ウォー(原題)」だ。脚本家のマイケル・ミトニックは「今は同作をプロモーションするのにふさわしい時ではない」と予定されていたニューヨーク映画祭でのパネルを欠席、主演のカンバーバッチもワインスタインの30年にわたるセクハラ行為について「吐き気がする。恐ろしく、許されない行為だ」と声明を出している。すでにクレジットからは、ワインスタインの名前が削除されているという。(編集部・市川遥)』
☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
“落第のいっぺんくらいは心地よきものに候。ますます奮発しておやりなさるべく候(『書簡』明治34年9月12日より)” |
【1905年10月18日、38歳の漱石】「こんなんじゃ落第だぞ」と学生たちに喝を入れる