アニソンアカデミー 1970年~1974年グランプリ結果発表!!

アニアカ公式HP 【1970年-1974年】のアニソンランキング投票結果♪

第1位… BOYS AND GIRLS/ジャン=ジャック・ペリー(「星の子ポロン」OP)

第2位… ドラえもん/内藤はるみ、劇団NLT(「ドラえもん」OP)

第3位… チャージマン研!ひばり児童合唱団(「チャージマン研!」OP)

第4位… 宇宙戦艦ヤマト【生】/ささきいさお(「宇宙戦艦ヤマト」OP)

第5位… ばくはつ五郎/ザ・ワンダース(「ばくはつ五郎」OP)

第6位… ジムボタンの歌/堀江美都子、こおろぎ'73(「ジムボタン」OP)

第7位… 海のトリトン/須藤リカ、かぐや姫(「海のトリトン」OP/ED)

第8位… オバケのQ太郎堀絢子、ニューロイヤル(「新オバケのQ太郎」OP)

第9位… Zのテーマ/水木一郎(「マジンガーZ」)

第10位…たたかえ!キャシャーン【生】/ささきいさお(「新造人間キャシャーン」OP)

第11位…空飛ぶマジンガーZ/水木一郎(「マジンガーZ」)

第12位…海のトリトン(GO!GO!トリトン)/ヒデ夕樹杉並児童合唱団(「海のトリトン」ED/OP)

第13位…決断/幹和之、コロムビア男声合唱団(「アニメンタリー 決断」主題歌)

第14位…キックの鬼沢村忠、少年少女合唱団みずうみ(「キックの鬼」OP)

第15位…星の子チョビン/藍美代子(「星の子チョビン」OP)

第16位…エッちゃんが好きや/熊倉一雄(「さるとびエッちゃん」ED)

第17位…ど根性でヤンス/石川進(「ど根性ガエル」ED)

第18位…ひとりぽっちのメグ/前川陽子(「魔女っ子メグちゃん」ED)

第19位…今日もどこかでデビルマン/十田敬三(「デビルマン」ED)

第20位…白いテニスコートで/大杉久美子(「エースをねらえ!」ED)

第21位…美しの丘/嶋崎由理シンガーズ・スリー(「昆虫物語 新みなしごハッチ」ED)

第22位…おれは新造人間/ささきいさお(「新造人間キャシャーン」ED)

第23位…ゴー!ゴー!ライナー/笈田敏夫コロムビアゆりかご会(映画「魔犬ライナー0011変身せよ!」)

※意外にも、全く知らなかった番組も散見された。近年になってネット世界で

話題に上った作品とかも、順位に影響があったようであるー。


ニコ動 ベスト3発表(音源カット)

NHK-FMのラジオ番組「アニソン・アカデミー」の2018年10月20日放送分から一部抜粋です。三曲ともフル尺で諸々の関係上カットしてます、ご了承を。』


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※だいたいこの「ポロン」なんて知らんかったし~~!


☆動画を貼るぜぃ!

●【コメ付き】「星の子ポロン」その17(コメント付き)



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※「手遅れ」「とどめ」ってコメントがww


☆13位の「決断」って作品も初めて動画で確認せり~。

●アニメンタリー「決断」第1話 真珠湾奇襲 1/2


※「ヤマト」と同時期にやってたというがは感慨深いな~。


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※感想:顔が濃いっ!


☆日テレ版「ドラえもん」は子供のころの記憶が戦列に残っておる!

ドラえもん日本テレビ版」OPとED



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※幼いキャラクターが可愛いな。このエンディング、久々に聴いたわ♪


★因みにワチクシが投票したのは、このオープニング!

●昆虫物語新みなしごハッチ 第1話「あらしのみつばち城 (23分50秒)


※ランキング発表されたのは、エンディングの「美しの丘」だけダッタ。

これもいい曲だけど・・。やなせたかしさんも作詞に名を連ねている

オープニングの良さをもっともっと評価してほしかったナァー。


★「ばくはつ五郎」も、ネーミングのインパクトは強烈だけど、、、当時

ちっとも知らなかった物件だなーー。


●ばくはつ五郎 ・涙はともだち ワンダース



ばくはつ大将 ウィキペディア

『アニメ版・・・『ばくはつ五郎』のタイトルで、1970年4月3日から同年9月25日までTBS系列局で放送。製作はTCJ (現・エイケン)。全26話。放送時間は毎週金曜 19:00 - 19:30 (日本標準時)。2009年5月には、TBSチャンネルでデジタルリマスター版が放送された。』

※古めかしいフレーズもここまでくるとチョイ新鮮。

リア充に対して「爆発しろ!」と唱える文化も最近

はあるからね~~。時代は繰り返すんだなー


●今回の楽曲で一番燃えるのはコレかなー。

 堀江美都子 ジムボタンの歌


堀江美都子さんの主題歌は歌っても心地よいものが多いのッス!!


しょこたん・ぶろぐ 山口県!ラッキームーンツアー

『一期一会!たくさんのみなさまに、またあえますように、みんなが幸せで長生きしてたくさん夢が叶いますようにと心から願いながらbluemoonをうたいました!風が気持ちよかったなー。

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山口県は、母方の先祖のルーツだから、一月に写楽が千秋楽を迎えてそのまま、温泉はいりたい!と雪のなか、山口県にとまりにきましたそのときに帰りに新山口駅で偶然なんとなくはいったお店で食べた、瓦そばが忘れられない衝撃のおいしさでハマってしまい家でも何回も作ったりしてて、まさかのまさかの、年内にもう一度、同じお店にこられました、時間ないから無理かもとか、瓦そば食べたいけどとは思ってたけど偶然同じお店で同じ席で食べられで最高にうれしい!やっぱりめちゃくちゃおいしかったー。熱々に熱した瓦に茶そば、薄焼き卵、のり、ねぎ、甘辛い牛肉、甘辛いだし、もみじおろし、レモン、なにかひとつかけても違う、すごい発明だと思う。熱々の瓦で茶そばがパリパリにこげた部分がまた最高!わあああおいしかった、絶対またきたい!』


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中川翔子 『blue moon』「ゾイドワイルド」エンディングテーマ MV解禁!


・11/28(水)リリース「blue moon」 アニメ「ゾイドワイルド」のエンディング

テーマである本作。中川翔子が作詞にも携わり、大切な存在との絆や愛を描い

ています。大切な存在を心に想い浮かべながら聴いて頂くと、皆さんにとって

も特別な曲になってくれると思います。是非ご覧ください。(ブログより)


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※♪~ね・え・ね・え~♪の部分が耳に残りますぅ~~~。





☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)


☆さ~~て、本日10月25日(木)の、「元気が出る言葉」は~?


『アマチュア時代というものは ぼくには一日もなかったのだ。ぼくは最初からプロだったのだ。/気力は眼に出る。生活は顔色に出る。年齢は肩に出る。教養は声に出る。』
出展:いずれも、「死ぬことと生きること」(みすず書房
発言者:土門拳(写真家 1909年10月25日~1990年9月15日)

『解説:眼、顔色、肩、声の4つでいえば、やはり眼だ。眼がその人の人間力を素直に表す。土門は眼光鋭い。怖いくらいに鋭い。その眼で何をとらえてきたのか。日本のカメラマンで、彼ほど日本を深く見据えてきたリアリストはいない。リアリズム写真家とは、彼に与えられた。称号ぼくにはアマチュア時代はない、そう言い切れる自信をつかもう。まずは、力いっぱい眼を見開き、眼に力を込めよう。曇らない心で。』


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※幕末の志士か?と見紛うほどの恰好良さである。。


◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・


Amazon.co.jp 死ぬことと生きること 単行本 土門拳(著)

『■内容(「BOOK」データベースより):ひたむきに日本人と日本文化に取り組み、撮りつづけてきた土門拳の知られざる一面を読者はここに読みとる。

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/■登録情報:単行本 277ページ /出版社 築地書館;〔普及版〕版 /言語: 日本語 /ISBN-10: 4806767301 ISBN-13: 978-4806767305 発売日 1974/01 梱包サイズ: 21.2 x 14.4 x 1.8 cm おすすめ度 5つ星のうち 5.0 /■カスタマーレビュー:FANTASMA UCCIDENDO MECCANISMO (YO SOY AQUEL) 「5つ星のうち5.0この人は、本当のプロと称されるに相応しい人であった。」2013年1月11日・・・形式: 単行本 /土門 拳(どもん けん、1909年- 1990年)の65歳の時の初エッセイ集「死ぬことと生きること」が「大人の本棚」シリーズに加わった。『古寺巡礼』などで知られる写真家・土門拳が綴った文章には、人間・土門拳としてはもちろん、写真家としての姿勢や対象に向かう眼が思うままに表現されていると思う。

厳しい修行時代を経て・・・人から借りたカメラを使い、都電のなかであくびをした少年を撮った。これが、画題「アーアー」で写真雑誌に入選する。かくて、土門リアリズムは始まった。敗戦後の土門は、戦中の行動を深く悔み、“仏像”を捉えることに邁進したが、復興期には「ヒロシマ」、「筑豊のこどもたち」など土門のカメラの眼は外へ、社会へ向けられていった。「スランプを恐れないこと」という言葉には、プロとしての力強さを感じる。一見、怖そうに見えるが、女性が対象となると・・・女性が苦手なシャイな一面が現れる。多くの、エピソードを読まれると鬼の土門拳の印象も変わるでしょう。随所に代表作があり、読者に語りかけてきます。一芸に秀でた本物・土門拳の作品と言葉を是非どうぞ。』



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『☆写真の立場:実物がそこにあるから、実物をもう何度も見ているから、写真はいらないと云われる写真では、情けない。実物がそこにあっても、実物を何度見ていても、実物以上に実物であり、何度も見た以上に見せてくれる写真が、本物の写真というものである。写真は肉眼を越える。それは写真家個人の感覚とか、教養とかにかかわらない機械(メカニズム)というもっとも絶対的な、非情なものにかかわる。時に本質的なものをえぐり、時に瑣末的なものにかかずらおうとも、機械そのものとしては、無差別、平等なはたらきにすぎない。そこがおもしろいのである。写真家は、機械のうしろに、小さく小さくなっている。写真家が小さくなって、ついにゼロになることは、なかなかむずかしい。せいぜいシャッターを切るとき、あっちの方を眺めるぐらいなものだ。写真の中でも、ねらった通りにピッタリ撮れた写真は、一番つまらない。「なんて間がいいんでしょう」という写真になる。そこがむずかしいのである。』


☆本日の、『日めくり漱石』は・・・

サライ 「夏目漱石」の記事一覧


“そこには時々彼の前を横切る若い血と輝いた眼をもった青年がいた(『道草』より)”


【大正5年(1916)10月25日、49歳の漱石】自宅に泊めた若い禅僧を新聞社見学に送り出す


今から100年前の今日、すなわち大正5年(1916)10月25日、49歳の漱石は、富沢敬道、鬼村元成という若いふたりの禅僧を東京・早稲田南町の自宅から送り出した。彼らの行き先は、銀座の東京朝日新聞社。新聞印刷の現場を見てみたいという両人のため、漱石は、同社の山本松之助宛ての紹介状を持たせていた。


《この手紙御持参の僧二人は神戸祥福寺僧堂に修業する禅僧に御座候 此度機会を得て東上所々見物の処是非(ぜひ)社の輪転機を一見致し度由(たきよし)につき若(も)し御差支(さしつかえ)なくば運転の模様一寸(ちょっと)でも傍観御許可被下度(くだされたく)邪魔にならぬ範囲にてよろしく御座候》


漱石とふたりの禅僧は、手紙のやりとりから親しくなった。「東京見物をしたいのですが」と相談してきたのを、漱石は自宅に迎え入れた。朝日新聞連載の小説『明暗』を執筆中の漱石に代わって、鏡子が案内して帝国劇場や歌舞伎座へ連れていったりもした。帝劇の地下食堂では、鬼村が食べかけのビフテキを床へ落とし、鏡子が「新しくとってあげる」というのを「もったいないから」と拾って食べてしまう一幕もあった。


僧たちだけで見物に出かける時は、修業中の身で金もなかろうと、漱石が日に5円の小遣いを渡した。小遣いと別に旅費を持たせて、日光見物にも送り出した。日々の執筆を終えた夕刻からは、漱石は僧たちとともに過ごした。夕飯も一緒に食べ、いろいろな話をする。漱石は懐手してちょっと背を丸め、前のめりになって聞き役に回りながら、時折、「ひとりの人が真面目な生き方をすれば、世の中が助かる。あとに続く者が出るから」などと、含蓄味のある言葉を口にした。


彼らの滞在中、漱石は終始機嫌がよかった。ある時は、長男の純一がやってきて、父の背中におぶさるようにして楊枝で顔のアバタを突ついても、笑ってされるがままにしていたという。禅僧ふたりは、1週間ほどして神戸へ帰っていった。その後、お礼の手紙や品物を送ってきた彼らに対し、漱石はこんな返書も綴っている。《大して御世話もしないであんな丁寧な御礼を云はれては痛みいります 然(しか)しそれが縁になって修業大成の御発心に変化すれば私に取って是程(これほど)満足な事はありません。(略)どうぞ今の決定の志を翻えさずに御奮励を祈ります》(大正5年11月10日付、鬼村元成宛て)


この頃、次世代を担う志のある若者に何かを伝え託していきたいという思いが、漱石先生の中に静かに強くわき出ていた。


細かすぎて伝わらない関連動画など

(「禅僧」「世話」で動画検索してみました!!)


●《朗読》夏目漱石『門』


→「要領を得る捷径などと考えると、禅僧からは当然一も二もなく排斥されるものである。現成公案ではないが、禅寺の規律に従って坐禅に取り組んでいると、そもそも本を読もうなどという気も起らない。初心とはいえ、朝寝をしたり、宜道に食事の世話を任せっきりにする宗助の取り組みは、何とも心許ないものである・・・」


●「タモリ倶楽部」から学んだこと/広島の禅僧・昇洋さん



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※タモさんがある意味、バラエティ界のお坊さんですもんなー。


ジョニーAのつぶやき:禅僧にもいろいろあり、ということで・・・。