しょこたんが来た「ラッキー食堂」ほか

しょこたん加古川に新曲プロモーションに来たついでに寄ったという、カツメシで有名なお店、ラッキー食堂さんへ赴く・・・


食べログ ラッキー食堂

『★クチコミ:皿まわし(857)さんの口コミ 男性・滋賀県 2018/01訪問・・・ご当地B級グルメ「加古川かつめし」の人気店を訪問。加古川を訪れた際に、滅多にこない土地だしということで、ご当地の味を検索。というか、かつめしのイメージがあったので、かつめしで検索。ヒットしたのが「ラッキー食堂」さん。早速ナビにセットして向かいました。駅前の市街地より程近くの立地。大きな交差点より、少し中に入る道路で、少し戸惑いました。喫茶店のような外観のお店。お店前に停車しました。入店すると、お昼時の店内は、ほぼ満席の状態。テーブル席が1つ空いていたので、そちらに着席しました。お目当ての“かつめし”は、牛、豚、海老、牛+豚と具材にバリエーションがあり、量も、並、特上、1枚重ね、2枚重ねとあります。海老も珍しく感じましたが、最もオーソドックスな牛を注文しました。◇牛かつめし並 1050円をお願いしました。

イメージ 12 イメージ 13

かつめしは全品にサラダと味噌汁が付いてきます。牛カツというのは、あまり食べなれませんが・・まずソースがデミグラス風の味わいで、あっさりと食べれてしまいます。カツは微妙に細切りで、ガッツリ肉厚というよりは、どんどん食べれてしまう。肉を食べているという満足感は感じるも、思ったよりもスマートな味わいでした。肉のカットが薄切りなのも、1因とは思いますが、これはこちらのお店の個性かもしれないですね。ご当地の味を食べれて満足といったところです。』


イメージ 1

※安田交差点北折してすぐのところ。これは行きやすい!!駐車場も完備

してるし、、、今後もちょくちょく行くとしようかな~~。



イメージ 2

※サイン発見~~。しょこたんの他には、陣内智則加古川出身)と

三田村邦彦のサインが飾られておりんしたーーっ!因みに三田村さん

は、「おとな旅あるき旅」という番組の取材で来られたんだとか。


イメージ 3

※食欲をそそる外見でおま!


イメージ 15

※ニッケパークタウンへ観に行けた人たちウラママーーーー。


もうひとつ、加古川のお店から。銭湯から出るのが遅れてアガンに行けず、やむなく入った24時間営業の「なか卯加古川店」さん♪


イメージ 4

※なんとなく、カレーの気分だったもので。。。


あとは姫路の2件


食べログ ちりめん亭 姫路市役所東店

『★クチコミ:ex.sy ex.sy(0)さん 2016/04訪問・・・ラーメン屋さんやのに、野菜ギヨーザと生ビールがキンキンで旨い❗ 店員も親切でアットホーム(^-^) 中華そばはインスタントのチキンラーメンが好きな人!が虜になるはずです✨麺はちぢれ麺ですが つけめんと味噌ラーメンは太め❗/昔は平麺(きしめんタイプ)もありましたが、製造工場変更の為 今はちぢれ麺のみ❗/冬場は回数減るかもですが、定期的に立ち寄ります✨(マスターご馳走さまーなんぼー)』


ちりめん亭 甲府丸の内店


※いろんな場所にあるんだなー。地元の狭い範囲でやってる店とばかり・・・


イメージ 5

※肉餃子と野菜餃子、両方注文したかったのだけれど、あいにく野菜のほうは

売り切れっちゅうことで叶わず。次回来た際は絶対頼むぞーーーっと。


ちりめん亭 公式サイト

『毎日食べても飽きない、中華そば。伝説的な東京ラーメンを継承する深い味わい。 ちりめん亭で最も人気の高い中華そば。昔ながらのあっさり醤油味で、麺とスープ、具のバランスの良さが魅力です。東京ラーメンのルーツを辿ると、明治四十三年(1910)に浅草で開店した「来々軒」が始まりだと言われています。南京町に匹敵する中華料理を出すお店として人気となり、その中でもあっさりした中華そばが大評判でした。元来、麺の大好きな国民に麺のおいしさを堪能してもらうシンプルさが注目の的になりました。中華料理だったラーメンが、日本の食文化に深く根をおろした記念すべき出来事でした。ちりめん亭の「中華そば」は、その心意気を今に伝える味わいが信条です。自慢の多加水完熟麺を楽しんでいただくため、吟味した醤油味の鶏豚スープと素材にこだわった具を絶妙に組合せました。ちりめん亭の神髄は麺にあります。(麺のこだわりへ)ちりめん亭の麺は独自の多加水製法で30時間にもおよぶ完全熟成によってやっと生まれます。手打ちうどんのノウハウを織り込んで、多くの水で優しく練り上げるので、麺生地の中にはしっかりとしたグルテンが生まれます。グルテンが丈夫だと、旨さもさることながら、傷みにくい利点も。安心して食べられる健康さが魅力です。よくちぢれた麺はスープが程よく絡み、奥深い旨さをさらに引き出します。ちりめん亭の麺はよく噛んで食べていただきたい味です。麺の醍醐味は、何と言っても小麦粉の風味。おいしいお豆腐を食べると大豆のふくよかな香りが拡がるように、ちりめん亭の麺は元気な小麦の味がひろがります。よく麺類は喉越しを楽しむ物だから飲み込めと言われますが、ちりめん亭の麺はよく噛むほどに中華そば本来のいい風味が楽しめます。』

※平成25年10月に、株式会社モスフードサービスから株式会社ケンコーに株式譲渡

が行われているみたいですーー。


イメージ 6

※鶏ゆず塩ラーメンの、チャーシュー丼セットでっす!美味美味♪


喃風本店、改め、喃風粉もん酒場!!


イメージ 7

※名称も変わって、新たにリスタート!した店舗。さっそく入ってみる♪


イメージ 8

※「おつかれセット」という、ちょっと飲みたい人用のメニュー。

しまった、がっつり行くにはビールが足りないぞこりゃあーーー。


イメージ 9

※追加ビールに、枝豆、やみつきキャベツ、ひねポン、豚箸巻き(3本)


●表面パリッ、中はとろ~り 姫路のお好み焼き「どろ焼き」@池袋「喃風」


※「まいうー」の石塚さんは「一番うまい流動食」と称してたw


イメージ 10

※締めの「姫路焼き」!!すじこん玉で戴きやした♬ 豚箸巻きというの、

新触感でなかなかクセになりそうな一品ですた!また来ようーーー。


●どろ焼きソング


※よし、次行ったときは、迷わずどろ焼きやぁーーーーーっ!♬




☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)


☆さ~~て、本日11月8日(木)の、「元気が出る言葉」は~?


『振り返ると遅れちゃう。一歩進めるところが半歩になっちゃう。』
出展:?
発言者:島倉千代子 (演歌歌手 1938年3月30日~2013年11月8日)

『解説:泣きのお千代と言われた演歌歌手がアップテンポの歌で復調した。「人生いろいろ」。多くのヒット曲や、紅白連続30回出場もあれば、戦争疎開、けがの大手術、中絶・離婚、2度の大借金、姉の自殺、ガン・・・。波乱万丈の人生だが、島倉は人を恨まない。憎んでも愚痴っても報われない。だから振り返らない。振り返ると遅れちゃう。一歩進めるところが半歩になってしまうというのだ。そして、人生、この半歩の差が大きいのだ。』


イメージ 16


◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・


ビター・マガジン 島倉千代子の借金問題 細木数子が持ち逃げ?

島倉千代子さんは東京品川区出身。1938年、二男四女の四女として生まれた。幼いころから姉に歌を習い、歌手をめざした島倉さんは、13歳のときに地元商店街を盛り上げようとバンドを組んでボーカルを務めた。その後歌謡コンクールで優勝し、16歳のときにデビュー。デビュー曲「この世の花」は200万枚の大ヒットを記録し、その後も「東京だョおっ母さん」「人生いろいろ」などのヒット曲を世に送り出した。さらに史上初となる、NHK紅白歌合戦に30年連続出場を記録するなど、昭和の歌謡界を代表する歌手として活躍。一方、私生活では、借金問題を筆頭にさまざまなトラブルに巻き込まれた。島倉千代子さんを悩ませた借金問題の始まりは1975年、知人やマネージャー、顔を知らない人などの保証人になり、莫大な借金を背負ったのである。その額は16億円と言われているが、正式な総額は分かっていない。

イメージ 18

ただ、借金を抱えた島倉さんの後見人に、細木数子の内縁の夫がなったのである。(細木数子の内縁の夫は某反社会的勢力の組長。)内縁の夫は当時、反社会的勢力の人間が、島倉さんのところへ取り立てに来たのを盾になって裁いたのだ。さらに、細木数子が島倉さんの借金4億円を1億5000万に減らし、それを肩代わりした。以来、島倉さんは、自分を守ってくれた細木数子側の言いなりになってしまったのである。結果、島倉千代子さんの興行権を握った細木数子は、1977年に芸能プロダクション「ミュージックオフィス」を設立。コロムビアに移籍するまでの3年間、島倉さんを利用し、莫大な興行収入を手に入れたのだ。なお、細木数子が島倉さんの稼いだ金を持ち逃げした、と言われているのは、すでに借金を返し終わっているのに働かせていたからである。それに、残っていた借金を移籍先のコロムビアが肩代わりしているので、事務所を移籍しなかったら島倉さんの借金問題は、いつまでも決着しないままだった。また、島倉さんは2007年にも、事務所のスタッフに資産を持ち逃げされ、再び多額の借金を抱えてしまう。借金問題が残っている間は、仕事を選ばず寝る間も惜しんで働いたという島倉さんは、人がいいため、騙されることが多かった。』


NHK-DVD『島倉千代子 メモリアルコレクション ~NHK紅白歌合戦&思い出の

メロディー』ダイジェスト映像



イメージ 17

※「人生いろいろ」はまさに、お千代さんという女性の一生が凝縮された楽曲

だったんですねー。


拙ブログ 2013/11/1 ちびまる子ちゃん 島倉千代子登場回 概略

イメージ 19

『百恵ちゃん推しのまる子と、淳子ちゃん推しの前田さんが口論!決着は一週間後の「ちびっ子のど自慢大会」に出場して、歌で勝負!!ということになったのだった!(キートン山田風ナレーション)/二人とも一歩も引かない。空気は最悪~~~~。/TVで歌う島倉千代子さん。お祖母ちゃんが最近ずっとファンレターを書いているらしいことが判明する!/手紙をポストに入れて拝むお祖母ちゃんを、まる子は目撃してしまう!/お忍びでやってきた、おちよさん。しかし、なんでまたその服装、その髪型!?www(大草原)

イメージ 20

まる子の話を聞き、「歌で争うことの愚かさ」を、優しく教えてくれるのであるー/お祖母ちゃんの親友、伊藤さんが大の島倉千代子さんファンだった。その伊藤さんの容態が悪くなり、入院してしまったのが事の始まりだったのだー。/まさかの大スター光臨に、あわてふためくさくら一家。父・ひろしは危うく事故を起こしかける!!しかし無事に病院へお連れすることができて・・・伊藤さんとおちよさん、感動の対面シーン/別れのホームで、真実が明らかに。伊藤さんは、おちよさんに初めてファンレターをくれた第一号のファンであり、その熱烈なる応援で、おちよさんは何度も励まされてきたのだったー。「何とか、お返しがしたい・・」その一心で、島倉千代子は単身、この町へやって来たのだったー/「調子いいわね、ひばりの方が好きだって言ってたくせに!」と非難するお母さんに、ヒロシの渾身の名言が炸裂する!!「遠くのひばりより、近くの千代子だっ!!」

イメージ 21

エンディングは「人生いろいろ」。まるちゃんが、最後にその言葉を発するのだが、実はまだ、このお話の時点では、楽曲は存在していないので、ナレーションでちゃんと断りが入る。「その後、同名の名曲が生まれることは、まだ誰も知らない・・・」的な。いや、実に良くできた脚本でございやした!!で、もっかいよく見てみたら、脚本:TARAKOさんでした。ウム、お見事!!』

※「遠くのひばりより、近くの千代子」これ、さくらひろし史上最大級の名言だろ!!


☆島倉さんの曲といえば、ワチクシにとってはやっぱコレ!

●「サーシャわが愛」


※島倉さんにもし娘がいたら、こんな風に愛情を注いだんだろうなぁー、などと

想像しながら聴くと、また一段と味わい深い。(ヤマトのストーリーはこの際全くカンケイナシ!!)


☆本日の、『日めくり漱石』は・・・

サライ 「夏目漱石」の記事一覧


“自己に何等の理想なくして他を軽蔑するのは堕落である(『野分』より)”


明治30年(1897)11月8日の漱石】英語教師の漱石、佐賀の中学校で英語授業を視察する


今から119年前の今日、すなわち明治30年(1897)11月8日、熊本の第五高等学校の英語教師をつとめる30歳の漱石は、朝一番で佐賀県立尋常中学校の校門をくぐった。学術研究のため、佐賀・福岡両県に出張し、主な中学校の英語授業を視察してくるよう命を受けていたのである。同僚の武藤虎太(歴史・国語・漢文が専門)も同行し、前夜もいっしょに佐賀市内に1泊していた。


漱石はこの中学校の講堂で、午前9時から、英語教育に関する講和をおこなうことになっていた。それに先立ち、午前8時からは海軍少佐・長井群吉による海軍志願者奨励勧誘の講和が実施された。日清戦争終結から2年余が経過していた。この間、ドイツとフランスを引き込んだロシアによる「三国干渉」などもあり、日本とロシアの間には不穏な空気が横たわり続けていた。そうでなくとも、明治維新後、なんとか先進諸国に追いついて仲間入りしたいと切望している日本にとって、富国強兵はもっとも重要な課題だったのである。正岡子規の松山の幼なじみで、大学予備門(のちの一高)で漱石とも同級生だった秋山真之も、一度は子規とともに文学の道を究めようと誓い合いながら、学費の問題から海軍兵学校に身を転じていた。このころは海軍大尉となり、海軍の戦略、戦術を研究するため、米国へ留学していた。


英語教育に関する講堂での講和を終えた漱石は、午前10時から、4年生の訳読、3年生の訳読、2年生の会話、作文、文法の講義を、次々と視察。さらに昼食をはさみ、午後1時半からは、英語の教授法について、同校の英語教師たちと質疑応答を行なった。夕刻には、同僚とともに博多へ向かう。翌日は福岡県立尋常中学校修猷館で同様の授業視察をこなしていくのである。この時の出張報告で、それぞれの授業の方法や傾向を観察・分析し、漱石はこんなふうに記している(『福岡佐賀二県尋常中学参観報告書』)。


《教師生徒共に単に意義を解することのみ力めて発音法等に注意せざるが如し》

《最初に各節の冒頭に於る綴字及び発音の練習をなし、次に読方に移る初め教師模範を示し、次に生徒一節ずつこれを練習す。かくの如くすること二回。初回は出来よき生徒よりし次回は下位の生徒に及ぶ。読方の教授法頗る厳格》

《生徒両三名をして自作の英訳を黒板に書せしめ教師これを批評訂正す。もっとも生徒の困難を感ずべき単語字句は予めこれを教うるものの如し》

《教師は常に英語を用いて日本語を殆どまじえず。生徒もまた力めて英語を使用せんとするものの如し》

《西洋人を使用せざる学校に於てかくの如く正則的に授業するは稀に見る所にして、従ってその功績もこの方面に向っては頗る顕著なるべきを信ず》


しばしば「自分は教師には向かない」「教師などはやりたくない」などと口にしていた漱石だが、取り組んでいる間はけっしていい加減にせず真面目に向き合っている。だから、英語教師の漱石先生も、なかなかに大忙しなのである。


細かすぎて伝わらない関連動画など

(「英語教育」「講義」で動画検索してみました!!)


●英語教育学演習 (5分)



●どう教える?小学校英語



イメージ 22

※外国語習得の臨界期(教えるに最適な時期)は幼児期だそうですからー。

こういう授業ができるようになるまでが大変じゃないのかなーって感じましたネ。


ジョニーAのつぶやき:島倉千代子さんの人生は、ぐちゃぐちゃドロドロした事もいっぱいあったけど、それって言ってみればどろ焼きのような美味しい人生だったんじゃないのか・・・などとまとめてみる。