実写映画『パタリロ!』公開へ

オリコン 延期の実写版『パタリロ!』2019年公開へ 限定予告編に加藤諒、作者・魔夜峰央氏登場

『2018年秋に公開予定だった実写映画「パタリロ!」が、2019年に公開されることが1日、都内で行われた作者・魔夜峰央氏のトークイベントで発表された。あわせて、予告編映像が会場限定で初公開され、CGをふんだんに使用した映像の中に、主演の加藤諒のほか魔夜氏も登場した。

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1978年11月20日に「花とゆめ」(白泉社)で連載が始まり、テレビアニメや舞台化もされた同作は、マリネラ王国国王のパタリロ・ド・マリネール8世(通称:パタリロ)が周囲を巻き込んで起こす騒動を描いた物語。複数の雑誌に同時連載していた時もあったが、現在は『マンガPark』で連載中で、82年にテレビアニメが放送、16年と18年に加藤諒主演で舞台化もされた。 /先月11月20日に連載40周年を迎え、同時にコミックス100巻も発売。少女漫画界のギャグ漫画としては歴代1位の長編作品で、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』『ゴルゴ13』など国内で発売されている同一タイトル作品で100巻以上刊行された14番目の作品になっている。 /実写映画は3月に行われた「舞台パタリロ!☆スターダスト計画☆」の初日会見で発表されたもので、2018年秋公開予定だったが諸事情により延期となっていた。

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  この日行われたトークイベントは、同作の連載40周年&コミックス100巻発売を記念して開催されたもので、作者・魔夜氏と実写映画で主演を務める加藤が出席。観客へサプライズで予告編が初公開され、コミックス100巻の帯に「映画パタリロ!2019年公開」と書かれていたが、改めて2019年公開と告知。CGをふんだんに使用した映像の中に、加藤のほか魔夜氏も登場し会場は驚きと笑いに包まれた。 撮影秘話で魔夜氏は「人間が出演するところは1ヶ月くらいで終わったのですが、CGの編集作業が半年以上かかった」、加藤も「プロの方々がこだわり始めて、キリがなくなった」と明かした。加藤諒の起用について魔夜氏は「この人しかパタリロはできませんから。実は実写映画化の話はあったのですが、パタリロを務めることができる役者がいない。そこにつきる。でも、実写のパタリロは諒くんに任せる」と絶大なる信頼を寄せていた。 』

※なんとなく、CGの出来しだいで、賛否両論分かれそうな雰囲気がプンプン

 してきたゾーーーウ。


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※しっかしまだ連載中だったとは・・・。頭が下がります。

♪~だーれが こーろしった クックロービン~♪て歌いながら・・・。



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◎MCはヤナギ!この手のイベントを回させたら、右に出るものは

おらんのじゃっ!!アメザリ柳原のブログより。

ヤナギハライブログ 魔夜峰央 原画展

『行ってきました~ 。貴重な原画がたくさんあり 期間中は4つのテーマで分けられていて、今回は「短編怪奇マンガ特集」でした。 魔夜先生というと「パタリロ」のイメージが強い人には美しいギャグマンガ作家と思われる方も多いと思いますが、私が好きな「アスタロト」に代表されるような怪奇マンガも沢山お描きになっておられます。 先生のVTRもあり 興奮しました~!!機会があれば是非みなさんも!!』


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☆舞台はもう2年まえにやってたのネン。

加藤諒演じる殿下が歌い、踊る!舞台「パタリロ!



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※タマネギ舞台・・ならぬ、タマネギ部隊!!見事な漫画の再限度だ!


パタリロといえば声優の白石冬美様はお元気にしとられるんだろうかーーー。


●patalliro episode 1 (最後の方が音声だけになってしまいやす)


※懐かしいなーーー。でもこのノリを実写の映画で、となると果てしなく不安ダ。





☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)


☆さ~~て、本日12月2日(日)の、「元気が出る言葉」は~?


『“ああ、大地喜和子も家に帰ったら家庭があるんだろう”と想像させてはいけない。』
出展:東京スポーツ 「高橋惠子芸能生活42周年回顧録(2013年2月4日)より
発言者:大地喜和子 (女優 1943年12月2日~1992年10月13日)

『解説:大地喜和子は「女」を演じさせれば右に出る者がいない、女性ファンも多い女優だった。酒豪として知られたが、うるんだ瞳とかすれた低音の声からは、このうえない色気が匂った。大地喜和子は結婚歴があるが、家庭臭を出さなかった。この言葉こそ、女優・大地喜和子としての矜持だ。48歳、交通事故で亡くなり、多くの人に惜しまれた。』


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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・


●スライドショー



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※お酒が似合う女優さん。。。


●個人的にゃあ、やっぱり『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』ですぁーな~~♪



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※龍野編の本作は、ちと寅さんの色恋話の毛色が違うんですヨネーーー♪


Amazon 喜和子追想 単行本 太地稔子/清水博純・写真 (著)

→''' 『■内容(「BOOK」データベースより);七回忌を迎えた伝説の名女優・太地喜和子。母がはじめて語るその真実の面影。幼少期から大女優となるまでの秘話の数々、太地家秘蔵の若き日のアルバム、死の直前の最後の舞台写真…感動の母子の物語。

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/■登録情報:/単行本 207ページ /出版社 情報センター出版局 /言語 日本語 /ISBN-10: 4795813434 ISBN-13: 978-4795813434 /発売日 1998/10/15 /梱包サイズ 21.2 x 15.4 x 2.2 cm /おすすめ度 5つ星のうち 5.0 /■カスタマーレビュー:老太郎 5つ星のうち5.0 「喜和子さんのいい写真が見られます」2014年4月8日・・・いい写真集です。赤ん坊の時から舞台写真まで一通り網羅されています。何気ないスナップもあり、日本舞踊のスタジオ撮影、その他きちんと撮った記念写真もありで、いろんな喜和子さんが見られます。戦後まもないころの文化住宅バラック)を背景に近所の友だちと撮った写真などは貴重なものです。世相の中に生きた喜和子さんが見られてうれしい気持ちになります。お父様がライカで撮られたモノクロ写真も多く非常にいいです。トーンがきれい。特に喜和子さんが愛犬を抱いた写真は素晴らしくいいです。/それと母稔子さんの文章がすばらしい。語り口調なので読みやすく、それでいてその場面の気持ちがよく分かる、ひしひしと伝わってくる文章です。何度も読み直したい味わいのあるものです。

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 河岸でおにぎりを頬張るショットはおそらく「ナショナルキッド」の撮影時の食事休憩ではないかと思われます(着ている服や髪形が同じ)。東映時代、志村妙子の芸名のころです。それから俳優座文学座と進むにつれ急に大人びた写真になります。写真の終わりは晩年の舞台がカラーとモノクロで38ページも載っています。エピローグの稔子さんの語りはさりげないですが、これが意外に切々と迫ってきて涙を誘います。

 写真もいいし文章もいいので、私などは定価で買ったほうですがお得感があります。現在は価格も下がっているようですので、買って損はないと思います。たぶんドラマや映画で見られない喜和子さんの一面が写っていると思います。個人的には全体を見て非常に救われるような気持ちになりました』 '''


☆本日の、『日めくり漱石』は・・・

サライ 「夏目漱石」の記事一覧


“僕も一人ぼっちですよ(『野分』より)”


明治44年(1911)12月2日、44歳の漱石】幼くして急逝した末娘の葬儀をとりおこなう


今から105年前の今日、すなわち明治44年(1911)12月2日、44歳の漱石は3日前に急逝した五女・雛(ひな)子の葬儀の日を迎えていた。死去の翌日に通夜をしたが、翌々日は友引で葬儀を行なうのは縁起がよくないということで、1日延ばしたのだった。まったくもって、予期せぬ突然の愛娘の死だった。雛子は病気で寝ていたのでもなんでもなく、おしゃまな子で、直前まで元気で遊んでいた。それが食事中に倒れた。まだ1歳半の幼さで、箸を使う手つきも覚束なく夕飯を食べようとしている最中に、急に小さな叫び声を上げて仰向けに倒れ意識を失った。呼吸も失われた。すぐに医者を呼びにいってさまざまな処置をしてもらったが、蘇生することはなかった。死因さえも不明であった。


出棺は朝の9時と決まっていた。漱石は6時半には起き、身支度を整えた。身にまとうのは黒の喪服だった。鏡子は黒の紋服に黒の繻子帯。長男の純一には海軍服を着せて黒紗を腕に巻き、他の子供たちは縮緬の紋付に袴をつけさせた。冷たくなった雛子は、経帷子を着て小さい数珠を手にかけ、すでに棺の中に納められていた。傍らには、小さい藁草履と編笠、赤い毛糸の手編みの足袋も入れられている。いまその上から、さらに、南無阿弥陀仏と書いた短冊を散らし、皆の買ってくれたオモチャも入れていく。僧侶が5人やってきて、順繰りに焼香をすませると、漱石は家族とともに落合の火葬場へ向かった。門弟の小宮豊隆と、鏡子の弟の中根倫も付き添っていた。火葬場の周囲の木々が、晩秋を告げていた。銀杏の葉は黄色にそまり、背の高い落葉樹の散り残しの葉が、時折、ひらひらと舞い落ちていく。漱石はそれを黙って見ていた。時間が、瞬時にくるくると回転しながら、しかしゆっくりと流れているようだった。


帰宅後、ふと、座敷に置いてある炭取が、漱石の目にとまった。漱石がイギリス留学から帰ったあと、東京で所帯を構え直すときに、せめて炭取だけでも新しく綺麗なものをと思い、買い求めたものであった。思えば、それは雛子の生まれる5、6年も前のことになる。漱石の胸の中を、痛切な思いが過(よぎ)った。「この炭取はまだどこも何ともなく存在しているのに、雛子はもういない。いくらでも代わりのある炭取は依然としてあるのに、破壊してもすぐ償うことのできる炭取はこうしてあるのに、かけがえのない雛子は死んでしまった。どうしてこの炭取と代わることができなかったのか」/漱石は、自分の胃にも、精神にも、ひびが入ったような気がした。そこに哀愁の風が吹きつけて、ぴいぴいと悲鳴のような音を立てていた。


細かすぎて伝わらない関連動画など

(「愛娘」「葬儀」で動画検索してみました!!)


●【衝撃】有賀さつきさんの葬儀参列者の人数に驚愕!愛娘の短すぎる52年間に父、涙



風見しんご夫妻、愛娘の事故の翌年


コウノトリ先生が主治医ならば。。。


ジョニーAのつぶやき:「お子さんが小さいうちにお亡くなりに」と言えば、オダギリジョー香椎由宇ご夫妻のところの次男クンもそうでした。絞扼性(こうやくせい)イレウスによる病死だったそうです。オダジョーもつらいヤネー