すずさん × 映画秘宝

のん 公式ブログ すずさん × 映画秘宝

映画秘宝さんにて、すずさん再現 in 昭和のくらし博物館 な写真を撮りました。めっちゃ楽しかった〜〜。呉本以来の、北浦さんに撮っていただきました。最高。博物館は、すずさんの暮らしを体感できて、この世界の片隅にへの皆さんの愛が詰まっていてほっこり心温まりました☺️誌面のアザーカット。おしろい。』


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映画秘宝」今月号は、“買い”!!ですゾッ。


クランクイン のん、『この世界の片隅に』再現ショットに反響「リアルすずさんだ!」

『「映画秘宝さんにて、すずさん再現in 昭和のくらし博物館 な写真を撮りました。めっちゃ楽しかった~~」と報告したのん。のんは戦時下の広島を舞台にした映画『この世界の片隅に』にて主人公・すずの声を演じており、今回はその姿を東京都大田区にある「昭和のくらし博物館」で再現した。すずの着物を着用し、鏡の前で化粧を施すさま、「バレとりましたか」とポーズをとる姿、ほっかむりをかぶる姿、そして猫のぬいぐるみを抱く、ショット4枚を投稿。のんは撮影を振り返り、「博物館は、すずさんの暮らしを体感できて、この世界の片隅にへの皆さんの愛が詰まっていてほっこり心温まりました」と語っている。

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  コメント欄には、「これこそリアルすずさんだ!」「すずさんご本人の写真かと思って3度見しました」といった声が多数寄せられており、中には「実写版でのんさんが、すずさん役を演じる映画が観たいです」とリクエストを送るファンも見受けられた。』

※テレビドラマ版ですずを演じた女優さんは、リアルすずさんとしては認められなかったっちゅう結論ですか・・・。


●「この世界の片隅に」すず役・のんさん プロデューサー・真木太郎さん単独インタビュー



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※田舎出身のええ娘(こ)~やなぁ~~、ってホッコリしちゃう。


シネマトゥディ のん『この世界の片隅に』すずさんを映画秘宝で完全再現

『女優・のんが、アニメーション映画『この世界の片隅に』(2016)で声優を務めた主人公・すずさんの姿を完全再現したグラビアが、20日に発売された映画雑誌「映画秘宝」2019年5月号の誌面に掲載。発売に合わせて、誌面未公開カットが公開された。

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グラビアは、特別展「映画「この世界の片隅に」~すずさんのおうち展」を開催中の「昭和のくらし博物館」(東京都・大田区)で撮影。のんの衣装はもちろん、背景まで、映画そのものの雰囲気を再現。誌面には、のんのインタビューと共に、劇中でも印象的なシーン「まな板バイオリン」のカットなどが掲載されている。』


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※「まな板バイオリン」の写真はネット上では見つけられんかった。秘宝、買おうかねぇー。


中國新聞 この世界の片隅に」上映3年目 茨城の劇場 ファン聖地「何度見ても感動」

『戦時中の広島市呉市を舞台とし、全国的にヒットしたアニメ映画「この世界の片隅に」の上映を続ける劇場がある。茨城県土浦市の土浦セントラルシネマズで、18日に3年目に入った。映画関係者が「異例」と驚くロングランとなっており、広島県山口県など遠方からもファンが訪れる「聖地」になっている。 同作品は2016年11月に公開され、同館は17年2月18日に上映を始めた。当初は1日4回、現在は午前中に1回。この日は平日にもかかわらず、約10人が入った。7回目という土浦市の主婦飯島ゆかりさん(59)は「主人公のすずさんの気持ちになったり、戦時中の建物の描写に感心したり。何度見ても発見や感動がある」と満足そうだった。

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  映画関連の情報を扱う興行通信社(東京)は「こんな長期の上映は他にないのでは」とする。土浦セントラルシネマズの寺内龍地社長(63)は「いい作品で、シアターで見続けたいという希望もあり、経営面を度外視してやっている。土浦は呉と同じく旧日本軍の拠点だったという個人的な思いもある」と説明する。同館にはファンたちが18年の初めごろから、登場人物のイラストなどを持ち寄り始め、待合ロビーは展示場所にもなっている。崇徳高(広島市西区)の新聞部がこの作品をテーマに制作した学校新聞も飾られている。 新たなシーンを追加した「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」が今年中に公開される見通し。寺内社長は「それまで上映を続けたい」と話している。(野崎建一郎)(2019年2月19日朝刊掲載)』


☆関連ニュース

讀賣新聞オンライン 青山クラブ すずさん彩る

呉市が活用策を検討している旧海軍の集会所「青山クラブ」(呉市幸町)で、戦時中の呉などを舞台にしたアニメ映画「この世界の片隅に」のシーンを描いたイラストを使った飾り付け作業が始まった。閉鎖中の建物の外観に彩りを添え、〈インスタ映えスポット〉として観光誘客も目指す。イラストは映画の主人公すずさんらが描かれ、国道487号沿いの約20か所に並ぶ。大きさは最大で縦2・9メートル、横8・8メートル。

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  現在の青山クラブは昭和初期に建築され、海軍ゆかりの呉の街を象徴する建物として知られ、「この世界の片隅に」にも登場する。呉市が昨年7月、国から約2億円で購入したが、耐震診断で基準を満たしておらず、補強工事が必要となっている。2019年度に活用策のニーズ調査をした上で、建物の具体的な活用策を決める方針。/旧海軍呉鎮守府開庁130周年に合わせた取り組みとして、外壁の景観向上を市民が発案。市が映画の制作会社と片渕須直監督の協力を得て、実現した。飾り付け工事は今月末までに完了し、建物の活用策が決まるまで設置するという。』


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※完全版が公開されたら、またもうひと盛り上がり、ありそうナナァーーー!


シネマトゥディ のん「あまちゃん」親子ツーショットにファン歓喜!

『女優・のん(元・能年玲奈)が9日、2013年のNHK連続テレビ小説あまちゃん」で親子を演じた尾美としのりとのツーショットをInstagramで公開し、ファンを喜ばせた。/二人は9日より全国オンエアされている印刷通販サイト「ラクスル」の新CMで再共演。のんは「ラクスルのCMに出演させていただいてまーす。なんと、尾美さんとの共演です! とっても久しぶりにお仕事ご一緒しました」とファンに報告。「撮影楽しかった~~! 改めて、尾美さんはやっぱりすごいです。元気なCMになっております」とつづった。』


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●ラクスルCM「動画制作編」「安い編」「早い編」「ポスティング編」「新聞折込編」       



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※うん、よくはわからんが、元気の出るCMだっ♬


◎肌ラボ香港のCMで、いま中華アジア圏は、のんの交通ポスターで

溢れかえってる模様。エージェントが優秀なんだなぁー。

Speedy アジアの町中が “のん”一色になってる!by 肌ラボ

バンコクも上海も深センも香港も台北もアジア中 すべて ‘のん’の交通広告であふれています!💕All of ‘Non’ in whole Asia!』


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※レプロ本社に謝罪に(?)訪れたことがあったが、あれはどうも、

このCMポスターで「能年玲奈」名義を使わせてもらうように頼み

に行ったのではないか?という憶測が立つ。実際、「能年玲奈」と

いうロゴ入りのポスターが創られていたが、その後使われた形跡は

ないので・・・(事務所もしつこいねーー。まだ許してやらんのか?)





☆「プロレス今日は何の日」と「漱石と明治人のことば」をお届け~♪

(詳細は、1月1日の日記を参照のこと!)


☆さ~~て、本日3月20日(水)の、「プロレス記念日」は~?


年度・団体【2017年・DDT】
カテゴリー【大会】
見出し:『DDTが旗揚げ20周年でさいたまスーパーアリーナに進出』

『解説:DDT創成期から団体を支えてきたHARASHIMAを21歳の竹下幸之介が下してKO-D無差別級王座奪取。新時代の到来を告げた。』


◎関連書籍、ニュース記事、試合動画、など。


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●【煽りVTR】 2017/3/20 “JUDGEMENT 2017” HARASHIMA vs Konosuke Takeshita



●Highlights



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※チョップ合戦ありぃーの、アクロバチックな攻防ありぃのー、で~

 ダイジェスト版なのに、もうお腹一杯やわー♪


☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・

漱石と明治人のことば目次


【今日のことば】「天が自分にまた一年の寿命を借してくれた事は、平常から時間の欠乏を感じている自分にとっては、どの位の幸福になるか分らない。自分は出来るだけの余命のあらん限りを最善に利用したいと心掛けている」――夏目漱石


【解説】

夏目漱石が晩年の随筆『点頭録』の中に書いたことばである。この前には、こうも綴っている。


「多病な身体がまた一年生き延びるにつれて、自分のなすべき事はそれだけ量に於て増すのみならず、質に於ても幾分か改良されないとも限らない」


時に大正5年(1916)1月。当時の数え年で勘定すれば、漱石は50歳の新春を迎えている。胃に持病があって何度も倒れている漱石は、遠からぬ自分の死というものを見据えている。一休禅師の詠んだ「門松は冥土の道の一里塚めでたくもありめでたくもなし」という狂歌も、しみじみと受け取っていただろう。


その上で、生きている限りは、努力して自分にできる何かをしていこうと語っているのである。しかも、質・量ともにさらに改善していきたいと志向しつづけてもいる。漱石はこの年の師走に没した。まる50年には少し欠ける生涯だった。現代の日本人の平均寿命は80歳を超える。


自分自身も含め、ひとりひとりが漱石のこういう心組みを幾分かずつでも受け継いでいけたなら、超高齢化社会に入りつつあるわが国の未来も、案外、明るく開けていくような気がしてくる。


細かすぎて伝わらない関連動画など

(「余命」「利用」で動画検索してみました!!)


●余命わずかの祖父に孫の顔を見せたくデキ婚をしたが、祖父は激怒。

 しかし、その背景には…【漫画動画】



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※本編前の前座漫画がオモローw


●クロちゃんの余命ネタw いや、おもろないよ、全然・・・



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※番組的にはクロちゃんの不健康を煽ってるようにしか・・・


デイリー 内田裕也さん 40年越しに樹木希林さんと同居へ

→『ロック歌手で映画俳優としても活躍した内田裕也(うちだ・ゆうや、本名雄也=ゆうや)さんが17日午前5時33分、肺炎のため都内の病院で死去した。79歳。兵庫県出身。葬儀・告別式は近親者で行い、お別れの会は後日予定。40年以上の別居生活を続けながらも数奇な夫婦関係で結ばれていた裕也さんが、妻・樹木希林さんのもとへと帰る。

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  関係者によると、裕也さんは東京・南麻布にある光林寺の内田家の墓に眠る。同所は樹木さんが余命宣告を受けてから終活を行い、葬儀場として選び内田家の墓も購入した場所。樹木さんが「死んだ後は同居ね」と語っていた通りになる。2人の夫婦愛は独特だった。73年の結婚から1年半後に別居を開始。81年には内田が離婚届提出すると、樹木さんが裁判を起こし無効となるも、別居婚を続けた。しかし、晩年はお互いが距離を縮め、特別な絆を深めていた。昨年9月、病床で意識混濁した樹木さんへ裕也さんがスマホ越しに「しっかりしろ!!」と呼びかけると樹木さんが反応したという。裕也さんは樹木さんが荼毘(だび)に付された後、アゴの骨を拾い、持ち帰った。後日公表したコメントでは「啓子(樹木さんの本名) 今までありがとう。見事な女性でした」と感謝。ラストライブとなった昨年大みそかの「NEW YEARS-」で裕也さんは、樹木さんが好きな「朝日のあたる家」を切々と歌い上げた。

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樹木さんも娘の也哉子には「お父さんには、ひとかけらの純なものがあるから」と絆を強調した。18年8月13日に左大腿(だいたい)骨を骨折して手術する際に「今まで悪かったわね」と電話。入院最後の一カ月は「裕也さんに会いたい」と毎晩、語っていたという。』


ジョニーAのつぶやき:裕也さん安らかに・・・