「集団左遷」エレカシの「俺たちの明日」は主題歌としてどーなん?
→『三友銀行に勤める片岡洋(福山雅治)は、蒲田支店の支店長の昇任人事を受ける。だが、蒲田支店は廃店が決定しているため、頑張らなくていいと言われてしまう。』
※これまでの、偉そぶったエリートキャラとはうってかわって、
剽軽なモーレツ社員(w昭和の死語?)を演じる福さん・・・
※ラスボス三上博史が嫌な上司を好演。実に憎たらしい。
→ 『ドラマの予告映像が放送されるたびに、映像のバックで流れていたエレカシの「俺たちの明日」。ドラマ主題歌について公式からなんのお知らせも出ないので、はたして「俺明日」は「集団左遷」の主題歌なのか、もし違うならなぜ「俺明日」が流れるのか、ネット上やファンたちの間でも物議をかもしていました。そしてようやくドラマスタート1週間前、正式にテーマ曲に決まったことが発表されました。公式サイトによれば、“決して強くはない、ごく普通のサラリーマンが、仲間たちと力を合わせて銀行という巨大組織の理不尽に対し、果敢に立ち向かっていく姿をコミカルかつユーモラスに”となっていました。重厚感よりももっとポップな感じの音楽に、ということで選ばれたんでしょうか。』
時と同じ。んーーーー、このシーンに流すにしては、若干、
脳天気すぎるような気もすんなぁー。PVのみやじのイメージで。
※「沢田研二が歌うような歌謡曲をばんばん作ってくれんかな~」だの、
「他のアーティストに楽曲提供すればいいのに~」だのとファンの勝手
な立場で長年好き勝手要望を述べていたけれど・・・。紅白出場が現実
化して以来、なーんかそういうのが次々に叶えられて行ってるのが凄い
ヌァーー。
年度・団体【1981年・新日本・蔵前国技館】 |
カテゴリー【デビュー】 |
見出し:『タイガーマスクが衝撃デビュー』 |
→ 『解説:69年より2年間放映された名作テレビアニメが「タイガーマスク二世」としてテレビ朝日で復活したのは81年4・20。第一回放送の3日後に、実際のリング上へアニメから飛び出した虎戦士が出現する。目にも止まらぬ動きと、素早く鋭いキック、立体的な空中殺法でダイナマイト・キッドを翻弄。最後は見事な人間橋で飾った。/猪木とも藤波とも違う、全くのオリジナルスタイルは全国のプロレスファンを虜にする。彼の出現により、新日本は史上空前の黄金期を迎えた。』
→ 『■内容紹介:[巻頭スペシャルインタビュー] 佐山聡 「タイガーマスク」を語る [証言―“猛虎伝説"を彩った宿敵たち]“爆弾小僧"ダイナマイト・キッド 初代タイガーマスクの回想(1)“暗闇の虎"初代ブラック・タイガー 初代タイガーマスクの回想(2)“虎ハンター"小林邦昭 「徹底検証」1000万円の国宝マスク「二冠伝説」 [コラム―初期マスクの深層][本人使用マスクコレクション] [世界を熱狂させた「天才」の足跡]サトル・サヤマのEMLL時代 四次元殺法のルーツ タイガームーブは、いかにして編み出されたのか? スペル・エストレージャたちの独白「あの日の俺とティグレ」 ソラール/マスクド・ハリケーン/ビジャノ3号/カネック/ブラックマン/ペロ・アグアヨ /初代タイガーマスクのWWF遠征
/■登録情報:/ムック 104ページ /出版社 辰巳出版 /言語 日本語 /ISBN-10: 4777820300 ISBN-13: 978-4777820306 /発売日 2018/2/21 /梱包サイズ 29.8 x 21 x 0.7 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.0 /■カスタマーレビュー:哀無リョウ 5つ星のうち5.0 「青春時代」2018年3月26日・・・青春 まさに青春時代。色々な好敵手のインタビューは あー そうだったのかと この気持ちになんと名前をつければ良いのか困ってしまうほど素敵な本。』
☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・
【今日のことば】「スポーツというものに気品があるのは敵が敵ではないからである。競技相手は明らかなその場の敵であっても」――横光利一 |
【解説】
作家の横光利一は明治31年(1898)福島県に生まれた。早稲田大学在学中から小説を書きはじめ、川端康成、菊池寛らと親交を結んだ。当時、文壇の主流をなしていた自然主義的リアリズムに対抗し、新感覚派の旗手として活躍した。とくに、大正13年(1924)10月、雑誌『文藝時代』創刊号に掲載された『頭ならびに腹』は、書き出しの数行だけで文壇に大きな衝撃を与えた。「真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で馳けていた。沿線の小駅は石のように黙殺された」/読む者の五感に訴えてありありと映像を想起させる、擬人法と比喩をからめた斬新な文体であった。
細かすぎて伝わらない関連動画など
(「横光利一」「頭ならびに腹」で動画検索してみました!!)
→『■内容紹介:横光利一について・・・横光利一は、一八九八年(明治三十一年)、福島県で生まれました。一九一六年(大正五年)早稲田大学英文科に入学し、このころから文芸雑誌に小説を投稿し始めます。一九二一年には川端康成と出会い、生涯の友となりました。一九二二年(大正十一年)、小説「南北」が「人間」に掲載されてデビューを果たします。その後、中山義秀らと同人誌を発行します。一九二四年(大正十三年)、川端康成らとともに「文藝時代」を創刊し、新感覚派の拠点とします。「春は馬車に乗って」や「上海」などを発表します。一九三六年(昭和十一年)、ヨーロッパ旅行にでかけ、この経験をもとに翌年から「旅愁」の連載を始めます。また戦争中は、国粋主義的な立場を取ったため、戦後は戦犯として非難されました。「旅愁」は十年に渡って書き続けられますが、未完となります。一九四七年(昭和二十二年)、胃潰瘍のため亡くなりました。四十九歳でした。川端康成は、葬儀で「「君に遺された僕のさびしさは君が知ってくれるであろう。君と、最後にあった時、生死の境にたゆたうような君の眼差の無限の懐かしさに、僕は生きて二度とほかでめぐりあえるであろうか。(中略)僕は日本の山河を魂として君の後を生きてゆく」と述べました。
■登録情報:/フォーマット Kindle版 /ファイルサイズ 2269 KB /出版社 古典教養文庫; 1版 /販売 Amazon Services International, Inc. /言語 日本語 /ASIN: B00EWCD31U /Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) 有効 /X-Ray 有効にされていません /Word Wise 有効にされていません /おすすめ度 5つ星のうち 4.0 /■カスタマーレビュー:ghostfinder 5つ星のうち4.0 「安いから、とりあえず買っとけばいい」2014年6月26日・・・過去には「機械」、「紋章」といくつかの短編を読んだだけだった。それで、彼については、「不器用なところもある人が誠実に文学に取り組んだ結果、そこはかとないユーモアがにじみ出た愛すべき作品を産みだした」という認識だった。今回彼の諸作品を通観することで、実はかなり才能のある人が、結構野心を持っていろいろなことを試みた結果なんだなと知った。ちょっとがっかりしたというのが本音。才能なんて、文学を語る上ではたいしたもんじゃない。自分はドストエフスキーを読むくらいなら川崎長太郎を選ぶ。すばらしい才能があるとわかって評価が下がるとは自分でも訳のわからない話だが、事実だからまあ仕方がない。だが、まだ読み足りないのかな。彼への見方として、悲劇としての側面が言われていたような気がする。何処で読んだか失念したが。それが感得できることがあるのかもしれない。とりあえず、自分の理解力が一段階上がることはいいことだ。これは全集ではないが、一人の作家をたくさん読むのは、いろいろな人の傑作を読み散らかすこと以上の経験になることは間違いない。』