ブログ移行期間 /『ヌイグルマーZ』の八幡愛さん♪

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竹内義和氏とネット番組「コードレスで行こか」などに出演されている姫路の星!

八幡愛さんが、しょこたん主演の『ヌイグルマーZ』に出ていたという噂を聞きつけ、

さっそくかくにーーーん!


ニコニコ映画劇場 ヌイグルマーZ後編

『待たせたな!まさかの2日連続投稿だぜ!ヒーロー物の美味しいとこどりをしたB級映画ヌイグルマーZ」多少のドジは目をつぶり 癒して倒すヌイグル道!愉快な戦士ヌイグルマー参上! 姫を守るよ ボタンの瞳にかけて!』


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八幡愛オフィシャルBlog☆あいあいんしゅたいん☆ 2014年春公開『ヌイグルマーZ』出演します☆

2013-05-28 TwitterFacebookには書いてたんですが、2014年の春に全国公開される映画、井口昇監督、中川翔子さん主演、大槻ケンヂさん原作「ヌイグルマーZ」という、豪華すぎる映画に出演しています!!( ◔ ౪◔ )⊃━☆゚.*・

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私の役どころは・・・結構、衝撃wな役なので、公開されるまで、黙っておきます!グリーンバックに撮影したり、CG使いまくりですよ・・・ふふふ・・・もう、絶対、映画館のスクリーンで観てほしいです。行けば、意味がわかります。。。また、公開が近くなったら撮影秘話的なことを書きます・・・ふふふ・・・/井口組は本当に楽しくて、キャストはもちろん、スタッフさん全員が、みんなで楽しみながら、最高な作品を作ろう!と一致団結しておりました。。幸せな経験をさせていただきました。しょこたん様のかわゆさには鳥肌立ちましたよ!というわけで、来年、楽しみにしててください!!』


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※オッパイビームで町を破壊しまくっていたーww





☆「プロレス今日は何の日」と「漱石と明治人のことば」をお届け~♪

(詳細は、1月1日の日記を参照のこと!)


☆さ~~て、本日6月1日(土)の、「プロレス記念日」は~?


年度・団体【2017年・DDT】
カテゴリー【大会】
見出し:『東京ドームでノーピープルマッチ・・・高木三四郎×鈴木みのる

『解説:12年8・18日本武道館で「5年後東京ドームへ進出する」と高木が宣言。通常興行ではなく無観衆の路上プロレスとして実現させた。』


◎関連書籍、ニュース記事、試合動画、など。


●路上プロレスin東京ドーム ダイジェスト版



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※「セーフってなんだよ!」かなりの茶番だけど、見ていられるな~~w


◎解説サイトから、里村明衣子チャンがピッチャーをするシ-ンを抜粋~。

KEN筆.txt 実況席から見た路上プロレスin東京ドームの一部始終

『退散した高木を鈴木がグラウンドまで追うと、2人の視線がマウンドに向けられたまま止まる。そこにいたのは不動明王のようにそびえ立つガウン姿の里村明衣子だった。野球の経験はまったくないと思われる里村なのに、その存在感は往年の伊良部や大魔神・佐々木を遥かに超えるものがあり「私と勝負しろ!」とプロレスではなく野球での勝負を2人に挑む。先頭バッターとして高木がバットを持ちバッターボックスへ立ち、ウグイス嬢・滝川あずさのアナウンス。気がつけば両サイドベンチでは、とりあえず東京ドーム内に入れるというだけで集まったような選手の皆さんが盛り上がる。これは相当のピッチングを見せるという雰囲気が充満する中、里村の投げた投球は絵に描いたような大暴投や草野球でもあり得ないような距離でボールがバウンドし、チョロチョロと転がるのみ。

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(ピッチャー里村!!ボールを拾いに走る姿がカワエエ~~♪)

普通なら、ここで思わず照れ笑いでも浮かべるところだが、やはり女子プロ界の横綱はモノが違った。眉一つ動かすことなく異様なまでの眼力で投げ続けたのだ。おびただしい数のアレやコレやがあった今回の路上プロレスにおいて、最初から最後までビタ一文表情を変えなかった人物が2名いる。一人は里村。そしてもう一人は人間の感情を忘れた男・サムライTVのマタローである。/そんな里村を攻略できぬ高木に業を煮やした天龍監督が、代打・淡口を告げる長嶋茂雄監督の向こうを張って鈴木との交替を告げる。気がつけば里村はボールが届くようにとマウンドを離れホームベース付近にまで来ているかのようだったが、村田さんいわく「いや、あれは里村さんの迫力によって前に迫ってくるように見えただけです」とのこと。まさに『巨人の星』や『侍ジャイアンツ』チックな描写が現出していたのだ。ところが、里村の投げたボールが鈴木の頭をかすめたためバッターボックスから突進。ここで真っ先にベンチから鉄砲玉のごとく飛び出してきたのが征夫さんというのが、また…。』


☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・

漱石と明治人のことば目次


【今日のことば】「小生は人に手紙をかく事と人から手紙をもらう事が大すきである」――夏目漱石


【解説】

上に掲げたのは、夏目漱石明治39年(1906)1月7日付で、門弟の森田草平あてに出した手紙の中の一節である。実際、漱石は無類の手紙好きだった。漱石の遺した書簡は、現在、把握されているものだけでおよそ2500通にのぼる。


全集におさめられたその1通1通をつぶさに見ていくと、手紙文の古典的な定型ともいうべき候文のほかに、漢語調のものがあり、目の前の相手に語りかけるような言文一致体があり、ときには英文や俳句が彩りを添える。相手によって、また状況によって、自在に文体を使いわけている。


漱石は幼少時から漢文や寄席に親しんだ。その後、正岡子規との交遊を通して俳句を詠み、英文学者として文部省派遣留学生に選出されイギリスへも留学、やがて作家として頂点にのぼりつめていく。そうした人生の足跡が、そのまま、漱石書簡の多様な文体の下敷きとなっているのである。そんな多様な文体を駆使しながら、漱石は真情とユーモアにあふれる手紙をせっせと書いた。


門弟のひとりで、のちに雑誌『赤い鳥』を創刊して日本の児童文学界を牽引する鈴木三重吉は、『漱石先生の書簡』と題する一文にこう綴っている。「門下のものや先生のところへ出入りしたことのある人たちが、めいめいの煩悶を訴えたり、感想や議論を述べて来た場合なぞには、しばしば長い手紙をいとわずかいて、慰撫したり訓諭したり、教導された」


漱石からの手紙を受け取ったのは、門弟や友人、家族ばかりではない。自分に手紙をくれた見知らぬ人にまで、漱石は律儀に返書をしたためた。困っているとき、悩んでいるとき、嬉しいとき、寂しいとき。その時々に、漱石は手紙で的確なことばを投げかける。そこに綴られたことばによって鼓舞されたり、心癒(いや)されたりして、自己の進むべき道筋を見いだした者も少なくないのである。


今日6月1日から、郵便葉書の料金が52円から62円へと値上がりする。封書の切手代は82円(定型25グラム以下の場合)のまま据え置かれる。たまには、漱石にならい、親しい人や離れて暮らしている家族へ、自筆で手紙をしたためてみるのもいいかもしれない。


細かすぎて伝わらない関連動画など

(「漱石」「手紙」で動画検索してみました!!)


漱石アンドロイド演劇「手紙」紹介映像



ジョニーAのつぶやき:Me too,Mr.Souseki!