【嫌われ松子の一生(原作)】

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山田宗樹さん著の『嫌われ松子の一生』上・下巻を、本日読了。感想をば、書き記してみたい。

まず映画を観ていない人、これから本を読む予定の人、などは読み飛ばしてもらって結構。
ネタバレ満載で参る!

映画との大きな相違点が3つあった。
「シャブ中の件」「龍クン視点での回想部分」「松子を殺した連中の裁判の場面」の3点だ。順に書いて行こう。

実はシャブ中だった件

映画では絶対に触れられない内容。雄琴ソープ嬢として働く松子は、ヤクに手を出していた。映画ではほとんどカットされたその部分の描写はかなりエグかった。クスリに頼ってボロボロになりながら、お相手する客の描写が、一人一人事細かく書き連ねられてゆく。。。

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博多のソープ「白夜」でタッグを組んで暴れまわった、盟友の綾乃(ボニー・ピンクが演じた)は原作においては、ヤク中の愛人に刺されて死ぬ。その話を聞いてやっと足を洗おうとする松子だった。よく考えてみると、映画での突然のミュージカルシーンとか、花や鳥が舞い飛ぶイメージは、すべてシャブ中毒による幻覚だったのだと考えれば辻褄は合うじゃあないか!ヤルナァ~中島カンントク!! え?考えすぎ?


龍洋一視点からも語られる真実があった!

映画は、松子の甥である川尻笙クン視点で亡くなった松子さんの一生を振り返るシーンと、実際に松子さん視点でリアルタイムの人生を進んでいくシーン(実は光GENJIの内海君宛てのファンレターだった、というオチがつくのだがw)がうまく絡み合って進んでいく。小説版も同じような構成になっているのだが、もう一人、松子の教え子であり松子の最愛の人、龍洋一クンの視点というのも、途中から加わってくるのだ!
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映画では、“よくわからないモノをよくわからない国の人に渡したりした”などと、松子のナレーションでオブラートに包んで表現していたが、もちろんアレは覚醒剤の密輸・密売。実は龍洋一は暴力団に属していながら裏では警察とつるんでおり、いわゆる麻薬Gメンのスパイのような仕事をしていたのだった。松子に「ヤクをやめて!」と言われ、龍洋一は仕事を放棄。組からも警察からも追われる身となって、破滅していくのだ。個人的には、この龍洋一が映画の全キャストの中で、一番思い入れし難い存在だった。中学の修学旅行でのエピソードしかり、大人になってからも終始、何をやりたいのかようわからんキャラやし、聖書を読んで改心するくだりもやけに唐突な感じだったし・・・。しかし、小説を読んで、疑問が氷解した。龍くんにも龍くんの論理があったんや~、と改めて納得できて、非常に意義のある読書であったことよ♪ この予備知識を持って映画を観直したらば、また違った面白さが発見できるかもナァw

映画の感動的なあのシーンのその後・・・

映画版は、松子の魂が一陣の風となって荒川を溯り、筑後川へ飛び、時間も越えて、あの懐かしい家族のいるオウチへと帰還して終わるわけだが(涙)。原作にはそのあとがある。映画の終わり方では、松子を殺した連中へのわだかまりがどうしても残ってしまう。事実、あのシーンがどうにもやるせなく、観終わっての後味が悪かった、という感想を数多く読んだ。そんな人には、ぜひとも、この書籍をオススメしたい。
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まず原作では、連中の年齢はもう少し上の設定である。ヤンキーの若者。(映画で中学生にしたのはどういう意図があってのことか不明だが、教師のころの元気が戻ってきた、と考えるとその皮肉さが松子らしいし、個人的には映画版の設定のほうが好きなんだナァ~)笙と龍さんが裁判を見学に来る。「殺す気なんかなかったんだ」という意味の言葉を繰り返す、被告のティーンエイジャーたちの態度に、笙はキレる。大声で怒鳴り、退廷させられる。まぁ、それだけの後付けではあるんだけど、映画のように犯人と笙が一切接点を持たないよりはずっとスッキリするような気はする。。それなら先述の後味が悪かった人たちも納得してくれるかも、だ。原作者の山田さんが撮影現場を訪れたとき、中谷美紀さんはしきりに「ウチの監督が最後の裁判シーンを削っちゃいまして、ホントに申し訳御座いませんッ!!!」と謝り倒していたんだそうな。原作ファンからすると、やっぱりそういう感覚なのかもナ♪まず映画ありきで、松子に触れた僕などからすれば、あの大感動のラストシーンのあとは、もうスッ!と、ラストテロップに入ってくれるのが最高の演出だったんだけども♪

とまれ、映画ファンの人は、ますます松子が好きになること請け合い♪の原作です。機会があればぜひ読んでみてチョーダイナ。以上!