【オーラの泉】エバラVSアキラ

イメージ 1
今夜の『オーラの泉』はまさに白熱の三つ巴(もしくは四つ巴!)対決で、見応え満点だった。格闘家の前田日明アニィが、あんな霊媒型の人だとは思わなかった。司会の国分太一君同様、今回のブッキングは、“噛み合わないので面白そう♪”などと思っていたのだが、意に反してディープな展開になって行った。。。むしろアキラ兄ィは江原さんと同類!??同じ素養を持った陽と陰の関係である事が判明!!実は前田さんは、美輪さんとも江原さんとも前世で会った事がある、といういきなりの出だしで、太一君が「僕・・とは会ってないですよね?」と淋しそうに呟き、その後ほとんど喋らなくなってしまったのがカワイソスな程だったw


前田日明兄ィのウィキペディアをまず貼ろう♪僕自身、リングス解散以降の前田サンの動向にはチョット疎いところがあったので、今回、非常にタメになったや。
ウィキペディア 前田日明

《一部引用》
イメージ 2
●前田 日明(まえだ あきら、1959年1月24日 - )は元プロレスラー・元格闘家。空手を皮切りに、新日本プロレスUWF→リングス総裁。現在はK-1 HERO'Sでスーパーバイザーを努める。かつてのリングネームは「前田明」。大阪府大阪市大正区出身。

●少年時代・・・ウルトラマンゼットンに倒されたのを見て、打倒ゼットンを志し空手を習い始める。北陽高校時代は空手とバイクに明け暮れた。

新日本プロレス・・・1977年に、後にタイガーマスクとして活躍することになる佐山聡にスカウトされ新日本プロレスに入団。同年8月25日、長岡市厚生会館の山本小鉄戦でデビュー。藤原喜明によると前田はアントニオ猪木に憧れて入団したわけではなく「肉が沢山食べられるから」という理由で佐山の誘いに乗ったと言うことである。実際、猪木が見るに見かねて前田に「何してもいいから来い」とスパーを試みたところ、前田は猪木に急所蹴りと目つぶしをして、怒った猪木にひっくり返されて逆十字を極められ、「なに考えてんだ!」と怒鳴られた事がある。

イメージ 3
旧UWF新日本プロレス・・・新日本プロレスの新世代エースとして活躍するも、1984年に第一次UWF旗揚げに参加。同団体の電撃解散を経て、1986年に新日本に復帰。長州力の呼びかけのもと藤波辰爾らと共に新世代軍を結成。アントニオ猪木坂口征二マサ斎藤ら旧世代軍と抗争を繰り広げる。だが新日はその後、一番人気の前田潰しを画策。アンドレ・ザ・ジャイアントとのシュート・マッチを強行するも、前田はアンドレを戦意喪失にまで追い込む。また、新日本プロレスは空手家でWKA全米チャンピオンのドン・ナカヤ・ニールセンらをぶつけるも、前田は結果・試合内容共に圧勝。この日以降、新日ファン内での前田人気は頂点を極めることとなる。 その後長州が新世代軍の解散を宣言したことを受け、1987年11月19日後楽園ホールでのUWF軍対維新軍の6人タッグマッチで、木戸修にサソリ固めを決めている長州に前田が顔面にキックを食らわせ右前頭洞底骨折、全治1ヶ月の重症を負わせる。このことを理由に、新日本プロレスは前田に無期限出場停止の処分を下す。

●第二次(新生)UWF・・・第二次(新生)UWFは、1988年5月に後楽園ホールにて「STARTING OVER」と銘打ち旗揚げ。超満員に膨れ上がった旗揚げ戦には、当時顧問の肩書きだったカール・ゴッチ等、多くのプロレス・格闘技関係者が来場した。(中略)順風満帆の季節は短かった。前田と神新二社長との間で団体の方向性、金銭的な面で深刻な確執が発生。1990年10月、前田は大阪での船木誠勝戦直後に、試合後の荒い息のままフロントを舌鋒激しく非難。これを受けたフロントにより、出場停止処分を受けてしまう。この一連の前田と会社上層部との確執・対立は前田と所属選手間にも波及。翌1991年初頭に、前田は自宅マンションでの選手集会に於て、新生UWFの解散を宣言した。その際、高田派、藤原派が独立。一人でも選手が欠ければ第三次UWFは断念すると決めていた前田は、結果的に孤立する仕儀となる。

●リングス・・・新生UWF解散後の1991年春、たった一人で総合格闘技団体リングスを旗揚げ、同年5月に横浜アリーナで旗揚げ戦を行った。時のスタッフの若林太郎(現修斗協会理事)によれば、初期のリングスは、真剣勝負と作り試合をミックスさせる興行形式を取っていたとされる(この点に不満を持ち、完全真剣勝負への移行を若林太郎は前田に直訴するが、月一回の興行形態の維持が前提のリングスにあっては実現は難しく、若林はリングスを去ったとされる)。(中略)また、空手団体の正道会館石井館長はリングスに自団体の空手選手を派遣し、佐竹雅昭は貴重な日本人ヘビー級選手として活躍した。(石井館長はリングス参戦によって大型興行のノウハウを蓄積し、それが後のK1の飛躍へとつながった。この点について前田は「アイデアを盗まれた。やられた。」と述懐している。)/1999年に前田は引退。前田引退後のリングスはKoKルールによって100%真剣勝負路線に移行したとされる。2002年にリングスは活動を停止。前田は表舞台から姿を消す。

イメージ 4
●ビックマウス(ビッグマウスラウド)・・・2005年、元新日本プロレスで現ビッグマウス社長の上井文彦に請われ、氏が旗揚げする新プロレスイベントにスーパーバイザーとして参画。同時に、かつての盟友であり新生UWF分裂で袂を分かった船木誠勝と歴史的和解。ビッグマウスラウドの旗揚げ戦・第二戦は記録的な客入りとなる。しかし2006年1月4日に行われた新日本ドーム興行の結果等が引き金となり、前田上井の蜜月時代は終わる。前田は「BMLが既存のプロレスをしていても仕方ない。新日本では『やるだけやって、ノーコンテストで帰って来い』と柴田と村上に告げたのに、二人とも普通のプロレスをやって来た。村上は情けない結果に終わり、柴田も相手選手の顔面も蹴れなかった」等と発言。2006年2月26日 新生ビッグマウスラウド旗揚げ記念大会・徳島興行でビッグマウスを脱退。前田より提案されていた新たなプロレススタイル「スーパーUWF」が、方向性の違いや資金の問題などの問題で上井に却下されたことや、団体の資金難で道場も用意できなかったことなどを理由として、前田は船木と共に脱退。今後は船木と共に、「総合格闘技で勝てる日本人」の育成に努めると発表した。

●HERO'S・・・ビッグマウスK-1との提携で、「HERO'S」(総合格闘技イベント)発足時より「スーパーアドバイザー」として参画。しばしば記者会見等、公の場に姿を現している。(HERO'S興行とライバル関係にあると目される)PRIDEから、平成18年5月3日に行われたHERO'S代々木第一体育館に於て桜庭和志が電撃移籍。その際、前田氏は桜庭選手と並び、ファイティングポーズをとった。

●豆知識・・・『ウルトラマン』で怪獣ゴモラ大阪城を壊した翌日、その様子を確認に行ったが特に変化が見られなかったため、近くにいた掃除をしていた男性に訊いたところ「皆が徹夜で修理した」との回答をもらった。子供の夢を壊さないように答えてくれた男性に今でも感謝しているという。/ トラブルに巻き込まれやすい。ライバル団体パンクラス社長が自団体の選手と密談。これを引き抜き工作として、ホテルのロビーで暴行、民事・刑事両方で告訴され敗訴。1994年には、UWF、リングス、パンクラス等への中傷記事を自身の空手雑誌に掲載した編集長を女子便所に連れ込み説教(同編集長は「あれでは暴行だ」と主張)。/1999年末には、会場において、プロレスラー安生洋二に突如として背後から襲撃される(安生は略式裁判で罰金刑)。/米国でリングスで渉外マネジメントを任されていた女性(一説に前田の恋人とされる)を殴打し逮捕されるという報道が東京スポーツの誌面を飾ったが、これは虚偽の報道である事が後に判明。なお、この誤報事件以前から、東京スポーツと前田の仲は甚だ不仲を極めている。/ 新日本プロレス時代、道場に入門にやって来た山崎一夫に同伴していた山崎の姉をナンパしたが、木村健吾に止められた。/ かつて、石田えりら数人の女優らとの浮名を流した過去がある。現在は「交際するなら普通の人がいい」とか。

豆知識の、後ろから2番目、ワロタwww
ウルトラマンの敵討ちのため格闘を始めた、という有名なエピソードが、この日の『オーラの泉』を見て、より深く理解できた。彼は着ぐるみのウルトラマンに自分自身の着ぐるみ人生を投影していたのだ!!
江原さんによれば、前田日明は憑依型で、たくさんの成仏できない将校が、これまで入れ替わり立ち代り入っていたのだそうな。そして、そんな彼を救ってやろうとする三島由紀夫が、今回の番組出演を後押ししてくれたのだと言う。。。(よう出来た話や!!)そして、太一君は置いてけぼりのまま、江原ー美輪ー三島ー前田の四つ巴のオーラ・バトルへと・・・w

イメージ 5
結論として、今後日明兄ィは“仏法思想で生きて行くべきだ”と諭されていた。(どうしよー!新崎人生みたいに体にお経書いてリングに上がったりしたらW←左写真参照)これまでの闘いの歴史(カルマ)は終わらせて、平和に生きよ、と。仏の教えを子供たちに伝えるべきだ、と。集めている刀剣の類は全部捨てるように!!とまで言われ、それはさすがに辛かったのだろう。きっと切ない顔をして美輪さんに無言で訴えかけたんじゃないかと察せられる。その後美輪さんは「まぁ、主人は刀じゃないんだ、という事がネ、ちゃんと解れば、(手放さなくても)いいんじゃないの?」というフォローの言葉を引き出していたwww良かったネ~アキラ兄ヤン♪(ジョニー・デップのポスターを剥がせ!と言われたオダギリジョーは、今頃どーしてるんだろうなぁ~~??なんてチョット思い出しちゃったw)

では最後に、日明兄ィが輝いていた、新日本プロレスVS出戻りUWFの対抗戦のあたりをまとめてくれてる動画と、オーラ関連で記事を載せてらっした、Jimmyさんとyutoponさんのブログ記事をば。


Jimmyの明かり窓
とりあえずの日々
無料診断 オーラソーマリーディング
※なかなかコメントがよく練られていて奥深~いヨ。試してみてネ♪ではでは。今夜はこの辺で。