【夢のつづき】寿郎社 カモちゃん私小説

寿郎社のサイトに、鴨志田穣さんの遺稿が載せられている。寿郎社代表の追悼文と共に、紹介したい。


小説 「旅のつづき」 邂逅(2)より 一部抜粋

鴨志田さんと西原さんの出会い。こんないいシーンで執筆終了だなんて!ホントにもうっ!カモちゃんてば。

もうアル中気味になっていて、人間世界に戻ってまだ数日しかたっていないのも手伝って皆が部屋に上って行くと、ロビーで一人ビールを飲み始めた。二、三十分はかかるだろうとゆっくりビールを味わっていると五分もしないうちに、一人妻が先に部屋から降りてやってきた。

顔を洗っただけなのだろう。髪をアップにして真紅のルージュを引いてポトポトと近付いてきた。ビールを一緒に飲むと言うのでウェイトレスにグラスを持ってこさせ、彼女のグラスに注いだ。クイッとグラスの半分くらいを喉を一つ鳴らしながら飲み、タイのビールは軽くて飲みやすいわと微笑んだ。飲みっぷりもはっきりとしていて、何故か隙のない強い女だなという印象を持った。酒が強そうだと伝えると、高知の産だとはっきり大きな声で答え、“いごっそう”ですねと話すと、ええ“八金”です。そう返した。
 
水かけ祭りとパタヤの印象を尋ねると、両方とも最低だと切って捨てた。その毒気に満ちた声色につい大きくふき出すと、こちらが笑ったのがそんなに嬉しかったのか、パタヤでの出来事を、まるで台所でゴキブリを見つけたかのように悪意に満ち、嫌気たっぷりに、しかし細い記憶は微細についほうと関心する表現方法で早口にまくし立てた。
 彼女の放つ悪口雑言は何故か常に柔らかさにつつまれていて、いつの間にか彼女に愛しさを募らせていた。

 何の偶然か、妻もこちらを話しやすい人間と感じたのか、屋台村に向かう道中もしきりに話しかけてきて、二人の会話が休むことはなかった。席につくと彼女の「まずはビール。冷えた所じゃんじゃん持ってきて」の一声で宴は開かれた。ここで一番好まれ食べられている品を選んでください。彼女はこちらに向かって叫んだ。他の同行者は一瞬困った顔をしたが、それに気づいていても自分と妻は一切無視して九品料理を選んだ。特別な食材は敢えて選ばず、地元の人たちが一番注文するものだけにした。強いて特別な食材と言えば、よく太った蛙の太股とバナナの花、ガチョウの水掻きに塩辛い大カマスの輪切りを強烈な刺激臭に仕上げ発酵させたものだろうか。何度もタイに足を運んでいる旧知の記者と女性二人は、見たことのない色の料理や、脂が表面を被う品のえも言われぬ発酵臭におじけづき、ほとんど箸が動くことのない中、妻は両手の指を脂と調味料まみれに汚しながら料理にむさぼりついている。

「旨いよ全部。ほら食べなよ」
 時々どうでもよさそうに皆に声をかけるが、すぐに料理にむしゃぶりつき、汚れた指をなめてビールのグラスをつかみガブガブと飲む、そして思いついたままにこちらに向かって速射砲のように、ありとあらゆる切り口から質問を投げかけてくる。答えるたびに腹をかかえて大笑いしたり、答えに満足できるまで深くさぐり、理解すると大きく頷き、必要と思えばメモを取り出し、文字を走り書きする。

有能な記者でもあった。満足できたのか、皆の困惑ぶりを見て取って「帰ろう」、そう一声発して席を立つと大きく背伸びをした。明日はどうするか。聞くと、
「観光入っちゃってるのよ。そんなの行きたくない。貴方の話聞きながら思いつくままに歩き回りたいのだけど」笑いながらも旅をコーディネイトした記者を気くばって小さな声でささやいた。明晩また食事をしながら質問するので総括してくれと言われ、別れた。

イメージ 1
初めて会って食事をしただけなのに彼女に会う次の日を待ち遠しく思ってならない気持ちになり、自分の心に戸惑った。翌日の晩餐は皆のことも考え地元の者が通うシーフードレストランを選んだ。最終日ということもあり、さすがの妻もテンションは下がっていたが、質問は辛辣そのものであった。食事も終わり皆席を立った頃、彼女はそっと近づき小さなメモ用紙を渡してよこした。

「滅多にないことなの」そう言い残し女性の輪に加わりに走っていった。メモには彼女の私用の電話番号が書かれてあった。でも、それから一度も彼女に電話を掛けることはしなかった。恋心が戦場での足をにぶらせると思ったのだった。

ただ、神様をこの目で確かに見た。丁度一年後。僕たちはアマゾンで一緒に仕事をしたのだ。取材も終わり、一人ビジネスクラスにいた彼女が
「一人じゃ寂しいの」そう言って自分の横に座った。
「いろいろ考え過ぎるんだよ」僕はささやきながら彼女の手を強く握りしめた。
それから二人はずっと手を離すことはなかった。

■お知らせ■
 この原稿をもちまして3月20日 午前5時 鴨志田穣氏 腎臓ガンにより永眠されました。

●土肥寿郎氏の「オヨヨ通りから世界をまわって」(追悼文 全文引用)
『オヨヨ通りと呼ばれた南一条西五丁目あたりが当時の札幌の遊び場だった。彼はよくジャズ喫茶にいた。進学もせず就職もせず中途半端な遊び人である自分にいらだっていた。

だから二十歳を前にして東京に出た。そして新宿の焼鳥屋で働いた。常連客と朝まで飲み歩く生活の中で、海外を知るカメラマンから刺激を受けた。ベトナム戦争を取材した開高健沢田教一に憧れ、カメラを買い、何もわからぬままタイに向かった。そしてアジアを放浪する。

ある時、一人のジャーナリストと出会う。後にイラクで亡くなる橋田信介氏だ。即座に弟子入りし、以後ビデオカメラをかついで世界の紛争地帯を駆け回った。だが、本物の戦場は想像を絶していた。目の前で人が死ぬ。とてもカメラなんか回せない。自分も死ぬかもしれない。強い酒なしには眠られなくなった。

タイに戻って今度は一人の日本人女性と巡り会う。人気漫画家の西原理恵子氏。一年後に結婚し一男一女を授かるが、酒量はひどく増え、七年で離婚。彼の面倒を見ていた母親も限界に達し、その後みずから精神病院に入院して治療に取り組んだ。そしてこの一年は完全に酒を断って、復縁もした。家族で旅行にも行った。しかし、すでに腎臓がんが進行していて、平穏な暮らしは半年で終わった。東京に桜が咲いた三月二十日、フリーカメラマンで作家の鴨志田穣はこうして四十二年の生涯を終えた。

オヨヨ通りから始まる私小説を書きたいと言っていた。しかしアルコール依存症との戦いを綴った『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』(スターツ出版)で力尽きた。その本に寄せられたリリー・フランキーさんの言葉をいま友人としてかみしめる。〈なんだかんだあっても、幸せな男。〉 タイムアップだ鴨よ、旅のつづきはきっと誰かがしてくれるだろう。』 
                       (北海道新聞夕刊2007年4月11日に掲載したもの)

桜の季節もそろそろ終わりかけるなぁ~。全部散ってしまった時、初めてカモちゃんが天国に行って
しまった、と実感できるような気がする。ホント、長いこと見送ってた感じだよ~~~。

いま会いにゆきます」で主人公・秋穂巧の奥さん、澪は、梅雨の季節に天国から舞い戻ってきたかの
ような奇跡を起こすけれど、カモちゃんの場合は、毎年桜の季節に帰って来るんじゃないかねぇ?
何となくそんな妄想に抱かれながら、桜吹雪の中を出勤した日であったことよ。

また、つたないイラストをばアップ↓(西原漫画のもろパクリじゃっ!文句あっか!  -開き直りー)
イメージ 2