『ポエトリー アグネスの詩』

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eiga.com 作品情報 『ポエトリー アグネスの詩』
■解説:「オアシス」「シークレット・サンシャイン」のイ・チャンドン監督が、アルツハイマー症に冒され徐々に言葉を失っていく初老の女性が、一編の詩を編み出すまでを描いた人間ドラマ。釜山で働く娘に代わり中学生の孫息子ジョンウクを育てる66歳のミジャは、ふとしたきっかけで詩作教室に通い始めるが、その矢先に自分がアルツハイマー認知症であることが発覚する。さらに、少し前に起こった女子中学生アグネスの自殺事件にジョンウクがかかわっていたことを知り、ショックを受けたミジャは、アグネスの足跡をたどっていくが……。2010年・第63回カンヌ国際映画祭脚本賞を受賞。
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■スタッフ:/監督 イ・チャンドン /製作 イ・ジュンドン /撮影 キム・ヒョンソク /編集 キム・ヒョン
■キャスト:ユン・ジョンヒ イ・デビット アン・ネサン キム・ヒラ パク・ミョンシン
■作品データ:/原題 Poetry /製作年 2010年 /製作国 韓国 /配給 シグロ、キノアイジャパン /上映時間 139分 /映倫区分 PG12
[オフィシャルサイト]
■受賞歴
・第63回 カンヌ国際映画祭(2010)脚本賞受賞 イ・チャンドン
※近辺ではTSUTAYA太子店にしか置いておらず、作品のマイナーさを思い
知らされる。カンヌの脚本賞受賞作なのに~~~!

●予告編


eiga.com 映画評論 <詩>と<死>の不可分な関係にも言及したイ・チャンドンの新境地
『冒頭、河川のはるか彼方から自殺した女子中学生の死体が流れてくるショッキングな光景に目を奪われる。イ・チャンドンの映画には時として、観客が、直視するのを避けたくなるような<おぞましさ>を露呈させる瞬間がある。しかし、その名状しがたい困惑と不快さをもたらすのは、彼が差し示すビジョンが、私たちが内部に抱え持つ感情と深いところで共振するからにほかならない。
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老女ミジャは介護ヘルパーをしながらつつましく中学生の孫息子を育てているが、絶えずコケットな笑みを浮かべ、言動も身に着ける衣装も周囲との異和感を際立たせている。彼女はアルツハイマーを患い、言葉や記憶の忘却の危機感にせきたてられるかのように、詩作教室に通い始める。やがて、孫が仲間たちと女子学生に性的暴行を加えていたことが判明し、緩やかに彼女の精神も変調をきたしてゆく。/ミジャは童女のようなイノセンスを発散しつつ、内なる<美>を追求するための詩作行為に没頭し、少女の末期の現場に追認するように佇む。一方で、遺族への慰謝料を工面するために、彼女はある決断を迫られる。ヘルパー先での老人の欲望に応えるシーンにおいて、画面いっぱいに映し出されるミジャの裸の背中の無防備なまでの痛々しさは忘れられない。/あまりに散文的で酷い現実に窒息されかけながら、ようやく、ミジャは一篇の詩を完成する。最後の授業で、先生が断片を朗読し、女子中学生の末期の瞬間の謎めいた微笑がそれに重なる。果たして、ミジャと少女は合一を遂げることができたのか。<詩>と<死>の不可分な関係にも大胆に言及するイ・チャンドンは、かつてない新境地に踏み込んだといえそうだ』

こねたみっくす 『ポエトリー アグネスの詩』
『詩はその人の分身。何を書くかは何を感じるかということ。無視していい感情などは何もない。第63回カンヌ国際映画祭脚本賞を受賞したこの映画は、現代韓国社会の汚い部分を美しい詩を書こうと悩むアルツハイマー病に侵されつつある老女を通して描く、イ・チャンドン監督ならではの静かなる名作。重いテーマを扱っているはずなのに、見終わった後にはその重さを全く感じない不思議な映画でした』

映画的・絵画的・音楽的 ポエトリー
『本作の主人公ミジャは、なかなかユニークで可愛らしい性格を持つ女性として描かれています。一方では、カルチャーセンターに行って真面目に「詩作」を勉強するかと思えば、他方では随分と派手な服装をして、カラオケ屋で一人カラオケをしたり、かつまた孫と家の前でバドミントンに興じたりするのです。
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さらには、アグネスの母親に会って示談に応じてくれるよう独りで頼みに行くのですが、途中で出会った女性と田園風景の素晴らしさなどを楽しく語ってしまい、実際には母親に会わずに帰ってきてしまいます。ですが、その時に出会った女性が、マサニ会うべき母親であることがあとでわかったりしてドギマギしてしまいます。/こんな主人公を演じるのがユン・ジョンヒ。実に16年ぶりの映画出演とのことですが、ブランクを全く感じさせないほどの演技力でミジャになりきっているように見えました』
※ミジャは、畑で出会った女性がアグネスの母親だと解っていたと思います。
でも世間話だけで帰らざるを得ない複雑な心境が、表情に表れていたように
ワチシには感じました。。。解釈はいろいろですね~。

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※孫息子のお箸の持ち方が雑すぎるところが気になった。ちゃんと躾けられて
いないという暗示か?などと深読みもしたくなるところだが。。。

夢の国・亞洲文化宮 ポエトリー アグネスの詩(うた)
『ミジャは、亡き少女の足跡をたどろうとするかのように、彼女の写真を手に入れ、学校内の現場へ行き、さらに飛び降りたとされる橋の上まで行く。あの老人との行為には、示談金の件もあるだろうが、何より望まない相手との行為を追体験する、という意味も込められているようにも思え、吐き気がしてきた。そこまで身を削る意味はどこにあるのだろう…。と思っているうちに、詩と事件の経緯とが、一本の線になっていく。物語はいくつもの疑問を残して終わる。(中略)
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孫が警官に連れて行かれた時、詩人は「ミジャ」だったのか。それとも「アグネス」だったのか。草木のざわめきや鳥の囀り、子供たちの声が流れるエンドロールだった。思い返せば全編に音楽はなかった。感じなさい!という詩作教室の先生の声が聞こえてくるようだ』
※「望まない相手との行為を追体験する」・・・なるほど!あの時点で、ミジャは
アグネスと一体化していたんですねー。目から鱗ですー!

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Realtokyo インタビュー:イ・チャンドンさん(『ポエトリー アグネスの詩』監督・脚本)
『第11回東京フィルメックスでクロージング上映され、観客に感銘をもたらしたイ・チャンドン監督の『ポエトリー アグネスの詩』がいよいよ劇場公開へ。2003年から07年まで、監督業を中断してノ・ムヒョン政権下で文化観光部長官を務めるという異色の経歴を持ちながら、5年ぶりの復帰作『シークレット・サンシャイン』がカンヌ国際映画祭で主演女優賞を獲得。それに続く本作もカンヌで脚本賞を受賞した。作品の背景には実際に起きた少年犯罪があるが、日の当たらない場所にも澄んだ眼差しを向け、現代に生きる市井の人々の心の奥底を深く洞察する監督にお会いした。(中略)/Q:ラストシーンがはっきりと描かれていませんね。孫と娘に罪を直視するように促して、ミジャ自身は認知症で死に近いという現実を受け入れる選択をしたのではないかと思ったのですが……。/監督:結末は開かれた状態で残しておいて、観客に考えてほしいと思いました。観客に想像してもらって、お任せしたいと。ただ、この映画で重要なことは、ミジャの選択を見せることなんです。彼女がどんな選択をしたかということを語る映画でもあると思うのですが、最後の最後の選択は、観客に判断を委ねたい。空白というか、括弧にしたまま残しておいて、みなさん考えてくださいねということなんです。ミジャは孫が罪を犯したことを知ったわけですが、じゃあそれに対してどうしたかというのも明らかには描いていません。彼女が通報したからバドミントンをしているときに孫が連行されたのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。はっきりと描いていないんです。ミジャの選択を見せないということは、彼女が道徳的な選択をしたのかどうかも含めてみなさんに考えてほしいと思ったから。観客が最後の選択をしてくれたらいいなと思っています。観客によっては、ミジャは現実を受け止めたと思うかもしれないし、受け入れない部分もあったと思うかもしれませんが、いずれにせよ究極の結末はミジャの不在です。彼女がいないということを最後に示して終わらせたかったんです。少女の苦しみを自分のものとして受け入れ、苦しみだけじゃなくて自殺した少女の運命さえもミジャが自分のものとして受け入れて、最後は少女になりきって代わりに詩を書いています。しかし、ミジャの顔も姿も見えない。そうやって彼女の不在を表して、観客にいろいろなものを感じ取ってほしいと思いました。ミジャも少女と同じように自殺したのかもしれないと思う人もいるでしょうし、そうじゃないと思う人もいるでしょう。
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ミジャを演じたユン・ジョンヒさんにもラストについて聞いてみました。彼女は完全にミジャになりきっていますからね。「たぶんミジャはどこかに出かけていて、道端に咲いているきれいな花に感嘆して時間を忘れて見とれ、時間が経ったことを思い出して、きっと何事もなかったように帰宅したと思うわ」と彼女は言いました。それも1つの答えだなと思いましたが、いずれにしても観客に委ねたいですね。/Q:今回は音楽を使っていませんね。「オアシス」など、音楽が効果的な作品もありましたが、映画における音楽の効果というものをどう考えていらっしゃいますか。/監督:私はもともと音楽を多用するのは好きではないんです。特にアメリカの映画を観ていると、終始音楽だらけだと感じてしまって、あまりにも音楽が多過ぎると、映画を観る行為の邪魔になってしまうような気がします。観客に対してもっともっと感情を感じてくださいというふうに、強要しているような気がしてならないんです。監督が音楽を入れるというのは、後から感情を付け加えているような感じがします。イメージとか現場で起こっている音はその空間の中にあるものですから、当然のことながら映画に伴うという前提で、フィルムは現場の音まで入れていますよね。しかし、音楽というのは、それとはまったく切り離され、後から足すもの。そういう側面を持っているので、映画にとって1つの要素であることは確かですが、私はあまり使いたくないんです。感動してくださいということを強要しているような感じがして、どうしても引っかかってしまい、反則を犯しているような気がしてくるんです。そういう考えもあったのですが、この作品については、内容に照らし合わせてみて、この映画には音楽は合わないと思ったんです。目に見えない美しさを探すという内容なのに、実はそれ自体が美しい音楽というものをかぶせるのがどうしても噛み合ない。外から作られた音楽を観客に聴かせるのは合致しないと思って排除したんです。そして、なによりも私は現実の中にすでに音楽があふれていると思うんです。鳥のさえずり、風の音、水の音、人々の喧噪、車の音、すべてそれらには音楽性があると思ったので、何も加えなくても、すでに音楽があるんだという解釈もあって使いませんでした。
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/Q:社会問題を扱う重厚な作品に、いつもじっくりと取り組んでいらっしゃいます。次回作の構想があれば教えて下さい。/監督:日本の震災の状況に衝撃を受け、どうしても他人事に思えなくて。私の日常にまで災害が起こりうるかもしれないと実感し、そういったことに関連した作品を作ろうと準備をしていました。しかし、現実的な問題があって保留になっています。別の題材を探そうと思って悩んでいるところで、いまはまだ確実なものがなく、いくつかの物語がグルグルと頭の中を駆け巡っている状態です。(※このインタビューは2011年11月9日に行われました。)』

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※様々な場所で、「イ・チャンドン監督と、日本の是枝裕和監督の類似性」
が取りざたされていたが、これまでピンとこなかった。が、今作の手法で、
詩作の会のメンバーが、(多分演技ではなく)自分の身の上を語るシーン
などに、確かに同系統のモノを感じた。創作の中に真実を入れるテクニックに
長けている、というべきかーーー。

タワレコ手帳&今月の日めくり(8月は「孤独のグルメ 万年カレンダー」)

(詳細は、8月1日の日記を参照のこと!)

☆本日8月22日(月)の、音楽関連の情報

【出来事】
・デレク・アンド・ザ・ドミノス、唯一のオリジナル・アルバム「いとしのレイラ」の制作を開始(1970)/長渕剛、静岡のふもとっぱらで、「10万人オールナイト・ライヴ2015 in 富士山麓」を開催(2015)

【誕生日】
カールハインツ・シュトックハウゼン(1928)/GZA(ウータン・クラン:1966)/ハウィー・D(バックストリート・ボーイズ:1973)

【命日】
富樫雅彦(2007)/ニック・アシュフォード(アシュフォード&シンプソン:2011)/藤圭子(2013)

宇多田ヒカル 母藤圭子自殺後初ラジオ 「死にたい」と思ったことをほのめかす (13分30秒)


アサ芸プラス 有名人衝撃死の真相「藤圭子」“三回忌前に噴出する同居男の正体”
『飛び降りた高層マンションでは30代の男と同居していた。年齢差もあり、この男にはホスト説や介護士説、あるいはヤクザ説まで飛び交ったが、圭子の死後2年近くが過ぎた今もその正体は判然としていない。成田氏(元マネージャー)は藤の死の直後に有志で「お別れの会」を開き、昨年は一周忌で再び集まった。
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「あの若い男は誰なんだという話には当然、なりました。純ちゃんはああ見えて身持ちは堅かったから、男と女の関係ではない。かといって、関係のない男とも同居できる性格の持ち主。デビュー当時は僕らマネージャー陣も含めて、タコ部屋生活のような環境でしたから」/圭子は夫・宇多田照實氏と離婚し、娘の宇多田ヒカルとも疎遠になっていた。旧知の新聞記者を呼びつけては一方的にどなり散らすほど、情緒不安定になっていたという。「そんな純ちゃんを1人にしたら、何が起こるかわからない。離婚したとはいえ、元夫が“監視役”として男を同居させていたんだと思います」/圭子は知人に対し、必ず口にする言葉があった。「私の母親だけは絶対に許せない」「私は誰にも知られずにひっそりと死んでいきたい」/かつては一卵性母娘と言われたほど仲のよかった母親とは、何が理由かは判明しないが、葬儀にも出ないほど疎遠になった。そして娘のヒカルも「歌手・藤圭子」としては尊敬しつつ、母娘の関係は崩壊していたことを明かしている。圭子の三回忌を前に、ヒカルは7月3日に出産していたことを明かした。幼い頃のヒカルを知る成田氏はこんな期待を込めて言う。「母親になったことで、ヒカルちゃんも今まで気づかなかったことがわかるんじゃないかな‥‥」』

☆本日の、五郎さんのつぶやきは・・・

ステーキという狩猟民族の王様を 丼飯に乗っけて迎える農耕民族、日本人。

★状況解説・・・箱根町の「いろり家」で、足柄牛のステーキ丼を目の前にしての一言。


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※美味しそう~。ド迫力じゃ!!

●Season4 第3話「神奈川県足柄下郡箱根町のステーキ丼」 予告


いろり家
『ドラマで五郎ちゃんの隣の客が注文したステーキ丼に並ぶ人気の鮑丼(あわび)。あわびをバターで肝とあえた絶品丼。男のステーキ心さえよろめかせる美貌。絶品!お店にたどり着くまでが迷路のようで面白い。駐車場からも少しだけ離れているので 時間に余裕を持って訪れたい』

細かすぎて伝わらない関連動画・関連サイト、そして身も蓋もない感想ナド


●TheScreenTones『エレキのツンドラ


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※食べまくる五郎さんにお似合いのBGM。モユルスソングやのぉ~~~~ぅ♪

ジョニーAの独り言:ステーキ丼、近場で食べれるとこサーガソッ♪


食べログ 姫路イタリアン酒場 MARUMASA 駅前店
※明日のランチはココにケッテーーーーイ♪