くまモン、世界への挑戦!

NHK NEWSWEB 「くまモン」世界展開へ 海外企業の商品利用を解禁
熊本県の蒲島知事は「くまモン」と一緒に年頭の記者会見に臨み、ことし、くまモンの海外展開に一層力を入れる方針を明らかにしました。熊本地震で落ち込んだ観光客の回復など、復興を推し進める狙いがあります。/この中で、蒲島知事は「『かわいい子には旅をさせろ』という言葉がある。世界への冒険はくまモンにとっても大きな挑戦だが、その短い腕に大きな夢や幸せを抱え県民に届けてくれると期待している」と述べ、これまで原則として認めていなかった、海外企業によるくまモンのイラストを使った商品の製造・販売を、農林水産物を除いて認める方針を明らかにしました。
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熊本県は今後、東京の大手広告代理店と連携し、世界各地に申請窓口を設けることにしていて、イラストの利用を希望する海外企業には経費として商品の小売価格の5%程度の費用負担を求めるということです。/また、熊本県は、くまモンを主人公にしたアニメの制作に着手し、来年、世界に向けて放送を始めたい考えで、くまモンを使った新たな取り組みで、熊本地震で落ち込んだ海外からの観光客の回復など、復興を推し進める効果が期待できるとしています。』

☆懐かしのもちつきくまモンgif!
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●【くまモンのフランス出張2017夏】モンサンミッシェルの巻


朝日新聞デジタル 世界遺産の修道院で会見だモン くまモンのフランス出張
『「ボクも世界の財産と言われるようがんばるモン!」フランスに出張中の熊本県営業部長くまモンは4日、フランス西海岸にある世界遺産モンサンミッシェルを訪れた。モンサンミッシェルは、サン・マロ湾に浮かぶ小島で、島全体が「大天使ミカエルの山(モン)」として修道院となっている。
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  世界遺産にも登録されている荘厳な空間に響き渡ったのは、くまモンのテーマソング(フランス語版)。狭い参道をくまモンが踊るような足取りで進むと、追いかける観光客で大混雑になった。
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  くまモンは2年前、カンヌ国際映画祭に参加した折に初めてモンサンミッシェルをたずねた。しかし当時は、警備の理由などから島の内部に入ることはかなわず、門の手前で撮影をして帰るしかなかった。フランス観光親善大使に就任した今年、くまモンは僧院管理責任者から、宗教的エリアまで入れる許可をもらった。そればかりか、僧院内でテーマソング「ハッピーくまモン」に合わせて踊ることも認められ、記者会見まで行うこととなった。
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  ふだんは公開していない「ベル・シェーズ(見事なる椅子)の間」で開かれた会見は、熊本県くまモングループの磯田淳課長がくまモンの気持ちを「代弁」するかたちで行われた。同席した地元の観光関係者が「若いくまモン大使が来てくれたことは日仏両国の友情の証。心から感謝しています」と述べたのに対し、くまモンは「歴史と伝統ある風景にうっとり。訪れることができて光栄だモン」とお礼を伝えた。/現地の関心は高く、「くまモンが会見する」と事前に記事にしたメディアもあった。会見に参加した記者たちは「モンサンミッシェルのどこが一番よかった?」「日本人がここを好きなのは広島の宮島と似ているから?」と次々に質問。フランス同時多発テロ以降の観光客の減少を懸念する声に対し、くまモンが「こんなに素敵な場所だから、ボクがもっとみんなに『おいでおいで』と言うモン」と大きなしぐさを交えて答えると、参席者からは大きな拍手が湧いた。(戸田拓)』

☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日1月4日(木)の、「元気が出る言葉」は~?

『私は、海辺で遊んでいる少年のようである。ときおり、普通のものよりもなめらかな小石や、かわいい貝殻を見つけて夢中になっている。真理の大海は、すべてが未開発のまま、目の前に広がっているというのに。』
出展:?
発言者:アイザック・ニュートン(物理学者 1643年1月4日~1727年3月31日)
『解説:「プラトンは私の友、アリストテレスは私の友。しかし最大の友は真理である。」という言葉もある。』

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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

シネマトゥディ アイザック・ニュートンがアクション映画の主人公!? 『ワイルド・スピード』監督が企画中
万有引力の法則で知られる、イギリスの学者アイザック・ニュートンを主人公に据えた、アクション映画の企画が進行しているという。映画「ワイルド・スピード」「ステルス」のロブ・コーエン監督が手掛けるというこの企画。報じたハリウッド・リポーターによると、ニュートンが英国王立造幣局の長官を務めていた時代にフォーカスした内容になるという。
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  さらに、脚本を基にしたグラフィック・ノベルを製作する予定もあるとのこと。「ロッキー」の製作総指揮などを務めたジーン・カークウッドがこの驚きの企画をコーエン監督と共に進める。/ニュートンが繰り広げるアクションとは、一体どのようなものなのか? 完成が想像し難いこの作品。ちなみに同様の企画として、芸術家のレオナルド・ダ・ビンチをアクション・ヒーローにする作品が進行中であることなども報じられている。これらの企画が実現し、もし成功したとなれば、さらに意外な偉人が活躍するアクションムービーが製作される可能性も高そう!? 今度は誰の大活躍が描かれるのか? 映画ファン同士で想像を膨らませるのも楽しそうだ。(編集部・入倉功一)』

●秦 基博 / グッバイ・アイザック ~アニメ「宇宙兄弟」ED~

♪~引力に負けそうで無理だろってへたり込んじゃう前に
    この際ノンストップでゴールラインも駆け抜けろ いま~♪

☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“いやしくも精神的に生活しようと思うなら、義務なきところに向かって自ら進む積極のものでなければならない(『思い出す事など』より)”

【1905年1月4日の漱石】愛弟子の寺田寅彦と本郷界隈を散歩し鳥料理を味わう

今から111年前の今日、すなわち明治38年(1905)1月4日、東京の空は高く晴れわたっていた。漱石寺田寅彦とともに、はればれとした心持ちで本郷界隈を散歩していた。

寅彦は漱石より11歳年下。漱石が熊本の第五高等学校で教壇に立っていた頃の教え子で、以来、生涯にわたって漱石を師と慕い続けた。専門は物理学だが、随筆家としても一流だった。

漱石と寅彦は散歩の足を延ばし、電車を使って麹町区富士見町(現・千代田区富士見)の俳人高浜虚子の居宅を訪れた。虚子は俳句文芸雑誌『ホトトギス』の編集発行を正岡子規から任された人物。虚子の居宅はその発行所を兼ねている。3日前の発行日で刊行されたその『ホトトギス』第8巻4号に、漱石の『吾輩は猫である』第1回の原稿が発表され、大変な評判を呼んでいた。

これが漱石先生の作家デビューである。しかし、親友の正岡子規はそれを見届けることなく、2年余り前に病没していた。

虚子宅にはたまたま同門の俳人・寒川鼠骨(さむかわ・そこつ)もいて、4人で連れ立って本郷座へ芝居見物に出かけることにした。ところが、到着してみると満員で入場できない。一行は芝居見物は諦め、神田連雀町(現・須田町)の「ぼたん」の暖簾をくぐった。そこは虚子が以前から贔屓(ひいき)にしていた店で、現在も鳥すきやきの名店として営業を続ける老舗である。

寅彦は、漱石と過ごす時間を宝物のようにしていた。後年(漱石没後)、寅彦はこんなふうに綴っている。《小弟の廿才頃から今日迄の廿年間の生涯から夏目先生を引き去つたと考へると残つたものは木か石のような者になるように思ひます》

漱石の存在が寅彦にとっていかに大きく潤いのあるものであったかが、如実に伝わってくる。明治期の師弟関係は、現今からするとうらやましいほど濃密であった。

細かすぎて伝わらない関連動画など


●科学者が残した言葉 (5)寺田寅彦


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※科学者でもあり、文筆家でもある、って凄い天才じゃんねぇ~~~。

ジョニーAのつぶやき:随筆「科学者と頭」というの、読んでみたく思うなり~~~。