2軍監督田口壮! 「イチローに学べ」

日本経済新聞 イチローに学べ スイッチの入れ方
『米大リーグのマーリンズからフリーエージェント(FA)となったイチロー外野手(44)は例年オフ、古巣オリックスの本拠地だった神戸で自主トレーニングを行ってきました。自主トレなどで顔を合わせ、世界のトップでやってきたイチロー選手のオーラを肌で感じられる若手選手は幸せです。彼から受け取る言葉も金言となるでしょうが、いざ練習になると目つきが鋭くなり、集中力がグッと高まるスイッチの入れ方も、ぜひ学びとってほしいと思います。/オリックスの新人選手は今まで、合同自主トレの際にイチロー選手から声をかけられる貴重な体験ができました。そのようなとき、新人たちの背筋はピシッと伸び、目はキラキラと輝いています。2軍監督である私に向けられる視線と、イチロー選手に向ける視線とでは「キラキラ感」の度合いが全く異なるのです。彼のプレーを生で見たことのない世代にも「イチロー」という名前の存在感は圧倒的。彼がグラウンドに立っているだけで、その影響力の大きさを感じずにはいられません。
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■オンとオフ、切り替え上手
彼の近くにいれば、超一流選手のまとっている雰囲気や発するオーラはおのずと感じることができるでしょう。それ以上に若手に見てほしいのが、彼のスイッチの入れ方です。オンとオフの切り替えがすごく上手で、グラウンドの中でもうまく切り替えて集中力を高められるのが彼のすごいところ。練習中でも談笑しているときはふわっとしていて物腰が柔らかいのですが、ひとたび打撃ケージに入ったり、ティー打撃を始めたりすると目力が強くなり、モードが一気に変わるのです。自分の体のことがよくわかっていて「これとこれさえやっておけば大丈夫」という確固たるものを持っているからこそ、やるべきことが自分の頭の中で計算できて、高い集中力へとつながるのでしょう。/移籍先が決まっていない今の時期、彼はきっとピークを大リーグ開幕に持っていくのか、アピールするために春のキャンプに合わせていくのかを考えながら、日々のトレーニングに打ち込んでいるはずです。そうした状況下でも、常に体が戦闘態勢に入っているのが彼の特徴で「試合をやれ」といわれたら、スイッチをポンと入れて、今にでも打てるでしょう。1年365日、いつでも野球をできるのが真のプロだと私は考えているのですが、それを実践できるのがイチロー選手の特筆すべきところなのです。/春季キャンプでアピールをしなければならない若手にこそ、イチロー選手のこうした姿勢を学んでほしいのです。2月1日にキャンプインして「さあ、今からだ」といっていたら遅いのです。「いつでもどうぞ」とすぐに実戦に臨める体を仕上げておかないと、首脳陣の目には留まりません。超一流と呼ばれる選手ほど、完全には体を休めず、練習を継続するものです。「いくぞ」といわれたときに「はい」と応じられる体を仕上げる自信がないのであれば、今以上に動くか、もっと工夫するか、海外でゲームをやるといったように、感覚を少しでも鈍らせないようにしないといけません。/プロ野球選手にとっても鏡であるイチロー選手には、まだまだ大リーグでやれる体力が十分あると思います。私は現役引退後も、オフに1度は彼の自主トレを見にいくのですが、肩も元気ですし、冬場から相当なダッシュをこなしていて、衰えを感じさせません。彼をレギュラー格として取ってくれる球団があればと願っています。
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■フィールドで輝き続けて
今季のマーリンズはレギュラー陣が若くてしっかりしていたため、イチロー選手のスタメン機会は限られました。私もフィリーズでの現役時代に経験があるのですが、代打のみの出番が続くのは、打者として非常につらい状況です。打撃の状態がどこかおかしくて、その日のうちに実戦で修正したいと考えても、もう1打席が与えられません。練習で調整したとしても、次に打席に立つのは、24時間が経過して実戦感覚が薄れたころ。前日の課題を抱えたまま打席に入り、投手と勝負しなければなりません。調子を上げるのが本当に難しいサイクルで、イチロー選手がシーズン代打安打の大リーグ記録にあと1本まで迫ったのはすごいこと。彼の適応能力の高さを改めて示しました。仮に来季、彼のメインの役割が代打になるとしても、週に1~2回の先発機会を確保されながらプレーすれば、もっと好成績を収めるはずです。試合勘や打席勘が保てるよう、首脳陣がうまく配慮して起用してくれる球団にいけば、まだまだメジャーで十分に打棒を発揮できるでしょう。元同僚の立場から、イチロー選手にはいつまでも現役選手としてフィールドで輝き続けてほしい。そう願いながら、今オフの動向に注目しています。(オリックス・バファローズ2軍監督)』

イチローのことを100%解っている田口さん!田口に全幅の信頼を寄せる
イチロー・・・。この二人が導くオリックスなら、日本一も夢ではなかろう・・・。



☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日1月12日(金)の、「元気が出る言葉」は~?

『痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)。』
出展:『走ることについて語るときに僕の語ること』(文芸春秋社
発言者:村上春樹(小説家 1949年1月12日~)
『解説:人には絶え間なく心身の痛みが襲う。しかし苦しみに負けて逃げるも自分、打ち克つのも自分次第。深い言葉だ。彼はパレスチナ問題や原子力政策といった社会問題にも発言する。彼はまだ走り続け、私たちにどんな言葉を発言してくれるだろう。』

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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

Amazon.co.jp 走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫) ペーパーバック 村上春樹 (著)
『■内容紹介:走ることについて語りつつ、小説家としてのありよう、創作の秘密、そして「彼自身」を初めて説き明かした画期的なメモワール 1982年秋、専業作家としての生活を開始したとき、彼は心を決めて路上を走り始めた。それ以来25年にわたって世界各地で、フル・マラソンや、100キロマラソンや、トライアスロン・レースを休むことなく走り続けてきた。
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旅行バッグの中にはいつもランニング・シューズがあった。走ることは彼自身の生き方をどのように変え、彼の書く小説をどのように変えてきたのだろう? 日々路上に流された汗は、何をもたらしてくれのか? 村上春樹が書き下ろす、走る小説家としての、そして小説を書くランナーとしての、必読のメモワール。/■登録情報:/ペーパーバック 272ページ /出版社 文藝春秋 /言語 日本語 /ISBN-10: 4167502100 ISBN-13: 978-4167502102 /発売日 2010/6/10 /商品パッケージの寸法 15 x 10.7 x 1.5 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.5 /■カスタマーレビュー:TONTON 5つ星のうち5.0 「期待を裏切らない面白さ」2015年9月18日・・・村上春樹のもう一つの魅力はエッセイの面白さ。今回も期待を裏切らない面白さでした。走ることと、作家としての考え方、二つの根底に流れる筆者の確かな信念を感じられます。電子書籍では2冊目の村上春樹作品購入になりますが、春樹主義者としてはkindleで持ち歩きたいので、これからも過去の作品の電子書籍化を強く希望しています。』
村上春樹の小説は実は苦手。でもこの書籍はなかなかに読みやすそうだぞ♪

☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“本を読むばかりで何にも出来ないのは、皿に盛った牡丹餅を画にかいた牡丹餅と間違えておとなしく眺めているのと同様だ(『虞美人草』より)”

【1897年1月12日の漱石】返したはずの本を未返却といわれ立腹する

今から119年前の今日、すなわち明治30年(1897)1月12日、数え31歳の漱石熊本市合羽町の自宅にいた。松山から熊本へ転任して、はや9か月。漱石はいま、松山中学時代の山口善太郎という同僚の顔を思い浮かべ、少しばかり腹を立てながら手紙を書いていた。名宛人は、当の山口善太郎ではなく、松山中学校長の横地石太郎だった。

事の経緯はこうだった。漱石は松山にいた時、講義や勉強のため10冊ほどの書籍を学校から借り出していた。松山を去るに際し、書籍は、別の同僚に託し返してもらった。ところが数か月後、図書の管理を担当する山口善太郎が、漱石が本を返さないまま熊本に行ってしまったと言いはじめたのだ。

話を伝え聞いた漱石は「すべて返しているはずだから確認し直してくれ」と善太郎に伝えた。ところが2か月ほど放置した末に「書籍の題名も冊数もよくわからないが未返却のものがある」との曖昧な返答がきた。それを追いかけるように、横地校長からも同様の手紙が届いた。

漱石は校長に事の経緯を説明する手紙を書き、「山口の対応は不親切。きちんと確認するよう命じてほしい」と依頼したのだった。ただし、誰かに責任転嫁しようなどという思いは微塵もない。手紙の末尾はこう締めくくった。《夫(それ)でも相分り不申(もうさず)候(そうら)はゞ小生甘んじて弁償の責に任ずべくと存候》

再度確認してもらって、なお本が見つからないようなら、自分が弁償するという申し出である。いかにも漱石先生らしい、真っ直ぐで潔い態度であった。ちなみに、横地石太郎は漱石にとっては大学の先輩でもあった。漱石の松山赴任当時、教頭のような立場(学校長事務取扱)にあったため、のちに『坊っちやん』(明治39年)が世間の評判となると赤シャツのモデルに擬されたこともある。だが、赤シャツは文学士という設定で、横地は理学士。漱石はモデル詮議で他者に迷惑がかかるのを憂慮し、講演『私の個人主義』の中で冗談めかしてこう述べている。

《「坊ちやん」の中に赤シヤツといふ渾名(あだな)を有つてゐる人があるが、あれは一体誰の事だと私は其時分よく訊かれたものです。誰の事だつて、当時其中学に文学士と云つたら私一人なのですから、もし「坊ちやん」の中の人物を一々実在のものと認めるならば、赤シヤツは即ちかういふ私の事にならなければならんので、--甚だ有難い仕合せと申上げたいやうな訳になります》

漱石の義理の孫で作家の半藤一利さんは、この横地石太郎旧蔵の本『鶉籠』(うずらかご)を、義父の松岡譲(漱石の娘・筆子の夫)から受け継ぐ形で持っていたという。『鶉籠』は『坊っちやん』『二百十日』『草枕』の3篇を収めた漱石の初期作品集である。その本には横地による多くの書き込みがなされ、「夏目ハ広ク誰トデモ交際スルト云フ人デナカツタガ、親切デ友情ニ厚イ人デアツタ」「奇妙ナコトニハ小キ娘子ト質朴ナ婆サントガ大好キデアツタ」などと記されていたという。松山時代の漱石先生の印象を伝える言葉として、じつに興味深い。

細かすぎて伝わらない関連動画など


●1年前にレンタルしたDVD、未返却に気づいた! 延滞料は無制限に上がり続ける?

※これは恐怖あるあるではないだろうか~?本やDVDに限らず、何らかの
会員に手違いで入ってしまってて、何年か分の会費を一度にドバッ!と請求
される恐怖に震えることがあるってーの、、、ワチクシだけじゃないはずー。

ジョニーAのつぶやき:またしても日記が溜まってきておるので、今回も簡易バージョンでお届けする~~~♪悪しからず!!