漫画タイトル「エリートの生態」/ナド


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毎日新聞 2018年2月19日 04:00 東京朝刊)
新日本プロレスのエリートレスラー棚橋を思い出す。奴もヤバい刺され方してた
けど、さすが鍛えてるだけあって体も、そしてその後の人気にも、影響出なかった
っけ~~~。

●【紹介】ダーリンは72歳 コミックス単行本


☆にしはらwりえこせんせいの最新版「ダリ73」はこんな感じw
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※かっちゃんのお葬式の喪主を引き受けた西原さんだった・・・


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※行ったか行ってないか、っつー2択で聞かれたならば、「行かなかった」説
の方が面白いじゃんw この二人は基本的に“面白い”ことに食いつく種族だ♬

●【完コピ】Yes!高須クリニック ドバイ編【全部オレでCM再現】


☆ちょっと古いインタビュー記事だけど、、、
NHK BSプレミアムドラマ『人生は“サイテーおやじ”から教わった~漫画家・西原
理恵子 義父との日々~』で西原さん役をやってたのって、今をときめく松岡茉優
さんやったんや~~~!改めてビーックリ!
ざっくばらんな西原理恵子の下ネタに松岡茉優も赤面!? 西原役の松岡に独占インタビュー!
『――台本を読んだ感想は?/松岡:私、元々、西原さんが大好きだったんです! そんな西原さんが形成された過程を知って、「西原さんも高校時代は悩んでいたんだ」ってびっくりしました。また、マキタスポーツさんが演じる義父・宏さんとの関係が、私には特殊な関係に感じられて、その関係性もすごく面白いなと思いました。人と人がたくさんぶつかっているお話なので、人の温かさや人の優しさなどいろいろ感じましたね。――演じる上で、気をつけたポイントは?/松岡:宏さんと理恵子の関係は、すごく意識しました。距離感とか、どういう感情を持って宏さんにお話をしているのかとか、自分の中の宏さんの場所とかをすごく考えながら演じました。私自身も「本当のお父さんって何だろう?」って考えるきっかけにもなりましたね。宏さんは、理恵子にとって“お父さん”を超えた、人間としてかけがえのない存在だったんだなと感じました。――西原さんとは会いましたか?/松岡:お会いできたんです! 高校時代に流行っていたことだとか、周りの環境、当時の田舎の閉塞感だったりとか、駆け出しの頃の絵の仕事の話とか、それらをすごく面白くお話されるんですよ。本当に気さくな方で、“気さく”じゃ足りない!(笑) お聞きしたことを帰ってから台本と照らし合わせて、「変える部分は変えて」「分かった部分は書き加えて」ってできたので、本当にありがたい時間でした。西原さんは、テレビにご出演されている時と全く変わらないんです。ただ、下ネタ系の話も気持ちよく言ってくださるので、ちょっと照れてしまう時もあったんですが…(笑)。
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――初共演のマキタスポーツさんの印象は?/松岡:サバサバしてらして、物事をチャチャチャと済ませてしまう器用な方なのかなという印象だったんですが、実はすごく熱い方。お話していると、目力がすごく強くて、現場ではすごくよく台本を読み込まれていました。お笑いもやられて、歌も歌われて、天才肌の人なのかなって思っていたんですが、すごく考えて考えてお芝居に臨んでいらっしゃいました。初日にお話させていただいた時に、それまで私のことを娘だって思いづらかったらしいんですけど、マキタさんが私の母と同じ年だと伝えた途端に「あっ!娘だわっ」って(笑)。そこが“父と娘”のスタートでした!――現場の雰囲気は?/松岡:親友役の二人が以前共演して本当に仲が良かった二人なので、いつも仲良くしている三人の空気感は自然と出てきたと思います。ラーメンを分け合うシーンで、少しこぼれてワイワイと言い合うところや、頭を叩いて口からラーメンが飛び出してしまうところは、本当の友達だったからできたんだなって思います。ただ、夏の設定の場面がありまして、息が白くならないように直前まで氷を口に入れるんですけど、私、初体験で…あれは嫌ですねぇ(泣)。「なんでこんなことしてるんだろう」って思うくらい寒くって…苦行でした。
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――方言については?/松岡:難しかったですね。方言の録音データをいただいてずっと聞いていたんですけど、語尾に「―がや」とか「―きね」って言うんですが、標準語で育った私としては、「『がや』って何?」「『きね』って!?」って戸惑いました。方言って、その地域の方からしたら、縁のある大事な言葉だから、ちょっとした違和感で『気持ち悪い』って思われないように、不自然にならないように、気をつけました。
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――見どころは?/松岡:クライマックスのシーンで、宏さんと理恵子が二人で話すところがあるんですが、そこは宏さんも追い詰められている中、理恵子を励ましに来るんです。宏さんの「それでも、やっぱり理恵子を応援したい」っていう気持ちが表れていて、ずっと理恵子を励まして、支えて、背中を押してくれた存在だったということが分かるシーンなので、そこが本当に見どころです。あとは、親友三人がふざけ合っているところですね!(笑)』
※わぁー、また絶対に観直そうっとー♪

●2000年CM 高須クリニック 30秒

※やー、カッコイイな郷ひろみ。でも、、、高須クリニックのCMタレント
になるのって、勇気要らんかったんかな~?だって、そういうことでしょ?
ズバリ・・・。

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ロバート秋山 高須クリニックのCMを熱唱!!

※クリニックのCMだけでようこんだけ引っ張るなぁwww
 これ、西原さんも爆笑しそう。

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スポーツ報知 高須院長、スマイルジャパンの「お祝いCM」オンエア出来ず「なんとかならんか?」
『 美容外科高須クリニック」の高須克弥院長(73)が14日、自身のツイッターを更新。平昌五輪女子アイスホッケー日本代表「スマイルジャパン」の五輪初勝利を祝したCMをオンエア出来ず嘆いた。「スマイルジャパン」は、五輪3大会13戦目で悲願の初勝利。韓国と北朝鮮の合同チーム「コリア」に4―1で勝利した。高須院長は、さっそく広告代理店にCM発注するも「オリンピック期間中はオリンピックを想起するテレビCMはダメだそうです」とオンエア成らず。「なんとかならんか? じたばたかっちゃんなう」と記した。/高須院長は「スマイルジャパン」が1次リーグ最終戦に勝利した場合、五輪初勝利を祝うCMをオンエアすることを発表。「合同チームを撃破したら、お祝いにこのCM流すぜ。なう」とツイートし、高須クリニックのロゴをユニホームに付けた選手たちがプレーし、高須院長と恋人の漫画家・西原理恵子さん(53)がリンクサイドで微笑むCMの映像をアップしていた。

●【HD】 日本女子アイスホッケーチーム 高須クリニック「アイスホッケー」篇 CM(30秒)


  高須院長は昭和大アイスホッケー部時代の恩師である奥住恒二氏が日本アイスホッケー連盟の会長をしていた縁で同連盟のスポンサーを務めるなど支援してきた。』

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♪ひゃっくまーんえ~~~~ん~♪




☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日2月19日(月)の、「元気が出る言葉」は~?

『生きろ、そう叫びながら心臓はビートを刻んでいる。』
出展:「コインロッカー・ベイビーズ」(講談社
発言者:村上龍 1952年2月19日~
『解説:村上龍は武蔵野美術大学在学中に書いた「籠利なく透明に近いブルー」で群像新人文学賞芥川賞を受賞。批判もあったが、大江健三郎石原慎太郎に並び称され、70年安保後の若者や社会の風俗を描き続けてきた。この言葉は初期代表作のラストに出てくる熱いメッセージ。やるせない若者の心の躍動感が感じられる。』

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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

Amazon.co.jp 新装版 コインロッカー・ベイビーズ (講談社文庫) 村上龍 (著)
『■受賞歴:第3回(1981年) 野間文芸新人賞受賞 /■内容(「BOOK」データベースより):一九七二年夏、キクとハシはコインロッカーで生まれた。母親を探して九州の孤島から消えたハシを追い、東京へとやって来たキクは、鰐のガリバーと暮らすアネモネに出会う。キクは小笠原の深海に眠るダチュラの力で街を破壊し、絶対の解放を希求する。毒薬のようで清清しい衝撃の現代文学の傑作が新装版に。/■登録情報:/文庫: 576ページ /出版社: 講談社 新装版 /言語 日本語 /ISBN-10: 4062764164 ISBN-13: 978-4062764162 /発売日 2009/7/15 /梱包サイズ 14.8 x 10.6 x 2.6 cm /おすすめ度: 5つ星のうち 3.9
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/■カスタマーレビュー:地方の 5つ星のうち5.0 「混沌とした世界の、確かな夢の輝き。」2012年3月22日・・・この本は、まさにこの本、私が求めていたのはこれだ、と思えるような作品だった。キクとハシという人間が主人公の物語、といえるだろう。アネモネははたして主人公と言えるのだろうか?キクは少年期、とにかくやんちゃだった。何かとかこつけて灰皿を投げたりする。しかし積極的に行動しようとする、主体としての性格を備えている。対するハシは消極的、客体的な印象を受けた。人と接することの恐怖というか、常に成り行きまかせではきはきせず、自我を流されがちな少年という印象だ。しかしキクとハシ、つまり「主体と客体」が正面衝突したとき、客体が何どこぞへと吹っ飛んでいく。そしてハシは、キクという革新的な主体、ただ一つの目標を持つ輝きが自らに反射してきたとき、その光の中で、「主体的な」行動を始める。主体と客体のアウフヘーベン(止揚)ともいえるだろう。ともかく、完全な客体は棄却している。そして、ラストの場面には、カオスな世界の中を謳歌する「ゼロ世界の夜明け」をうかがわせる、そんな気風が感じられた。/中学生、高校生には必読の一冊。』

●映画『オーディション』 予告編

※この映画の原作が村上龍だったんだなぁーーーーー。そっかぁ~~。

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※キリキリキリキリキリィ~・・・

日刊スポーツ 村上龍氏がイェソン新曲で初作詞 ライブに魅了快諾
『韓国の人気グループSUPER JUNIORイェソン(32)の最新曲「愛してるって言えない」を、作家村上龍氏(65)が作詞したことが15日、分かった。村上氏がアーティストに楽曲提供するのは初めて。/異例のタッグが実現した。昨年、村上氏が名古屋で行われたイェソンのソロライブを知人と訪れ、一気にファンになったことがきっかけだった。新曲制作にあたって、イェソン側から作詞を依頼。村上氏も「彼の歌唱力と、その声に魅了されたから」と快諾した。これまで映画挿入歌などで作詞経験はあったが、国内外問わず、アーティストの楽曲の作詞を手掛けたことはなかったという。/「愛してるって言えない」は、「<歌詞>あなたへの思いは もっと強い だから、言葉がない でも、わかるでしょう」と歌う、大人のラブバラード曲だ。村上氏は「“愛してる”という言葉が氾濫しているけど、実際人の気持ちをいうのはもっと複雑で深いのではないか。それを歌詞にしてみようと思いました」と、イェソンらが作ったメロディーに、十数分ほどで歌詞をつけた。出来上がりを聞いて「いい感じのラブソングになるという予感がありましたが、自分は間違ってなかったと満足しています」。イェソンも「言葉の意味の深さを感じながらレコーディングしました。世代を超えて、多くの方に聞いていただきたい」と話す自信作は、「Splash」とのダブルA面シングルとして6月28日に発売される。』

●170923 Yesung 愛してるって言えない


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☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“汝の現今に播く種は、やがて汝の収むべき未来となってあらわれる(『日記』明治34年3月21日より)”

【1916年2月19日の漱石】無名の文学青年・芥川龍之介の短編小説に仰天する

今から100年前の今日、すなわち大正5年(1916)2月19日朝、漱石は筆と墨を使い巻紙にすらすらと達筆の文字を書き連ねていた。東京帝国大学の英文科に在籍する芥川龍之介に宛てて、手紙を書いているのだった。漱石の傍らには、読み終えたばかりの同人誌『新思潮』(第4次)の創刊号が置いてあった。龍之介は、前年12月に紹介者とともに漱石山房を訪れ、以来、木曜会(漱石の教え子や門下生が集まって様々な議論をした会合)に顔を出すようになった新しい漱石の門下生であった。

《あなたのものは大変面白いと思います。落ち着きがあって巫山戯(ふざけ)ていなくって、自然そのままの可笑味(おかしみ)がおっとり出ている所に上品な趣があります。それから材料が非常に新らしいのが眼につきます。文章が要領を得てよく整っています。敬服しました。ああいうものをこれから二三十並べて御覧なさい。文壇で類のない作家になれます。しかし「鼻」だけでは恐らく多数の人の眼に触れないでしょう。触れてもみんなが黙過するでしょう。そんな事に頓着しないで、ずんずん御進みなさい。群衆は眼中に置かない方が身体の薬です》

芥川龍之介の短編小説『鼻』を激賞する、日本文学史上、不可欠の手紙である。この手紙によって、まだ一介の文学青年に過ぎなかった龍之介は大きな自信を得た。創作に取り組む心構えというものも教えられた。加えて、このあと続けて、一流雑誌の『新小説』や『中央公論』から龍之介のもとに執筆依頼が舞い込む。これも漱石の推薦があったことは想像に難くない。前者は漱石門下の鈴木三重吉が編集顧問に名を連ね、後者は漱石山房に頻繁に出入りしていた滝田樗陰(たきた・ちょいん)が編集長をつとめていた。

こうして、まもなく龍之介は大正文壇の寵児となっていく。のちに、この時期のことを回想し、龍之介は次のように書いている。《夜は次第に明けて行った。彼はいつか或町の角に広い市場を見渡していた。市場に群(むらが)った人々や車はいづれも薔薇色に染まり出した》(『或阿呆の一生』)

漱石のもとに出入りする前の龍之介は、『羅生門』などの佳作を発表しても、仲間うちからもまったく評価されなかった。それどころか、かえって「小説を書くのはもうやめたらどうか」と意見の手紙を出してくる者まであったのである。ちなみに、『新思潮』は、明治40年(1907)に小山内薫によって創刊された文芸同人雑誌。その後、代替わりしつつ引き継がれていた。芥川龍之介久米正雄、成瀬正一、松岡譲、菊池寛の5人を同人とする第4次『新思潮』は、大正5年2月15日に創刊され、すぐに漱石のもとに送られていたのである。次代を担う新しい才能の登場。数え50歳の漱石先生の胸にも、静かな喜びがこみ上げていた。

※「羅生門」が認められず、「鼻」が激賞される、、、不思議なものですなぁー。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「羅生門」「鼻」で動画検索してみました!!)

●紙芝居紫織屋「鼻」(語り・川尻亜美)原作/芥川龍之介


●「名作ってこんなに面白い」サンプル 羅生門


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ジョニーAのつぶやき:芥川龍之介がまだ無名だった時代、というフレーズが斬新でならぬ。文芸は累積の歴史なり。