TV東京 ドラマ25 「宮本から君へ」4/6~

イメージ 1

※キャスト豪華やなぁ~~~。TV東京のわりに・・・。

TV TOKYO 公式HP 宮本から君へ
『■あらすじ:大学を卒業して都内の文具メーカー・マルキタの営業マンになった宮本浩(池松壮亮)は、未熟で営業スマイルひとつできず、自分が社会で生きていく意味を思い悩んでいた。そんな宮本は通勤途中、代々木駅のホームで一目ぼれしたトヨサン自動車の受付嬢・甲田美沙子に声をかけるタイミングを伺っていた。何度かチャンスはありながらもなかなか声をかけられずにいる宮本。同期の田島薫にヤイヤイ言われながらも決死の思いで声をかけるが・・・。そこから始まる甲田との恋模様、仕事での数々の人間模様の中で、宮本は成長し、自分の生き方を必死に見つけていく。そんな新米サラリーマンのほろ苦く厳しい日常を描いた青春グラフィティー
イメージ 2

■主演・池松壮亮:Q)「宮本から君へ」で宮本を演じるにあたっていかがでしたか?/池松:僕自身が宮本浩をやれるだけの器、人間性があるのかどうか、日々自分自身に問い続けた2ヶ月間でした。それくらい難易度の高い役でした。22歳で原作に出会い、衝撃を受けました。それから宮本浩という人は、僕にとって他のどの歴史上の人物よりも星であり、ヒーローでした。人としての力、生き様を物凄く尊敬していました。間合い、台詞一つ一つのニュアンスに宮本浩の人間性が浮かび上がると思ってやっていました。「宮本から君へ」は、これまで取り組んできた作品の中でもかなり強敵で、日々模索しながらも、敬意を込めて映像化したいと思っていました。/Q)坊主になるシーンも/池松:この作品以外で坊主にする事はよっぽどのことがない限りないでしょう笑 自分で言うのもあれですが、思いのほか漫画のキャラクターに似ていて、1人ほくそ笑んでしまいました。
イメージ 3
/Q)主題歌はエレファントカシマシが担当/池松:僕にとってエレファントカシマシさんはとても偉大です。直接お会いした事はありませんが、その歌に何度となく救われ、鼓舞されてきました。隠れファンです。宮本浩はもともと名前の由来が宮本浩次さんからきています。今回、とんでもなくいい主題歌があがってきて本当に感激しています。「剛者(つわもの)どもの夢のあと 21世紀のこの荒野に 愛と喜びの花を咲かせるぜ」という凄い歌詞があるんですが、この一文に、90年代に新井先生が書いた『宮本から君へ』を今やる意味と可能性が隠されているように思い、自分自身が「宮本から君へ」に取り組む想いとリンクして、また救われました。主題歌も合わせて楽しみにして頂ければと思います。/■原作・新井英樹:真利子監督、池松くんはじめ役者さんスタッフの方々の熱意、本当にすごかったです。同じ表現者として頭の下がる思いと感謝しかありません。もう「宮本」はボクのものじゃないと思ってます。原作への思いでいうと撮影現場ではボクが一番外野でしたから、これって幸せな経験ですよ。池松くんの宮本、池松?ってくらい驚かされました。ヒロイン(まだ公表できないのかな?)ずっと大好きです。真利子くん、これからも絶対支持してくよ。どうか皆さん「宮本」を好き勝手、捨て石なり踏み台なりにしてください。
イメージ 4

/■エレファントカシマシ宮本浩次:真利子監督のこのドラマにかける熱意はすごかったし、真利子監督の主演池松壮亮氏への想いはさらにすさまじかった。彼らの情熱が私にも移りました。気合いで駆け抜けました。この名作マンガの主題歌を歌えることが誇らしいし、真利子氏のドラマにかける思いはとてもピュアでした。自分たちのもっているものすべてをこの曲に注ぎ込みました。快心の作です。』

●テンプレ
 放送局 :テレビ東京テレビ大阪
 原作 :新井英樹『定本 宮本から君へ』1巻~4巻<太田出版
 主演:池松壮亮
 脚本:真利子哲也
 監督 :真利子哲也
 主題歌: エレファントカシマシ「Easy Go」(ユニバーサル シグマ)
 チーフプロデューサー: 大和健太郎テレビ東京
 プロデューサー :藤野慎也(テレビ東京)、清水啓太郎(松竹撮影所)、
          加藤賢治(松竹撮影所)
 製作 :テレビ東京 / 松竹撮影所

※原作は、どういう経緯だか忘れたが、第1巻だけ所有しとるのよネーン♪

ciatr 必見!ドラマ『宮本から君へ』が池松壮亮×真利子哲也×エレカシでドラマ化!!
『1992年第38回小学館漫画賞青年一般部門を受賞しています。漫画ファンからはカリスマ的な人気を誇る新井の作品の中でも初期作品になります。本作の監督・脚本を務めるのは、映画監督の真利子哲也。真利子は自身の監督作『ディストラクション・ベイビーズ』の関連イベント内でも、「宮本から君へ」の原作である新井とトークイベントを行い、その影響を公言してきました。そして、漫画「宮本から君へ」に10代の頃から出会っていたという真利子は、本作の映像化については「この原作の映像化は生半可な覚悟でやれません」と断言。そして、「集まるべくして集まったキャスト・スタッフとともに、並々ならぬ愛をもって直球勝負を挑んだ渾身の作品です」と作品の思いを熱く語っています。稀代の監督が伝説の漫画をどのように実写化するのか?要注目です!
イメージ 6

また、本作の主題歌を手掛けるのはエレファントカシマシだと発表されています。実は、本作の主人公・宮本浩の名前は、新井がファンだというエレファントカシマシのボーカル、宮本浩次からとられたもの。そんな本作の主題歌を手掛けるにあたって、エレファントカシマシの宮本は、真利子監督の本作にかける思いを賞賛し、自分にも移ったとコメント。さらに、そうして誕生した主題歌は「快心の作」と自信を見せています。また、エンディングテーマは、MOROHAの楽曲『革命』です』

◎けっこう、原作コミックと似通った役者キャスティングしとるやん!

イメージ 5


ラガーマンのレイプ魔が登場するが、時代を先取りしていたわけだ・・・

●TKM Journal iPhone版「宮本から君へ/新井英樹」は強烈な漫画体験であった!

・「ボーイズ・オン・ザ・ラン」と似てるんや。。。

イメージ 7

※テレカの画像。拾いモノ・・・

SANSPO.COM 透明感がハンパない!!期待の大型新人、華村あすか
『昨年8月に「週刊プレイボーイ」で、芸能界初仕事にして表紙を飾り、鮮烈デビューした華村あすか。以降、毎月雑誌のグラビアを飾るなど、清楚な顔立ち、キラリと光る瞳が武器。早くも、女優デビューとなるテレビ東京系「宮本から君へ」でヒロイン役に大抜てきされた。/--芸能界デビューのきっかけは?/華村:昨年2月に東京・原宿でスカウトされました。最初は信じられなくて、すぐ母にもらった名刺を渡したら、勝手に話が進んでいた感じです。CAになることが夢だったので、芸能界なんて考えてもいませんでした。/--昨春に高校を卒業し、大学進学と同時に山形から上京したと聞きました。/華村:この道で活動するため、仕事が決まる前の8月に大学を辞めました。両親は『大学はいつでも行けるし、今しかできないことに挑戦したら』と応援してくれています。/--その後すぐ、異例ともいえる「週刊プレイボーイ」の表紙で芸能界デビューを飾りました。/華村:こんなに早く仕事が決まるとは思わなかったので、ビックリです!/--デビュー後、初めてのテレビ出演となったTBS系「サンデー・ジャポン」は生放送でした。/華村:とにかく緊張し過ぎて、前日の夜は寝付けずにいて、本番は体が固まって、全身汗をかいていました(笑)
イメージ 8
/--グラビアの魅力は?/華村:衣装や撮影する場所の雰囲気を自分で感じて、悲しそうな顔をしてみたり、19歳っぽく明るく笑ってみたり。新しい自分を知るきっかけになっていますね。両親にも『こんな顔(大人っぽい表情やクールな表情を)するんだね』と言われました。/--セールスポイントは?/華村:(左頬にある)ほくろがチャームポイントかなって。友達には、笑った声が楽しそうって言われます(笑) --趣味、特技や最近ハマっていることは?/華村:英語は得意です。なんとなくネーティブの人が話していることは分かりますね。今も教材を買って、勉強しています。学生時代は9年間、バスケットボールをやっていたので、今も近所のジムに通って、体を動かしています。/--今後の目標は?/華村:女優です。格好よくて、女性らしさもある。観ている方の心に残るような女優になりたい。篠原涼子さん、戸田恵梨香さんを目標に、今はドラマや映画を観て勉強しています。
テレ東系「宮本から君へ」では、自動車メーカーの受付嬢で、主人公の浩(池松壮亮)が駅のホームで一目ぼれをする美女・美沙子を演じる。また、東海ローカルのCBCテレビ「ボイメン新世紀 祭戦士ワッショイダー」(4月12日スタート、木曜深夜1・29)にもヒロイン役で出演することが決定。ブレーク必至の金の卵が、大きく羽ばたく!!サンケイスポーツは東京発刊55周年。それを記念して、全国のグラドル(未経験者も含む)から選出するサンスポキャンペーンガール「サンスポGoGoクイーン」の募集がスタートしました。/芸能事務所に所属していても、フリーでも、芸能活動未経験者でも、18歳以上の女性ならOK。予選の段階からサンスポ紙面やサンスポコムを中心に候補者を紹介するほか、予選、本選通過者全員を随時紙面に掲載していく予定です。』

エレカシの宮本が、さいたまスーパーアリーナライブで男泣き!めざまし 0319


MUSICA最新号<チョイ読み> 宮本は今、何を想うのか。
『(前略)■先ほどから“ファイティングマン”という言葉が何度も出てきておりますが、実際にこの曲の中からは新・ファイティングマン感がもの凄く感じられますし、1番のAメロでは<行け男よ>という言葉が出てくることも含め、エレファントカシマシの本っ当の真ん中が歌われてますし、今宮本さんが話してくれた通り、非常に4人感がハンパない、つまりは獰猛なロックバンドサウンドになっている。エレカシは、EPICソニー時代を終えてポニーキャニオン時代に入って以降、どれだけ自分達の歌が「いい歌」にして「大衆的な歌」となり得るのかという部分で試行錯誤をしてきたと思うんですが、ここまで世の中や状況を顧みずにエレファントカシマシエレファントカシマシでいいんだ!と突き抜けた気持ちでやっている曲は、とても久しぶりな感じがするんですよね。「はい」■たとえば“ガストロンジャー”という曲も、ポップであることや大衆的であることよりも、宮本さんがやりたいことに突っ切っていった時期の楽曲であり、ロックバンドとしての獰猛性が強く出てる曲なんですけど、でも実はあの曲の成り立ちは、バンドというよりも宮本さんのソロ的な要素が強かったわけで。つまり“ファイティングマン”を更新する音楽として4人の生々しいバンド感を迸らせる楽曲は、EPICソニー時代以降、初めてと言ってもいいんじゃないかと思うんです。「あー…………………これは我々のというよりも、私の技術の進歩としか言いようがないというか………バンドというものの見せ方というかですね………いや、見せ方っつうとアレだな………諦め、ですかね。これまたテンションが下がるって言われちゃうけど」■(笑)。
イメージ 9

要は、無理に………………………………こないだ僕ね、億万長者のなんちゃらみたいな本を読んでたんですよ。たとえばですよ、ビル・ゲイツには8兆円の資産がある。対してポール・マッカートニーは1,000億だか2,000億だかの資産がある。その話は気になってはいたんです。夏目漱石も、なんで俺はこんなに金持ってねえんだ!っていうニュアンスのことを言ってたんですけど、俺もやっぱり………まぁロックミュージシャンってそんなに金持ちかって言ったらいわゆる実業家と比べたら大したことないし、大金持ちは金が好きな人がなるものなんだなとは思うんだけどさ、ただ、ビル・ゲイツの発明と俺の発明とどっちが上だ?って考えて夜中に眠れなくなったりももちろんしてるんだけど……それは置いといて。私は歌が一番の得意で、人前で歌うことも得意で、だから自分には一番向いている仕事だと思ってやってます。で、“男は行く”を作った時も“ガストロンジャー”を作った時も、もっともっと凄いものだっていうふうに誤魔化してたというか、凄いっていうふうに思いたがってたんだと思う。でも、それを今、30周年のツアーで私は心の何かを白日の下に曝け出したんです。心の何かを、自分が一番大事にしている部分を曝け出した。それはみんなの前で“悲しみの果て”を歌いながら涙を流すっていうことではなく、4人でやってる中での自分の一番大事な何かを曝け出すことができた。しかも紅白歌合戦でも、みんなが観てるテレビの中でそれを曝け出すことができたんです。そうすると何かこう、自分っていうのは………お前は自分を天才だと思ってたのかと言われたらその通りなんですけど、もの凄い天才的な技術を……それこそ(葛飾北斎じゃないけど、ようやく私は51になって自分の音楽を正統に評価すると言いますか、自分が求められていること、エレファントカシマシが求められていることをそれなりに理解したんだと思います。それって鹿野さんが言った『バンドを認めることができたんですね』っていうのに近いと思うんだけどさ、そういうことだと思うんです。で、そうなったからこそ、この曲も4人でやってるエレファントカシマシという見せ方を上手くできたんだと思う。だから何がなんでもこの4人でのバンド演奏にこだわったし」(続きは本誌をチェック!)』

新井英樹原作「愛しのアイリーン」、安田顕主演で映画化


★2018年3月17日 さいたまスーパーアリーナ
エンタメウィーク 30年の蓄積をたっぷり見せつけ、前のめりに31年目に踏み出していくバンドの“今”が詰まったANNIVERSARY TOURファイナル公演
『頑張ってれば、どこかで“神様”が見てくれている。そう信じて明日を目指す。この30年間、それを体現してきたエレファントカシマシゆえ、彼らのガンバレは、けして張りぼての言葉ではなく、すーっと胸に届く。さいたまスーパーアリーナからの帰り道、油断してたら真冬に近い寒さの帰り道、ふと、そんなことを想った。/オーヴァチュアのように高らかに響く「3210」から「RAINBOW」へ。これから届けられる様々な想いへ、まず足場を固めたようなオープニング。「よ~こそ EVERYBODY!」。宮本が呼び掛ける。このEVERYBODYという、彼の口癖のような言葉は、自分達と客達とに、程良い距離感を醸し出す。しかし即刻突き放し、彼らの“限界芸術”性の極み、「奴隷天国」へ。天井から無数の風船が舞い降り、アリーナの空間を色彩が染める。ゲットした客達が、ビートに合わせて降り始め、さあ動く。さらにさらに、この日のライブが動き出す。
イメージ 10

この日、この時間に、ここに集まった縁(えにし)を讃えるように「今はここが真ん中さ!」へ。ホーン&ストリングス含めて、この日は18人体制。コンサートの“豪華さ”も様々だが、これぞまさに、真の意味での音楽的な“豪華さ”だ。全員が、ひとつの生き物のように躍動する。ただ…。こういう編成の場合、ひとつ着目したことがある。18人の時と4人主体の時との聞こえ方の違いだ。でもそこが、やはりエレファントカシマシが30年の積算で勝ち取った成果なのだろう。ホーンとストリングスを含む音の宇宙と、エレカシだけの宇宙。音の容積は、なんら変わらなかった。これは凄い、誇らしいと思った。“周年ライブ”というのは、“往年のファン”が支えるものにもなりがちだが、彼らの「今」、そう、「今」に反応してのレスポンスが充満する会場となった。これはバンドの創作態度にも起因する。たとえばツアー中に作ったという新曲「ベイベー明日は俺の夢」。30周年なれど、31年目の大地をしっかり両足でグリップした内容だったのだ(宮本たちお手製のPVが流れたのも手作り感あって良かった)。いつのどのライブと比較してるんだと迫られると言い淀むけど、基本、ハチロクのロッカバラード的なフォーマットの「さらば青春」は、この楽曲を演奏し始めた頃より、アクセントのつけ方というか、リズム隊の表現の多様さが、増しているように聞こえた。東京の開花宣言のニュースを横目にしつつ聴いたのが「桜の花 舞い上がる道を」だ。桜にまつわる歌は数多いが、いつもこの歌を聴くと、鈴木清順監督作品の映画のような、花びらに宿る命の濃さを感じる。
イメージ 11

「ズレてる方がいい」は、けして押しつけではない軽やかな処世訓として、とても響く大好きな歌である。ここにあるのは厭世でも達観でも虚脱でも硬直でもなく、“ズレてる”とはすなわち、人生に於ける大切な「客観」だと解釈している。歌詞にはこの言葉と並列して“本気な方が”という語句も出てくるが、聴けば聴くほど深い。「俺たちの明日」で、いったんライブは終了。去り際に宮本は、「二部がありますから」という言葉を残す。通常、ここで“いまから〇分の休憩です”みたいなアナウンスが入るが、それはない。実質的にはアンコールのように二部が始まっていく。曲はあったが歌詞はツアー中に書いたという、ドラマ「宮本から君へ」の主題歌「Easy Go」は、まさに衝撃の名曲であった。“衝撃の名曲”だなんて、手垢の付いた常套句と思うかもしれないが、文字どおりこの曲は、衝撃(理性が吹き飛ぶ爆裂さ)かつ名曲(丁寧に感情をなぞる“美メロ”)という、ふたつのファクターを満たしていた。アンコール、じゃなかった…。二部もたっぷり6曲。そしてまだまだ続く。ここから三部へ。「あなたのやさしさをオレは何に例えよう」が始まった。この曲といえば、タワー・オブ・パワーばりのバリッと弾けるホ-ンが決め手のアレンジ。それがまさに再現というか、さらに上限めざし弾けた。ここで注目したのは、後半、それぞれの楽器がソロ・パートを取った際、黙って聞くのではなく、終始、宮本がジャズ・シンガ-的なアドリブのスキャットで“共演”してたこと。「涙」では、アコギ一本での弾き語りを披露。最後は「ファイティングマン」。この曲の個人的なツボは、サビの最後の最後の終わりのとこの、“♪ベイビー ファイッ ティンッ グッ マーン”みたいな、ボ-カルとバンドとの、阿吽としか言えない呼吸の見事さなのだった。三部もたっぷり5曲。「予定の曲数はすでに終了してるけど」と言いつつやってくれたのは、迎える季節にぴったりの「四月の風」。爽やかに吹き抜けた。ついについに大団円を迎えた。終演直後の宮本や石森や高緑や冨永からは、絞り出して絞り出してぺったんこになったチューブのような、そんな表情が伺えた。取材・文 / 小貫信昭 撮影 / 大森克己

イメージ 12

※なんだかんだで、最近はリアルタイムで観られるドラマが多いワァーー。



☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日3月22日(木)の、「元気が出る言葉」は~?

『死んでももっと絵を描きたいと思ってます。もっともっと絵を描いて、それで死んだ後も、もっと絵を描いて、自分の生命の限り絵を描いてゆきたいと思っています。』
出展:NHK・BSプレミアム 「草間彌生の富士山~浮世絵版画への挑戦」2015年1月1日
発言者:草間彌生 (画家、芸術家 1929年3月22日~)
『解説:「TIME」誌で2016年の“世界で最も影響力のある100人”に選ばれた。水玉模様をモチーフにした国際的前衛芸術家で、高齢ながら今も現役を続けている。89歳まで描いた葛飾北斎やや92歳まで描いたピカソに通じる、生命力・創作意欲である。』

イメージ 13

※作品よりも、ご本人のビジュアル・インパクトがゴイスゥ~~~!

◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

Amazon.co.jp 水玉の履歴書 (集英社新書) 草間彌生 (著)
『■内容(「BOOK」データベースより):前衛芸術家として世界の美術界の頂点に君臨する草間彌生。一九五七年に単身渡米し、七三年に帰国してから現在にいたるまで、国内はもちろん世界各国の美術館で大規模な個展が開催されており、多くのファンを魅了し続けている。
イメージ 14
「私は人の影響を受けたことがありません。自分自身の芸術を信じているからです」「私はこの水玉一つで立ち向かってやる。これに一切を賭けて、歴史に反旗をひるがえすつもりでいた」など、草間彌生がこれまでに発してきた数々の言葉から、自らの闘いの軌道と哲学を語った初の新書。/■登録情報:/新書 176ページ /出版社 集英社 /言語 日本語 /ISBN-10: 4087206920 ISBN-13: 978-4087206920 /発売日 2013/5/17 /梱包サイズ 16.8 x 10.6 x 1.4 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.5 /■カスタマーレビュー:わかこ 5つ星のうち5.0 「真摯な創作への姿勢に感銘。」2013年8月2日・・・このような、スケールの大きな日本人女性がいることに、誇らしさを感じました。また、飽くなき創作意欲、芸術に対する真摯な姿勢に筆者への共感と尊敬を抱きました。文章はとてもわかりやすく、また、幼少時、若き日の渡米時代、現在の筆者のお写真もあり、「履歴書」というタイトルにふさわしい内容でした。草間彌生さんの芸術家としての半生が、理解できましたし、女性としてその勇敢な生き方に力づけられました。お勧めの本です。』

草間彌生氏が文化勲章「死んだ後も作品に興味を持ってもらえるように」


イメージ 15


清水ミチコ 爆笑顔マネ・モノマネ10選

※全モノマネに、笑えるレベルの悪意が込められているのがさすが!

☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“趣味は人間に大切なものである。楽器を壊すものは社会から音楽を奪う点において罪人である(『野分』より)”

【1908年3月22日の漱石】音楽会の帰りに蛙の鳴き声の物まねをしながら上野の森を歩く

今から108年前の今日、すなわち明治41年(1908)3月22日、数え42歳の漱石は午後2時頃、寺田寅彦とともに自宅を出て、上野へ向かった。上野にある東京音楽学校(現・東京芸術大学)の奏楽堂で催される音楽会を楽しむためであった。寺田寅彦漱石より11歳年下。漱石が熊本の第五高等学校で教壇に立っていた頃の教え子で、以来、生涯にわたって漱石を師と慕い続けた。専門は物理学だが、随筆家としても一流だった。/漱石は小説『野分』に主人公たちが奏楽堂に行く場面を描いたり、『それから』の中で《楽という一種の美くしい世界》という言い回しを使ったことからも推察されるように、音楽鑑賞を趣味のひとつとしていた。この日のために、漱石は4日前の3月18日、寅彦宛に葉書を書き、「日曜の音楽会には行きたいと思うから、切符を買い求めておいてほしい」と伝えていた。

とはいえ、創作の仕事は、何時から何時まで机に向かっていれば片づくという予測の立つ事務処理ではない。そこで、こんなふうに書き添えることも忘れなかった。《万一出られねば、前日までに断(こと)わり状を出し候。ただし、切符代はどちらにしても小生担任の事》行けなかった場合の切符代のことまで明記する辺り、さすがに漱石先生、気遣いが行き届いている。漱石は、この日、フロックコートの上に新しい外套を身につけて外出した。音楽会は、ちょっとお洒落をして出かける社交の場でもあったのだ。音楽会の最後の演目は、ドボルザーク室内楽五重奏曲。聴衆から巻き起こった大喝采の中に、漱石と寅彦の拍手も混じっていた。

寅彦は自らバイオリンを奏で、理学博士の学位を「尺八の音響学的研究」というテーマで得るなど、音楽に通じていた。この道にかけては、漱石にとって、道標のような役回りを果たした面もあっただろう。ふたりで音楽会に出かけることも繰り返しあった。後年、寅彦は、千駄木に暮らしていた頃(明治36年から39年の間)の漱石と、奏楽堂に出かけた思い出を振り返り、次のように綴っている。《先生の千駄木時代に、晩春のある日、一緒に音楽学校の演奏会に行った帰りに、上野の森をブラブラあるいて帰った。その日の曲目の内に管弦楽で蛙の鳴声を真似するのがあった、それはよほど滑稽味を帯びたものであった。先生はあるきながら、その蛙の声を真似して一人で面白がってはさもくすぐったいように笑っておられた》(『蛙の鳴声』)/帰りがけには、神田の洋食店『宝亭』で青豆のスープと小鳥のローストを食し、酒杯も傾けた。顔を赤くした漱石は、蛙の鳴き声を真似て上機嫌だったという。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「カエル」「鳴き真似」で動画検索してみました!!)

●鳴きまねで集まってくるカエル

※モノホンのカエルが集まってくるのだから、見事な鳴き真似と呼んでさしつかえないだろうー。

●猫八 動物物真似(カエルは4分30秒過ぎ)


イメージ 16

※親子蛙の競演。

ジョニーAのつぶやき:原田伸郎さんのカエル鳴き真似も特徴ありました。♪~カエルもアヒルもガァーガァーガァー♪