あんじ食堂 (超私的孤独のグルメ!)

☆7時閉店なので、なかなか行く機会のなかった「あんじ食堂」に初見参!
 春期講習中ゆえにできる夕ごはんチョイス!連続で行ってみるゾヨ♪

食べログ あんじ食堂
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『クチコミ:江田島☆平八郎(3235)さん・・・『いろんな味わいのおかずプレートに小鉢もついてリーズナブルなあんじスペシャルを楽しめる!ワンコインからいただける定食とテイクアウトのお店』あんじ食堂@姫路市西今宿/「わしが男ビール塾塾長、江田島平八郎である~っ!!」わしが気になっているお店あんじ食堂@姫路市西今宿に行ってきたのじゃ。播磨高岡駅から徒歩約3分のところにあるのじゃ。まずはお冷じゃな。わしに乾杯っ!優柔不断なわしは、魅力的な定食メニューにしばし・・・(悩 /あんじスペシャル登場っ!!
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玉子焼き・ウインナー・唐揚げ・鶏皮ぎょうざ・串カツ、いろんな味わいが楽しめる、まさにスペシャルじゃな!スペシャルなおかずプレートとさらに小鉢が3つもついておるぞい!ご飯大盛りは+100円、デフォでもしっかり量が嬉しいのう!いろんな味わいのおかずプレートに小鉢もついてリーズナブルなあんじスペシャルを堪能できた「大満足じゃ!」お腹いっぱいなので、今日はこれで退散なのじゃ。また絶対訪問するぞい!ごちそうさまっ!「以上っ!」』
※気さくなおかみさんの手作りおかず(美味!)がお安く戴ける!
 もっと遅くまで営業してくれていたら、しょっちゅう行けるのだが・・・。 

ヤフブロ まっすぐ、歩く。 姫路のグルメ 【あんじ食堂】
『八家病院の目の前でした。さるるは3回は通ったから、お気に入りですね。でも減量中のグルメ記事は辛い♪でもあえて記事にすることで己の精神を高めるんや!って、さるるはアホか!?(愚昧)/《中略》それはさておき、このお店はね、ランチが500円なんですよ。しかも種類が豊富なんです!量も申し分なし、味も満足。高砂でお店されていて諸事情があってコチラで開店されたそうです。夜の居酒屋メニューとかも気になるけどさ。(愚考)
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大手チェーンなんか凄い値段で牛丼とかかつ丼が食べられたりするけど、その量じゃ足りなくって、結局サイズの大きいものを注文しちゃったり、追加でなにか注文しちゃったり高くなるんよね。(さるるだけ?)しかしランチ500円ならこの量とクオリティならじゅうぶん!!こういうお店こそ発展していってもらいたいですね。実はあんまり外食してなくて・・・・あ、すいません飲みに行くのも外食?ああ外食ですよねー・・・・・。(暗愚)7年前とか9年前とかのグルメ記事もありますがご容赦下さいませ。情報が鮮度が大事なのにねぇ~♪』

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※隣の焼肉屋さん「くるまどう」へも、この春季中にはお邪魔するとしようー♪

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※ビールと枝豆、くしカツ、とり皮ギョーザ!!食欲そそる。

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※焼きそば定食も追加注文してまうなり~!あぁー、またダイエットやり直しやっ!

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※店内、とーってもくつろげる空間。近所のオッチャンがテレビ観に来てたりw
 グルメ本などにはいっさい載っていないお店だが、クチコミでどんどん人気が
 出そうな雰囲気を感じるのであったーー。



☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日3月26日(月)の、「元気が出る言葉」は~?

『希望よ、お前は心を鉄に鍛える。』
出展:「ベートーヴェンの生涯」(ロマン・ロラン岩波書店
発言者:ルートヴィヒ・ベートーヴェン(ドイツの作曲家。1770年12月16日~1827年3月26日)
『解説:あなたは希望を失っていないか?ベートーヴェンは20代で難聴となり、40才でまったく聴力を失い自殺も試みたというが、彼の作品にどれだけ多くの者が勇気付けられ、希望を持ったことか。たまには自分の運命に嘆き悲しんでもいい、しかしベートーヴェンの言葉を聞けば、きっと立ち直ることができるはずだ。心にハンマーを打ち込もう!』

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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

●映画 「敬愛なるベートーヴェン」 (06 英洪/日本公開0612) 特報


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※このキャッチコピーはそそります。

Amazon.co.jp 新編 ベートーヴェンの手紙〈上〉 (岩波文庫) 小松雄一郎 (翻訳)
『■内容(「BOOK」データベースより):フランス革命の時代、既成の権威に屈せず生きた「楽聖ベートーヴェンの生涯とその音楽の発展過程を浮彫りにする書簡集。上巻には、反動荒れ狂うウィーンの社会状況を伝える便り、難聴を打ち明ける遺書、今なお宛名をめぐって議論の絶えない「不滅の恋人」への愛の手紙等々33通の書簡を厳選した。/■登録情報:/文庫 337ページ /出版社 岩波書店 /言語 日本語 /ISBN-10: 4003350138 ISBN-13: 978-4003350133 /発売日 1982/1/16 /梱包サイズ 15 x 10.8 x 2 cm /おすすめ度 5つ星のうち 5.0
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/■カスタマーレビュー:浜本宏 5つ星のうち5.0 「第4交響曲アダージョがかくも美しい理由がわかる本」2003年12月31日・・・小生はベートーヴェンの第4交響曲第2楽章(アダージョ)が大好きである。若い頃にこの曲を聴いたとき、他の彼の交響曲作品(特に奇数番)ほどには興味をもたなかったのではあるが、ある日突然、この天国的に美しい作品にぞっこん惚れこんでしまった。しかし、何故あのベートーヴェンがかくもロマンティツクな作品を創造できたのかというのが小生の永い間の疑問ではあった。/この疑問に応えてくれたのが、第2次世界大戦後発見され、本書に収録されているベートーヴェンからヨゼフィーネに宛ててだされた一連の手紙である。1804~1807年は中期ベートーヴェンの最も偉大な創造の時期、穣り豊かな時期と呼ばれているが、ベートーヴェンのヨゼフィーネに対する激しいが、叶わぬ恋心こそがベートーヴェンをして交響曲第4番、ピアノ協奏曲第4番、バイオリン協奏曲などの永遠の名曲を創造させた原動力であったことを読者は理解するようになる。ベルリオーズの「幻想交響曲」の場合も同じであるが、恋の力の偉大さを知り、人間ベートーヴェンを理解するために、激しいベートーヴェンが好きな人も、優しいベートーヴェンが好きな人にも是非とも読んで欲しい1冊である。/余談ながら、小生はヘルベルト・ブロムシュテットドレスデン・シュターツカペレを指揮した演奏が最も好きである。』

◎オマケ ジャイアンとベートーベンの歌

ジャイアン、けっこう上手いじゃん!w

☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“私はすべての人間を、毎日毎日、恥をかくために生まれてきたものだとさえ考えることもある(『硝子戸の中』より)”

【1909年3月26日の漱石】原稿の締め切りを忘れて謡の会を満喫する

今から107年前の今日、すなわち明治42年(1909)3月26日、数え43歳の漱石は、午前中、門下生のひとり小宮豊隆の指導でドイツ語の習読をした。午後からは神田に向かい、「清嘯会(せいしょうかい)」に出席した。「清嘯会」は、漱石が趣味にしている謡(うたい/能の声楽部分)の先生である能楽師の宝生新(ほうしょう・しん)が尾上始太郎(おのえ・もとたろう)とともに始めた謡の会だった。尾上始太郎は下懸(しもがか)り宝生流能楽師。宝生新の代稽古で、何度か漱石の自宅へやってきたこともある。

この日、会に集ったのは、漱石を含め、ほとんどが初級者レベル。漱石は永田博という同好の士と一緒に『清経(きよつね)』を謡った。演目は他に、小宮豊隆の『三山(みつやま)』『望月(もちづき)』、哲学者・安倍能成(あべ・よししげ)の『紅葉狩(もみじがり)』、英文学者で能楽研究家の野上豊一郎と安倍能成による『船弁慶(ふなべんけい)』、菅能近一の『七騎落(しちきおち)』といったところ。お経をあげるような声を上げる者もおり、漱石は呆れてこんな感想を抱く。

「天下、かくの如く幼稚なる謡会なし」その代わり、妙に通ぶったことを言う者もなく、至極さっぱりとして上品な雰囲気があった。その後、宝生新と、河東碧梧桐(かわひがし・へきごとう)、高浜虚子、茅野良太郎の四人が『蝉丸(せみまる)』を披露した。中でも、碧梧桐の謡いぶりに、漱石は「うまいもんだ」と感心した。/碧梧桐と虚子は、すでに他界していた正岡子規門下の双璧といっていい。少年期から親しくつきあっていた仲だが、俳句に対する考え方の違いから、子規の没後、次第に進む道をわかつことになる。碧梧桐は俳句の新傾向運動を推し進めて定型破壊、季語無用といったところまで突き進み、対する虚子は自ら守旧派を宣言して伝統重視の立場を貫いた。

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生前の正岡子規は「碧梧桐は冷かなること水の如く、虚子は熱きこと火の如し」と評していた。もともと対照的な個性を持つふたり。子規亡きあと、次第に進む方向性を分かつのも、必然のことであったのかもしれない。とはいえ、互いの胸の底には別のものが宿り続けていた。碧梧桐の没後、虚子は「碧梧桐とはよく親しみよく争ひたり」という前書きをつけ、こんな追悼句を詠んでいる。《たとふれば独楽(こま)のはじける如くなり》

俳句理論の上では厳しく対立していても、それは独楽遊びにおける独楽のようなもの。互いに勢いよく回っているため、ぶつかると相手を弾き飛ばす。だが、傍目にはどう映っても、底にある個人的な友情は生涯変わらなかったのだ。この日の謡の集まりも、一派を率いる俳人としての立場を離れ、旧友相楽しむ一コマであっただろう。幼稚にして上品な謡の会がお開きとなる頃、戸外ではみぞれが降り出した。漱石は人力車をやとって、家路についた。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「河東碧梧桐」「高浜虚子」で動画検索してみました!!)

●たうんニュース2015年8月「河東碧梧桐 子規門の革命児 」


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※2015年の企画展示でござ今するーーー。

真空管ラジオで聴く【歴史的音源】 高浜虚子 本人肉声 俳句朗読

※「黄金虫 投げ打つ闇の 深さかな」とか有名ですぁ~ねー。

ジョニーAのつぶやき:「かわひがしへきごとう」は、名前がもうちょっと格好いいものだったなら、世の認知度も変わっていたんじゃないかと思うーーー。