マキタスポーツら、オフィス北野から“FA宣言”

スポーツ報知 マキタスポーツら、オフィス北野からFA宣言
『「オフィス北野」に所属するピン芸人マキタスポーツ(48)とプチ鹿島(47)、お笑いコンビ「米粒写経」の居島(おりしま)一平(43)とサンキュータツオ(41)が23日、TBSラジオ「東京ポッド許可局」(月曜・深夜0時)で事務所からの“FA宣言”を行った。/オフィス北野は規模を縮小し、新体制への移行中。20日付で全従業員が一時的に退社し、残留を希望する一部が再雇用された。
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  番組冒頭に「マジなことなので」と断った上で、マキタスポーツプチ鹿島米粒写経サンキュータツオが「オフィス北野を退所することにいたしました」と続けてリスナーに報告した。プチ鹿島は「実際社員さんがいなくなってしまったのは僕らレベルはかなり厳しい。だからこういう結論にならざるを得ない」と説明。個人でスケジュール管理する必要がでてきており、活動に支障が及びかねない状態だという。“FA”はオフィス北野の森昌行社長(65)も了解済み。ビートたけし(71)にも報告しており、たけしからは「頑張れよ」と声をかけられたという。「3組まとめて」「バラバラで」など、受け入れ先の態勢にはこだわらない。オフィス北野への“FA残留”もあり得るという。』
※「FA」という表現が目新しいだけで、あとはどうってことない事務所離れの
ニュースですな。大手の場合、いろいろと権利関係どうのこうのとか、名前を
使わせない、楽曲を歌わせない、等々トラブルも付きまとうが、オフィス北野
はその手のゴタゴタはないと信じたい・・・。

オフィス北野 タレント一覧
※けっこー有象無象イッパイだなぁーーーw
 ポップコーン正一とか懐かしいし・・・。てか、もう一人はどした?

アメブロ マキタスポーツFA宣言
『私、マキタスポーツは所属していたオフィス北野を退所することを決めました。芸能生活20周年、48歳の迷子、否、待機児童ならぬ待機中年です。現オフィスの社員、マネージャーが決定的に不足中につき、さすがに実務面に支障をきたしております。ここを新たな船出のタイミングと腹を決め、僭越ながら前代未聞のフリーエージェント宣言することにいたしました。マキタスポーツの仕事に興味があるかたは、連絡をください。待ってます。お仕事の依頼、問い合わせはこちらまで info@makitasports.com』

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※どんでん岡田か思た・・・

宇多丸「萌える国語辞書特集」feat.サンキュータツオ

・辞書萌え、ツンデレ辞書など、目の付け所からして面白ーーーい!
こういうズバ抜けた一芸のある人は強いやなぁーーー!

Sponichi Annex 浅草キッド まさかのコンビ解散!?「織姫と彦星」と意味深ギャグ
『オフィス北野に所属するお笑いコンビ「浅草キッド」の水道橋博士(55)と玉袋筋太郎(50)が24日、都内で行われた鳥取県主催の「『星取県』条例できま“スター”記者発表会」に出席。一連の事務所独立騒動に言及しながらイベントを盛り上げた。/同イベントは鳥取県の星空を観光資源としてPRするもの。水道橋は開口一番「オフィス北野の水道橋です。最近よく見る記者が多いです」と発言して騒動に触れると、「急に“北の一等星”が消えて、残された私たち星くずはどうすればいいのか」と自虐気味に語った。
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  各人が流れ星に願い事をする企画も行われた。水道橋が「オフィス北野がつぶれませんように」と願いを込めると、玉袋は「無事に独立できますように」と真逆の発言。つづけて水道橋が「ここ(浅草キッド)が七夕になるかもしれない。織姫と彦星で。1年に1回しか会えない可能性も」と冗談めかして“コンビ解散”をにおわす発言。イベント後に真意を問われた玉袋は「行間を読んで下さい」と笑いながも意味深に答えた。/また水道橋は、23日深夜に同じくオフィス北野のマキタスポーツ(48)、プチ鹿島(47)、お笑いコンビ「米粒写経」の居島一平(43)、サンキュータツオ(41)が同社からの“FA宣言”をしたことについても言及。「ウチにはもう獲得資金がない」と笑いを誘った。』
※なお、博士はマキタらの退社を「フライング発表した」として、バッシングも
受けているという様相を呈している。。。

水道橋博士、星に願い「オフィス北野がつぶれませんように」


ORICON NEWS マキタスポーツ、プチ鹿島、米粒写経が語るオフィス北野FA宣言の真意 たけしの助言を胸に新たな一歩
ビートたけしの独立から端を発した今回の事務所騒動。たけし軍団の声明文などを経て、収束に向かっているタイミングで、なぜこの行動を取ることにしたのか。同日夕方に行われた収録後、タツオの相方・居島一平を交えた4人に話を聞いた。/鹿島は週にラジオ4本、テレビ2本、AbemaTV1本、原稿は月に15本を抱える売れっ子で、マキタもレギュラー番組のほかに、音楽活動・俳優業で大活躍。米粒写経も、タツオが辞書の知識を活かして、このほど改訂された『広辞苑 第7版』の執筆に携わり、居島がCS番組「真相深入り! 虎ノ門ニュース」(月曜~金曜 前8:00)のMCを務めており、鹿島の言葉を借りれば「ありがたいことに毎日仕事をいただいている状態」。そんな中で起こった今回の騒動。たけし独立が報道された翌日にあたる3月15日、オフィス北野で説明会が行われ、森昌行社長は、社員やマネージャーがこれから減っていくという見通しを示した。その時、今回の行動を考え始めたと鹿島が明かす。
「その時に僕たち一人ひとりが質問したんですけど“仕事を毎日やっている人間はどうなるんですか?”と聞いたら、森社長が申し訳なさそうに“もちろん、自分で負担していただくことになります。移籍を考える方は、事務所がバックアップします”とおっしゃってくださった。それで、僕らが考え始めたというところです。情の問題ではなくて、実際問題として、マネージャーさんがいないと今の仕事量を維持できないというところが大きかったです」。
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  では、なぜこの時期に発表することになったのか。その答えも鹿島から明快に返ってきた。「なんで今なんだっていうのは(たけし軍団による)声明文騒動が終わるのを待っていたというのがあって、あのときに一緒に名乗りあげちゃうと、事務所に飽き飽きしたという風に受け止められてしまう可能性があったので、そこは慎重に、騒動が落ち着くのを待って…という部分はあります。説明会から2週間後の3月30日に、森社長と個別で面談をした時には、今回発表した思いを正式にお伝えしています」。/番組内で居島が、若手発掘のために始めた事務所ライブ「フライデーナイトライブ」の存在を挙げていたが、米粒写経大神クヒオとともに2009年に同ライブを立ち上げたマキタも思いを吐露した。「当時、お笑い業界でオフィス北野はネタをやる芸人がいないっていうイメージがあったんですよ。それを払拭して、ライブ発の若手を育てることができれば…という思いを込めて、フライデーナイトライブを始めました。そこから、馬鹿よ貴方はのように、後の「M-1グランプリ」ファイナリストが出てきたりしたので、そういう芸人を僕らが先導して「オフィス北野に入れましょう」と言ってきた。そういった経緯があるので、そこの責任はやっぱりあるんですよね。会社が小さくなります、若手の面倒を見られません、ライブもちょっと危うくなりますということで、実際に5月以降のスケジュールがきれなくなった。そしたら、ライブに出ていた芸人たちは流浪の民になっちゃう。自前で勝ち上がる世界でもあるので、自分たちで頑張れよっていう反面、道義的責任というか、ちゃんと道筋はつけてあげないといけないという気持ちはあります」。
  本業への影響、自分たちが引き入れた若手芸人たちへのしめしをつけるため…いろいろな思いが去来する中、今回3組そろって決断をした。しかも、具体的な方向性が決まっていない状況で、自分たちのラジオ番組で自分たちの言葉でしっかりとリスナーに伝えるという方法でのFA宣言。2008年に「屁理屈をエンタテインメントに!」をモットーにポッドキャストでスタートした同番組で伝える決心をした理由について、鹿島は「リスナーの方と共有して大きくなってきた番組なので、こうした過程も見せたほうがいいんじゃないかと思って」と笑顔で打ち明ける。
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  オフィス北野に残留、他事務所への移籍、3組で独立して新会社の立ち上げ…どの選択肢もフラットに考えていく。マキタが3組の総意を語る。「我々は精神的なつながりで行動しましょうね…ということを言っている状態です。それぞれが仕事として売上を作ってきているし、年齢的にもそれぞれの現場で信用を得ているということであれば、それを結集するというのもひとつの案だと思います。だけど、家族を抱えていたりとか、いろいろな状況もあるので、独立をすることが一番の望みかというと、それはなんとも言えないところもありますね。移籍をするならば、この3組にちゃんと興味を持ってくれていることを大切にしたい。一案として3組丸ごと移籍ということも考えておきたいし、それぞれがちゃんと独立するっていうこともあるし、東京ポッド許可局というものを母体とするものも考えられるんじゃないかなと。真面目に真剣に交渉事として、いい大人として聞きたいです」。
今後は、オフィス北野所属として移籍・独立も含めた行動を取っていくが、連絡先は「tokyopod@gmail.com」で一括管理。鹿島が「この番組は、けっこう業界の方に聞いていただいて、こっそり声をかけてもらうことがあるんですよ。今回、こういういみじくも場になってしまったので、大声でかけてほしい」と期待すると、マキタが「これで全く連絡がなかったら、それはそれで面白いね」とにっこり。タツオは「オフィス北野の経理も徐々にやめていくはずなので、経理が機能しているうちっていうところで、この1~2ヶ月くらいをめどに考えています」と語った。/森社長への報告はもちろん、21日にはTBS系「新・情報7daysニュースキャスター」(毎週土曜 後10:00)出演前のたけしを訪問し、FA宣言することを伝えた。「芸人は死ぬまで芸人だからよ。オレなんかは何度も死にかけたけど…大変だろうけど、そのうち困ったことがあったら相談に来い」という温かい言葉とともに、支えとなる一言をもらったとマキタがかみしめるように話してくれた。/「たけしさんに「頑張れよ」とエールを送ってもらったことが一番精神的にデカいです。「頑張って、やれば売れるからさ…あっ、お前売れてるか」と言っていただいて、ボケなのか何なのかわからないですけど、そうやって言ってもらったのもうれしかったですし「こっちの態勢が整って、お前らがもしヤバいってことになったら、全然来ていいからさ」って、やっぱりそういう風に言ってくれるんですよ。僕らはみんな、たけしさんのことが好きだったわけで、だから変な気持ちだけは残したくない。それをたけしさんがちゃんと汲んで言ってくれたのは大きかったですよね」。たけし軍団のように直接の師弟関係はなく、非たけし軍団とも称される彼らだが、言わずもがなではあるが“たけしイズム”はしっかり共有されている。3組がこれからどういった一歩を踏み出すか、楽しみで仕方ない。』

☆偏向のない、中立公正な意見を聞けっ!!
ピチ鹿島の「余計な下世話」
『(前略)森社長やたけし軍団さんらがバトルしあい、さまざまな記事が書かれた。本来なら半信半疑で記事を楽しむのだけど、私もオフィス北野所属という当事者なので、記事によっては明らかに「これは違うだろ」と最初から興醒めしてしまうものがあったのだ。まずはこれ。「たけしお家騒動で浮上したオフィス北野営業手法への疑問」(女性自身WEB・4月06日)/記事を読んでいくと「テレビ局関係者」のコメントとしてこんなことが書かれていた。「たけしさんが独立する前、オフィス北野にはダンカンさんや博士さんを筆頭に20人以上の軍団メンバーが所属していました。ただその営業手法には疑問の声が上がっていました。というのも事務所のマネージャーが『たけしさんの意向』とうたい、たけしさんの番組に軍団をバーターで押し込もうとしていたそうです。結果、強引なバーター提案に苦手意識を持つ局担当者が増えていっていました......」
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まったくの嘘である。ここで書かれているのとは逆で「オフィス北野はバーターをしない」ことで有名だからだ。私が北野に入った6年前、水道橋博士さんから最初に言われたのもこれだった。つまり「妙な期待はするな」と。テレビやお笑いに詳しい方ならちょっと思い浮かべて頂ければわかると思う。ビートたけしさんの番組に北野の若手がセットでいるのを見たことがありますか? ないでしょう。たまたまこの記事が出る直前(つまり先週)、たけしさんともよく仕事をしてきた業界の方から「オフィス北野ってバーターしないよね。それが殿の美学だよねぇ」と言われたばかりだった。だからこの正反対の記事には驚いたのである。バーターをやらないからこそ、たけしさんの番組に出れたときは本当に嬉しかったのです。
続いての記事はこちら。「タレントを育てて売る...オフィス北野が忘れていた基本」(日刊ゲンダイ・4月5日)/この記事は二田一比古さんというジャーナリストの方が書いたものですが、気になる記述があった。《軍団が結成されてすでに30年を超えるが、完全に一本立ちしているタレントは少ない。》《「タレントを絶やすことなく育てて売る」という芸能事務所の基本を忘れていたように思う。》という部分です。前者は軍団さんのことを書いているのかもしれないが、「タレントを絶やすことなく育てて売るという芸能事務所の基本を忘れていたように思う」とまで書かれるとちょっと待って! と言いたくなる。/なぜなら我々がいるからだ。「非軍団系」の芸人では、私プチ鹿島マキタスポーツサンキュータツオ居島一平は毎日仕事をしている。私で言うならこの春からレギュラー番組が2本増え(ありがとうございます)、現在は週にラジオ4本、テレビ2本、AbemaTV1本、原稿は月に15本ほど書いている。他の3名もレギュラー番組や連載を多数抱えている。ちょっとしたプロ野球選手の年俸くらいは稼いでいるはずだ。みんな毎日仕事で忙しいのです(だからマネージャーさんがいなくなるのは困るのだけれども......)。/これでもオフィス北野はタレントを育てていないというなら、ただの取材不足である。どうせゴシップを書くなら当事者も半信半疑でドキドキワクワクするような記事を書いてください。それにしてもオフィス北野はどうなるのでしょう? どなたか逆取材させてください。絶賛困惑中です。』

◎一方、寺島は・・・
サンスポ・ドットコム 寺島進はオフィス北野残留 宮根に電話し「言ってくれ。俺は残るからって」
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『俳優、寺島進(54)が今後もオフィス北野に残留することが10日、わかった。フリーアナウンサー宮根誠司(54)が同日、メインキャスターを務める日本テレビ系「情報ライブ ミヤネ屋」(月~金曜後1・55)で明かした。/寺島から何度か電話をもらったという宮根。その電話で寺島は「たけしさんが好きでオフィス北野に入れてもらった。面談をしたのは森社長。たけしさんとの関係性も今後は変わらない。ただ、森社長にも恩義がある。入れてくれたのは森社長なんで。(事務所に)残って微力ながら、オフィス北野を盛り立てていけるよう頑張る」と話していたという。/タレント、ビートたけし(71)の独立で内紛が勃発して以降、宮根は気を使って電話をしなかったというが「しびれ切らして向こうから電話きて。(番組で)言ってくれ。俺は残るからって」と寺島とのリアルなやり取りを明かした。』
※男気だねぇ~~、義理堅いねぇ~~~。でも、たけちゃんが新事務所を
軌道に乗せて、軍団を再集結し始めたら、我先にソッチに移動してそうw

お笑いナタリー オフィス北野「フライデーナイトライブ」次回で終了、最後はオールメンバー集結
『オフィス北野の事務所ライブ「フライデーナイトライブ」が、来月5月11日(金)に東京・関交協ハーモニックホールで開催される「第52回」で幕を閉じる。

「フライデーナイトライブ」は、マキタスポーツやくみつゆ米粒写経が「ネタのイメージがないオフィス北野に、本気でネタを磨ける場を作ろう」と2009年に立ち上げたイベント。オフィス北野に所属できるかを観客投票で決める「公開審査会」も行われており、“オフィス北野っぽくない若手”を積極的に募集してきた。フリーの芸人がこのライブをきっかけにオフィス北野に所属となり、その後の賞レースで活躍するという流れも生まれている。/事務所の改変にともなって終了することになった「フライデーナイトライブ」の最終回には、馬鹿よ貴方は、マッハスピード豪速球、ランジャタイ、キュウ、がじゅまる、銀座ポップ、セクシーJ、ルサンチマン浅川ら“オールメンバー”が出演する予定。同ライブでネタを磨いてきた芸人たちが届ける笑いを堪能しよう。/●第52回 フライデーナイトライブ・・・日時:2018年5月11日(金)19:00開場 19:30開演 /会場:東京・関交協ハーモニックホール /料金:前売1500円 /チケット:専用フォームにて受付中。<出演者>やくみつゆ / 馬鹿よ貴方は / マッハスピード豪速球 / ランジャタイ / がじゅまる / キュウ / 銀座ポップ / セクシーJ / ルサンチマン浅川 / シルキーライン / 昨日のカレーを温めて / 荒ぶる神々 / 熊川シュウワ / ハニーベージュ / 太陽の小町 / 藤井21 ほか ※変更の可能性あり。』

サンスポ・ドット・コム オフィス北野、森社長含む10人で再出発!マネジャー4人残留
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『タレント、ビートたけし(71)の独立で内紛騒動のあった前所属事務所、オフィス北野が、森昌行社長(65)や4人のマネジャーを含むスタッフ約10人で再出発することが19日、分かった。/同社は稼ぎ頭であるたけしが先月31日をもって独立したことを受けて、20日付で33人の従業員全員を一旦退社させ、会社の規模を縮小して再雇用を募る方針を打ち出していた。関係者によると、一時対立状態だった森社長とたけし軍団の騒動が収束したこともあり、10人が残留を決意した。来週にはスタッフと軍団が今後について話し合う予定という。』




☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日4月24日(火)の、「元気が出る言葉」は~?

『いま曲がり角にきたのよ。曲がり角をまがったさきに なにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばん 良いものにちがいないと思うの。』
出展:「赤毛のアン」(新潮社)
発言者:ルーシー・モンゴメリー (カナダの小説家 1874年11月30日~1942年4月24日)
『解説:北米大陸の男の子の典型が「トム¥ソーヤーの冒険」のトムなら、女の子は「赤毛のアン」のアンだろう。アンはなんとも不思議な娘だ。どんな逆境も機転と行動力で乗り越えていく。そんな彼女を支えているのは夢見る力だ。この言葉は、自分の身に起こることを肯定しぬく。十代でも、いやいくつになっても、「アン」を愛読書にできた人は幸せだ。』

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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

赤毛のアン 第1話「マシュウ・カスバート驚く」


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※エンディングの「さめないゆめ」が大好きだ・・・。脚本にパクさんの名前。

エキレビ 花子とアン」村岡花子はなぜ『赤毛のアン』の重要場面を翻訳しなかったのか
『アハもじゃの社長さんのおかげで『赤毛のアン』が出版されることになり大団円の『花子とアン』。実は、村岡花子の訳した『赤毛のアン』には、大きな謎がある。第37章、最後からひとつ前の章。マシュウが心臓発作で死んでしまう。その晩、残されたマリラはアンに、いかに自分がアンを愛しているかを語る。このシーンを、村岡花子は訳していないのだ。(中略)高畑勲監督のアニメ『赤毛のアン』は、ほぼ原作に忠実である(神山妙子訳『赤毛のアン』を底本にしている)。このシーンの高畑版マリラはこう語っている。「ふたりで力をあわせていくことだよ、アン。あんたがいなければ、もしうちへ来ていなければ、わたしはどうしたらいいか分からなかったろうよ。アン、これまであんたには少しきつくあたりすぎた事もあったかもしれないけど、だからといってマシュウほどあんたを可愛がっていなかったなんて思わないでおくれ。わたしはねぇ、こんな時でもない限り思った通りのことを口に出して言えないんだよ。今ならそれができると思うから言うけど、あんたはねぇ、あんたのことは自分の腹を痛めた子のように愛しいと思っているんだよ。グリーンゲイブルズに来てからというもの、あんただけが私の喜びであり慰めだった、アン」/村岡花子訳は、このマリラの言葉も、アンのセリフも削って、“二人はともに泣き、心から語りあい、慰めあった。”という一文ですませているのだ。クライマックスといってもいい重要なシーンである。アニメ版だと、観ている者も一番泣いてしまうシーンである。そこをすっとばしてしまったのは、なぜなんだろう?
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「快読『赤毛のアン」(菱田信彦/彩流社)は、「赤毛のアン」を章ごとにとりあげ、作品の社会背景を紹介し、原文を検証しつつ、徹底解説した本だ。ジェンダー観や階級意識がどのようにキャラクターに影響を与えているかについての考察も興味深い。この本でも、この謎がとりあげられる。“作品中でも最も重要なもののひとつといってもいいこの場面を、彼女はなぜ訳出しなかったのでしょうか。”菱田信彦先生の意見は、『東大の教室で『赤毛のアン』を読む』の中で山本先生に退けられた学生の意見に近い(あの学生が菱田さんで、のちに教授になって本を書いたのではないかと、想像の翼が無駄にひろがる)。さまざまな訳を比較したうえで、こう言うのだ。
“村岡はAnne of Green Gablesを「翻訳」してはいないということです。彼女は「赤毛のアン」という作品を「創作」しているのです。”“彼女は自分がとらえたそのイメージが日本の読者にはっきりと伝わるようにと、そのことだけを念頭において訳文を作っています。そのため村岡は、英文を正確に訳すことにあまりこだわりません。ここを入れると自然な文章にならないと思うようなところは切り捨ててしまいます。結果として読者に伝わるものが大切なのであって、原文をどう訳すかは、極端にいえばどうでもいいのです。新しい時代の日本の若者のために良質な物語を求めていた村岡が、それにふさわしい作品を「創作」しようとしていたこと。それが彼女の「読み」がほかの誰とも異なる最大の理由ではないでしょうか。
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そして、想像にすぎないというエクスキューズのうえ、あの場面の省略について、著者はこう記す。“日本人は、概して、親族を失った時でさえ、その悲しみを表に出さないことを美徳とするところがあります。とくに女性にそれを求める傾向があり、葬儀の際にとりみだしたり泣いたりしている女性に批判的な目を向けるメンタリティが存在するように思います。ましてや、村岡がこの作品を訳していたのは戦時中です。彼女の周囲には、戦火の中で親しい者を失いながら、その悲しみを抑えつけるしかなかった女性が何人もいたはずです。村岡は、マシュウを失ったマリラとアンが激しく嘆き悲しんだり、余人がいないとはいえ思いを口に出して伝えあったりするさまを、「はしたない」、あるいは日本の読者に読ませるのに「ふさわしくない」と感じたのではないでしょうか”。/「花子とアン」はドラマなので、それをベースに想像の翼をひろげすぎるのもナンだが、ぼくはこう思う。ドラマの中の花子なら、愛する者の死を嘆くシーンをこどもに読ませたくなかったのではないか。"曲り角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの。"(『赤毛のアン村岡花子訳/新潮文庫)(米光一成)』

☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“文法を習ったからといって、それがため会話が上手にはなれず(『中味と形式』より)”

【1901年4月24日の漱石】ロンドンの下宿で家政婦のおしゃべりに付き合わされる

今から115年前の今日、すなわち明治34年(1901)4月24日、官費留学でロンドンに来て半年が経った34歳の漱石は、下宿の家政婦ペンと向き合いながら、ひどく困惑していた。下宿の経営者であるブレット家の人たちは、みな出払っていた。そういう時に限って、ペンは漱石をつかまえて、やたら早口で、漱石の顔面に唾を飛ばさんばかりにしてまくしたててくる。しかも何を言っているのか、なかなか理解できないのである。/ネイティブ英語の早口だから聞き取れないのではない。ロンドンの下町の庶民階級には、独得の訛りというものがある。漱石はこれを「江戸ッ子の”べらんめー”と同じようなもの」と表現している。要するに、日本語にも地域などによる言葉遣いの差異があるように、ひと口に英語といっても現地では学校の教科書で習うものと異なる様々な言葉が飛び交っているのだ。/ちなみに映画「マイ・フェア・レディ」で、オードリー・ヘプバーンの演じるロンドンの下町娘も訛りがきついという設定になっていた。漱石の下宿するブレット家の家政婦ペンにも強烈な訛りがあって、漱石は言われたことの半分も理解できないありさまなのだった。

幕末・明治の語学者だったジョン万次郎の場合は、こうした状況とは正反対の体験をしたといえようか。土佐高知の漁師だった万次郎は出漁中に漂流したところをアメリカの捕鯨船に救われ、アメリカ大陸に渡った。捕鯨船の中は、様々な訛りのある英語が飛び交っていて、長い航海の中で自然とこれに馴染んだ万次郎は、どこの学校教育でも学べないような超実践的な英会話能力の基礎を養えたというのである。/さて、ペンと向き合う漱石先生は、必死で耳を傾け、頭をフル回転させる。わかった単語を想像でつなげてみるに、どうやら、きのう差配人(借家を管理する人)がやってきて、その対応に苦慮したことなどを話しているらしい。その後のことはよく聞き取れないので漱石がつい笑い顔になると、相手は自分の話が面白いから笑ったものと誤解して、いよいよ饒舌になる。漱石の戸惑いは、いよいよ深まっていく。/明日は、ブレット家とともに、今住んでいるフロッドン・ロードからツーチング・ステラ・ロードへ引っ越しをする予定である。家政婦の言っていることはわからないし、家の者の帰りが遅いので、漱石先生、なんだか不安になる。想像はふくらみ、胸の中でこんなことまで呟いている。「これで彼らが詐欺師だったら、自分はとんだ馬鹿ものだ」

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「おしゃべり」「理解不能」で動画検索してみました!!)

ジャルジャルコント『理解不能者〜病院〜』(4分)


●【犬と赤ちゃん】楽しくおしゃべり♪え!?言葉が通じてる!!


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※そういえば、ヨーゼフとハイジは言葉が通じ合っているようだった。。。

ジョニーAのつぶやき:言葉が通じないと感じるとき、それは広い意味で相手と人種が違うということなのかも知れぬ。