「宮本から君へ」ポスター貼りなど関連ニュース

お笑いナタリー 星田英利「お天道様の下をどや顔で歩ける」、「宮本から君へ」ポスター貼り
『ドラマ「宮本から君へ」(テレビ東京テレビ大阪ほか)に出演する星田英利が、主演の池松壮亮柄本時生と共に本日4月26日、撮影に協力した都内の文房具店や文具メーカーを訪れた。/新井英樹のマンガ「宮本から君へ」(太田出版)をもとに、文具メーカー・マルキタの新米営業マン・宮本浩の成長を描く本作。星田は池松壮亮演じる宮本の上司・小田三紀彦役でレギュラー出演している。
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ポスターを貼って回るPRに初めて挑戦した一同。星田は「この作品がいろんなところで評価していただいているので、こういうイベントもできる。こうやって堂々とお天道様の下をどや顔で歩けるドラマに出れて、本当によかったです」とボケつつ感想を述べ、ドラマ後半の見どころについて「宮本の熱意にほかの人が飲み込まれていくというか、暴れ馬みたいに手綱が引き切られへん感じになるので、今までもうねってた作品が、ほんまにもう誰も乗りこなせんぐらいうねっていきます」と語った。』

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※バイプレイヤーとしてなかなかの存在感を見せるのは、流暢な関西弁のせい?

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※劇中の文具店が、宮本同様、濃いんだよぉ~~~~w

シネマトゥディ 「宮本から君へ」OP誕生秘話 演出はあの大御所写真家!
新井英樹原作、池松壮亮主演の連続ドラマ「宮本から君へ」(テレビ東京系・毎週金曜深夜0時52分~)のエレファントカシマシの主題歌「Easy Go」をBGMにしたオープニングが「かっこいい」と注目を浴びている。OPの演出を手掛けた写真家の佐内正史に、本映像のコンセプトを聞いた。本作は、都内の文具メーカーで働く営業マン・宮本浩(池松)が、恋に仕事にがむしゃらに奮闘するアツくて切ない青春ストーリー。数々の映画賞に輝いた2016年公開の映画『ディストラクション・ベイビーズ』の真利子哲也がメガホンを取り、再び池松とタッグを組む。/オープニング映像は、公園にたたずむ涙目の宮本のアップからスタート。タイトルが映ると同時にシャドーボクシングで大暴れし、シャウト! 唐突に樹の前で逆立ちしたかと思えば、しこを踏んでいるようなポーズをとり……と、不器用な宮本ののっぴきならぬ心象風景を表したかのような映像で、ラストのアップの表情がまた秀逸だ。
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佐内いわく、これは宮本が陽にあたるシーン。「朝、夕方ではなく昼の陽」だったそうで、コンセプトとしては「撮影も演技もフェイクだってところを少しだけ入れたかった」という。泣きたいのか笑いたいのか、絶妙な表情を浮かべる池松には「バッ! とかダッ! とかニィーって、1分の中で泣いて怒って笑おう!」「1カットで行く! やってみよう!」とディレクション。一度OKを出したカットは確認することなく、その意図を「確認する事じゃないと思ったし、確認すると捕まえたオバケが逃げちゃうから」と説明し、一にも三にも、捉えた「一瞬」を刻むことへのこだわりがうかがえる。ちなみに佐内は、原作漫画をスタイリストの伊賀大介から借りて読んだそうで、「この本は友達から借りたり、友達に又貸しする本。暑苦しい! 何度も読みたくない本」と独特の表現でその魅力を表している。佐内正史コメント全文は以下の通り。
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<OP映像のコンセプト>
陽にあたる。エレファントカシマシの曲も陽にあたってるし。昼の陽です。朝とか夕方ではなかったです。撮影も演技もフェイクだって所を少しだけ入れたかった。瞬間で撮影は終わらせたかった。池松壮亮宮本浩次伊賀大介真利子哲也新井英樹、俺、の男祭りだから。

池松壮亮の演出>
バッ!とかダッ!とかニィーって、1分の中で泣いて怒って笑おう!1カットで行く!やってみよう!OKテイクはプレイバック(確認)しませんでした。確認する事じゃないと思ったし、確認すると捕まえたオバケが逃げちゃうから。

<原作「宮本から君へ」との出会い、魅力>
伊賀大介から借りたもの。この本は友達から借りたり、友達に又貸しする本です。あつ苦しい!何度も読みたくない本です。早く友達に又貸ししたいですけど、冷蔵庫の横に積まれています。熱くて、苦しい。濃度濃。』

●4話予告


エレファントカシマシが6月6日にリリースするニューアルバムのタイトルが「Wake Up」に決定


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※なんか「始まり」という意味のタイトル多いなぁー、エレカシは・・・

MANTANWEB 原作者・新井英樹が実写ドラマ出演「成り行きとはいえ、バカにしてください」
『俳優の池松壮亮さんが主演を務める、6日深夜スタートの連続ドラマ「宮本から君へ」(テレビ東京ほか)に、原作者の新井英樹さんが出演することが6日、明らかになった。池松さん扮(ふん)する主人公・宮本浩の父親役で、第5話に登場する新井さんは「出たがりマンガ家のそしりをすべて受け入れようと(笑い)。成り行きとはいえ、バカにしてくださいと(笑い) 。全力は尽くしました、恥ずかしながら、以上です」と自嘲ぎみなコメントを寄せている。
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  新井さんが演じる宮本の父・武夫は、小学校の校長で、成長するにしたがって自分から離れていく息子に、毎年3月になると卒業していく児童たちの姿を重ねて寂しさを味わっている……という役どころ。池松さんとの親子の掛け合いにも注目が集まる。/新井さんのドラマ出演は、今回メガホンをとった真利子哲也監督の要望で、「真利子君、この実写化を考えた時からずいぶん長い期間“悩んでる”“どうなるかわからない”と聞かされていて、やれることは全部協力するって言った手前、出演の話がきた時に『何の冗談だ? 何の罰ゲームだ?』と思ったんだけど、せっかくできる初体験でもあるから、まぁなんの冗談かで、要請があったのでじゃあやろうってことになりました」とコメントしている。』
※こりゃあ再来週が楽しみだ♪

●2012年 日本生命CM 上品な宮本、という感じ。


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※このシーン、アムロとフラウボゥとマチルダさんのシーンみたいやっ!



☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日4月26日(木)の、「元気が出る言葉」は~?

『時というものは、それぞれの人間によって、それぞれの速さで走るものなのだよ。』
出展:「お気に召すまま」(岩波書店
発言者:ウィリアムス・シェイクスピア (イギリスの劇作家 1564年4月26日~1616年5月3日)
『解説:まるでアインシュタインの「相対性理論」だ。そう、時間はみな等しく移ろっていくが、人がかかわってくると、それぞれの速さで動いていくものだ。風のように全力疾走していく時間、日差しのようにのんびりと動いていく時間、それぞれにある自分の時間を大切にしよう。そして、自分の光を探してみよう。私の光は、今どこにあるのだろう、と。』

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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・


期待はあらゆる苦悩のもと

神は、我々を人間にするために、何らかの欠点を与える

金の貸し借りをしてはならない。金を貸せば金も友も失う。金を借りれば倹約が馬鹿らしくなる

誠の恋をするものは、みな一目で恋をする

臆病者は本当に死ぬまでに幾度も死ぬが、 勇者は一度しか死を経験しない

不幸を治す薬は希望より外にない

男というものはいつでもそうだが、我が家から離れている時が一番陽気なものだ

物事によいも悪いもない。考え方によって良くも悪くもなる

ほぼ日の学校 シェイクスピア講座2018
『「ほぼ日の学校」が最初にとりあげるテーマは「シェイクスピア」です。ウィリアム・シェイクスピアはいまから400年以上も昔にロンドンを中心に活躍した劇作家。「生きるべきか、死ぬべきか」のセリフで知られる「ハムレット」や何度も映画化された「ロミオとジュリエット」、蜷川幸雄さんの演出でも知られる「マクベス」など、その作品になんらかの形で触れた方も多いのではないかと思います。しかし、その大元の戯曲をしっかり読み込んだことのある人はそれほど多くないのかも‥‥。
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小劇場からハリウッド映画にいたるまで、いまなお世界中でくり返し表現され続けるシェイクスピアという「古典」。その魅力の真髄はいったいどこにあるのでしょう?あるいは、現代の経営学にも役立つといわれているシェイクスピアの人間観察力とは?国境や時代を軽々と飛び越えて受け入れられる、シェイクスピア作品の物語の骨格にはどのようなキーワードが潜んでいるのでしょう?
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「ほぼ日の学校」の学校長を務める河野通和は、日本を代表する10人のシェイクスピアリアン(シェイクスピアに魅了された人をそう呼ぶそうです)を講師として招きました。のちほどあらためてご紹介いたしますが、「講師」という枠組に収まらない、じつに多彩で魅力的な方々が集まってくださいました。おそらく、こんな「学校」は二度とないでしょう。「シェイクスピア」に限らず、「ほぼ日の学校」の授業というのはすべて、テーマに合わせてそのときどきに最高の人たちに集まってもらう、「一期一会」の場になるのではないかと思います。ですから、どうぞ、どの機会もお見逃しなく。』

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☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“墨を磨って一方に偏ると、なかなか平らにならぬものだ(『愚見数則』より)”

【1909年4月26日の漱石】アジアを軽侮する新聞の報道姿勢に反感を覚える

今から107年前の今日、すなわち明治42年(1909)4月26日、漱石は幾分かほっとした朝を迎えていた。体調を崩し寝込んでいた妻・鏡子の様子が、だいぶ軽快になってきているように見えた。母親につられるように具合を悪くし横になっていた娘も、起きられるようになった。/新聞に目を通すと、韓国の観光団100余名が来日したことが報じられていた。その記事を見て、漱石はちょっと違和感を覚えた。ジャーナリズムとして本来、公平であるべき新聞が、事実として淡々とこれを報じるのでなく、あえて疎んじるような調子の書き方をしていた。自分たち日本人が、外国を訪問して現地の新聞でそのように扱われたら、いい気持ちはしないだろう。そう思った。

漱石は、公平な目を持っている人だった。急激な欧化政策に走る政府の動きに引きずられ、多くの日本人が深く考えもせず、自分たちがアジア諸国の一員であるのを忘れたかのように、西洋にばかり追随しようとする時流の中で、漱石は冷静な姿勢を保っていた。自分がされて嫌なことを他者にするのはおかしいし、西洋人だという理由だけで相手を偉いもののように思う必要もない。ロンドン留学中から、漱石のこうした考え方は首尾一貫しており、留学中の日記にも次のような内容のことを書いていた。「中国人と間違われたからといって、ひどく怒っている日本人を見かけるが、どうしたものかと思う。日本は歴史的にも、多くの文物を中国から受け入れ、学びとり、発展してきた。それを忘れてしまったのだろうか。西洋人は日本人の前では、ややともすると、お世辞で”日本人は好きだが中国の人はあまり好きでない”などという。これを聞いて嬉しがっているのは、昔お世話になった隣人の悪口を面白がり、自分たちへのお世辞に気づかない軽薄な根性ではないのか」と。

漱石は、『戦後文界の趨勢』と題する談話でも、《同じ事を言うても西洋人の言った事であれば肯(うな)づかれる、同じ事を書いても洋語で書いたものは立派なものとされる、大勢は実にかくの如きものである》と嘆いている。発言や論旨の中身こそが大切なはずなのに、そんなことでいいのかと、素朴な疑問を投げかけるのである。/漱石先生の平らかな目線は、さらに個々人の肩書や貧窮といったものも飛び越える。門弟の森田草平には、こんな手紙も書き送っている。《他人は決して己以上遥かに卓絶したものではない。また決して己以下に遥かに劣ったものではない。特別の理由がない人には僕はこの心で対している。それで一向差支(さしつか)えはあるまいと思う》(明治39年2月13日付)

新聞をとじて立ち上がり、縁に出て庭に目をやると、芭蕉が三尺余りの高さにまで伸びていた。ところどころに鬼灯(ほおずき)が芽を出し、生垣の木も赤く芽を吹いている。植木職人に頼んで、庭を綺麗にしてもらおうか。妻や娘の体調への心配もなくなり、ふとそんなことを思う42歳の漱石先生であった。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「新聞」「反感」で動画検索してみました!!)

●香港メディアの報道 「偏っている」と市民が不満(2014.10.14)


●【2ch】中国メディア「なぜ日本人は中国に反感を持つのか、日本は中国を侵略したが中国が日本に領土を要求した事は一度もない!」


ジョニーAのつぶやき:新聞の偏向は今に始まったことではない。むしろ、意見を述べることは偏見を曝け出すことに等しい、とそれを容認する評論家もいるのだ。読者側が、漱石的公正な思考で、記事に接することが必要になってくるだろう。