漫画タイトル 「ジムウェア」/青山浩と西原理恵子の太腕繁盛記ナド

毎日新聞 りえさん手帖
毎日新聞 2018年7月8日 東京朝刊』

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※3コマ目のスレンダー美女は愛ちゃんが描いてるな、100%・・・

☆「おかん飯」でも、ジム通いの話、してるーーー♬ 連動企画じゃっ!
週刊サラダぼうる おかん飯 今回の料理 ステーキ&クレソンのサラダ
『/枝元:前回に引き続き、西原さんのダイエット応援企画です。手に入れたクレソンがあまりにもおいしそうだから牛肉を買ってきました。/西原:ありがとう、クレソン。きれいですね。そしてこの赤身肉、ペッカペカでたまりません。/枝元:以前、富士山の冷たい地下水が湧くところに生えているクレソンを買ったことがあります。葉が細かくて青々としていたんですよ。今回もそれに似て素晴らしいクレソン!夏になるとちょっと茂っちゃうんですが、これは若人な感じですね。/西原:ピチピチですね。/枝元:葉っぱのところを使って、残った茎はぜひ、おみそ汁にどうぞ。/西原:エダモンさんのおみそ汁おいしいんですよね。というか、どの料理もおいしくて永遠に食べられる。食欲が増進する料理はもうやめてほしいんですけど(笑い)。/枝元:今日はたんぱく質の多い赤身肉ですよー!!/西原:「食べても食べても太らない」とちまたで評判のですね。/枝元:そんなのあるわけないよ!/西原:ですね。食ったら太る!
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枝元:クレソンだけでもいいんですけど、薄切りにしたレンコンと一緒に食べるとおいしい。このサラダは、自分の中の名作の一つです。/西原:私、この取り合わせは知りませんでした。レンコンをサラダで食べるという認識はなかった。/枝元:さっとゆでて火を通すんです。ドレッシングを作ったら熱いうちに加え、最後に水にさらしてシャキッとさせたクレソンとタマネギを混ぜます。お肉は低温で片面1分半ほど焼きます。塩とコショウを振って裏返し、すり下ろしたニンニクとしょうゆを少し絡めます。粗熱を取ってから切って、サラダに混ぜてください。/西原:お肉はお肉で食べるのが飽きちゃっているから、こうした食べ方はいいですね。陰の主役のレンコンがシャッキシャキですっごくおいしい。そしてお肉にクレソンと新タマネギ。この取り合わせは魔物です。これなら白米はいらないですね。私はいつもすぐアレンジしてアボカド入れちゃったりするけれど、これは絶対にレシピ通りに作ってください。全員の頑張り具合がすごくて、オリンピックで総合優勝するようなチームワークです。/枝元:よーし、私もスクワットするぞー。【構成・矢澤秀範、写真・小川昌宏】』

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※プロレス者には解りすぎるぐらい解る譬えでありんす。西原さんグッジョブ!

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↑おやつを食べてくつろぐ文田さん。(西原さんのツイッターより)


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※本家ブログの「太腕繁盛記」も更新してよ~~~~ぅ。

やまもといちろう オフィシャルブログ 『猫組長と西原理恵子のネコノミクス宣言』はガチ本です
Twitterで人気を博し、そのまま週刊SPA!の連載までやっている猫組長… いろいろ界隈では言われる人ですが、何分この人は「本物」なので、ある意味で頭のいい暴力団関係者が足抜けをするときのひとつのモデルケースとして見ておくと面白いんじゃないかと思うんですよ。
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で、本書で書かれているエピソードの何件かは、カタギど真ん中で仕事をしている私にとっても大事な(気の毒な)事案で良く知っているものなのですが、猫組長は本書で過不足なく、特定方面に問題のなさそうな範囲できちんと配慮して原稿にしています。知っている事項においてまったく嘘はないという意味で、私は猫組長の書いたこの本は信頼できると判断してお薦めすることにしました。/なお、猫組長と私は共通の知り合いこそ多いようですが、面識はありません。たぶん、今後も会うことはないでしょう。でも、サイバー空間というのは面白いもので、本来なら絶対に同席してはならないような人間同士がTwitter上では楽しく絡んだり情報交換したりできてしまうという良さもまたあります。/不動産取引のような王道だけでなく、パナマ文書や仮想通貨、コンテンツ投資など、ある程度お金をもって界隈をうろうろしていると、どうしてもややこしい案件に出くわすことがあります。私たちのようなヤクザではない人間からすると(まあ確かにファンドやったり金を持っていると声を掛けられやすいという事情はあるとはいえ)、なんでそんな面倒くさいことが起きるんだろう、どうしてそこで揉めるのだろうと思うことがあるのです。
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  高い山を登るのに、ある方角から登っている私たちのルートと、猫組長のような「本物」が登っているルートとでは、同じ山なのに見える景色が違い、またお互いの姿が分からない、ということがあるわけなのですが、本書はそういう「国際金融とは何か」とか「お金が動くカラクリとはどの辺にあるのか」をこっそり教えてくれる内容でもあります。/いま、デジタルハーツHD社の社長に収まってる玉塚元一がコンビニ大手・ローソン社経営者時代に5兆円を無利子で借り入れるというクソみたいなM資金に引っかかった話から、コインチェック社が犯人はヤス状態で顧客の預かり資産をごっそり溶かしたうえに問題のある勢力に資金が流れていく仕組みでなぜ仮想通貨が暴力団にとって大事なのかといったところまでそれなりの具体性をもって説明されているのが印象的です。
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  そして、ドル支配とは何なのか、そのドル支配のルールの下で行われている国際金融の、裏をかいて儲けてきた猫組長の足取り、さらには犯罪収益・マネーロンダリングの仕組みや、仮想通貨のようにドルを介さない取引の貴重さといったところまできちんと網羅されているのはさすがです。/難点があるとすると、まあ、本当にかっこ悪い話は書きづらいのだろうなあとは思います。相手のあることですから、このまま猫組長が20年近く物書きを続けていけば、スパイ小説の大御所のフレデリック・フォーサイスがそうであったように、いずれ自分の足跡を小説にすることもあるかもしれません。私個人としても、学びが多かったし興味の尽きない内容でした。ご関心のある方は是非どうぞ。』

コータリさんからの手紙 第19通目
『【くも膜下出血発症からもう7年 家族が一生懸命にボクのことを考えてくれた】:ボクはこの9月(2018年)で、くも膜下出血を発症してもう7年になる。1年間の入院を経てから在宅介護という、とてつもない世界に入った。在宅介護になったのは、「ここは良い」と思える施設は経済的にも無理だったし、だいたい家族がボクを家に戻したいという気持ちが強かったので、積極的に施設を探すことはしなかったと聞く。それでも療養型の施設をいくつか見てきたようだ。ここでの家族のポイントは「家から気軽に行ける距離」「支払いの金額」「施設のスタッフ」「周辺環境が良い」「リハビリができる」だったそうである。すばらしいリハビリ環境とスタッフの良さを売りにしている都内の施設はべらぼうに高額。「ここは温泉もあるし、ゆっくり過ごせます」。そう言われた施設は、たしかにスタッフの人柄も良さそうだったし値段的にもまあまあ。しかし、家から離れ過ぎている。これでは会いに行けてもせいぜい1ヵ月に1回…という感じのところ。折衷案で挙がった、都内の病院に併設されている療養型施設。療養型というシステムが消え行く中で、貴重なところだと紹介された。きれいで、リハビリの部屋も今までで一番充実していたそうだ。ここで妻が一番に発した言葉が「静かなんですね」だったと息子。当たり前の話だが、寝たきりの高齢者がほとんどで、さらには個室なので話し声もあまり聞こえない。食堂のコーヒーマシーン横でスタッフと利用者さんが話している様子も見れたので嫌な感じはしなかったけれど、静か過ぎて「違うな」と感じたそうだ。(中略)
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【回復を信じてくれたダンディーなケアマネさん ボク「まだまだよくなりたい」】:さて、家に戻って来ることが決まったボクは、まずケアマネさんを選ばなくてはいけない。これは話したことがあるようだが、家へ戻るにあたり、施設と在宅で一番違うところはリハビリ環境の違いだったそうだ。家にリハビリマシーンを置くこともさすがにできない。くも膜下出血発症から1年経って、医師や周りの人間からは「もうあまり良くならない」。そう言われていたらしいが、家族だけは違った。「もう少しやったら良くなる」。そう信じていたようだ。だからこそ、一緒にリハビリのことを考えてくれるケアマネさんを探す、というのが我が家の出発だ。友人の家では、ショートステイを希望していた一人暮らしのおじいさんのために、いろいろと積極的に施設を探してくれる人をケアマネに選んだと聞いた。「このケアマネさんがこれに強い」という一覧はないから、経歴やうわさでどんな人かを嗅ぎ分けて探したらしい。で、我が家の場合、前職がリハビリ関係で、今は訪問マッサージの会社も経営しているダンディーなケアマネさんにお願いした。これはかなり正解だった。まだ入院中だったボクのリハビリの様子も見に来てくれた。これから退院して、どのようにリハビリを組み立てていくかという点でさまざまな提案をしてくれた。住宅改修もどう身体に合わせていくか、わかりやすく説明してくれた。訪問マッサージも通いのリハビリも、彼のおかげでかなり充実していたし、月に一回の訪問時、ボクの麻痺した足を触ってみて「ちょっとクッションが合わないかもしれないなあ」。そんなこともすぐわかってくれた。我が家が在宅介護を始めて、「まだまだ良くなりたい」という希望をすくい上げてくれるケアマネさんだったのだ。ボクは彼が大好きであった。
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【スタッフを代えるのは大変なこと でも、そのおかげで原稿が書けている】:それから6年が経ち、残念ながら、今はその大好きなケアマネさんとは違うケアマネさんだ。そんなに気に入っていたケアマネさんを、なぜ代えるまでに至ったのか?彼は敏腕で、経営にも長けていたから忙し過ぎたようだ。そこで、「いつでもボクも相談に乗りますから」と自分の会社の別のケアマネさんに交代したのだ。優しい女性だった。けれど、いつの間にか司令塔を失った「チーム神足」のリハビリ部門にほころびを感じ始めてしまった。「なんとなく違う」が、入院をきっかけに「これはかなり大変だ!」に変わってしまった。身体の拘縮が顕著になってしまったのだ。これには「リハビリ体制を見直さなければ」と家族も我に返ったそうだ。今までのケアマネ会社の関係で組み立てられていたリハビリのプログラムを、一切見直すという思い切ったことをやろうとしていた。うまく付き合ってきたと思っていたスタッフを代えるというのはエネルギーもかなりいる。それに、新しいケアマネさんが今以上という保証もない。けれどもここで家族は、「リハビリ体制」の変更を思い切って進めたそうだ。どれだけ我が家族が「リハビリ」に重点を置いているか、おわかりいただけたのではないだろうか。そんなボクは、お陰で外出もできるようになったし、こうして原稿も書けるようになった。今のケアマネさんは行動が早くて、何より妻の話をよく聞いてくれ、いろいろと気がついてくれる人だと聞いている。妻と一緒に考えてくれるのが一番なのかもしれないなあと思ってる。』

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By - grape編集部 被災者「助けてください!」 救助を高須院長が断った理由に称賛の声
『西日本を中心に降り続けた記録的な豪雨『平成30年7月豪雨』により、家屋浸水や土砂崩れなど、各地でじん大な被害が相次いで発生。救助を求める声がTwitter上にも多く投稿されました。そんな中、災害時に多額の寄付をしたり、ヘリで救援物資を届けたりしている高須克弥院長にSOSが届きます。「人助けに積極的な高須院長なら助けてくれる」「拡散してくれる」と投稿者さんは考えたのかもしれません。しかし、高須院長から返ってきた返事はこのようなものでした。
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支援活動を積極的に行うとはいえ、高須院長は一般人。現段階では、専門知識を持つ自衛隊などの邪魔になってしまうため、「ヘリコプターは出せない」と断ったのです。被災地の倉敷市では、個人からの支援物資が救助活動などを行う自衛隊の通行の妨げになるという問題が発生ました。「助けたい」という気持ちが逆に邪魔をしてしまったのです。助けたい気持ちも強くあったでしょうが、現状を踏まえ高須院長は活動を自粛。高須院長の決断に、称賛のコメントが寄せられました。・状況を冷静に判断して決断する。さすが一流の人がいう言葉は重みがある。・勇気ある判断だと思います。救助を断ることは胸が痛むでしょうが、二次被害を回避するため訓練を受けた自衛隊に任せるのが一番です。・高須院長の英断を支持します。プロの仕事を邪魔してはいけない。被災後、すぐに一般人ができることはあまりないのかもしれません。しかし、義援金の寄付などを行うことはできます。助けたい気持ちをグッとこらえて、1番力を発揮できる状況を見極める高須院長を見習いたいものですね。』
※スクープ欲しさに、各TV局のヘリが大挙して震災現場に押しかけ、被災者の
迷惑になった事象が思い出されます。高須院長は、俯瞰で物事が判断できる人だ
なーと感じます、はい。

高須院長!オリックスの伊藤クンが、DeNAにトレードされちゃいました!「打てるキャッチャー」を嫌うバッテリーコーチの進言によるものでしょう。オリックスのスポンサー引き揚げて、DeNAに切り替えてくださーーい。





☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日7月10日(火)の、「元気が出る言葉」は~?

『人は苦悩することによってのみ、苦悩を忘れることができる。/発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい目で見ることなのだ。』
出展:いずれも「失われた時を求めて」(岩波書店
発言者:マルセル・プルースト (フランスの作家 1871年7月10日~1922年11月18日)
『解説:人がこの世で自分の納得できる1つの仕事ができたら、それは幸せな人生なのかもしれない。プルーストは「失われた時を求めて」に30歳から死の直前まで約15年を費やした。この2つの言葉とも、ポイントは視点の移動だ。1つの苦悩はもう一つの苦悩によって忘れ去ることができる。そして、新しい発見とは外にあるのではなく、内にあるということだ。』

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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

Amazon.co.jp 失われた時を求めて(1)――スワン家のほうへI (岩波文庫) プルースト (著), 吉川一義(翻訳)
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『■内容(「BOOK」データベースより):ひとかけらのマドレーヌを口にしたとたん全身につたわる歓びの戦慄―記憶の水中花が開き浮かびあがる、サンザシの香り、鐘の音、コンブレーでの幼い日々。重層する世界の奥へいざなう、精確清新な訳文。プルーストが目にした当時の図版を多数収録。/■登録情報:/文庫 528ページ /出版社 岩波書店 /言語 日本語 /ISBN-10: 4003751094 ISBN-13: 978-4003751091 /発売日 2010/11/17 /梱包サイズ 15 x 10.6 x 2.4 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.4 /■カスタマーレビュー:ひつじ日和 5つ星のうち3.0 「まだ1巻が終わったばかり」2018年3月1日・・・ついに手をつけてしまいました。オリンピックも重なって、読むのに2週間強かかってしまいました。この手の長編はとっつきがかなり大変ですよね。そこを乗り切ると面白くなるのが定番ですが、この本はどうでしょうか。1巻は非常にとっつき難いです。寝る前に読むとすぐに眠ってしまいます。フランスの文学、絵画に詳しい人は面白いかも知れません。真価はこれからです。プルースト漱石はほぼ同じ年代を過ごしています。』

●紹介】失われた時を求めて フランスコミック版 スワン家のほうへ


ゼクシィ キッチン マドレーヌの香りから生まれた「プルースト効果」って?
『「私は無意識に、紅茶に浸してやわらかくなった一切れのマドレーヌごと、ひと匙のお茶をすくって口に持っていった」: 紅茶に浸したマドレーヌの香りによって、幼い頃の記憶が突然呼び起こされた――。20世紀を代表する名作小説『失われた時を求めて』は、マドレーヌから始まる長い長い物語です。作者のマルセル・プルーストはパリ郊外生まれのフランス人。青春時代を社交界の華やかなサロンで過ごした彼が、フランスの伝統菓子ともいうべきマドレーヌを物語の入り口に選んだのは、たまたまの偶然だったのでしょうか?
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【嗅覚はずば抜けて記憶力がいい】・・・この小説のマドレーヌの一節があまりに有名になったことにちなんで、嗅覚や味覚から過去の記憶が鮮明に蘇る心理現象は「プルースト効果」と呼ばれるようになりました。香水の匂いでふっと懐かしい人を思い出したり、花の匂いで過去の記憶が呼び覚まされたりした経験は誰しも持っていることでしょう。実は、嗅覚は五感のなかでも突出して感度が高く、鋭く、記憶力がいい感覚だといわれています。もっと簡単にいうと、嗅覚は感情に強く訴える感覚だということ。これは鼻の粘膜の受容体からのシグナルが、脳にダイレクトに届くため。味覚や嗅覚などいくつもの段階を経て脳に情報が送られる他の感覚に比べると、ノイズが入りにくいことが要因のひとつです。「失われた時を求めて」の主人公も、マドレーヌの味そのものよりもその芳醇な香りによって古い記憶が蘇ります。言い換えれば幼い日の記憶にはっきり残るほどに、彼のなかではマドレーヌの豊かなバターの香りが印象的だったということでしょう。
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【本場のマドレーヌはホタテ貝の形】・・・ちなみに、マドレーヌはキリスト教の巡礼のシンボルであり、中世の通行証でもあったホタテ貝の形に焼き上げるのが本場の伝統です。ぴったり合わさっていた貝がそっと開くように、ふとしたきっかけで物語が始まることのメタファーとしても、やはりマドレーヌ以上にふさわしい焼き菓子はないとプルーストも考えたのかもしれません。ミルフィーユでもシュークリームでもフィナンシェでもなく、この長大な小説のはじまりを飾るのはやはりマドレーヌが最もふさわしいお菓子なのです。』


安定は愛を殺し、不安は愛をかきたてる。
幸福は身体にとってはためになる。しかし、精神の力を発達させるものは悲しみだ。
愛が永遠でないという理由は、多分、記憶がいつも真実であると限らず、人生は細胞の絶えざる更新によって出来ているからであろう。
時は過ぎゆく。そして少しずつ、我々が口にしてきた嘘は、真実になる。
戦争を続けようとする者にもまた、戦争を始めた者と同様の罪があるのです。あるいはそれ以上の罪があるかもしれません、何故なら、真っ先に始めた方は恐らく戦争の惨禍をことごとく予想していたわけではありませんからね。
愛するということは不運である。お伽話の中の人々のように、魔法が解けるまでそれに対してどうすることもできないのだ。

☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“文学は、人生そのものの大反射だ(『三四郎』より)”

【1914年7月10日、47歳の漱石】自宅に無名の新人・志賀直哉の訪問を受ける。

今から102 年前の今日、すなわち大正3年(1914)7月10日、47歳の漱石は自宅書斎で志賀直哉と対座していた。このとき直哉、31歳。同人誌『白樺』の仲間である里見トンとともに、島根県の松江で暮らしていた。その松江からはるばる上京し、漱石山房を訪れたのである。「まことに申し訳ありません」/直哉が真っ正直に頭をたれるのを、16歳年長の漱石も正面から受け止め、「そういうことなら致し方ありませんが、まだ少し時間もあることだし、もう一遍よく考えてみたらどうでしょう」と応じる。

のちには「小説の神様」とも称される志賀直哉だが、このときは前年に第1創作集『留女(るめ)』を刊行したばかり。まだ新進の、ほとんど無名に近い存在だった。漱石はその直哉の才能を逸早く見抜き、朝日新聞の連載小説の書き手に抜擢しようとした。自身が執筆連載中の『心』の後に掲載していく予定で、社の方とも調整をつけていた。文筆家として立っていこうと志す身には、願ってもないご指名。大きなチャンスである。直哉はいったんはありがたく引き受けた。ところが、いざ原稿用紙に向かうとどうしても思うように筆が運べない。1日、また1日と、もがきながらも筆が進まぬ日々が積み重なっていく。このままでは、新聞紙面に穴があいてしまう。それでは、折角の漱石の好意を踏みにじることになる。

思い余った直哉は、とうとうこの日、漱石を訪ねた。漱石は直哉の言葉に理解を示しつつ、残念という気持ちも強く、再考を促したのであった。結局、直哉の意志は翻ることはなかった。いや、したくてもできなかった。直哉は後年、このことを振り返り次のように書いている。

《夏目さんには敬意を持っていたし、自分の仕事を認めて呉れた事ではあり、なるべく、豆腐のぶつ切れにならぬよう書くつもりでも、それまでが白樺の同人雑誌で何の拘束もなしに書いて来た癖で一回毎に多少の山とか謎とかを持たせるような書き方は中々出来なかった。(略)私は段々不安になって来た。若し断るなら切羽詰らぬ内と考え、到頭、その為め上京して、牛込の夏目さんを訪ね、お断りした》(『続創作余談』)/新聞小説は、限られた分量の原稿を毎日掲載しながら、全体のストーリーを展開していく。そんな拘束の中で、なおかつ、毎回、読者を惹き付けるような仕込みをしなければいけない。同人誌で制限もなく、好きなように書き下ろしで小説を書いてきた直哉には、そうした書き方が、どうしてもできなかったというのである。

ふと漫画家・手塚治虫のエピソードを想起する。手塚治虫は、関西の「赤本」と呼ばれる余り質のよろしくない漫画単行本の世界から漫画家生活をスタートさせた。書き下ろしの単行本なので、ストーリーの展開とか分量にこれといった制限がなく、自由にのびのびと描いていた。ところが、その後、東京の大手の漫画雑誌の連載を始めると、今までと勝手が違った。毎回の決められたページ数の中で、ヤマ場をつくりながら話を進めていくことに苦心したのだという。逆にいえば、赤本からスタートしたことが、手塚治虫の若い才能をのびのびと延ばすのにひと役買ったとも見られるのである。

話を、漱石志賀直哉のことに戻す。直哉はこの折の漱石への不義理を深く心に留め、「何かいいものが書けたら真っ先に朝日に」という考えを持ち続けた。そのことが足かせとなって、その後の数年間、直哉は筆が滞り作品を発表できなかった。そして、思いが果たせぬうちに、大正5年(1916)の末、とうとう漱石は冥界へ去ってしまった。直哉が短篇小説『佐々木の場合』を書き上げたのは、漱石没後まもない大正6年(1917)春。雑誌発表の際には、その冒頭に「亡き夏目先生に捧ぐ」という献辞を付した。ここから直哉は、堰を切ったように作品を発表していく。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「志賀直哉」「夏目漱石」で動画検索してみました!!)

●【日本の文豪】 志賀直哉小僧の神様』 朗読会 (12分11秒)


志賀直哉(6分22秒)


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ジョニーAのつぶやき:「暗夜行路」、やはり読んでおくべきだろうか・・・。明治・大正文学をワチクシは生きている間にどれほど読破できるのだろう・・・。ふと、人生の短さを感じる夜だった・・・。