『未来のミライ』これまでの細田作品ほどは好きくないの。

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eiga.com 作品情報 『未来のミライ』
■解説:「バケモノの子」「おおかみこどもの雨と雪」の細田守監督が手がけるオリジナルの長編劇場用アニメーション。甘えん坊の4歳の男児くんちゃんと、未来からやってきた成長した妹ミライの2人が繰り広げる不思議な冒険を通して、さまざまな家族の愛のかたちを描く。とある都会の片隅。小さな庭に小さな木の生えた、小さな家に暮らす4歳のくんちゃんは、生まれたばかりの妹に両親の愛情を奪われ、戸惑いの日々を過ごしていた。そんな彼の前にある時、学生の姿をした少女が現れる。彼女は、未来からやってきた妹ミライだった。ミライに導かれ、時を越えた冒険に出たくんちゃんは、かつて王子だったという謎の男や幼い頃の母、青年時代の曽祖父など、不思議な出会いを果たしていく。これがアニメ声優初挑戦の上白石萌歌がくんちゃん、細田作品は3度目となる黒木華がミライの声を担当。両親役に星野源麻生久美子、祖父母役に宮崎美子役所広司
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■スタッフ:/監督 細田守 原作 細田守 /脚本 細田守 /ゼネラルプロデューサー 高橋望 /プロデューサー 齋藤優一郎 伊藤卓哉 足立雄一 川村元気 /ラインプロデューサー 池田大悟 /アソシエイトプロデューサー 伊藤整 櫛山慶 町田有也 笠原周造 /作画監督 青山浩行 秦綾子 /美術監督 大森崇 高松洋平 /画面設計 山下高明 /色彩設計 三笠修 /CGディレクター 堀部亮 /衣装 伊賀大介 /プロダクションデザイン 上條安里 谷尻誠 tupera tupera 亀田芳高 小野令夫 /編集 西山茂 /録音 小原吉男 音響効果 柴崎憲治 /音楽 高木正勝 /オープニングテーマ 山下達郎 /主題歌 山下達郎 /音楽プロデューサー 北原京子 /キャスティングディレクター 増田悟司 今西栄介
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■キャスト(声の出演):上白石萌歌(くんちゃん) 黒木華(ミライちゃん) 星野源(おとうさん) 麻生久美子(おかあさん) 吉原光夫(謎の男) 宮崎美子(ばあば) 役所広司(じいじ) 福山雅治(青年)
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■作品データ:/製作年 2018年 /製作国 日本 /配給 東宝 /上映時間 98分 /映倫区分 G
オフィシャルサイト
※子育て経験のある大人だけが共感できるストーリーかなぁ、という印象。
主役(?)のくんちゃんに、いろいろと無理やらせて、それで成長モノに
仕上げるつもりだった?視点がボヤけてたのではないだろうか。トトロを
目指したが、そのレベルには及ばなかったチャレンジ作品、という位置付
けになりそう・・・(自分の中では)。

●「未来のミライ」予告

※一発目のくんちゃんの声(上白石萌歌)に感じた違和感は最後まで
拭いきれず・・・。

NewsWalker 細田守はなぜ親子、故郷の映画を作るのか?作品の真意を赤裸々に語る
『第一線で活躍し続ける映画監督・細田守の創作の軌跡を辿るアニメーション特集「映画監督 細田守の世界」が今年の東京国際映画祭で開催されている。タイトルに「世界」とあるが、細田作品の世界とはどんな世界で、今後どんな広がりを見せるのか…?10月26日にTOHOシネマズ六本木ヒルズで行われた第1回は、『おおかみこどもの雨と雪』(12)の上映後に細田監督が登壇した、映画監督・是枝裕和とのトークショー細田作品が論じられる際によく語られる“家族”というテーマへの言及があった。
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以前対談した際に、是枝監督に「『バケモノの子』(15)の“父親の不在”ということをズバッと聞かれた(笑)」という細田監督。是枝監督は「『バケモノの子』で、血の繋がっていない存在が男の子の成長を助ける。そこが面白い」と指摘したが、細田監督には、思い当たる節があるようだった。「僕の先輩や親たちの世代が考える親子関係は濃厚すぎて、80年代に青春期を生きてきた僕には反発があったのかもしれない。僕は父親とお酒を一緒に飲んだり、語り合ったりする前に亡くなってしまった。父親の存在がその距離感で止まっているんです。居心地が悪い宙ぶらりんの状態、それが作品に出ているのかもしれません」。
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いまやヒット作として定着している『おおかみこどもの雨と雪』だが、企画の出発点は個人的な思いだったと細田監督は言う。「母はずっと入院していたんですが、『サマーウォーズ』(09)の完成前に亡くなってしまって…。自分としては母親という題材を作らざるを得ない、そういう気持ちで『おおかみこどもの雨と雪』がスタートしました。母と過ごした時間を違う形で表現して、映画を通して母に謝りたいというか。だから、“売れる企画”ということから一番遠いところにあったんです」。/父だけでなく、母も含めた“親”の存在は細田作品に影響していたようで「家族を通して“現代”や“日本”を描くのは映画の王道。でも、アニメでやるのはちょっと変わってる。頭がおかしいんじゃないかって自分でも思うんですけど、やらなくては!という思いもあります」と分析した。/『おおかみこどもの雨と雪』は親だけでなく、細田監督が育った故郷の思い出も映画に反映されている。「まさか自分の母だけでなく、故郷も映画で描くなんてアホだな、希薄だなって自分でも思う(笑)。みんなが共感できるところを作るのが監督の仕事ですから、よもや母との体験なんて普通は距離を取ろうとします。『おおかみこども』のロケハンで映画のスタッフを故郷に連れてきたときは、本当にどうかしていると思った(笑)」。そう自嘲しながらも、描くのには漠然とワケがあると細田監督は語る。「親もそうですけど、故郷も自分では選べない。素晴らしいところだとは思わないけど、映画では描いてしまう。自分の故郷が美しいと思って育ったわけではないのに。そこにいたということを映画に描いて、自分にとって意味があるものだと思いたくなっちゃう。結局は“逃れられない”ということなんじゃないでしょうか」。
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細田監督は、個人的な思いを作品にする作家だとよく言われるという。しかし、単純に盛り込んでいるわけではなく、そこにははっきりとした線引きがあるという。「“資格”が大事なんです。映画を見せるお客さんに対しての敬意というか、お見せする態度として僕がそれを語る資格があるかどうか。『おおかみこども』を作る時、僕にはまだ子どもがいなかったんですが、子どもが欲しくてもできなくてずっと不妊治療をしていた奥さんを見ていたので、それでも作る資格があるんだ、と自分に言い聞かせながら作っていた。それがないと、勇気を持って映画を作れないと思います」。』
※ロケ地を語る細田監督の動画↓

細田守監督&上白石萌歌の オドロキ!? とやま体験


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※そうめん好き同士の“そうめんソウル”?

映画.com ニュース 上白石萌歌、細田守監督作「未来のミライ」公開に感無量 星野源は感動エピソードを披露
『「バケモノの子」「おおかみこどもの雨と雪」などで知られる細田守監督による新作アニメーション映画「未来のミライ」が7月20日、全国456スクリーンで公開初日を迎え、細田監督をはじめ声優を務めた上白石萌歌黒木華星野源麻生久美子が東京・TOHOシネマズ日比谷での舞台挨拶に出席した。
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神奈川・横浜の磯子区界隈を舞台に、両親の愛情を妹・ミライちゃんに奪われたと感じているくんちゃん(上白石)が、何らかの理由で未来からやってきたミライちゃん(黒木)と出会い、初めての不思議な大冒険に出るさまを描く。登壇陣は艶やかな浴衣姿で登場。星野は「美女に囲まれて嬉しいです」と鼻の下を伸ばしつつ、「でもなぜか、一番かわいらしいのが監督という」と話し客席を沸かせた。一方の上白石は、客席を見渡し「ここに来るまで、すごくドキドキしていました。皆さんの顔を見るとホッとしたような、ちゃんと届いてくださったかなと思えて嬉しいです」と安堵の表情を浮かべ、「この日のためにキャスト・スタッフの皆さん全員でつくった作品です。監督の絵のタッチから愛を受け取ってもらいたいです」と感無量の胸中を明かす。3年ぶりの新作となった細田監督は、「皆さんに見ていただく夏がやってきました。3年間大変だったことが思い出されます」と製作期間に思いを馳せた。
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さらに黒木も、「アフレコ風景を思い出します」と目を細める。麻生は「お子さんが結構いらっしゃっていて嬉しいです。(客席に目を向け)赤ちゃんを抱っこされて、この映画のなかのお父さんみたい」とほほ笑み、「この前、娘が試写会に来てくれました。娘の幼稚園の友だちもいて、私が最近、幼稚園に迎えに行くと『鬼ババだ!』って言うんです(笑)。映画はまだ公開していなかったので、周りはなんでそう呼ばれているのかわからないから、困っています」と愉快げに語っていた。また物語にちなみ「どんなときに家族の愛を感じる?」と問われると、星野は小学校低学年時のエピソードを披露した。「僕はひとりっ子。両親が仕事で家を出ていて、しばらく1人でいました。寂しくはなかったですが、数日続くとさすがに心細くなる。ある日家に帰ったら紙が置いてあって、『押し入れの中を見ろ』と書いてあった。押し入れを探したら、また紙が置いてあって『流しの下の棚を見ろ』。何回も繰り返して、最後は『ピアノの中を見ろ』で、ガチャっと開けたら、お菓子の詰合せが入っていた。当時は理屈抜きに『お菓子だ!』でしたが、今思うと、すごく自分を楽しませてくれた。寂しくならないように考えてくれたんだと思うと、すごく愛を感じました」と温かい思い出を詳述すると、会場を拍手が包み込んだ。続いて麻生は「3年くらい前に仙台で舞台がありました」と切り出し、「新幹線で帰ってくると、改札を出たところに夫と娘が待っていたんです。娘は花を一輪持っていて、私を見つけた瞬間に泣き出して。それが可愛くて可愛くて、無性に感動しました。夫にも感謝しましたし、嬉しかったですね」と瞳に溜まる涙を拭っていた。』

大抜卓人さんのインスタより。
Instagram takutoonuki
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※ミライちゃんの声のオーディションに行ったのにくんちゃんになった
ってかーーー?その決断をした審査員がある意味、未来を変えてしまっ
たんやなぁーーー。

●映画『ミライの未来』が720倍楽しめるスペシャル番組(21分)


建築士が建てた変わった間取り、という設定がいろいろと邪魔してる気も。
唯一、渡辺篤史であれば大喜びで建物探訪したくなる家だろうが・・・。

シネマドリ 住みづらい斜面に建つ 建築家ならではの一軒家
『映画の冒頭、娘夫婦を訪ねて来た祖母は、斜面に沿うように建てられ、高低差を持った住空間を見て「おかしげな家を建てたもんだね」と言う。「住みづらさは住んでいくうちに、愛着へと変わるんです。家に愛着を持つのは、便利さからだけではない。大人になると『この車、よく故障するんだよ』と言いながら、大事にしている人がいますよね。それこそ不便さがもたらす豊かさだと思います。『オレしか乗れないよ』という自慢で、『君たちじゃ乗れないよ』という言葉の裏返しじゃないですか。それは住宅においても同じ。『あなたたちでは住めないけど、自分たちなら使いこなして住めるんだよ』という表れなんです。むしろ不便さというのは、この家をつくる上では重要なキーワードでした」
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ただし、それはお父さんの建築家としてのエゴだけでできた家ではない。「建築家としての思いは込められているんですけど、間違いなくもっともうるさいクライアントと言える奥さんが隣にいるわけです(笑)。この場所でもっとも長く過ごすのがお母さんなので、使い勝手だとか、必ず注文が入るはず。それに子供が小さいときは安全面から、そこまで攻めた住宅をつくることはできない。そういう意味で、この家は生活と作品づくりが均衡を保つような成り立ちから生まれたと思います。僕だともっと攻めた家をつくってしまいがちなので、もう少し優しい生活を意識しました」
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映画の仕事は、初めてだった谷尻さん。細田監督との共同作業は面白かったと振り返る。 「僕も事務所の人間も、脚本を読んで、この家には段差があるという構造は知っているんだけど、それぞれ違う家を想像している。みんなの脳をシャッフルしてこの家をつくっていく、魅力的な作業でした」/それは普段の仕事と通じるところもあった。「僕らの事務所ではできるだけ借脳しようと、お施主さんの考えていることを自分たちプロの思考に混ぜるんです。その人がこれまでに培ってきた記憶や価値観と、自分たちがプロとして提案すべき価値観、そのふたつでどうやったら化学反応を起こせるかを意識しています。プロだからこうした方がいいよということを押し付けるようなスタイルはとっていません」
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それは細田監督のものづくりとも合致することだった。「細田さんひとりで家を設計することも可能だと思うんです。でも、自分の世界観だけではなく、いろんな人間の思考をわざとシャッフルすることによって、通常の概念を超えた作品をつくろうとしているんだと思います。普通にやっていたら、僕らもこの家は設計できなかったと思います」』

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※「シネマドリ」のサイトが、最大限有効活用させられる映画でしたなー♪

●『未来のミライ』×とのコラボで未来からグリーンダカラちゃんとムギちゃんが未来から登場

細田守監督最新作『未来のミライ』と、サントリー食品インターナショナルの「GREEN DA・KA・RA」、「GREEN DA・KA・RA やさしい麦茶がコラボレーションしたTVCM。
本CMではイメージキャラクターを務めるグリーンダカラちゃんとムギちゃんが、時空をこえて大きくなった姿で登場する。

こねたみっくす 『未来のミライ』
細田守監督よ、映像作家に戻れ!初夏の暑苦しさ、日没前の涼しげな淋しさ、これから始まる本格的な夏への期待感。細田守監督作品には欠かせない要素が帰ってきた!それゆえにさりげない日常の大切さがまだ戻ってきていないことに淋しさを感じずにはいられない。(ネタバレの中間部分省略)
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スタジオ地図を立ち上げて以降、細田守監督作品から「さりげない日常や仕草に意味や心情を持たせるという演出」も「初夏だからこそ感じる淋しさや楽しさ」は影を潜めてきた。だがこの作品で後者の「初夏だからこそ感じる淋しさや楽しさ」は戻ってきたからこそ、次こそは前者も復活し、細田守監督らしい細田守監督作品を是非見てみたい。/ちなみに私も長子なので赤ちゃん返りをしていたそうで、そのこともあってか妹夫婦に2人目の子供が生まれてからは、妹夫婦が下の娘に手が掛かっている時は叔父の私が上の姪っ子と遊び、妹夫婦が上の娘の勉強を見ている時は私が下の姪っ子とお勉強をするという臨機応変な子育て応援をしているが、いやはや子育てって本当に大変だなと思うと、改めて両親には感謝感謝であります。』
※もっと単純に、「くんちゃんが未来のミライちゃんと一緒に、ひい爺ちゃんとひい婆ちゃんの仲をとりもつために過去へ・・・」みたいな話で良かったよなぁー。(あ、それだとただの「バック・トゥ・ザ・フューチャー」か・・・)

●「映画監督 細田守の世界」ショートPV|第29回東京国際映画祭 アニメーション特集

・第29回東京国際映画祭 「映画監督 細田守の世界」特別映像です。

NewsWalker 『未来のミライ』麻生久美子インタビュー「細田さんに変化が起きれば、これからも映画に反映されていくんだろうな」
『―出演が実際に決まった時の思いと、台本を読まれた時の感想を教えてください。/麻生:率直に言わせていただきますと、私、こんなに出番があると思っていなかったんです(笑)。だから最初に拝見したとき驚いてしまいました。しかも、台本を読ませていただいたら「あ、わかるわかる!」の連続で、とても共感したというのがまずあって。男女は逆ですが、うちと家族構成がほぼ同じなんですよね。イヌもいますし。そういった部分でも共感ができて、すごくすてきなお話だなと思いました。子供のいる慌ただしい日常をベースに描いていると思うのですが、4歳の男の子の視点なので、いろんなことが起きていても時間はゆっくり流れているように見えるんです。大人になるとあっという間に1日が終わっていくし、ちょっとしたことはすぐ流していきますよね。でも子供って、つまずいて転んでは起き上がるというのを日々繰り返していると思っていて。そのちょっとしたつまずきの連続を描いているような作品だなと感じました。育児描写をここまで丁寧に作っているアニメ映画はなかなかないとも思いましたので、そういう意味でもすごく楽しみだったんです。
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細田守監督作品への出演は本作で3度目ですが、今回は演技について、細田監督とお話はされましたか?/麻生:詳しいお話はしてないですが、私がどんな子育てをしているとかわかってらっしゃる部分があって。普段どおりのおかあさんな麻生さんで、とおっしゃっていました。共感できる部分も多いので、そのまま演じさせていただいた部分があったのですが、それでも台詞の内容に引っ張られて少し怖くなってしまったところがあったんです。その時は、細田さんが「もうちょっと淡々と言ってみましょうか。僕が言われた時はですねぇ…」と実体験を交えてアドバイスしてくださって(笑)。でもたしかに、感情を出しすぎるより淡々と言われるほうが響く時もありますよね。私自身も、いくら旦那さんだからといってもダイレクトすぎるよりは、少しオブラートに包む的な物言いをすることも結構あるので、「あ、そうか、そっちのほうか」と思い直して、演じさせていただきました。―肝心なことはあえて感情的に言わないとか?/麻生:言わないことってありますね~。本音を笑いながら言ってみたりとか(笑)。―ご自身が演じられて、いちばん印象に残っているシーンをお聞かせください。/麻生:いくつかあるんですが、おとうさんにダメ出しをするシーンは何度かやらせていただいたので印象的ですね。あと、ひいばあば、つまりはおかあさんのおかあさんとの会話も。あそこの台詞の声のトーンは特に難しくて。それから最後のシーンで星野源さんが演じるおとうさんとの会話が、おかあさんというよりはひとりの女性の目線になっていていいなと。奥さんと旦那さん、子供を抜いた夫婦の会話というのを監督が意識されていたので、そのやりとりがすごくおもしろかったですね。―くんちゃんのおかあさんとは、具体的にどういった部分で共感できましたか?/麻生:もうほとんどの部分で共感できましたよ。実体験済みなことが多いんですよね(笑)。くんちゃんのヤキモチはものすごくわかりますし、ズボンを履かないのもあるある、と。くんちゃんが自転車に乗るシーンが好きなんですけど、すぐにできないから諦めたり、周りの子供たちにいろいろ言われて百面相したりするのもリアルですし。あとおかあさんが旦那さんに言うちょっとしたダメ出しみたいな言葉も、実際にそんなことを言った覚えもあります。共感できることばかりでした。―くんちゃんのおかあさんが感じた悩みは、麻生さんも感じたものが多かったですか?/麻生:そうだと思います。私もそうですが、おかあさんは仕事をしていますよね。子育てにベストを尽くしたいという台詞もありますけど、それは私も常に思っていることで。仕事を言い訳に手を抜くことはしたくないし、子供のためにできる限りのことをやってあげたいという思いをずっと持っているので、そのなかで悩むことは多いと思うんです。―麻生さんから見た劇中の夫婦の関係はいかがですか?/麻生:元々仲がいいんだな~というのは感じとれるんですけど、子供ができたことによって多分お互いに変わっていっているんですよね。それをまたいい意味で認め合っているというか、信頼関係がしっかりとしている夫婦に見えました。子供中心になりすぎると夫婦関係がギクシャクしてしまう場合もありますよね。でもこの夫婦はそうじゃなく、子供ができてからは子供でより深くつながっている感じがしています。―本作の夫婦は理想形のようなものですか?/麻生:というか心地よいですね(笑)。私からするとすごくしっくりくる形なんです。いろんな(夫婦の)形がありますけど、やっぱり女性がしっかりしている、奥さんがしっかりしているおうちとか。ちょっと強い…というとあれですけど、そういう家庭のほうがうまくいってることが多い気がするんです。そのほうが幸せじゃないかなと元々思っていて。なので私もそうでありたいですね。実際のところは秘密にしておきます(笑)。(中略)
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細田監督は作品を作るごとに、徐々に物語における家族に対する密度が高まっていると思います。ここ3作に出演されて、細田監督の変化を感じられたことはありますか?/麻生:そうですね。全部が全部ではないですが、本当に細田さんの周りで起きたことを映画にしているんじゃないかなと思っていて。『サマーウォーズ』(2009)も奥さんの実家が大家族で、というような話を聞いていましたし。だから細田さんに変化が起きれば、これからも映画に反映されていくんだろうなと私は思っています(笑)。―『時をかける少女』(2006)と『サマーウォーズ』がお好きとのことですが、具体的にどういうところがお好きなんですか?/麻生:言葉にするのがすごく難しいんですよ。私、細田さんの作品を観ていると、気付いたら泣いているんです。『時をかける少女』だったら最後、真琴が走っているシーン。走っているだけですっごく泣けるんですよ。何度観てもあのシーンで号泣なんです(笑)。思い出すだけで泣けるくらい、何か胸に迫るものがあるというか。でもそれをうまく言葉にできないんですよ。どうして泣けるのか、自分で考えてもよくわからないというか。私だけじゃなく、隣を見ると夫も泣いていますけど(笑)。そういう何か、心に訴える力があるんでしょうね。【取材・文:リワークス/撮影:島本絵梨佳】』
※はい、近いうち細田作品の見返しすること、決定~~~~~っ!!




☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日7月22日(日)の、「元気が出る言葉」は~?

『ろくな晩じゃねぇや。寝ちまえ、寝ちまえ。寝て起きりゃ 別の日だ。』
出展:「百日紅」(筑摩書房
発言者:杉浦日向子 (漫画家 江戸風俗研究家 1958年11月30日~2005年7月22日)
『解説:悔しくて眠れない夜。心配事がある。かなしみがある。なかなか一日を仕舞うことができない。無理して寝ようとしても、寝られないものは寝られない。けれど布団の中であれこれ考えたってどうしようもないのも事実だ。明日は今日とは別の日。明日になれば、今日は昨日だと割り切ってしまえ。北斎と浮世絵師たちの世界を描いた「百日紅」(サルスベリ)は杉浦随一の名作だ。』

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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

ウィキペディア 杉浦日向子
『杉浦 日向子(すぎうら ひなこ、本名:鈴木 順子(すずき じゅんこ)、1958年〈昭和33年〉11月30日 - 2005年〈平成17年〉7月22日)は、日本の漫画家、江戸風俗研究家、エッセイスト。日本大学鶴ヶ丘高等学校日本大学芸術学部卒業。/兄はカメラマンの鈴木雅也。元夫は作家・博物学者の荒俣宏。/■略歴:1980年 -「虚々実々通言室之梅」で月刊誌『月刊漫画ガロ』11月号にてデビュー。1984年 - 『合葬』で日本漫画家協会賞優秀賞受賞。1988年 - 『風流江戸雀』で文藝春秋漫画賞受賞。荒俣宏と結婚するが、互いに多忙のため同居せず。荒俣の女性問題が原因で、半年で離婚。1993年 - 漫画家としての活動から引退。この頃より江戸風俗研究家としての活動を始める。島根県国際短期大学客員教授に就任した経歴もある。1995年 - 翌年にかけて、発表された漫画を集めた「杉浦日向子全集」が筑摩書房から刊行される。2005年7月22日午前4時32分 - 下咽頭癌のため、千葉県柏市内の病院で死去。46歳没。
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■人物・逸話:稲垣史生は弟子に厳しかったが、杉浦に関しては「この人の作品は大丈夫」と太鼓判を押していたという。呉服屋の孫娘として生まれたこともあり、普段から着物を着ていることが多かった。銭湯好きでもあり、銭湯研究から「路上観察学会」にも参加した。落語も好きで、8代目桂文楽・3代目桂三木助・5代目古今亭志ん生のテープなどはすべて揃えていた。子供時代は「巨人・大鵬・玉子焼き、ではなく、可楽(8代目三笑亭可楽)・柏戸・味噌おにぎりだった」とも記している。グルメとして知られており、食に関する著書も多い。無類の蕎麦好き(蕎麦屋好き)で、ソビエト連邦が崩壊した1991年に[5]仲間と「ソ連」(ソバ好き連)を立ち上げ、その中心として活動した。また、日本酒党でもあり、『コメディーお江戸でござる』番組内での発言からもそれが窺えた。デビュー直後に、70万円を出して、明治時代の雑誌『風俗画報』の全巻揃いを買った。デビューしてしばらくは、近藤ようことともにやまだ紫のアシスタントをしていた。一見おっとりして見えるが、性格は男性的で、一時はバイクに乗っていた。学生時代(中学の頃とされる)剣道部に所属し[6]また、荒俣と結婚した際は「女性的な荒俣と男性的な杉浦とで、似合いの夫婦だ」と評された。「江戸東京博物館」の開館5年前から創設プロジェクトチームに加わる。ただし、杉浦が担当したのは江戸ゾーンではなく、明治初期の銀座を再現した「明治のレンガ街」というミニチュアのデザインであった。』
近藤ようこさんとアシスタント仲間かぁーーー。ちょっと親近感。

●杏ちゃんの一冊『百日紅 -杉浦日向子 著書』


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SANKEI EXPRESS 杉浦日向子という本当のクールジャパン 来年公開のアニメ映画『百日紅』にも期待したい 松岡正剛 2014.10.1
『日向子(ひなこ)が咽頭癌で亡くなってから約10年がたった。まだまだこれからという46歳だった。/日本橋の呉服屋に生まれた。兄貴からはロックやサブカルを教えられ、高校時代は大相撲にぞっこんになって、魁傑(かいけつ)の大ファンになり、日大芸術学部に行ったものの授業がとてもつまらなく、稼業を手伝いながら手描き友禅に憧れるうちに、稲垣史生の時代考証学に惹かれて「ああ、これだ、これで行こう」と決断すると川越の稲垣の自宅に3年通った。稲垣が時代劇の時代考証を一手に引き受けていたころだ。日向子の唯一のセンセイは稲垣なのである。22歳で「ガロ」で吉原を題材にしたマンガでデビューすると、たちまちやまだ紫近藤ようことともに“ガロ三人娘”と呼ばれたが、徹底した時代考証は日向子の右に出る者はいなかった。『合葬』『風流江戸雀』『ニッポニア・ニッポン』『百物語』『ゑひもせす』『百日紅さるすべり)』『とんでもねえ野郎』などで、江戸情緒と江戸怪奇と江戸日本人の風合の真髄を描き続けた。
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ぼくは比較的早く日向子と知り合って、その素っ頓狂な時代オヤジぶりがおもしろくて(銭湯やバイクや落語が好きだとか)、しょっちゅう会ったりパーティに連れ出していたのだが、紹介した荒俣宏君が彼女を気にいって結婚してからは(長続きせずに離婚したが)、少し遠慮するようになった。その間、『お江戸でござる』などのテレビ番組のレギュラーになったりしていて、巷間ちやほやされていたけれど、それがなんだか気の毒だった。きっといろいろな事情がうごめいていたのだろう。1993年にマンガ家引退宣言をしてしまったのも悔しい。/日向子のマンガの魅力は、絞りに搾れば3つある。第1に、現代の浮世絵のような絵の描きっぷりがいい。線もいい、間(ま)もいい、コマ割りもいい。第2に、江戸の情緒・風合・洒脱がみごとに再生されている。さすがに黄表紙を読みこんできただけのことがある。第3に、時代社会の人間模様をなんともいえないヒューマニティを下敷きに組み立てていて、そこに奇妙や不気味や滑稽が出入りしているのが、たまらない。たとえば『百日紅』は葛飾北斎と娘のお栄と居候の善次郎の3人の、自信と気っ風と失敗談が絡まりながら進行する傑作マンガだが、どこを読んでも間と情緒と滑稽が下町の風のように出入りしていて、現代のわれわれが失ったものが何であるかを告げてくれるのだ。が、その日向子はもういない。せめて彼女が遺した“香ばしい失望”がたゆたうメッセージを受けとめるべきだろう。それがなくてはクールジャパンなどありえない。原恵一によるアニメ映画『百日紅』が、来年公開されるのが待ちどおしい。』

●『百日紅さるすべり)~Miss HOKUSAI~』予告編 主題歌に椎名林檎


☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“蒸し暑い夏の夜に一縷の冷風が袖口を潜ったような気分になる(『吾輩は猫である』より)”

【1909年7月22日、42歳の漱石】ホタルの籠を軒端にかけて夏の夜に涼を求める

今から107年前の今日、すなわち明治42年(1909)7月22日、42歳の漱石は東京・早稲田南町の自宅の軒端に、麦藁で編んだ籠をかけていた。籠の中には螢が入っている。少し前から夏目家に書生として寄宿している西村誠三郎(家政婦のお梅さんの兄でのち満洲日日新聞に勤務)が、外で買い求めてきたものだった。螢の明滅する淡い光を鑑賞しながら、夏の風情を味わうとともに、かすかな涼を求めようというのだった。

この頃の日本人は蒸し暑い夏を乗り切っていくために、直接的には団扇や扇子を使い、あるいは門前に打ち水をして風を呼び込む一方で、蛍や金魚、釣り忍を眺めたり、風鈴や虫の音に耳を傾けるなどして、感覚的に清涼を味わうという、独特のライフスタイルを作り上げていた。/ガス灯がつき電気が通り、汽車が走るなど、欧米からの先進技術の流入で文明開化が一気に進む中でも、自然と共生する古来からの風習は、庶民の日常の中にしっかりと受け継がれていたのである。螢籠は、蚊帳につるされたりすることも多かった。

漱石門下の物理学者・寺田寅彦が、かつて俳句の師としての漱石に送った一句にも、蛍籠を詠み込んだこんな句があった。《涼しさや蚊屋の釣手の蛍籠》/漱石はこれを見て、《白き紗に蛍を盛るや蚊帳の上》と添削指導を行なっている。/いずれにしろ、蚊帳に蛍という組み合わせは、古き良き時代の情緒に満ちている。ちなみに、文明開化という意味では、この2日前、夏目家の台所にガスが引かれている。これは、薪をくべて煮炊きする竈(かまど)からの解放を意味していた。毎日の食事を用意する際、その便利さは格別のものがあったろう。先進の技術文明を取り入れながら、自然と共に生きる風流心を忘れない。現代人にとってもひとつの理想である、賢い暮らし方のヒントがそこにある気がする。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「夏の夜」「蛍」で動画検索してみました!!)

●夏の夜の蛍の光


●演劇】TEAM909『夏の夜からホタルは消えた』予告


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ジョニーAのつぶやき:蛍か・・・もう何十年も見てないなぁーー