漫画タイトル「おばさん後期」/

毎日新聞 りえさん手帖
毎日新聞 2018年7月23日 東京朝刊』

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※「おばさん後期は、おっさんに脱皮する」またまた出ました、西原名言!

西原理恵子の患者通信 〜誰にも言えない病気 口臭編〜
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『自分では気づきにくい口臭について日常で起こりうる例を挙げて、今回もセルフチェックのやり方から原因までを西原理恵子先生がお届けします。』

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※口臭について、公衆の面前で、講習を開くことが必要である!

●おかん飯:西原理恵子枝元なほみ「ドライカレー」


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※↑このエダモンのイラストがめっちゃ好きヤァ~~~!w

アメーバニュース 高須院長、『水戸黄門』出演しVIP待遇「大スターの楽屋で待機」
高須クリニック高須克弥院長が17日に更新した自身のアメブロで、時代劇ドラマ『水戸黄門』に出演したことを報告し、メイクの様子なども公開した。この日、「2度目の水戸黄門出演」というタイトルでブログを更新した高須院長は、「水戸黄門のちょい役に出してくれるのでワクワク」と、京都・太秦の撮影所に足を運んだことを報告。端役ではあるもののスポンサーのため「扱いがVIP待遇」だったといい、「大スターの楽屋で待機」と、俳優・北大路欣也の名札がある楽屋前での自撮り写真を公開した。
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続けて高須院長は、かつら合わせや衣装合わせの様子を写真とともに紹介し、「自然な出来上がりに満足」とコメント。水戸黄門役を演じる俳優・武田鉄矢との2ショットや、撮影の様子も一部公開した。高須院長は「変な旅籠の番頭役」だったといい、台詞が宮崎弁だったことから「三河弁か名古屋弁ならネイティブなのに」と残念そうにつぶやいた。オンエアは来年の予定だという。この投稿に「院長先生、本当に時代劇のかつらがお似合い!」「来年の放送が楽しみですね!!」「是非とも拝見致します」などのコメントが寄せられている。』

そんな能天気なドラマ出演の話題だけではなかった・・・↓


デイリー 高須院長 めざましテレビに「ぷんぷん」裏口入学インタビュー編集に不満か
高須クリニック高須克弥院長が20日、ツイッターを更新し、大学に裏口入学(後に訂正)したことを取り上げたフジテレビ系「めざましテレビ」について「ぷんぷん」と怒りをつぶやいた。/番組では、高須院長がツイッターで「僕も裏口入学だよ。母子家庭の開業医で父親が卒業生で1次試験の成績がよかったので、2次試験は死んだ父親をよく知っている教授が担当してくれて世間話だけ。入学金も半額に負けてくれた」と母校に“裏口”で入ったとつぶやき騒動に。
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母校側に取材が殺到してしまったことを受け「母校に迷惑はかけられん」と、その後、“勝手口入学”と訂正したが、「めざましテレビ」では、その真意を高須院長に電話インタビューした。高須院長は「お役人が賄賂をやり取りしているっていうのがいけないということを、皆、怒るべきであって、医学部を卒業したからっていって皆が医者になれる訳じゃないんだから、だったら勉強したい人を入れてあげたって、悪いことないと思うんです」と説明。役人の汚職と、一般人が人脈を使う事を同列にすべきではないという主張を語った。/だが、その放送を見た一般のファンから「印象は高須センセイバッシング」「めざましテレビで高須先生の今回の件を知った人は100人中98人くらい悪い感情を持ったような作り」などの指摘が届き「電話で取材された。丁寧に説明した。よく話を聞いてくれた」とフジ側の対応を説明。だが「『都合よくつまんでオンエアしないでね。真意を伝えてね』とよくお願いしたのに…」と編集方法には納得がいっていないようで「ぷんぷん」という言葉と怒っている絵文字を投稿した。そして「フジテレビはいいテレビ局だよ。仲良しなんだが」と、行き違いを残念がっていた。』

めざましテレビ 2018年7月20日(金) かっちゃんニュースは2時間4分44秒過ぎから!


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※一応、街の声も賛否両論紹介しているし、中立な報道だったと思ったが・・・。

かっちゃんブログ 裏口入学
『かっちゃんの思いを🐻にぶつけたら漫画にしてくれた。詳しくは次回発売の週刊新潮見てね』

※見た。。。

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※この漫画の時点で言っておけば良かったね、「勝手口入学」というフレーズをw




☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日7月24日(火)の、「元気が出る言葉」は~?

『人間は時として、充たされるか充たされないか、わからない欲望のために、一生を捧げてしまう。その愚を笑う者は、畢竟(ヒッキョウ)、人生に対する路傍の人に過ぎない。』
出展:「芋粥
発言者:芥川龍之介 (小説家 1892年3月1日~1927年7月24日)
『解説:下級役人の主人公は、芋粥を飽きるほど食べたいという夢を持っていたが、それが実現しそうになった時、食欲は失せ、以前の孤独で冴えない、芋粥への欲望だけが幸福だった自分を思うのだ。夢のための夢なら、それが実現したとき、燃え尽き症候群になってしまう。夢は実現した後が大切だ。人は夢のために一生をかけてよい。それを嘲笑う傍観者になるよりは。この、人生の悲哀の作品を書いたとき、龍之介はわずか24歳であった。』

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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

芋粥 全編
『底本:「現代日本文学大系43芥川龍之介集」筑摩書房 1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行 /初出:「新小説」 /1916(大正5)年9月 /入力:j.utiyama /校正:吉田亜津美 1999年5月29日公開 2013年4月28日修正 青空文庫作成ファイル』

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Amazon.co.jp 羅生門・鼻・芋粥 (角川文庫) 芥川龍之介(著)
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『■商品の説明:羅生門・鼻・芋粥 (角川文庫) [Oct 01, 1950] 芥川 龍之介 /■登録情報:/文庫 314ページ /出版社 角川書店; 改版 /言語 日本語 /ISBN-10: 4041033012 ISBN-13: 978-4041033012 /発売日 1950/10 /梱包サイズ 14.8 x 10.6 x 1.4 cm /おすすめ度 5つ星のうち 3.2 /■カスタマーレビュー:5つ星のうち4.0 「偉大なる初歩」投稿者D坂ノボル 2004年9月8日・・・芥川龍之介の初期作品を集めた文庫だが、デビュー間もない時期の作品とは思えないほど、どの短篇も完成度が高い。どれも妥協なく精緻に作りこまれた印象を受ける。既に後期作品に見られる陰鬱な作風やペシミズムは作品の根底に見られるが、この時期の作品はそれでも楽しんで読める乾いた独特の雰囲気と稚気にあふれたユーモアがある。ゆえに芥川文学初心者にはとっつきやすい好書になっているだろう。「羅生門」「鼻」「芋粥」といった、芥川得意の古典を下敷きにして創作する手法の表題作のほかにも、星新一ショートショートを思わせる「煙草と悪魔」など脇を固める作品もじゅうじつ。特に「MENSURA ZOILI」は大正時代に書かれたとは思えないほど現代的でスタイリッシュな出来栄え。SFじみた不思議な味の好篇だ。』

●文豪とアルケミスト】回想 歯車 芥川龍之介夏目漱石


☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“用心は大概人格を下落せしむるものなり(『書簡』明治39年7月24日より)”

1906年7月24日、39歳の漱石】もっと大胆に生きていいんだ!夏目漱石、悩める教え子を激励する

今から110年前の今日、すなわち明治39年(1906)7月24日、39歳の漱石は教え子に宛てて1通の手紙をしたためていた。教え子の身の上を案じ、励ます手紙だった。手紙の相手は、東京帝国大学を卒業したばかりの中川芳太郎。社会へ出たとたん、ひどく萎縮してしまい右顧左眄(うこさべん)している感のある芳太郎の態度を慮って、漱石はこう書いた。

《学校を卒業して一日のうちに世の中が恐ろしくなったから、これから余程注意を周密にする由(よし)結構に候。しかし周密という意味に上等と下等あり。自己の智力にて出来得る限り考え、自己の感情にて出来得る限り感じ、而して相手と自己とに不都合の破綻なき様にするを上等といい。ただ人を見て泥棒の如く疑い何でもコソコソに先を制する様な事を得意にする、これを下等の周密という。(略)世を恐るるは非なり。生れたる世が恐ろしくては肩身が狭くて生きているのが苦しかるべし。余は君にもっと大胆なれと勧む。世の中を恐るるなとすすむ。自ら反(はん)して直(なお)き、千万人と雖(いえど)もわれ行かん、という気性を養えと勧む》/周密になるのは結構だが、こせこせしてはいけない。世の中を恐れず、もっと大胆になっていい。自ら正しいと信ずる道ならば、たとえ千万人を向こうに回しても、恐れずに進むという気概を養いなさい。そう叱咤激励している。

恩師たる漱石先生からこんな手紙をもらった芳太郎は、どれほど勇気づけられたことだろうか。漱石は手紙好きだった。門下の森田草平宛ての書簡にも、《小生は人に手紙をかく事と人から手紙をもらう事が大好きである》と綴った。電話という文明の利器が西洋から入ってきているものの、まだ十分に行き渡っていないという明治期の日本の社会事情もあるにせよ、漱石はたくさんの手紙を書いた。/現在、中味が把握されて全集に収録されている分だけで、その数は2500通余りに上る。行方がわからないもの、紛失したものも少なくないはずだから、実際にはこの何倍もの数の手紙が書かれたのだろう。実際、漱石の友人の菅虎雄はこんなふうに証言している。

《夏目君の書簡といって今私はあまりたくさん所持していない。これはごく親しかったため、生前その書簡もそんなに大切に保存もしておかなかったためである。これは何も私に限ったことではなく……》(『夏目君の書簡』)/残された手紙の中には、若い門弟たちに宛てた訓戒と示唆に富む宝物のようなものも、多く含まれていた。佐藤春夫山田風太郎といった後世の文人たちが、漱石書簡集を愛読書として座右に置いた所以である。とくに山田風太郎は、古本屋に出回った漱石の自筆書簡を入手し、額に入れて自宅応接間に飾るほどだった。筆者も、一度、取材に訪れた山田風太郎邸で現物を見せてもらったことがある。長さ1メートルほどの、巻紙に墨跡くろぐろとしたためられた手紙。読み進めていくと、《この手紙持参の人は中村蓊(しげる)とて、去年英文科卒業の文学士にてその後東朝記者となりて小生とは朝日社友の間柄に御座候。(略)ちょっと御目にかかり伺いたき事これある由にて、小生へ一封紹介状依頼につき相認(したた)め候。定めて御多忙とは存候えども本人参上の節は何卒御引見下されたく願上候》

署名は「夏目金之助」。名宛は「鴎外先生」で「坐下」という脇付がつく。つまり、漱石の鴎外宛て書簡という珍しいもので、それも、漱石朝日新聞の同僚である中村蓊本人が鴎外邸を訪問する際に持参すべく書かれた紹介状なのである。山田風太郎漱石の息吹にいつもふれていたいがために、入手したこの手紙を額装して飾っていた。漱石書簡には、それだけの魅力がある。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「山田風太郎」「漱石」で動画検索してみました!!)

●あの人に会いたい 山田風太郎 2007.8.5


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※このキャラにして、あの作風なのだな~~、と合点がいく。

ジョニーAのつぶやき:沢田研二の『魔界転生』は名作ッス~~!